「若さゆえの勘違いだな…と思うのはどんなとき?」大人たちの回答いろいろ
歳を重ねるにつれ賢くなるとは限りませんが、未成熟な年頃のときには何かと勘違いをしがちです。
「若者ならではの未熟な考え方には、どんなものがある?」をテーマに、海外掲示板で議論されていいました。
大人たちの意見をご紹介します。
●「昔は好きだったけど今は全部嫌いになった」みたいな薄っぺらい発言で、自分の年齢を証明したがる。
↑あるいは全てを「子供っぽい」と斜に構えてみたり。
↑C.S.ルイス(『ナルニア国ものがたり』の著者)が上手いことを言っている。
「10歳のときにおとぎ話をこっそり読んでいた。当時はそれが見つかったら恥ずかしいと思っていた。今は50歳だけどオープンに読んでいる。
本当の大人になったとき、子供っぽいものはすべて捨てた。その中には子供っぽさへの恐れも含む。そして大人になりたいと思う欲求もね。
●「人生は物事を皮肉にとらえなくていい」と受け入れられるようになったら、ずっと良くなるよ。
↑自分は成熟している。彼女ができて、童貞を捨てて、妻ができて、子供ができて、12ステップくらいのチェックボックスがついたプログラムを、全部チェックするまで進めた。
●「それが自分だから」とか「たいしたことだとは思わなかった」など言い訳をして、何をしてもいいと思い、そして周りもそれを受け入れてくれると期待すること。
●こうしたことが、本当に若者にだけの話なら、世界はもっと良くなるんだけどね。
●間違ってることは悪いこと。自分が間違ってることを認める人はほとんどいない。
●10万ドル(約1000万円)あれば、遊んで暮らせると思うこと。
●うちの10代の息子はよくこう言う。
「自由の国だからね、したくないと思えば、○○をしなくてもいい」
○○には宿題、学校、掃除、ゴミ出しなど……。
↑理屈的に彼は正しい。したくなければしなくていい。その結果が待っているだけで。
●難しいと思ったら、それはするべきことではないと逃げること。
●世の中のいろいろな問題が、みんな白黒付くと思うこと。
↑歳を重ねるといろいろ学ぶ。学んでいくほど、白黒では決着が付かないとわかる。
●なんでも知っていると言うとき。
●大人になってきた兆候は、人それぞれ違う意見があると気付くとき。そしてそれを受け入れること。若いときは自分を過大評価しがちだ。
↑誰でもいろんな意見を持っていい。論じ合うことが面白いとも思う。ただし持論の通し方によっては他人をムカつかせる。
↑ようやく自分の持論が最低で、何も知らなかったとわかってきた。
↑自分は、自分の持論についての持論も間違っている。
●誰でも「嫌いな人がいる」ってこと。大人になって進もう。
●「神様だけが自分を判断していい」と思うこと。
●「表現の自由」が、何を言ってもいいと思っていること。
↑表現の自由は、生じる結果にしばられるので自由ではない。
●自分のことを「年齢の割には大人だ」と言うとき。これは大人でないサインと言える。
もちろん若者だけに限ったことではなく、いくつになっても精進する余地は残されているしょうね。