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恐怖の暗黒時代を築き上げた、恐るべき10のヴァイキングたち : カラパイア

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 793年6月、アングロサクソン系の僧侶が嘆きながらこう記した。「野蛮人が押し寄せ、リンディスファーンの神の教会で破壊と殺戮の限りを尽くした」と。

 ヴァイキングの襲来だ。スカンジナビア半島からの襲撃者の多くについてはよく知られているとはいえ、当時のもっとも恐るべき人物たちについては忘れられたままだ。

 ここではそんな恐るべき史実に残るヴァイキングたちを見ていこう。
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10. ハスティン(Hastein)

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 ヴァイキングの首領ハスティンはイングランドとフランスで血みどろの略奪を行った人物だ。もっとも有名なのは859年の地中海遠征である。アルジェリアを襲ったあと、冬の訪れを待つある島を発見。その島は冬でも暖かいままだった。

 ハスティンはローマの近くまで来ていることに驚く。教会の中心地は願ってもみない獲物であり、その略奪を決めた。イタリア西海岸に沿って航海すると、それまで見たこともない大きな街を目撃。それはローマに違いなかった。

 力押しの無謀を理解していたハスティンは着岸すると、部下に命じて、住民に彼が余命いくばくもなく、キリスト教式の葬儀を求めている旨を説明させた。住民は胸を打たれ、ハスティンを門の中に運び込むことを許可する。無論、これは嘘であり、棺桶から飛び出した彼は街に襲いかかった。

 戦利品とともに帰途についた彼らだが、ローマと思っていた場所はルナという街であったことに気づいたのはずいぶん経ってからだ。


9. 太っちょシグルド(Sigurd The Stout)

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 太っちょシグルドはスコットランド北部にあるオークニー諸島を支配した古代スカンジナビア人だ。その勢力はヘブリディーズ諸島やスコットランド本土の大部分にまで及んだ。

 異教徒が崇拝していたカラスの旗を使用したことで知られている。サガ(古ノルド語による古代・中世の北欧散文物語の総称)によれば、シグルドのカラスの旗は母親(強い力を持つシャーマンだった)が作ったもので、その力により戦いで無敵になったという。

 だが、シグルドはノルウェー王オーラブ1世によって圧倒され、キリスト教への改宗を強いられたうえ、息子を人質に取られてしまった。息子が死ぬと、改宗を撤回。カラスの旗を掲げ、クロンターフの戦いに挑んだが、アイルランド王ブライアン・ボルに討たれた。


8. ロバ乗り(呼称)

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 ペルシャの哲学者アブ・ミスカワイフとクルド人の歴史家イブン・アルスィールが943年のカスピ海で起きた襲撃について記している。ミスカワイフによれば、ルーシの艦隊がカスピ海からクラ川をさかのぼり、バルダの街を襲った。その首領はロバに乗っていたが、名前は知られていない。

 5,000の軍勢を打ち破ったヴァイキングはバルダを略奪し、住民を石で打ち殺した。当地域を支配していたペルシャが援軍を送り街を包囲するが、兵士は侵略者に恐れおののいた。結局、ヴァイキングが撤退したのは赤痢の流行で疲弊したためであった。

 撤退の最中、ロバ乗りは命を落とし、生き残った部下が夜に紛れて船までたどり着いた。地元民が彼らが残した墓を掘り起こすと、死んだ兵士とともに貴重な剣が見つかったという。


7. 遠征者イングヴァル(Ingvar The Far-Traveled)

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 1040年代にヴァイキングが再びやってくる。スウェーデンから訪れたのは遠征者イングヴァル。ルーシで数年を過ごしたあと、獲物を求めて出立した。

 グルジアの歴史書には、グルジアのバグラト4世が反乱を鎮圧するにあたって、これを助けたヴァイキングについて記載がある。これは一般にイングヴァルらのことだと考えられており、サガで語られる風景もグルジアのものと一致する。

 その後、イングヴァルは東にあるカスピ海周辺のイスラム教の領地へ向かったようだ。サガやルーン文字の刻まれた石からは、この航海全般が疫病に祟られ、勇敢な戦士の末路としてはいさささか落胆を感じざるをえないものであることが伺い知れる。


6. マン島のブローディア(Brodir Of Man)

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 1002年、ブライアン・ボルがアイルランド王になると、エメラルド島のヴァイキング勢力は危機的な状況に置かれた。ダブリン王シートゥルグ・シルクバードはブライアンへの反乱を決意。これはブライアンの疎遠になった妻であった母ゴルムレイスの手引きがあった。

 彼女に急かされながら、シートゥルグはヴァイキングたちから兵士を募る。そうした中には前述の太っちょシグルドもいた。またマン島にもお触れを出す。この島は当時魔法使いとの噂もあったブローディアとオスパク(Ospak)の2兄弟によって統治されていた。ブローディアはこの求めに応じるが、オスパクはシートゥルグが敗れると考え、ブライアンの軍に加わった。

 クロンターフの戦いで、ブローディアは大勢のアイルランド人を切り倒したと伝えらえている。血で血を洗うような激戦となったが、彼は隙を見て森の中に逃げ込む。ニャールのサガによれば、戦況を確認しに来たブライアン王に偶然にも出くわしてしまい、そのまま衛兵を蹴散らして王を討ち取ったという。

 しかし、ブライアン王の兄弟である喧嘩屋ウルフ(Wulf the Quarrelsome)はブローディアを捕らえると、その腸を木に打ち付け、すべて出てしまうまで歩かせたという。


5. 強者ラウド(Raud The Strong)

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 12世紀アイスランドの詩人スノッリ・ストゥルルソンによれば、ラウドはノルウェーをキリスト教に改宗させようとしていたオーラヴ1世と対立していたようだ。ラウドはこれを拒み、公然と嘲笑した。

 怒ったオーラブ1世によって捕らえられてしまうが、彼はそれでも頑なに改宗を拒んだ。業を煮やした王はラウドを縛り、喉にツノで作った酒杯を突っ込む。そこに蛇を入れると、焼けた鉄で喉の中にもぐりこむようけしかけた。

 スノッリは蛇が脇腹から出てきてラウドは死んだと伝えているが、実際に蛇にそのようなことはできないので、多少割り引いて考えた方がよさそうだ。


4. 骨なしイーヴァル(Ivar The Boneless)

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 ラグナル・ロズブロークのサガによれば、骨なしイーヴァルは伝説の戦士ラグナル・ロズブローク(画像)の息子である。その真偽は不明だが、イーヴァルと兄弟が大異教徒軍を率いて865年にイングランドに侵攻したことは確かだ。

 ノーサンブリアとイーストアングリアを制圧し、マーシア王国にも大きな打撃を与えた。ノーサンブリア王アエルラは拷問で、イーストアングリアのエドマンドは教会で矢を浴びてそれぞれ絶命。その後イーヴァルはヨークに帰還するが、そこで記録は途絶えている。

 その異名については諸説ある。サガは、彼が盾に乗せられて運ばれ、骨があったはずの場所が軟骨のようだったと伝える。骨形成不全症だったとする歴史家もいる。


3. イーヴァル(Imar)

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 骨なしイーヴァルがイングランドの記録に登場する前、アイルランド、ダブリンにもイーヴァルというヴァイキングの首領がいた。骨なしイーヴァルがイングランドを去ると、イヴァールは再度スコットランドにも手を伸ばし、ダンバートンロックの要塞を包囲した。

 この包囲戦は4ヶ月に及ぶが、ヴァイキング軍は水の補給を断つことに成功。要塞は降伏した。ストラスクライド王は捕虜となり、戦利品を運ぶために200隻の船が使われたという。その後、イヴァールはアイルランドに帰還するが、873年に”忌まわしい病”によって死去した。

 イーヴァルと骨なしイーヴァルは同一人物という説もあるが、スコットランド系アイルランドの記録には”骨なし”という異名は登場しない。


2. グンデレード(Gunderedo)

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 スペインを襲った最初期のヴァイキング。844年にイスラム勢力下のセビージャを略奪した。その後のイスラム領スペインの襲撃は成果が上がらず、北部のキリスト教圏に集中することになる。

 襲撃の始まりは、ノルマンディ公リシャールがフランス北部に遠征するためにデンマークに援軍を求めたことであった。作戦終了後、デンマーク兵はスペイン北西部のガリシアを襲撃。それを指揮したのが、スペイン人からグンデレードと呼ばれた”海の王”であった。

 グンデレードの兵士はサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂を襲い、僧侶を殺害。その後、デンマーク人に刃向かおうとする者はなく、彼らは3年に渡って暴虐の限りを尽くした。グンデレードがこの地を去った理由は明らかではない。おそらくガリシアから奪うものが無くなったからだろう。


1. 赤のソースティン(Thorstein The Red)

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 ダブリン王オラフとオード深慮妃(Aud the Deep-Minded)の息子。オードの一族はヘブリディーズ諸島を支配しており、オラフは彼らと同盟を結ぶために政略結婚した。しかしダブリン周辺の略奪は止まず、怒ったオラフはオードとソースティンを追放している。

 オラフの勢力が拡大すると、やがてヘブリディーズ諸島も支配するようになり、オードと息子をさらにスコットランドに追いやった。勇猛な戦士に成長したソースティンはスコットランド中を荒らし回るようになる。追い詰められたスコットランド側は北端にあった王国すら差し出した。

 しかしソースティンの野心はそれにとどまらない。900年、ついにスコットランドは彼の暗殺を決行した。悲しみに打ちひしがれたオードは家来とアイスランドに逃れるが、ここで支配を確立。死後、亡骸は海岸に埋められ、その墓には常に波が打ち寄せるという。

via:10 Forgotten Vikings Who Terrorized The Dark Ages// translated & edited by hiroching

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コメント

1

1. 匿名処理班

  • 2016年08月06日 21:22
  • ID:2pwA.lct0 #

かつての英雄赤のラグナル〜ロリクステッドから馬を駆ってやって来た〜

2

2. 匿名処理班

  • 2016年08月06日 21:57
  • ID:0PsG4xUN0 #

海の騎馬民族といった感じ

3

3. 匿名処理班

  • 2016年08月06日 22:24
  • ID:TjLPP1Fh0 #

さすがは真のノルドだ

4

4. 匿名処理班

  • 2016年08月06日 22:24
  • ID:3ryGE3s30 #

のっぽのトルケルが入ってないやり直し(ニワカ)

5

5. 匿名処理班

  • 2016年08月06日 22:32
  • ID:4sv9ZxXdO #

ただのクズじゃねえかw

6

6. 匿名処理班

  • 2016年08月06日 22:33
  • ID:gAaj03lm0 #

ヴァイキングも怖いが王族も怖い

7

7. 匿名処理班

  • 2016年08月06日 23:01
  • ID:Jo90S2l30 #

スカイリムのこと書こうとしたら
すでに書かれてたw

8

8. 匿名処理班

  • 2016年08月06日 23:47
  • ID:as8JUlL50 #

足が早くて喫水浅くてどこにでも入り込めちゃうロングシップ。
戦って死んだら天国行ける系宗教が主流だから士気も旺盛。(異教徒だからキリスト教会相手でも容赦なく略奪)
北欧ムキムキ白人で全体的にガタイが良い上に、オーバーテクノロジーの炭素鋼で作った剣で武装してる。

侵略される側からしたらたまったもんじゃないな。

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