ジャンプ+で連載中の漫画作品『ファイアパンチ』(藤本タツキ)の単行本1巻が発売されました。
「第一話の完成度が異常に高い」と大評判になったこの作品ですが、あまり2話以降の評判が聞こえてきません。
「2話から尻すぼみした」なんて声も……そんなことない! そんなことないんだよー!
むしろ事態はもっと複雑なんだよ―! という話を今からします。
【ジャンプ+春の新連載】
鬼才藤本タツキによる奇跡を巡る巨弾ファンタジー『ファイアパンチ』登場!!
雪と飢餓に覆われた世界で民は炎を求めた。
主人公アグニの祝福は呪いか希望か… pic.twitter.com/giSVU02OoJ— 少年ジャンプ+ (@shonenjump_plus) April 18, 2016
『ファイアパンチ』の魅力
①絶望的な復讐劇
『ファイアパンチ』の舞台は、雪に覆われた世界。
「氷の魔女」と呼ばれる「祝福者」の力によって、世界中が冷えと飢餓に包まれているのです。
「祝福者」とは、この世界に多数いる特異体質者のこと。
主人公のアグニは「再生」の祝福者。いくら体が破損しても一瞬で治る体質です。
アグニの妹、ルナも同じく再生の祝福者。兄妹は飢えた村のために毎日自らの腕を切り落として振舞っています。
事件は唐突にやってきます。
村にやってきた「炎」の祝福者ドマによって、村一帯が焼き払われるのです。ドマの炎は一度つくと燃え尽きるまで消えないという特性があるため、アグニとルナの体は再生と燃焼を繰り返して地獄の苦しみを味わうことに。
再生力が弱い妹のルナは長い時間をかけて焼け死に、より再生能力が強いアグニは、8年かけて炎をコントロールする術を身につけます。
そして体に炎を纏ったアグニは歩き出します。妹を殺したドマという男をこの手で葬るために。
かなり重い出だしです。読者の多くはこのハードな設定に引きこまれたのだと思います。
②容赦のない描写
作中には読むのがきついグロテスク描写が多々盛り込まれています。
8年ものあいだ、人間が焼け続ける描写。「薪」として切り落とされる腕。人肉食。陵辱される女性と子供。
そして、人々の冷えきった眼。
ジャンプレーベルを冠しているにしては、かなり直接的かつ残酷です。
しかし、それが物語の抱える絶望をより引き立てていることは間違いありません。
なぜ尻すぼみと言われるのか
主に上記2点の理由から、『ファイアパンチ』は連載開始とともに大注目を浴びました。
にもかかわらず。
2話目以降は「失速した」という声が多くあります。
私はこの作品が好きですが、それは否定できません。というのも、第1話を超えるピークがいまだにないのです。
特に発売されたばかりの第1巻はあらゆる意味でプロローグと呼ぶほかなく、この単行本一冊をもってして作品全体を肯定することは難しいつくりになっています。
「だから仕方ないんだ」と言いたいわけではありません。むしろ、一巻を費やして大きな見せ場を作らなかったことは目に見えた落ち度と言えるのかもしれません。
何故ファイアパンチは面白くならないのか(1-6話総評)
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映画監督の大岡俊彦さんが『ファイアパンチ』の欠点について書き手目線で解説するブログ記事です。ほとんどケチョンケチョンにしてます。自分が作者でもないのに冷や汗がするくらい。まだ本編を読んでない人が先にこの評論を読むと先入観でつまんなく感じちゃうかもしれません。
大岡さんの指摘から重要な点を抜き出すと、
「アグニに『ドマを倒す』という大目標はあるものの、直近の目標(中ボスをやっつけるとか)がない」
「エログロで続きが気になる(ヒキのある)展開だが、その繰り返しに終始している」
というのが構成上の大きな欠点であるため、『ファイアパンチ』に実はストーリーがない(読者を物語に引き込むパワーがない)のです。
だから、大岡さんは作り手として「こういうお話を作ってはいけない」と、ファイアパンチを反面教師とします。
私自身は大岡さんの意見の全てに賛成しているわけではありませんが、大筋でこの考え方には賛成します。
『ファイアパンチ』の(個人的な)魅力
褒めるのかけなすのかどっちなんだよ、という文章になっていますが、私は相変わらずこの漫画がとても好きです。
なぜか。
私自身が「ストーリー」にあまり興味がないせいではないかと思います。
最近気がついたことですが、私はストーリーというものにさほど関心を払っていないようなのです。
優れたストーリーは、観客をその世界に没頭させます。それが作り物であることを忘れさせるほどに。
私もそういうものはもちろん好きですが、必ずしもそうであれとは思わない。
むしろ、「行き当たりばったり」であったり、作者の試行錯誤が透けて見える作品が同じくらい好きです。
私は作品内容のハラハラ感と、作品を取りまく状況も含めたハラハラ感の区別がつかない「おもしろ盲」なのかもしれません。
たとえば、明らかなテコ入れが入ってバトル展開になってしまうジャンプ漫画が好きですし、予算が足りない映画のしょぼい爆発CGが好きです。
色々あった結果ぐちゃぐちゃな出来になってしまった映画の『デビルマン』も好きです。
これはたぶん、不誠実で意地悪な感受性です。作者としては、そんな楽しみ方はよしてくれと思うはずです。
ですが、私はその噛み合ってないところに尊さすら感じてしまいます。一種のフェチだと思います。
「行き当たりばったり」に寄せた好例として、『刃牙』のような漫画も好きです。
刃牙ってぜんぜんストーリーがないんですよ。最近はほとんど、面白いキャラクターが出てきて自己紹介を実演するだけ。誰も主人公の刃牙に感情を入れて読んでない。なのに面白い。
『ファイアパンチ』の展開は行き当たりばったりですし、迷いや試行錯誤の跡がにじみ出ているように見えます。にじみ出すぎて話に没入できないほどに。
しかし私には、にじみ出ているものが、今までに見たことのない模様を作っているように見えるのです。そこに惚れてしまっています。
『刃牙』は行き当たりばったりながらもずっと『格闘漫画』という大きな柱を守っています。
しかし『ファイアパンチ』はそこすらもおぼつかない。これは復讐譚なのか、異能バトルなのか、グロ漫画なのか、はたまたギャグなのか。そのレベルで揺らいでいる。
もしかすると、作者の藤本タツキ先生自身、ストーリーにあまり興味がないのではないか、とも思います。
つまり、これこそが作者の描きたかったものなのではないか。
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作者インタビューを読んで気になることがありました。「戦略的に漫画を描いている」「これから今後3回か4回、ジャンルが変わります」といった、『ファイアパンチ』を俯瞰から見おろして操作している発言の多さです。
作者自身が物語に没頭しておらず、どちらかといえば、漫画を読者をおどろかすための装置として捉えているように感じます。
私はその感覚に、勝手に強い共感を覚えます。
トガタはファイアパンチをどこに導くか
ラストでトガタという女性が登場して、1巻は終わります。
彼女は『ファイアパンチ』の面白さを象徴するとともに、お話を内部から掻き回すキャラクターです。
すっごいアクが強い。
度を越した映画マニアであるトガタは、アグニの存在を知ると「こいつを主役にした映画を撮ろう」と思い立ちます。
映画用語を連発しながら、彼女はこの「映画」を盛り上げることだけを意識して行動します。
トガタ、すごく魅力的です。
普通の漫画として見ても、トガタが登場してからグッと面白くなったと感じます。
トガタは作中の誰よりも作者の意識が投影されているように見えるし、そういうキャラクターを登場させてしまう自家中毒的な開き直り方にも変な好感を抱きます。
(裏サンデーのメタ漫画『ゼクレアトル~神マンガ戦記~』を彷彿とさせます)
ただ、こうなってくると、冒頭で立ち上げた復讐劇というテーマに戻ってこられるかはますます不安です。
内部にテーマを明示して茶化す存在がいては、ますます一直線に復讐劇を描くのは困難になるでしょう。事態はより混乱する気がします。
でも私はそれを心のどこかで望んでいます。その混乱こそ、私が読みたいもののような気がするのです。
ネットネイティブ(ファイアパンチ総評:12話まで)
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さきほどリンクを貼った大岡俊彦さんが12話までを読んだ上で、とても興味深いことを述べていました。
この漫画の面白さは、従来的なものではなく、
メタも含めた、
パクリも含めた、
変わり身の速さも含めた、
ネット批評前提も含めた、
その場限りのアドリブ的な面白さである、
と断定しても、そろそろいいのではないかと思い、ここに記した。 (以上引用)
私はそれを全て認めたうえで、すごく面白いことが起きてるなあと思う者です。
『ファイアパンチ』には、現代の、刺激に特化した、瞬発力に特化した創作の流れが象徴されているように思えます。
そういうわけで、私はファイアパンチから眼が離せません。
続きが気になる。どうなっちゃうんだろう。