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1. アレクサンドロス大王の名馬ブケパロス
、アルゲアス朝マケドニア王国の王であるアレクサンドロス3世(紀元前356年7月20日 - 紀元前323年6月10日)と愛馬ブケパロスは、大王がまだ子どもの頃から分かちがたい絆を結んでいた。
かつてブケパロスは、誰も乗りこなすことができないほどの暴れ馬だったが、アレクサンドロスが12歳か13歳の頃、扱いにくさの原因が馬が自分の影に怯えているせいだと気づいたことから、この馬をうまいこと手なづけた。
敬意をこめて、優しい言葉で声をかけると、アレクサンドロスはすぐにブケパロスにまたがることができたという。それ以降、互いに切っても切れない関係となり、共に世界を征服し、その伝説が広がっていった。
文献によると、ブケパロスは紀元前326年に、老衰もしくは、ヒュダスペス(現代のパキスタンのジェラム川)の戦いで負った傷がもとで死んだとされている。死因がなんであれ、ブケパロスは倒れたその地に葬られ、アレクサンドロス大王は哀悼の意を表して、そこにアレクサンドリア・ブケパロスという都市を作った。
2. アメンエムハト三世のカラス
「ゲーム・オブ・スローン」は、古代エジプト第12王朝のファラオ、アメンエムハト三世(在位:紀元前1860年頃〜1814年頃)に負うところが大きい。3世紀のローマの修辞学者クラウディウス・アエリアヌスによると、アメンエムハト三世はカラスを飼い慣らして、ボーダーコリーの知性と伝書鳩の確実性を備えた伝令役として訓練したという。
どんな特急便でも届けたい場所にはどこへでも、このカラスは素早く運ぶことができる。もっとも迅速な伝令だろう。行先を聞いただけで、どう飛べば最短距離で行けるか、どこを通過すべきなのか、到着したらどこで小休止するか、ちゃんとわかっていた。
アメンエムハトは、クロコダイロポリス(現在のエジプト、ファイユームの町)にこの忠実なカラスの友のための墓を建てた。
3. トトメス王子のネコ
古代エジプトではネコは崇められていたが、パンテオンではマフデト、バステト、セクメトのような神として存在していた一方、墓や神殿からはおびただしい数のネコのミイラが奉納品として見つかっている。愛玩動物としてのネコの考古学的、歴史的記録の証拠はそれほど多くないため、トトメス王子の飼い猫Ta-Miaut(または、Ta-Miu、Ta-Mit)についての記録は傑出している。
古代エジプト第18王朝のファラオ、アメンホテプ三世(在位:紀元前1391年頃〜1354年頃)と王妃ティイの長男トトメス王子は、父王よりも早く死んだ。彼の墓は1892年にメンフィス近くで発見されているが、一緒に精巧な装飾が施された小さな石棺も見つかっていて、その両サイドには供物台を前にしたネコが彫られている。側面やフタの碑文には、王子の愛猫Ta-Miaut(メス)の永眠の場とある。
Ta-Miautをオシリス神と結びつけるヒエログリフ文字の碑文は、当時の人々の棺に描かれたものと同じだ。死に際して、Ta-Miautは神聖視され、イシス、ネフティス、ナト、ゲブと同等の意味をもったのだ。碑文の最初にはこうある。
オシリスによって言葉をかけられし Ta-Miaut
空に向かいて毛を逆立て、空に身を委ね、
空の上にいる不死の者たちの仲間入りをする
我はTa-Miaut、見事に勝利し者
文章から、この棺はトトメス王子が生前に作らせたものであることがわかる。彼は愛するTa-Miautのためにこれを手配し、己の死後、自分の墓の中に一緒に安置させた。
4. イシテンケブ王女のガゼル
イシテンケブ王女は、第21王朝ファラオのプスセンネス一世(在位:紀元前1047〜1001年)の娘で、のちに腹違いの兄メンケペレの妻になった。
メンケペレは、アムン神の高僧で、テーベの南部を支配した(在位:紀元前1045〜992年)。イシテンケブは紀元前945年にDeir el Bahariにある家族の墓に葬られた。そのとき、一緒に小さなガゼルのミイラも埋葬された。
また、別のガゼルの腰から下が見つかり、これはあの世で食するためのごちそうとして供えられたようだ。しかし、イシテンケブ王女のガゼルの体は切り分けられておらず、全身がそのままミイラ化されて、美しいブルーの飾りのついたリネンで包まれていた。さらに、その体の輪郭にぴったり合わせて特注されたらしい石棺におさまっていた。石棺のフタは、ガゼルの横からの姿がそのまま彫り込まれていて、耳、角など、威厳のある顔立ちがはっきりとわかる。
5. ポルスのゾウ
ヒュダスペスの戦いでのアレクサンドロス大王の敵古代インドのポロス王(?- 紀元前317年)は、現代のパンジャブ(インド北西部からパキスタン北東部にまたがる地域)であるパウラヴァ王国を支配していたが、優れた秘密兵器を持っていた。
それは、戦闘員としてのゾウだ。牙に鉄のスパイクをつけたこの200頭のゾウ部隊は、前線に配置されて、真っ向からの攻撃を防ぐ強力な盾となり、重要な戦力だった。しかし、アレクサンドロスはポロス軍の脇を突いてゾウたちを囲い込み、パニックになった手負いのゾウたちが味方を襲い始めた。
インドの王はたいてい、軍の先頭で馬車に乗っていたが、ポロス王はお気に入りのゾウの背に乗っていた。プルタルコスは、ポロスの身長は190センチ近く(アリアヌスとディオドロス・シクロスは、230センチ!と言っている)と言っているので、さぞかしそびえたって見えたことだろう。まさに乗り物はゾウがうってつけだ。
アレクサンドロスとブケパロスとの関係のように、ポロスもゾウと強い絆を結んでいたが、共に敵に激しく戦いを挑んだので、ポロスもゾウも傷を負った。ゾウは勇敢にポロスを守り、敵を寄せつけなかったが、ついにポロスは力尽きて落下しそうになった。ゾウは膝をついて、ポロスを静かに下ろすと、ポロスの体に突き刺さった無数の槍を鼻で丁寧に抜き取ったという。
アレクサンドロスは、ポロスの君主としての勇猛さに深く心を打たれた。ローマの歴史家、クルティウス・ルフスの文献によると、そのゾウもまた傷がもとで死んだという。ヒュダスペスの戦いで、忠実なゾウたちが多数犠牲になった。
6. セルトリウスの白い子ジカ
クィントゥス・セルトリウス(紀元前122年 - 紀元前72年)はローマの将軍だが、スペインで7年の間、ゲリラ戦を行い、ローマの再支配に抵抗してきた。セルトリウスのもっとも効果的な武器のひとつが、ペットの白い子ジカだった。
母ジカから引き離された子ジカが、セルトリウスに贈り物として捧げられたのが始まりで、子ジカは彼になついて、どこへ行くにも後をついていき、呼べば飛んでくるようになった。軍隊内の人混みや音、においもものともしないようになったという。
セルトリウスは、この外来のペットを女神ディアナから贈られ、予言する力があるとして、神と通じるパイプとして利用した。プルタルコスによる『プルターク英雄伝』の中にセルトリウスに関する以下のような記述がある。
セルトリウスは、敵が領内に侵入してきた、反乱が起こりそうだといった情報を密かにつかんだときはいつも、シカが夢に現れて、戦いに備えよと命令されたということにした。味方の勝利の知らせがあったときは、使者を隠し、朗報を受けるのに花輪をまとったシカを全面に出して部下たちを喜ばせ、神のために身を捧げるよう煽り、幸運を確信させた。
不幸なことに、子ジカが部下のひとり、マルクス・ペルペルナ・ヴェントの裏切りを"予言"してくれなかったために、セルトリウスは晩餐会で暗殺され、紀元前72年にセルトリウス戦争は終結した。
7. クラッススのウツボ
ウツボは古代ローマでは、褒美として与えられるごちそうだった。金持ちの屋敷の池や水槽で飼われていた。ほとんどの場合、ウツボの役目は食卓にあがるだけだが、裕福な自由民ヴェディウス・ポリオは、ウツボを訓練して、気に入らない奴隷をエサとして与えていたという。、
ローマ一の金持ちで三執政のひとり、マルクス・リキニウス・クラッスス(紀元前115年頃 - 紀元前53年)は、専用の池をもっていて、とくに一匹のウツボに特別な愛着を示した。アエリアヌスによると、ウツボは宝石のついたイヤリングやネックレスをつけられ、さながら愛らしい乙女のようだったという。ウツボはクラッススの声に反応し、彼が呼ぶと近づいてきて、クラッススはごちそうを与え、抱きしめんばかりのかわいがりようだったらしい。
そのウツボが死ぬと、クラッススは丁寧に埋葬し、あたりをはばかることなく泣いたという。敵将のルキウス・ドミティウス・アヘノバルブスは、上院でこのことをからかい、それに対して、クラッススはドミティウスは3人の妻を埋葬したときも泣かなかったとやり返した。
8. アントニアのウツボ
単なる美味な食べ物ととしての垣根を越えて、ウツボを愛したローマの英雄はほかにもいる。古代ローマの博物学者、プリニウスによると、弁士クィントゥス・ホルテンシウスは、バウリの地所に専用の大きな池を持ち、一匹のウツボをことのほか愛したと言っている。
このウツボが死んだとき、号泣したという。マルクス・アントニウスとアウグストゥスの姉小オクタヴィアの娘、のちの皇帝の母、祖母、曾祖母でもあったアントニアもまた、ホルテンシウスの地所で一匹のウツボを飼っていた。クラッスス同様、やはり彼女もウツボに金のイヤリングをつけて愛で、注目を集めた。宝石で飾られたアントニアのウツボを見に、あちこちから人が押し寄せたという。
9. ティベリウスのヘビ
ローマの皇帝ティベリウス紀元前42年11月16日 - 紀元後37年3月16日)は、カリギュラの甥の息子で、その悪行においての秘蔵っ子だと言われているが、ローマの人々向けの毒蛇を飼育していたという。
ペットに飼っていた蛇に対し、後継者には決して見せない優しさや愛情をもって育てていた。自らの手からエサをやり、まれに旅にも連れていくこともあり、カプリ島の邸宅を出発してヘビが最期を迎えたときも一緒だった。
ローマからアッピア街道を数マイルいったところで、エサをやろうとしたとき、ティベリウスはヘビが死んでいるのを発見した。その骸にはアリが群がっていて、ティベリウスの占い師が、これは暴徒勢力をけん制するための潜在的な警告だと忠告した。当時、ティベリウスはローマで人気がなかったこともあり、彼は急いで踵を返すと、南へ逃げたという。
10. 古代ローマ人が愛したカラス
プリニウスによると、カラスは飼育が難しい生き物のひとつだが、ローマのカストール神殿の僧侶たちによって直接育てられていたという。カラスはしゃべり上手で、毎朝フォーラムに面した演壇の上にとまって、皇帝ティベリウスやその息子のゲルマニクス、ドルススらの名前を呼んで挨拶したという。それから、ローマ市民にも声をかけ、お気に入りの靴屋の店へと飛んでいったという。
この靴屋がカラスのおかげで商売繁盛しているのを妬んだ別の靴屋が、靴に糞をされたと言いがかりをつけて、このカラスを殺してしまった。近所の人はこれに怒って、この靴屋を町中追いかけまわして殺してしまった。
仇討ちが終わると、カラスの葬儀が行われ、ローマの偉大な将軍スキピオ・アエミリアヌスの葬儀にまさる多くの人々が参列した。彼もまた暗殺されたが、誰もその仇を討とうとはしなかった。
カラスの葬儀に、途切れることのないほどの行列が続いた。遺骸はさまざまな大きさの花輪で飾られた輿に入れられ、ふたりのエチオピア人の肩の上にかつがれて、笛吹きに先導された。町からアッピア街道を行き、2番目の道標のところ右手に輿は置かれた。ここは、レディキュラスの野として知られている。
via:10 Beloved Animals From Ancient History
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コメント
1.
2. 匿名処理班
西洋のエピソードばかりだね、東洋だと赤兎馬かな?
3. 匿名処理班
懿公好鶴
春秋時代、衛の懿公が鶴好き過ぎて国が亡ぶ。
4. 匿名処理班
更級日記に出てくる作者の猫「大納言殿の姫君」の話はほほえましくも悲しい
5. 匿名処理班
ウツボ二連発に割りとビックリした
6. 匿名処理班
死んだカラスの葬儀に長蛇の列って理解できるなあ
カラスが死んだときの悲しさといったらないよ
知性と好奇心と愛らしさと茶目っ気の塊だよ
まるで人間の子供みたいに振舞うもんだから自分の子供が死んだみたいに悲しかったし未だに立ち直れてない
7. 匿名処理班
日本だと犬公方こと徳川綱吉とか
8. 匿名処理班
馬や猫は分かるけどなぜウツボ!?
9. 匿名処理班
意外!それはウツボ!
10. 匿名処理班
ウツボにイヤリングってどこに?どうやって?
11. 匿名処理班
寛平御記とかいう猫ブログ
12. 匿名処理班
アレクサンドロス大王は最初のホースウィスパラーです。
13. 匿名処理班
謎のウツボブーム
14. 匿名処理班
日本だと誰だ?太田資正とか島津義弘とか
15. 匿名処理班
愛らしい乙女のようなウツボを愛する男、クラッスス!
愛らしい乙女のようなウツボを失って号泣する男、クラッスス!
そのことをライバルにからかわれ憤慨する男、クラッスス!!
しかも、亡くなった奥さん引き合いにして
謎の強弁をする男、クラッスス!!!
クラッスス、あんたキャラ立ち過ぎだよ…