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ロシア帝国に関する10のダークな秘密 : カラパイア

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 1547年、モスクワ大公国の大公イヴァン4世はロシアの初代ツァーリ(君主の称号)を戴冠する。このイヴァン雷帝で始まるツァーリは1917年まで、およそ400年間、ロシアを始め、フィンランド、リボニア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、ポーランド、カフカーズ、中央アジア、シベリア、満州などのユーラシア大陸北部の広大な領土を誇る帝国を統治した。これがロシア帝国である。

 どこの国でも後ろ暗い歴史の記録があるはずだ。ここでは栄光あるロシア帝国の歴史に隠された闇に光を当ててみよう。
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10. 東部の未開拓地の実働部隊、コサック兵

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 コロンブスがアメリカ大陸を発見して間もなく、ロシアはシベリアの植民地化を開始。その始まりはストロガノフ家などの商人たちが貴重な毛皮を求めたことだった。

 実働部隊はコサック兵である。その残虐さは有名で、反乱の首領を捕獲すると生きたまま皮を剝ぎ、その皮で赤子を窒息死させたこともあると言われている。また1764年にアリューシャン列島で収税官が襲われると、報復として18の村を焼き、数百人を虐殺した。

 鉄と銃より強力だったのが細菌だ。隔絶されたシベリア人たちはヨーロッパから持ち込まれた疫病に耐性がほとんどなく、17世紀中、天然痘によりシベリアに住む部族の50%が命を落としている。サハやエヴェンキの人ではさらに高く80%以上に上り、アリューシャン列島の人口は2世代足らずで2万から5,000人以下まで激減した。


9. 拷問

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 ロシア皇帝はその権力を行使するために残虐な手段を用いたこともある。ロシア雷帝は巨大なフライパンで敵を生きたままま焼いたことで知られている。これはどうやらその後の傾向を決定付けたようで、1640年には役人が巨大なフライパンで人を焼いたり、血管を引き抜いたりしたこともあった。

 皇帝エリザヴェータは舌をペンチで引き抜くことを好んだ。ピョートル大帝が多様したのは鞭打ちだ。この皮の鞭で打たれるたびに1.3cmほどの肉に切り刻まれたという。彼は拷問器具で体を引き伸ばされたり、焼ごてを当てられる囚人たちを直接見て回ったとも伝えられている。

 エカチェリーナ2世の治世では、反逆者は金属のフックで肋骨を吊るされ、死ぬまで放置された。筏に吊るされ、警告としてボルガ川を流されることもあった。


8. 血みどろの宮廷

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 理論的には、ロシアのツァーリはヨーロッパでももっとも絶対的な統治者とされているが、実際の宮廷は蛇の巣穴のようで、派閥同士の権力争いはときに流血を引き起こした。

 ピュートル大帝は子供時代に、武装した兵士によって宮廷内にいた母親の親族が虐殺される中、じっと耐え忍んでいたことがある。イヴァン雷帝もまた8歳のときにボヤール(支配階級)に母親を毒殺されたと信じていた。

 彼らはそれでもまだマシな方だ。フョードル2世は帝位について7週間後に殺された。ピョートル3世も妻(その後30年間を統治したエカチェリーナ2世)の命で殺害。さらにパーヴェル1世も寝室で暗殺。その黒幕の1人はその後帝位についた長男のアレクサンデルといわれる。

 そうした緊張状態に常にさらされるからだろうか。ツァーリの中には狂気に走る者も少なくない。ピョートル大帝やイヴァン雷帝は自分の子供を殺害している。


7. イヴァン6世の幽閉

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 イヴァン6世はわずか生後2ヶ月で戴冠する。しかし、1年後、エリザヴェータによってあっけなく廃位となり、彼女の命令で監獄に幽閉。その生涯のほとんどをシュリッセリブルクの要塞内の監獄で過ごすことになる。

 牢屋に窓はなく、昼も夜も知ることはできなかった。また看守は彼に話しかけることを禁じられており、唯一の慰めは聖書だけだったと言われている。

 当然かもしれないが、イヴァン6世は精神を病む。1764年、ウクライナ人士官が彼を救出しようとした際に殺された。23歳であった。


6. イヴァン雷帝の親衛隊「オプリーチニキ」

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 悲惨な子供時代の経験に加え、病気と妻の死まで経験したイヴァン雷帝はますます錯乱するようになる。そうした中、ボヤール(支配階級)に対抗するために設立した親衛隊がオプリーチニキである。

 彼らは黒衣を身にまとい、裏切り者を待つ運命を象徴するとされた切断された犬の首を馬の鞍に下げていた。その役割はイヴァンの秘密警察であり、裏切りが疑われた者を拷問にかけ、処刑。1571年にはノヴゴロドで1万人の住民を虐殺している。


5. 偽者に悩まされる皇室

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 奇妙なことだがロシア帝国は詐欺師に悩まされた。そうした連中は皇室の遺族を称するのが常で、17世紀初頭の動乱時代では少なくとも3人の人物が、亡くなったはずのイヴァン雷帝の息子ドミトリーを僭称(せんしょう:身分を越えて勝手に称号をとなえること)した。

 偽ドミトリー1世はすぐに暗殺されたとはいえ、モスクワでツァーリにまでなっている。偽ドミトリー2世はその1世になりすまし、コサック兵を集結。モスクワへ進軍した。偽ドミトリー3世はプスコフを手中に収めたことで”プスコフの悪党”と呼ばれた人物で、1612年に処刑された。

 18世紀には、ピョートル3世を僭称するブガチェフが暴動を起こした。さらにモンテネグロにもピュートル3世を名乗る放浪者が出現。オスマン帝国に買収された理髪師に喉を掻き切られるまでの5年間そこを統治した。他にも少なくとも3人はピョートルを僭称した人物がいる。


4. 分派とカルト

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 ロシア正教会は教派分裂を幾度も経験しており、帝国のそこかしこに分派やカルトが存在した。

 鞭身派は一心不乱に歌い踊り、肉体への侮蔑を表すために自らを鞭で打ち付ける分派だ。モロカン派は兵役を拒み、シベリアに平和主義者らのコミュニティを作ろうとした。ドゥホボール派は聖書の神聖性やイエスの神性までを否定する。

 だがもっとも変わっているのは去勢派だろう。性交をすべての罪の源と考え、儀式によって去勢を行う。男性の信者なら睾丸を切除し、鉄で焼灼。さらに完全去勢をする者もいる。女性なら乳房や女性器の切除を行う。子供を去勢する場合もあり、改宗者を集めることで1世紀以上生き延びた。


3. 古儀式派の焼身自殺

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 ロシア最大の教派分裂は、ピョートル大帝の治世においてニーコン総主教が奉神礼改革を実施したときに起きた。彼は十字架を切る仕草を2本指ではなく3本指で行うように宣言するが、多くのロシア人がこれを拒否した。

 主流派から分離した彼らは自らを古儀式派と称していたが、主流派からは分離派教徒という蔑称で呼ばれ苛烈な迫害を受けた。多くの古儀式派の信者は世界の終わりが近いと信じていたせいだろうか、主流派に発見されたと考えた場合、仲間を集めて教会に火をつけ、焼身自殺を図ったという。


2. 飢饉

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 ロシア帝国が効率性で知られたことはなく、しばしば支配者たちは定期的に起きる飢饉に苦心した。

 1891年、ツァーリは作物の不作への対応として、新聞に飢饉を封じることはおろか、その語を使用することさえ禁じている。その一方、散々後手に回った挙句、ようやく重い腰を上げて作物の輸出を禁じ、飢饉対策に出す。その結果、1891〜92年にかけて40万人”だけ”が餓死した。

 さらに酷い事例もある。1601年、ペルーの火山が噴火した影響で悪天候が続いた。これによってロシアでは当時の人口の3分の1に当たる200万人が餓死。ツァーリは内乱の危険対策に追われ、対応は遅れた。遺体の口には藁を食べた形跡があり、人肉がパイに詰められて売られていたという。


1. 農奴制度の闇

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 ロシア帝国は農奴の上に成り立っていた。彼らは特定の土地に縛られ、地主から労働を強いられた。17世紀になると、農奴の売買が認められ、奴隷と何ら変わらないようになる。

 貴族は農奴を殺害することを許されてはいなかったが、必要とあらば体罰を加えることはできた。それによって農奴が死んだとしても特にお咎めはなかった。またシベリアに送ったり、兵役に就かせることもできた。

 農奴制は1861年に廃止された。当時のロシアの人口はおよそ6,300万人であり、少なくとも4,600万人が農奴であった。

via:10 Dark Secrets Of The Russian Empire// translated hiroching / edited
注:海外からの情報には誤りが含まれていることもあり、できるかぎり情報精査し編集をしておりますが、見落とす場合もあります。誤りが見つかり次第記事の追記・訂正を行っていますが、外部サイトで閲覧している場合は新しい情報が反映されません。最新の記事は元記事でご確認ください。

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コメント

1

1. 匿名処理班

  • 2016年08月17日 20:36
  • ID:XS8gdik50 #

>この皮の鞭で打たれるたびに1.3cmほどの肉に切り刻まれたという。

1.3cmってなんのこっちゃと思ったら原文に書いてある1.3cm(0.5in)で納得した。

2

2.

  • 2016年08月17日 20:39
  • ID:Pxq7FC.N0 #
3

3.

  • 2016年08月17日 20:53
  • ID:xQHwEEJF0 #
4

4. 匿名処理班

  • 2016年08月17日 21:02
  • ID:aHvnroJ80 #

日本人で良かった
こっちには全く無かったとは言わないが、こんなん学校の授業で教わったらひどいトラウマになりそうだ
そりゃこれをまんま教えたりしないだろうけど、さすがに隠し通すのには無理があるだろうし

5

5. 匿名処理班

  • 2016年08月17日 21:04
  • ID:qebXNlwh0 #

おそロシア

6

6. 匿名処理班

  • 2016年08月17日 21:06
  • ID:o8illtIY0 #

せーの
おそろしあ

7

7. 匿名処理班

  • 2016年08月17日 21:07
  • ID:2kGpxRk10 #

私は虫にはならない

8

8. 匿名処理班

  • 2016年08月17日 21:17
  • ID:e67z95.l0 #

つい最近やんけ

9

9. 匿名処理班

  • 2016年08月17日 21:19
  • ID:4bDcJCC70 #

まさにおそロシア…

10

10. 匿名処理班

  • 2016年08月17日 21:44
  • ID:Icm1GZYp0 #

どこの王室もまさに「蛇の巣穴」だったのか。そういえば、クシャナ皇女もそんなこと言ってたなあ。

11

11. 匿名処理班

  • 2016年08月17日 21:52
  • ID:.5SJXA5Y0 #

メロス「あきれた王だ 生かしておけぬ。」

12

12.

  • 2016年08月17日 21:56
  • ID:k8v3I50t0 #
13

13. 匿名処理班

  • 2016年08月17日 22:04
  • ID:MZCY2Wbh0 #

支配する者もされる者も全然幸せそうじゃない
どちらも方向性の違う、極度の緊張を強いられているようで息が詰まる

14

14.

  • 2016年08月17日 22:14
  • ID:2BbwhVm90 #
15

15.

  • 2016年08月17日 22:18
  • ID:F24fHF8I0 #
16

16. 匿名処理班

  • 2016年08月17日 22:34
  • ID:gB5Iir.C0 #

※11
ロシアのメロスなら妹の結婚式で飲みすぎてセリヌンティウス救出に間に合わんな。

17

17. 匿名処理班

  • 2016年08月17日 22:35
  • ID:BB9mVDhu0 #

イヴァン雷帝の息子殺しには、もう少しおまけがあって・・・
そもそも事件の発端は、イヴァン雷帝が態度が悪いという理由で皇太子(イヴァン雷帝の息子)の妻に暴力を振るったことから始まっている。この時の暴行が原因で皇太子妃は身ごもっていた子供を流産。
これに怒った皇太子がイヴァン雷帝に抗議に言ったところ、カッとなった雷帝が皇太子を撲殺したという次第。

つまりイヴァン雷帝は文字通り、自らの手で自分の血統を絶やしてしまったことになる。

18

18.

  • 2016年08月17日 22:52
  • ID:i1x8mU.I0 #
19

19. 匿名処理班

  • 2016年08月17日 23:00
  • ID:AovwQY4.0 #

分離派の焼身自殺はピョートル大帝のお父さんの代でないかい?

20

20. 匿名処理班

  • 2016年08月17日 23:06
  • ID:5xztFLei0 #

フランスでもイギリスでも血なまぐさい歴史はあるんだけど
反ロシアのプロパカンダくさい

21

21. 匿名処理班

  • 2016年08月17日 23:07
  • ID:bGjZ.eM20 #

※4
日本も日本で無茶苦茶
荒木 村重のように道糞と言われるようになる
もいたし、処刑方法でも逆さ磔とか見せ槍
のようにかなり陰湿な処刑もあった
まあ処刑とか裏歴史って教科書にはのらないし
仮にやったら生徒がびっくりするだろうな

22

22.

  • 2016年08月17日 23:08
  • ID:0vzPKKKsO #
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