夏向けショートショート3本立
第一話/バチン
もう夏本番と言っていい暑さなのに今のところ梅雨が明けたという発表はなく、夜の10時が迫っても一向に過ごしやすくならない。
決して断熱性が良いとは言えない1kアパート、しかも二階だからなおさら暑いのかもしれない。
この部屋がある棟は女性専用で、玄関には電子式のオートロックが備えられていたりとセキュリティ性は多少工夫されている。
その代わり玄関を開けっ放しにはできない仕様だし、その面に備えられたシンク奥の窓は10cm程しか開かないようになっているから、部屋全体の通気性はあまり良くなかった。
それでも先週までは我慢できた。だけどもう駄目、もう無理。
あまりに不快な湿度と厳しい暑さに苛まれ、今週からは遂にエアコンを使い始めていた。
だって日曜の夕方一緒に出かけた向かいの棟のNちゃんが『まだ使ってないの? 私、6月の終わりからエアコンかけてるよ』なんて、呆れたように言うんだもの。
涼風の誘惑に負けたのは彼女のせい、私は悪くない。
やっぱり文明って素敵。エアコンを発明した人にはノーベル賞を贈るべきだと思う。
私は伸びたTシャツの下にはブラジャーも着けず、下は脚のつけ根までたくし上げたハーフパンツという決して人に見せられない服装で、決して人に見せられないだらしない体勢をとりラタンのラグに寝そべっていた。
たぶん身体の下になっている左腕にはラグの目の型がついてしまっているだろう、知った事か。
グラスの麦茶には寝そべったまま飲めるよう、ストローを差してある。視線はTVに向けたままそれを手にとり、何度かストローを咥えるのを失敗しながら口をぱくぱくしていると不意に画面が消えた。
画面だけではない、TVの音はもちろん部屋の明かりも冷蔵庫の音も、そして私にこの快適を与えてくれていた愛しきエアコンまでも動作を停めている。
もしかして停電? でも雷も鳴ってないし、この時間に工事とかするわけもない。という事は──
──やっぱり、壁に耳を当てると隣の部屋からはTVの音が聞こえてる。
つまりこの部屋のブレーカーが落ちたんだ。
懐中電灯とか、たしか独り暮らしを始める時にお父さんが色んな工具と一緒にどこかに備えてくれたけど……うん、頭を捻ってもだめだ覚えてない。
どうしよう、真っ暗。怖いよ……嘘、怖くない。むしろ快適な寛ぎタイムを阻害されて不機嫌モード。
なんとか早く台所のブレーカーを上げなきゃ室温が上がってしまう、でも家具の角に小指をぶつけるのは嫌だなぁ。
あ、そうだ。家の電源とは切り離された電気製品が、すぐ手元にあるじゃない。
私は愛用のスマートホンを手探り、ホーム画面を下からスワイプして懐中電灯のアプリを起動した。
慣れた自室内を歩くには充分な明るさ、足元ばかりを照らしてて室内の物干しワイヤーに吊るしたタコ足を頭に喰らったのは内緒。
冷蔵庫の横の壁、ちょうど近くに置いている踏み台を寄せて上るとブレーカーのボックスに手が届いた。
開けてみるとやはり一番左のレバーが下を向いている。それをパチンと上げると『ピッ』という音と共にリビングのシーリングライトが点灯した。
エアコンもまたフラップを動かし始め、僅かに遅れてTVの音声が流れた。
ちょっとホッとする。強がりながらも、やっぱりほんの少しだけ怖かったらしい。
踏み台から足を下ろし、それを元の位置に戻そうとした、その時──
「えっ」
──バチンと音がして、またブレーカーが落ちた。再び部屋は闇に閉ざされる。
手に持ったままのスマートホンをすぐに点灯する。踏み台に上がり再びブレーカーを戻すと、さっきと同じ順序で電気製品が息を吹き返した。
今度は踏み台から降りずに数秒待つ。ブレーカーボックスの蓋も閉めない。バチン、しつこくも三度目の闇は訪れた。
電気製品を使い過ぎているのだろうか。でも思いつくのはTV、エアコン、冷蔵庫……今は洗濯機は動いていないはず。これらは今週、毎晩同時に使用する機会はあった。
暗闇の中でしばらく考えて、またブレーカーを上げる。数秒、やはり同じ繰り返し。視界は漆黒に染まった。
せめてTVを消してみようと考え、闇の中リビングへ戻る。既に電源を失ったそれにリモコンを向けても無駄だろうから、コンセントからプラグをひっこ抜いた。
もう一度リビングを抜け、台所の踏み台に上がる。ブレーカーを上げる時、心の中で『お願い』と唱えた。でも数秒後、無情にも黒いレバーはまた同じバチンという音と共に下を向いてしまった。
きっと故障に違いない。何かがよほど電気を喰っているか、それともブレーカーそのものの不具合か……そうしか考えられない。
それでも、認めないわけにはいかなかった。
このレバーが下がる時の無機質な音に、しつこく訪れ続ける闇に、私は恐怖を感じている。
視界がきかないからかもしれないけれど、耳には鼓動がやけに大きく伝わっていた。
スマートホンの照明は点けたままで、私は通話アプリの連絡帳を開いた。遅い時刻に構わず、向かいのNちゃんに発信する。
お願い、出て。願いながらゴクリと唾を飲み込んだ。
《もしもし? どしたの、こんな時間に》
5回のコール音を経てNちゃんは通話に応じた。私は強い安堵感を覚え、無意識にため息をついていた。
「ごめんね、寝てなかった?」
《うん、まだ起きてたよ》
「なんか家の電気がすぐ消えちゃうの。ブレーカーがおかしいのかもしれない」
《電気製品使い過ぎてない?》
「エアコンと冷蔵庫だけなんだよ、TVを消してみてもダメだった」
「ほんとごめんね、さすがにちょっと怖くなっちゃって……」
《ううん、気にしないで。どうしてもダメならウチにおいでよ》
「ありがと、でももうちょっと試してみる。あの……」
《わかってる、通話したままでいいよ》
私がかなり怖がっている事を察したのだろう、Nちゃんはクスクス笑っているようだった。すごくホッとしてしまったのが悔しい。
通話を繋いだまま、少し考える。
冷蔵庫を切るわけにはいかない。エアコンのプラグを抜き、またブレーカーを上げてみるしかないと思った。
それで今度こそレバーが落ちなければ食料品を無駄にする事は防げる。その後は申し訳ないけれどNちゃんの厚意に甘えるしかないだろう。
エアコン用のコンセントは高いところにあるから踏み台を持っていかないといけない。
通話は繋いでいたいけど、明かりも必要になる。スマートホンを耳から離して通話画面の右上にあるスピーカーのマークを押した。
「ハンズフリーにしたよ」
《そっちの棟の他の部屋は大丈夫なのかな》
「隣のTVの音はしてたと思う。それにウチのブレーカーが落ちてるのは間違いないし……」
両手に物を持ち、ささやかな灯りを頼りにまたリビングを戻る。私は踏み台を床に置いて上がり、エアコンのプラグを引っこ抜いた。
スマートホンのスピーカーから、Nちゃんが部屋のカーテンを開ける音が聞こえた。
《うん、他の部屋は安定して電気が点いてるみたい》
すぐに台所に戻り、また踏み台からブレーカーに手を伸ばした。レバーを持ち上げ、今度は聞く人がいるから「お願い」と声に出して言った。
リビングが明るくなり、冷蔵庫が小さくモーター音を発し始める。そして数秒後、またバチンと音がしてそれらは絶えた。
「だめだ……食べ物どうしよう。とりあえず暑いからベランダの窓を開けるよ──」
またリビングを振り返った。その時、Nちゃんはさっきまでとは明らかに違う怯えた声で言った。
《──ダメ、部屋から出て》
「え?」
《早く》
「なんで、どうしたの」
《いいから、隣の部屋に逃げ込んで!》
その時、私は気づいた。
うっすらと向かいの棟の明かりが注ぐリビングの窓、そのカーテンの隙間から片目で部屋を覗き込む人影に──
──その後、私はNちゃんの言った通り隣の部屋に助けを求め匿ってもらった。
Nちゃんはすぐ110番に通報し、間も無く警察が駆けつけた。
私が慌てて部屋から出た事に気づいた侵入者は逃げていたけど、残された梯子から割り出され翌日に捕まったらしい。
あの夜、現場を調べた警察官は私に「見て下さい」と言ってベランダの壁にある屋外コンセントを指差した。
それはところどころが黒く焦げ、縁のプラスチックが部分的に溶けて歪んでいた。その場には銅線の切れが残されており、それを差し込みショートさせていたのだという。
何度も停電させエアコンを効かなくして、私が暑さに耐えかねる事を狙っていたのだろう。
もしあの時、Nちゃんに止められる事なくベランダの窓を開け放っていたら──
第一話/おわり
第二話/空っぽの帰港
明け方と言うにもまだ早い午前四時、僕はこの小さな港に係留している自前の釣り船に荷物を積み込んでいた。
釣り船といっても客を乗せるようなサイズではない。
せいぜい友人を2~3人も乗せれば、よく考えてスペースを残さねば釣り道具の積みようがなくなるくらいのささやかなものだ。
しかし今日は一人きりでの釣行、荷物の積み方に気を遣う必要は無い。
なぜ友人を誘わなかったか、それはこの船の調子に些かの不安があったからだ。
別に深刻な不具合が出ているわけではないが、前回の釣行時なんとなくバッテリーが弱々しく感じられた。
だから今日は『もしかしたら本当に釣りに臨む事はできないかもしれない』と覚悟をした上でここを訪れたのだ。
キーを挿しスターターを捻ると、やはり前回以上にモーターが回る音は遅く弱い。
古いエンジンとはいえ寒い時期に比べればかかりやすいはずなのだが、それでも始動は叶わなかった。
まあいい、そうじゃないかとは思っていたから充電器も積んできてある。
朝まずめの出船は諦めざるを得ないが、完全にバッテリーが死んでさえいないなら時間をかければ息を吹き返すはずだ。
誰を待たせるわけでもない。
陽が昇ればキャビンの日陰に憩い、湾内の緩い波に心地よく揺られながらうとうとするのもいい。
そうしている内にチャージもできるだろう。
「──お早いですね」
キャビンに向かって屈みこんでいた僕に、斜め後ろから声が掛けられた。
振り返ると隣の船のオーナーだろう男性が、タラップを降りてくるところだった。
「やあ、おはようございます」
「これから釣りに?」
「そのつもりだったんですが……こいつが言う事をききませんでね、なにせポンコツですから」
頭を掻きながら船のコンソールあたりを小突いてみせると、隣の船の男性は「なるほど」と苦笑いした。
「おーい、降ろすぞー」
男性には数人の連れがいた。
これから荷物を降ろすのだろ
コメント一覧
-
- 2016年07月15日 23:24
- なかなかイイね、ほんのり涼しくなったよ!
-
- 2016年07月15日 23:30
- 最後のがとても面白かったです
スポンサードリンク
ウイークリーランキング
最新記事
アンテナサイト
新着コメント
LINE読者登録QRコード
スポンサードリンク