鷺沢文香は恋を読む
「ただいま」
今日は仕事が長引き、いつもより帰りになってしまった。
文香はもう寝てるだろうか。
ちら、と文香の部屋に目を向けるとどうやら部屋の明かりはついている。
しかしノックをしても返事はない。
「ふむ」
俺が帰るのを待って部屋で本を読んでいて寝落ちしたか、本に集中しすぎて帰宅に気付いてないか。
俺は音を立てないようにドアを開けて部屋の中に入る。
本棚に囲まれた部屋の中、机に突っ伏して寝ている文香の後ろ姿が見えた。
「寝落ちか」
同棲を始めてから何度となく見た光景への愛おしさに頬がにやける。
いつまでも見ていたいが、そういうわけにもいかない。
さて今日はどんな本を読んでいたのかな、と起こす前に手元を見ると、そこには本ではなく原稿用紙が置かれていた。
いつも本を読んでいる文香に「自分で書いたりはしないのか」と訊ねたことがある。
文香は「……自分で書くなんて……考えたことがありませんでした」と言って、それから少しずつ自分で物語を書くようになったらしい。
らしい、というのは俺は実際に文香が書いている姿を見たことがないからだ。
作品を見られるのが恥ずかしいのか、文香は人前で書くことをしない。
特に俺の前では厳重で、同棲してからも一度として文香が物語を書いているところを見たことはなかった。
……今日までは。
そして机の上には書きかけの原稿用紙。
さらに机の鍵付きの引き出しが開いており、見えているのはおそらくすでに書き終わった完成の原稿用紙だろう。
さて、どうするか。
親しき仲にも礼儀ありというし、隠していた作品を勝手に読むのはよくない。
もし文香が寝ているのをいいことに原稿用紙を読んだりしたら文香はどう思うだろうか。
怒るかもしれない。
拗ねるかもしれない。
怒った文香も拗ねた文香も可愛いんだろうな。
俺は引き出しの中から完成原稿を手に取った。
それぞれ独立した話だが、主人公は決まってアイドル事務所で働くプロデューサーの男。
相手はというと、笑顔が魅力の女子高生であったり、絵を描くのが趣味な中学生、元警官の大人の女性など話によって異なる。
まあ、つまり。
「俺たちがモデルってことだよな」
個人名こそなかったが、登場人物は事務所のみんなを題材にしているのは一目瞭然だった。
「俺は文香の恋人なんだけど、他の子とのラブストーリー考えるの嫌じゃないのかね」
フィクションはフィクションと割り切るタイプらしい。
登場人物が知ってる人だらけの話となれば、ちゃんと読んでみたくなる。
しかも自分が主人公で、事務所のアイドルたちと恋愛をしている話となれば興味がわくのも当然だ。
俺は文香が寝ているのを改めて確認して、一番端にある話から読み始めた。
最初に読んだのは、実家が花屋の女子高生と恋愛する話。
初め主人公はクールな女子高生の扱いに戸惑い、女子高生は大人の男性である主人公との距離感に悩み、お互いぎこちない関係だった。
しかし仕事中にアクシデントが発生した際に協力しあったことで壁は無くなり、それをきっかけに二人は遠慮なく会話ができるようになっていく。
『意外って。確かに似合ってないのはわかるけどさ。実家にいた頃は、庭で土いじりが趣味だったくらいには花好きだぞ』
『そうなの?……それなら好都合かな』
『好都合って何がだよ』
『ううん、なんでも。ウチの花だったら好きなだけ見ていってよ』
『ああ。せっかくだし、いくつか事務所に買っていくか』
俺はその内容に少しの違和感を抱きながら、読み進める。
最後に主人公が女子高生に花をプレゼントする場面まで読んで、次の原稿用紙を手に取った。
次の話はキグルミを好む幼女との物語。
時系列は今よりも数年先のようで、俺の知る幼女とは喋り方や性格などが少し変わっている。
あの子もいつかこのように成長するのだろうかと、少し目頭が熱くなりながら読んでいく。
『どうしたのプロデューサー?』
『本当にラーメン屋でよかったのか?せっかくライブのご褒美なのに』
『いいの。プロデューサーのオススメのお店がいいって言ったのはあたしだもん』
『ならいいんだけどさ。ここは、俺が上京して初めて一人で入った店なんだ。それ以来何度となく通ってる』
『いいよね、そういう落ち着けるお店って。あたしも地元にいくつかそういうお店あるよ』
『随分と外食慣れしてるな女子中学生』
『小学生の頃から通ってるからね。事情は知ってるでしょ?』
『いい加減、料理覚えたらどうだ?』
『一人で作って一人で食べるのはちょっとね』
『それなら』
「まさか、な」
俺は胸のなかにもやもやとした物が広がっていくのを感じたが、気のせいだと思うことにした。
ただキグルミ少女との話の続きはパラパラと流し読み、少し急ぎ気味に次の原稿用紙を手に取る。
次の話は、人よりも不幸な星のもとに生まれた少女と恋愛する話だ。
少女の不幸に主人公は幾度となく巻き込まれるが、しかし主人公は少女を見捨てない。
少女は主人公から強さを分けてもらい、一歩ずつ自分の不幸に打ち勝つようになっていく。
ある日、主人公は公園で少女に人生で最大の失敗について語る。
『え?そうなんですか!?じゃあいったい何に?』
『……アイドル』
『え?』
『アイドルになろうと書類送ったら、手違いで女性アイドル部門のプロデューサーへの応募ってことになってた。たぶん顔写真のせいだな』
『……ふふっ。あ、すいません』
『いや、いいんだ。俺も手違いを知った時は笑ってな。これは面白いって、そのまま何食わぬ顔でアイドルのプロデューサーになったんだ』
『そこで訂正しなかったんですか。じゃあプロデューサーさんがプロデューサーさんなのも、その手違いのおかげなんですね』
『そういうことだ。どうだ、よくわからない巡りあわせも楽しんでみればなんとかなるもんだろ』
『はいっ、本当に』
違和感は確信に、そして言いようのない焦りへと変化していた。
主人公は言っていた。
土いじりが趣味だったと。
俺は誰にもそのことを言っていない。
主人公は言っていた。
上京して初めて入ったのがラーメン屋だと。
俺は誰にもそのことを言っていない。
主人公は言っていた。
本当はプロデューサーになるつもりはなかったと。
俺は誰にもそのことを言っていない。
親にも友人にも事務所の誰にも言っていない。
なら、どうして文香は知っている。
どうして文香は誰も知らないはずの俺の秘密を書けたんだ。
「……っ!?」
いつから起きていたのか、振り返ると文香が椅子に座ったままこちらの目を見つめていた。
「あ……」
「……大丈夫ですか?……酷い、汗ですよ」
文香はいつも通りの口調で俺を心配してくれる。
いつも通りの心配が、今の俺には異様に思えて仕方がない。
「……何か、私に聞きたいことがあるんですよね?」
「ふ、文香は……」
「はい」
どうしよう。
どうすればいい。
はたして聞いていいのだろうか。
聞かなければ幸せでいられるのではないか。
頭の中で悲鳴のように考えが渦巻いていく。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
泣きじゃくる子供のように心が叫んでいる。
しかし俺は聞かずにはいられなかった。
「俺が、土いじりが趣味だったことを、上京して初めて入った店を、プロデューサーになった事情を、どうして、どうして文香は知っているんだ……?」
「……それはもちろん、貴方が言ったからですよ」
「……言ったのは、前のプロデューサーさんですから」
「どういうことだ?」
「……そうですね。どこから、お話しましょうか」
書くことには慣れましたけど話すのはまだ苦手です、と文香は恥ずかしそうに笑う。
「……貴方は覚えていますか?本を読んでばかりだった私に、自分で書いてみないかと言ってくれたことを」
覚えている。
そして他のアイドルから文香が物語を書くようになったと聞いた時は嬉しかった。
「……ただ本を読んでいるだけだった私を、アイドルという別世界に誘ってくれた言葉に並ぶくらい」
「別世界ではなく……今までいた世界の新しい見方を教えてくれたのですから」
「……あの言葉を聞いてから、私は自分がどんな物語を書きたいか考えました」
「いつも通り本を読みながら、どうすればこの本のように上手く書けるのかを考えました」
「……そして参考になりそうな恋愛小説を読んでいるうちにふと気付いたんです……身近にある素敵な素材に」
「……貴方です」
「魅力的な女性ばかりの環境で、男性は貴方一人。……アイドルのみんなが差はあれど、貴方になんらかの好意を持っている」
「恋愛小説としては、最高の素材だと思いませんか」
だが、そんなことはどうでもいい。
「それは俺の秘密を知っている理由にはならない!俺が聞きたいのは」
声を荒げる俺に、文香は怯えるわけでもなくただ申し訳なさそうな顔をする。
「……飽きさせてしまいましたか。やはり書くのと話すのでは違いますね」
「要点をまとめる、というのはまだ私には……難しいようです」
「……すいません……
コメント一覧
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- 2016年10月05日 21:15
- 予想外の展開ですね…
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- 2016年10月05日 21:25
- 文香「だから私はやり直す…。あなたとの出会いを、何度でも……!」
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- 2016年10月05日 21:25
- デレレレレッデレレレレ
デレレレレッティデレレレレ
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- 2016年10月05日 21:27
- 良かったな
一つ一つのエピソードが短いから、他の子達とPちゃんとの絡みももっと見たかった
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- 2016年10月05日 21:32
- 毎回プロデューサーがしんでしまい助けるために何度もやりなおすんだな‼
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- 2016年10月05日 21:35
- ゲームの選択肢を変えてプレイしてるプレイヤーの視点に立ってしまったから、もう登場人物には戻れなくなっちゃったってことかな
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- 2016年10月05日 22:07
- destination time
別ればかりを繰り返す
時は引き千切れたまま
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- 2016年10月05日 22:41
- 土いじりが趣味…ひょっとして島開拓とかしてたりユンボ使えたりしない…?
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- 2016年10月05日 22:50
- こわい
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- 2016年10月05日 22:54
- ちょっと雰囲気が昔のショートSFっぽくていいっすね。
-
- 2016年10月05日 23:00
- この文香さんNTRにすげえ耐性できてそう
隠れSっぽいしアイドル全員分の物語を作った後は複数のメンバーでドロドロの愛憎劇にして楽しんでそうだけど※6の言う通りGMはヒロインに戻れないんだろうな
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