1: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:09:15 ID:tbP
興味出てきたけどイミフすぎるから頼むやで
転載元:http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1470146955/
2ch関連の怖い話ってある?
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5065595.html
南北朝


2: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:10:46 ID:tbP
スレタイ誤字ってるけど気にせず頼むやで



3: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:12:21 ID:j4X
破綻する、反乱する、倒れる、貴族優遇する、また反乱する



4: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:13:24 ID:tbP
>>3
展開が怒涛すぎてさっぱり把握できんのやで



5: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:14:57 ID:j4X
>>4
激動の時代だし多少はね?



7: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:17:30 ID:tbP
>>5
あっさり匙投げんでくれや



6: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:15:27 ID:3Fd
太平記読めば大体わかるで



9: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:18:44 ID:iR4
>>6
以津真天ほんとすき
なお退治した子孫
200px-SekienItsumade
『太平記』によれば1334年(建武元年)の秋、疫病が流行して病死者が多く出た頃、毎晩のように紫宸殿の上に怪鳥が現れ「いつまでも、いつまでも」と鳴いて人々を恐れさせていた。公卿たちは源頼政の鵺退治にちなんで弓の名手に退治させようと考え、依頼を受けた隠岐次郎左衛門広有は鏑矢(かぶらや)で見事、怪鳥を射止めた。その怪鳥は顔が人間のようで、曲がったくちばしに鋸のような歯が並び、体はヘビのようで、両足の爪は剣のように鋭く、翼長は1丈6尺(約4.8メートル)もあったという[1]。

『太平記』において、この鳥は「怪鳥」と記述されているのみで明確な名前などは記載されていない。『今昔画図続百鬼』において付された「以津真天」という名称は、鳥山石燕がこの逸話を『今昔画図続百鬼』に描く際、その鳴き声をもとに名づけたものとされる[2]。『太平記』の記述を元として描かれた江戸時代の武者絵においても、化鳥としての姿や黒雲などにその存在を感じさせる描写で描かれているが[3]、「いつまで」という名称の使われたものは確認されていない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/以津真天



10: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:18:59 ID:tbP
>>6
読みやすい訳本あるんか?



11: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:19:44 ID:3Fd
>>10
最近新しい訳本が順次刊行されてたと思う



14: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:22:15 ID:tbP
>>11
そーなんか

太平記の内容は信じて良い系なん?



16: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:24:09 ID:3Fd
>>14
もちろん粉飾は入ってるけど
当時から権力者にも読まれてたし時代の空気感は確実に反映されてる



18: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:25:21 ID:tbP
>>16
ほほーん
三国志演義とかとは違うんやな

長良川育ちワイ、素直な丸呑み系やから疑いながら読むの苦手なんや



8: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:18:17 ID:00r
応仁の乱、南北朝、東北大名の親戚関係は気軽に手をつけたらアカン(戒め)



12: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:20:36 ID:3Fd
>>8
大義名分のために喧嘩してるんじゃなくて
喧嘩するために大義名分が必要、みたいになってるからやろなあ…



13: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:20:50 ID:tbP
>>8
ちな応仁と南北朝どっちがヤバいん?
応仁の乱は高校日本史レベルで意味不やったんやが



19: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:25:39 ID:00r
>>13
そら当時の人間が「この戦何で始まったんやっけ?」って言う応仁の乱やろ



21: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:26:33 ID:tbP
>>19
ヤバすぎやろ
戦記物の舞台にはちょうどよさそうやけど



17: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:24:56 ID:uYO
楠木正成すこ



20: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:26:21 ID:3Fd
>>17
この時代唯一のぐう聖
マジでこの人を悪く言う史料は皆無やからすごいわ



22: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:27:24 ID:SMW
日野富子とかいうフォルムが北条政子のぐう畜



26: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:29:41 ID:tbP
>>22
北条政子の方が畜生具合は上なんちゃう?



31: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:31:33 ID:SMW
>>26
政子は欲深かったけど有能やないか?
富子は欲深いうえに無能でさらには戦争まで起こした



37: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:33:44 ID:tbP
>>31
天皇との戦い扇動したり、息子暗殺したりしてへんかった?
有能やろうけど



23: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:28:26 ID:NYa
義政「将軍ってなんもできんやん」



27: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:29:58 ID:tg9
>>23
応仁の乱おさめようともせず趣味のために銀閣造って引きこもる無能将軍はNG



29: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:30:48 ID:NYa
>>27
実際なんもできることはなかったやろ
おじとヨッメがうるさいし



36: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:33:17 ID:tg9
>>29
将軍権力の失墜やね
でも将軍としての威厳は欲しかったところ
趣味に走ったおかげど文化が進歩したのは有能



24: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:28:30 ID:tbP
ちな今は適当にウィキペディア読み漁りはじめたとこや

後醍醐天皇、日野資朝、洞院実世、北畠親房、顕家、結城宗広
って読み進んできたんやが、これだけは押さえとけって人物おる?



30: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:31:32 ID:00r
>>24
足利直冬



41: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:35:26 ID:tbP
>>30
お、ありがとう

弟ちゃんやな?
やたらめったら戦に弱いって印象しかなかったやで



49: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:38:55 ID:00r
>>41
こいつのせいでゴタゴタが加速するからな



25: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:29:19 ID:nUr
ワイ、後醍醐天皇が結局何がしたかったのか分からず死亡



28: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:30:32 ID:tbP
>>25
要するに、やる気に満ち溢れた無能ってことでええんか?



34: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:32:41 ID:oIt
>>28
南朝側(後醍醐天皇派)が書いた太平記で悪く書かれ
足利足利側の書いた梅松論で良く書かれる……まぁ察してくれや



39: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:34:19 ID:oIt
イツマデ……イツマデ……



54: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:40:13 ID:iR4
>>39
退治した子孫が真弓明信という事実
鎌倉時代から南北朝時代にかけての武将。通称は次郎左衛門。官位は従五位。太平記では隠岐次郎左衛門広有と表記される。法名は弘寂。父は隠岐広能。兄弟に広家。

『尊卑分脈』によると系譜は、藤原北家長良流。長良の次男である遠経の子・良範の六男・純素を祖とする(承平天慶の乱で有名な藤原純友は良範の三男)。広有は純素から数えて13代目の末裔である。

太平記によると、建武元年(1334年)秋、疫病が猛威を振るい夥しい死者が出た頃、紫宸殿の屋根に怪鳥(以津真天)が現れ「いつまでも、いつまでも」と鳴いて人々を恐怖させた。公卿達は源頼政の鵺退治にあやかり、弓の名手に退治させようと広有に要請、広有は鏑矢で見事怪鳥を仕留めた[2]。怪鳥は頭部が人間のようで、曲がった嘴に鋸のような歯が並び、体は蛇のようで、両足には剣のように鋭い爪があり、翼の長さは1丈6尺(約4.8メートル)もあったという。この功により、後醍醐天皇から「真弓」の姓を賜り、叙爵され因幡にある荘園を恩賞として得た。

南北朝の動乱期に入ると、懐良親王に従い九州へ向かい各地を転戦し「大津山の関(松風の関)」(肥後と筑後とを結ぶ関所)の守備を担った。後、関付近の山里に隠棲した。正平24年/応安2年(1369年)3月19日、死去。享年65。


元阪神タイガースの真弓明信は子孫にあたる[3]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/真弓広有



42: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:35:44 ID:3Fd
後醍醐は人心掌握できなかったのがな
南朝の忠臣からも政策はダメ出されてばっかりだし
選りに選って足利尊氏が一番の後醍醐信者らしいという皮肉さ



44: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:37:15 ID:tbP
>>42
尊氏も…
京都征伐に出たら鎌倉裏切って
鎌倉征伐に出たら京都裏切って
どうなっとるんやこの人



43: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:36:54 ID:NYa
この辺マジで覚えれんかったわ
室町末期のグダグダの方が好き



45: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:37:16 ID:VxG
知らない間に細川と山名が入れ替わってたのは草



46: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:37:21 ID:tg9
南北朝は北朝が仲間割れ起こすのか面倒くさい
そのおかげで南朝の一部が北朝の直義方と手を結んだり、また他の一部が尊氏側と仲良くしたりで関係が複雑化するんだよなぁ



47: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:37:58 ID:tbP
あ、弟ちゃんは直義やった
にわかが知ったかぶったらあかんな



48: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:38:14 ID:5Lp
戦国時代に風前の灯な家が
この時代だと巨大勢力だったりしてビビる



50: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:39:19 ID:3Fd
>>48
三管領四職で江戸時代まで存続できたのは
細川と京極だけやからね



53: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:40:00 ID:tbP
>>48
室町時代から興味持っといたほうが戦国時代楽しめそうやよな
ワイはそれが興味持ったきっかけやで



52: 名無しさん@オープン 2016/08/02(火)23:40:00 ID:dKZ
ぐう聖な正成さんやけど北朝に認められるまで200年かかったんやで



58: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:44:03 ID:tg9
この南北朝相関図のゴタゴタさよ
no title




59: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:44:46 ID:3Fd
九州とかいう独立王国



61: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:45:59 ID:iR4
>>59

no title




63: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:47:53 ID:uYO
鎌倉幕府 執権政治で北条家の独壇場
朝廷「ワイらは分裂するやで」
後醍醐天皇「隠岐から帰ってきたやで!国盗りの時間だあああ」
足利尊氏「これはアカン・・・六波羅探題潰したろ」
幕府「ファッ!?尊氏裏切ってるやん」
新田義貞「ワイは北条高時しばくわ」
幕府「グエー死んだンゴ」
後醍醐天皇「サンキューお前ら、建武新政つくるやで」
~観応の擾乱~
足利義満「南北統一じゃ!」「オシャンティーな御殿つくるやで」
室町幕府爆誕

こんな感じちゃうんか?



64: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:48:30 ID:tbP
そういや、楠木正成って強いん?



65: 名無しさん@おーぷん 2016/08/02(火)23:56:07 ID:tg9
>>64
500人で数万の幕府軍相手に籠城戦展開したり、灯火を使って一人の兵も損なわずに敵を退却させる天才やで



66: 名無しさん@おーぷん 2016/08/03(水)00:47:12 ID:NjH
籠城戦という概念作ったような人やろ



【閲覧注意】面白半分で絶対にやってはいけない行為

俺が異世界に行った話をする

ジョジョ作者荒木飛呂彦の健康法

終電逃してヒマなので、独断と偏見で中央線の駅紹介していく

妊婦がいる前でタバコ吸う喫煙者って結構多いけど頭おかしいの?

終わりが秀逸な漫画