速水奏「二年越しの想い」
それはまるで太陽のように――まばゆく、あたたかく、まっすぐに、私の心を照らしだす。
掛けられた魔法は、今も私の心を掴んで離さないままでいる。
その気になれば、いつでもその一歩を踏み出し近づけたはずだった。だけど――
光り輝くその場所に近づけば近づくほど、足元の影が濃くなるのを恐れて、その勇気を持てないでいた。
壇上に立ってひとたび動き出せば、離れて見ていた私の心もそれに呼応するように躍り始める。
そして動く心とは対照的に、体は芯から痺れるような感覚に釘付けにされた。
その自由奔放さがまぶしくて、うらやましくて、ときには目を背けたくなってしまうくらい。
そんな溢れんばかりの輝きに照らされた私の姿は、遠く離れた貴女の隣で、どんな風に映っているんだろう。
――答えを聞くことさえも、ためらってしまっていた。
あの人に誘われてアイドルの仕事を始めてからというもの、私にはたくさんの仲間が出来た。
そこで過ごす毎日は、彼女達が放つ様々な色に彩られていて、どこを見ても違う景色が映っていた。
それぞれから私の知らない事や、知らない世界を教えてもらい、日々新しい色が自分の中に増えていった。
共に頂点を目指すうえで、互いを高めあえる大切な存在でもあった。
そんな中でも同年代付近の仲間に対して、私は基本的にみんなを呼び捨てにしている。
どうしてかといざ聞かれると、返答に困ってしまう。
単にそのほうが呼びやすいから? ――即座に浮かんだのは、答えにもならない実に曖昧な疑問形だった。
そして基本的にというからには、当然例外が存在する。年齢が近くとも、呼び捨てにしていない仲間もいた。
これもどうしてかと聞かれると、また返答に困ってしまう。
呼びやすいのが同じ理由だとして、本当にそれだけ? ……今度は疑問形ですら、浮かんでこない。
でも心の奥底ではきっと、そんな不確かなものだけじゃないとも思っていて――
そんな、やかましく響き渡っていた蝉の鳴き声も昨日まで。今日は、めっきりと聞こえなくなっていた。
うるさく感じていたはずの――しかし聞こえるはずのものが聞こえないことへの違和感が、そこにはあった。
もちろん、自分の耳に異常をきたしたわけではない。
静かな部屋から一歩出て、その違和感を熱気とともに身をもって知ることで、今がまだ夏なんだと改めて実感する。
もうすぐ立秋を迎えるというのに、秋の気配は一向に姿を表さない。代わりに見えるのは、空を覆う灰色の塊。
並び立つ街路樹の緑色とのコントラストは、気が滅入ってしまうほどの不気味さを備えている。
夏の暑さに説得力を持たせる光も今はここまで届きそうもなく、その気味の悪さに拍車をかけた。
そんな塊を手で掴めそうなほどの近さに置きながら、かき分けるようにして歩いていた。
学校帰りですらOLに間違えられるほどの私にとって、もはや制服は全身を絡めとる枷のよう。
高校生としての私と、アイドルとしての私。どちらも大事なはずが、混ざり合うことで窮屈になっていた。
その分仕事での衣装や私服を着ていると、抑圧された自分を解放できるような気持ちになれていた。
しかし、慣れたはず、いい気持ちだったはずのことが、今はどうにも足が重く、まぶたも重いように感じている。
行き交う人々、景色の移る速度が早くなったり遅くなったりしているように見えるのは、決して気のせいじゃない。
高揚感と倦怠感。二つの相反する思いが、待ち合わせ場所に向かう私の歩く速度を不規則にさせていた。
場所が場所なら、野に咲く花を眺めるために足を止めていただろうけど……残念ながらここは都会のど真ん中。
時間が時間なら、秘密の待ち合わせになっただろうけど……残念ながら今は朝。
そしてこのまとわりつくような空気も、くもりのち雨という天気予報に寸分違わぬ、見えない枷になっていた。
私自身が朝に弱いというのもあるけど、昼下がりの陽気にうとうとしてそのまま……なんてこともできない。
それは一度着けてしまえばまどろみに落ちることを許さない、薄くて柔らかい透明な鎧のようで。
……このレンズも、制服と同じような存在なのかもしれなかった。
「おはよう――」
扉を開け、待ち合わせ場所の主に呼びかける。
「Pさん。……あら?」
そこには私よりも眠そうな顔を貼り付けて、ディスプレイと睨めっこしているPさんの姿があった。
そういえば、彼もコンタクトを着けていたわね。……私と同じような悩みや思いを抱えていたりするのかしら。
私の存在に気付いて、間の抜けた挨拶が返ってきた。
とはいえ、わざわざ女の子を呼んでおいて、その顔と声はないんじゃないかしら。
気心知れた者同士であっても、最低限の礼節は弁えるべきだと思うの。
たとえそれが悩みによるものだとしても、ね?
心の声が届いたのか――
「すまん……」
手元にあったコーヒーを一気に飲み干し、こちらに向き直って。
「ふふっ……目は覚めた?」
まぁ、私だって似たようなものだったから。
「よし、もう大丈夫だ! さて……重ねてすまん、休日なのにこんな早く呼びつけたりして」
「別に気にしないで? それで、どうかしたの?」
それで似た様子の貴方を見つけて、いつものように他愛もないやりとりをしたかっただけ。
「次の仕事について話があってな」
これが夜だったら、一人で勝手に舞い上がって、一人で勝手に気を落としてたのかも。
「なにかしら?」
そんな私の胸中は露知らず、彼は仕事についての話を進めていく。
「今までの撮影で使ってきた衣装は黒や紫だったり青と、暗いイメージのものが多かったけど」
「ええ」
「今度はガラッと志向を変えていこうと思うんだ。ほら」
そう言って、ノートパソコンをこちらに向けた。
「あら……これはまた、情熱的な色ね」
画面に表示されたのは、真っ赤なドレス。これまでの私には、無かった色。
「目に映る色のことならまさにそうだな。だが、もうちょっとひねりを加えるつもりなんだ」
灰色の塊の切れ目から白い光が一瞬顔を出し、わずかな間ぼんやりと窓を金色に染め上げる。
私の今日が、少し遅れて始まった。
「今までは幻想的な魅力を押してきたけど、今回は空虚で退廃的な感じも出してみようと思ってな」
「この前の決め事もあるし、そういう世界を奏一人で作ってみないか?」
決め事。
「俺からのリクエストはこの赤いドレスだけ。あとは奏が納得いくまで仕上げるんだ」
約束というには大げさかもしれない。でも、彼と二人で決めた事。
「必要なものがあれば、よっぽどなものじゃなければ大丈夫だ。なんとかするから安心していい」
試すには、絶好の機会ね。
「もちろん、なにか困ったことがあれば、その都度全力でサポートする」
いえ……元々そうするつもりでPさんは、あの相談を持ちかけたのかしら。
どちらにせよ、彼が期待を寄せていることは、まっすぐに私を捉えるその眼差しからも明らかだった。
さっきまでの寝ぼけ眼はどこへやら。同時に、実に挑戦的な目でもあった。
それにつられるように……私の目も、頭も、徐々に覚醒していく。
「――ええ。Pさんの期待、応えてみせるわ」
ありがとう――言外にお礼を込めて、私もしっかりと彼を見つめ返す。
「そっか。うん、そうだな、期待してる」
言いたいことを先に言われて面食らったのか――
「……そこで、俺からのプレゼントがある」
少し間が開いて、Pさんが机の引き出しから二冊の本を取り出した。
静物画――聞き慣れない単語だった。
「見ても?」
「あー、うん。まぁ、今ならいいかな……」
私の問いかけに一転、また妙に歯切れの悪くなったPさん。
そんな彼の様子を訝しげに思いながら表紙をめくると、目の前に飛び込んできたのは――
Pさんにプレゼントとして渡された、空虚で退廃的な雰囲気を醸し出すための、魔法の本。
仕事の合間や移動の際など、時間があれば、聖書については読むようにしている。
一方画集に関しては、常に鞄に入れてはいるものの、寮に居るときなど、一人の場合に眺めることにした。
――さすがにアレを人前で広げる勇気は持ち合わせていなかった。だって、ねえ。
めくって1ページ目からいきなり、骸骨が真ん中に描かれた画が飛び出してくるんだもの。
おまけに、その存在感に負けじと並んだ活字で、それの説明や歴史的背景を事細かに考察していたり。
いくら撮影のための参考資料とはいえ、女子高生に贈るものとしてはおかしいんじゃないかしら。
魔法の本というよりは、呪術に使えそうな本と形容したほうが、より正確かもしれない。
渡す相手を間違えれば、見たその場で突き返されることだって有り得ると思う。
そこのところはさすがに彼も分かっていたみたいで、指摘すると本当に申し訳なさそうな顔をしていた。
まぁ、そんなあの人の珍しい表情が見られたということもあって、すぐに許してあげちゃったけど。
その後に浮かべた安堵の表情も、いつものように
コメント一覧
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- 2016年09月15日 23:26
- 長い上にちょってわかりにくいからリタイア。
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- 2016年09月15日 23:48
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節々で分かりづらい表現もあったけど良かったです
地の文がいい働きをしてるSSでした
奏Pの贔屓かもしれんがここまで地の文が似合うアイドルも居るまい
作中の奏イラストも描いてみたけど…うぅーむ奏さんの魅力がまだまだ出せてないのぅ…
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- 2016年09月15日 23:57
- 蝉の鳴き声にあべななを思い描く今日この頃
同じ人かな?