1: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 21:58:50.197 ID:THX21ZRS0
古代史好き・マイナー史好き・蛮族好きはこい

約2000年前
現在ルーマニアと呼ばれている地にて台頭し
全盛期ローマと激突した人々のおはなし
転載元:http://viper.2ch.sc/test/read.cgi/news4vip/1476449930/
日本史上最大のタブーってなんだろう
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4938879.html

Dacia_82_BC


2: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 21:59:11.113 ID:THX21ZRS0
まず前提の補足として
「ダキアじんってだあれ?」
「どんなひとたちなの?」
「どんなところにすんでたの?」
をざっと



3: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:00:06.715 ID:THX21ZRS0
さいしょは「ダキアじんってだあれ?」

「ダキア人」とはざっくりいうと
古代にトランシルヴァニアを本拠としていた人々で
盛期には現在のルーマニアをこえて
ハンガリーやスロバキアにまで影響力を拡大させた連中


参考までに地図↓
no title


黄文字はルーマニア内の地方区分 
白文字は国名 緑文字はローマ圏の古名 赤線はドナウ川
(今後もこれら地名をつかうので開いておいたほうがいいかも)



4: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:01:03.205 ID:THX21ZRS0
民族としては大きなグループである「トラキア民族」に属すものの
トラキア本流とはけっこう文化の違いもあって
「ダキア人」はサブグループとしてしばしば区別される

ダキア史を語る上では
区別したほうがやりやすいのでこのスレでもその方向で
ちなみにその差異がパッと見でわかりやすいのは軍装

thracian warriorとdacian warriorでそれぞれ画像検索ゥ

「トラキア人」は南のギリシャ圏とのつながりが強く
「ダキア人」はケルトなどのいわゆる「蛮族」圏との
つながりが強いってイメージがつかめるとおもう



5: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:01:47.568 ID:THX21ZRS0
彼らの位置関係についてはこの画像のように↓
no title


狭義の「トラキア人」はドナウ川より南に住んでいた人々をさし
ドナウ周辺から北にいたひとびとが「ダキア人」ってイメージでいい

ちなみに北のコストボキはダキア人の兄弟集団であり
東のカルピはダキア人の一部族



6: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:02:31.641 ID:THX21ZRS0
またこのへんにまつわる名称で「ゲタイ人」というのもる
(画像ではダキアとトラキアのすき間)

「ゲタイ人」はギリシャ人がドナウ川一帯の者たちを指した名称

その区分やルーツについては諸説あるけどもややこしいので
ここではワラキア地方に住むダキア人の別名という広義解釈でいい

ちなみにダキアの「DACI」はカシウス・ディオによると彼らの自称とされ
由来はフリギュア語のDAOS(狼)やダコ・トラキア語のDAVA(砦)など諸説ある



7: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:03:16.297 ID:THX21ZRS0
次は「どんなひとたちなの?」

まず基本的に「蛮族」
ケルトやゲルマンとあわせて
アルプス・ドナウ以北の「北方蛮族」として括られることもしばしば

これは安易なイメージではあるけども正しくもある

蛮族イメージどおりに戦争LOVE略奪LOVEなヒャッハー集団で
盛期には周辺を荒らしまわっていた

ただし蛮族=ヒャッハーだけが取り柄というわけでもなく
蛮族らしからぬ一面も持ち合わせていた
(これは他の蛮族にもいえるけども)

たとえば
指導者層ではラテン語・ギリシャ語を学んでいるという逸話があったり
また軍事面では合理的な防衛戦略のもと城塞網を整備したり
バリスタなどをたくさんもっていたりなど



8: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:05:05.065 ID:THX21ZRS0
つぎ「どんなところにすんでたの?」

まず地勢はこんな感じ
no title


ダキア人の中心地は初期はモルダヴィア
成長期はワラキアにうつり
そして繁栄期になると対ローマの関係もあって
防御しやすいトランシルヴァニアにうつる

この地域の特色としてまず第一に資源の宝庫だったということ
とくにトランシルヴァニアは鉄や金がガッポガッポ

第二は全体としては山がちながらけっこう肥沃だったこと
のちのローマ支配時代にはここからの輸出がバルカン半島の胃袋を支えたり



9: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:06:12.837 ID:THX21ZRS0
またこうした土地柄のおかげで
それなりの人口を有することもできて
1世紀には80~100万ほどに達していたと推定されている

またのちにローマによって属州化されるのは
「ダキア」全体のうち三分の二程度であるも
3世紀初頭にはその「ダキア属州」だけで60~120万が住んでいたとも

これは現代の感覚からするとスッカスカだけども
古代世界当時の基準だとなかなかの人口密度になる



10: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:06:41.951 ID:THX21ZRS0
それでは歴史スタート

この地域は大昔から文明の交差点で
次から次へと民族が流れこみ
大量の文化が繁栄と没落と融合を繰りかえしていったところ

そしてその闇鍋のなかから
「ダキア人」なる集団が形成されることになる

まずそのへんが確立するあたりまでざっくり駆け足で



11: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:07:17.855 ID:BkBVk03A0
デケバルスがトラヤヌスとドンパチやりあったことくらいしか知らない



13: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:08:03.131 ID:THX21ZRS0
>>11
それ知ってるだけでも十分



12: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:07:32.814 ID:THX21ZRS0
このあたりではBC5000代から
ヨーロッパ圏最初期の都市といえる大集落を形成したククテニ文化や
特定の意味をもつ記号を用いてたヴィンチャ文化などが栄えるようになる
(「古ヨーロッパ文字」 ただし文字体系としての機能は疑問視されている)

また比較的短命ながらブルガリアで栄えたヴァルナ文化からは
人類最古クラスな黄金細工の品々が発見されていたりもする
(Varna Necropolisなど)

BC4000代にはウクライナ方面からの印欧語族と接触

つづくBC3000~BC2000代前半にかけて
その印欧語族の進出もおこなわれ
混交したCotofeni文化圏などが構築されていく



14: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:09:24.798 ID:THX21ZRS0
また青銅器時代に移行してからのBC2000~BC1500代には
ポーランド方面からじんわり流入があったことも
ハプログループの研究で示唆されている

こうした動きはそれなりの混乱をもたらしたようで
このころのOtomani文化などでは
ヒルフォート(強固な防御設備がある集落)が多くみられるようになり
さらにあいつぐ戦乱のためかその社会が徐々に崩壊していったことが
発掘調査で示されている
(集落の破壊・墓の副葬品にみられる戦士文化の発達など)



15: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:10:01.005 ID:BkBVk03A0
あと100年登場が早かったらカルタゴと同じくらいの脅威にはなってたろうな



17: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:11:44.390 ID:THX21ZRS0
>>15
ちょうどローマの全盛期に重なるなんて
ほんとタイミング悪すぎだよね



26: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:19:28.304 ID:BkBVk03A0
>>17
(第三次じゃない)ポエニ戦争の時期とダキアの全盛が重なってたらとかそういうIF考えちゃうね



16: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:10:14.274 ID:THX21ZRS0
そしてとどめに「前1200年のカタストロフ」が到来する
ヒャッハーな「海の民」の時代

この騒動の原因はいまだにハッキリしていないというか
原因になりそうなネタが多すぎて定まっていない

とにかくこの時期
あちこちで既存秩序の崩壊と移住の連鎖がおこり
すでに数百年前から混乱期に突入していたこの地域には追いうちになった



18: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:12:35.843 ID:THX21ZRS0
ただし
「前1200年のカタストロフ」における彼らの立場には諸説あって
この騒乱では侵略側でもあったともいわれてる
数百年前からつづく混乱によってこの地域からも多くが移住を強いられ
それらが結果的に「海の民」サイドに加わっていたという流れ

そんな感じでハチャメチャになったワケだけども
この混乱が結果的に文化融合と独自化をすすめたり

民族移動による拡散伝播で
急速に鉄器文化が広まったという面もあった

そして広義の「トラキア圏」としての基層も
徐々に形成されていくことになる



19: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:13:50.544 ID:THX21ZRS0
しかし一難去ってまた一難

今度ははるか東から
遊牧騎馬民スキタイがウクライナへと勢力をひろげてくる

彼らは前7世紀までには黒海西岸にたっし
一部は西岸にそって南にくだって
ドナウ河口およびワラキアにも入りこんできた
そして現地民とある程度の混交もおこなわれたり


こうした遊牧騎馬民からの影響は
ダキアの歴史を通して継続していくことになる

東方からもたらされたものでパッと見でわかりやすいのは
イラン系騎馬民由来のコイのぼりのような旗(ドラコ)や
鱗状の鎧(スケイルアーマー)などがある
これらはダキア人も好んで使うようになる



20: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:14:35.241 ID:THX21ZRS0
そして客人は他にもいた

ちょっと遅れてギリシャ人も各地へ植民しはじめ
黒海沿岸部にもじわじわと都市をつくり
前6世紀までにはクリミア半島まで展開

ここからのギリシャ文化は
黒海沿岸のトラキア人につよい影響をあたえ

またそれを経由して
内陸のモルダヴィア・ワラキア・トランシルヴァニア方面にも
技術や信仰の伝播という形で影響がおよぶことになる



21: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:15:35.339 ID:THX21ZRS0
つづく前6世紀のおわりごろ
こんどは南東からアケメネス朝ペルシアが侵攻してくる
ダレイオス一世によって狭義のトラキア(ブルガリア一帯)が征服され
黒海沿岸部も一時的に支配下におかれる

ダキア人がはじめて文献に現れたのがこのあたりで
このときドナウ河口にいた「ゲタイ」のとある部族が
ペルシア軍にしぶとく抵抗したと記録されている

ただしこのペルシアの侵攻は
ドナウ以北では黒海沿岸部にかぎられるもので
内陸部は放置されていた


そしておそらくこの時期
「ダキア人」という集団形成においてもっとも重要な出来事が起こる
それは「ザルモクシス信仰」のはじまり



22: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:16:33.202 ID:THX21ZRS0
このザルモクシスなる神

ヘロドトスによると元々はゲタイ生まれの人間で
ピタゴラスの奴隷だったとされている

彼は解放されると故郷にもどり
ピタゴラスから教わったエジプト思想などをもとに
「死はすばらしいものだよ~死ぬということは不死の入り口なんだ~」
と霊魂の不死性を説いてまわった

でも当初はやはり「なに言ってんだこいつ」状態

そこであるときザルモクシスは地下に何年も隠れひそみ
人前に一切姿を現さないようにした

そして彼は死んだのだと人々が思いだしたころに
さっそうと地上に姿をあらわして
死を超越したとうまく人々を信じこませた

とヘロドトスはザルモクシス復活の経緯を記している



23: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:17:15.662 ID:THX21ZRS0
ただしこれらを綴ったヘロドトス自身は
この話はおそらく創作だという意見も述べていて
実際にはザルモクシスはピタゴラスよりはるか昔の人物だろうとも記している

このヘロドトスの見解については
現代研究者のあいだでも一定の支持があって
ピタゴラスの奴隷であったという部分は
「ギリシャ文明人が蛮族に教えをさずけた」というギリシャ優位の思想で
加えられたという説もある

またザルモクシスの「復活」についての
何年も隠れて人々を信じこませたというくだりについても
彼らを蔑視する外国人(ギリシャ人)が
「マジで不死になったわけねーだろ」とつけ加えた可能性も指摘されている

おそらくダキア人みずからが信じた伝承においては
ザルモクシスはちゃんと一回死に
本当に復活したことになっているはず



24: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:18:30.482 ID:THX21ZRS0
このザルモクシス信仰は
既存の信仰と同化する形で
トラキア圏全体に急速にひろまっていった

ただし北のダキア人と南のトラキア人とのあいだでは
その信仰熱意や形態にけっこう差があった

南のザルモクシス信仰は
既存の多神教に含まれていく形であったものの
北にいくほどザルモクシスの絶対性は濃いものになっていった

また時代が下るにつれてその傾向はどんどん強まり
ダキア繁栄時代には拝一神教と言えるくらいになる

こうした信仰の変化によって
ドナウの北では「ダキア人」となる独自性も形成されていったようで
考古学的にわかる様式においても
このあたりから南のトラキア人との違いがはっきりしてくる



25: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:19:06.739 ID:THX21ZRS0
また周辺勢力とのかかわりもその流れを促進することになる

東からのスキタイやペルシアと接触していたころ
西からも同じような動きがあった

すこし前の時代からケルト人によるハルシュタット文化が
スロバキア・ハンガリーあたりまで広がってきていて

それらとの交流と文化吸収によって
ダキア人はさらに「北方蛮族」色がつよまっていく
(ケルトふうの動物形象や葉脈状の装飾が見られるようになったり)
これはギリシャ・ペルシアの影響が強まっていった南のトラキア人と対照的だった



27: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:20:04.293 ID:THX21ZRS0
そして前5世紀になると南のトラキア人の一部が一足先にじぶんたちの国
オドリュサイ王国をうち建てる

これはトラキア人全体を統一したものではなく
またいぜんとして「蛮族」的な部族社会の色が濃くて
とてもギリシャ・ペルシア圏などとは比較にならなかったものの
トラキア圏内においては先進地域に相当するものだった

これによってトラキア圏内でも
北と南にわかれる意識構造が徐々に生じていったようで

トラキア人とくにオドリュサイ系の人々は
ダキア人(ゲタイ)のことを「未開の野蛮人」と見るようになり
ダキア人も彼らのことを「ギリシャ文化に骨抜きにされた軟弱者」と見るように

ちなみにこの年代の初期ダキア人の拠点は
モルダヴィアで多く見つかっているため
当時はそこが中心地域だったと推測されている



28: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:21:20.750 ID:THX21ZRS0
こうして物質的にも精神的にも南のトラキア人とわかれはじめ
名実共に「ダキア人」の歴史がはじまっていくものの

つづく前4世紀もあいかわらず周辺勢力の進出でもみくちゃにされる



29: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:22:45.133 ID:THX21ZRS0
南では台頭したマケドニアが勢力をひろげてきて
BC340代にフィリッポス2世によってオドリュサイ王国が征服され属国になる

このさいに詳細は不明ながら
ドナウ南岸にいた「ゲタイ」の一派も北岸におい払われたという記録がある

またはるか東では
新たな騎馬民「サルマタイ」も
ウクライナ方面へむけて動きだす

この新集団そのものはまだ黒海西岸から遠かったものの
スキタイ系がこうした動きから逃れようとしてきたため
玉突き事故のようにダキア圏もじわじわ圧迫されるようになる

考古学調査においても
モルダヴィアの拠点群のおおくが放棄されるか縮小しており
かわりに東カルパチアやワラキアの拠点群が
拡張されていったことが示唆されている



31: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:24:55.804 ID:THX21ZRS0
そして圧力は東だけじゃなく西からも

ケルト人が急激に勢力を拡大しはじめる
(ちなみにこの時期はあちこちで彼らがヒャッハーしており
 ブレンヌスによるローマ市占領もちかい時代)

彼らはパンノニア平原をこえてトランシルヴァニアにまで侵入

しかもそれはけっこう激しい出来事だったようで
もとの支配階層がパッと消えてケルト人に入れかわったことが
墓の副葬品の調査などで判明している

こうして前3世紀になるころにはトランシルヴァニアは
ケルト人の支配下になってしまう

現在までに判明している主要なケルト居住地は以下のとおりで↓
no title

その分布は
ケルト本土との交易ルートにつながる北部と
盆地内の農地・鉱物資源豊富なアプセニ山地をおさえるかたちだった



32: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:26:50.123 ID:THX21ZRS0
このようにダキア人にとってとことん不遇な時代だったものの
いっぽうでそれなりのプラス要素もあった

金属加工に優れるケルト人の到来は
現地産業に活性化をもたらしたようで
ダキア産の装飾品やマケドニアのをコピーした金貨などがおおく生産されるようになり
遠くではポーランド中部などでも見られるようになる

またダキア人もこの時期から外へ移住しだした

スロバキア東部・パンノニア平原・セルビア北部においては
ダキア様式の陶器が現地生産されていた形跡があることから
大多数のケルトにまざる形で
それなりのダキア人も住んでいたことがわかってる

(行ったり来たりするケルト人に自らついていったか
 あるいは強制移住させられたのかは不明)



33: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:27:53.356 ID:THX21ZRS0
また軍事面でも得るものがあって
金属加工技術の取得による武具の発展のほかにも
集団戦術なども吸収する

ダキア人の戦い方は
これまでは長剣などをもちいた個人乱戦がメインだったけども
これ以降は大盾をもちいての盾壁戦術もさかんに併用するようになる



34: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:29:10.988 ID:THX21ZRS0
またこのようにケルトの影響をつよく受けながらも
ダキア人が完全に「ケルト化」することは起こらなかった

前述のとおりケルト支配地域でさえ
ダキア様式の物品がさかんに生産されていたりと
彼らは本質的には「ダキア人」のまま暮らしつづけていた

これの理由はハッキリしていないものの
しばしば強烈なザルモクシス信仰が関連つけられている


そしてトランシルヴァニアは征服されたものの
ワラキアのほうは頑強に抵抗して支配を拒みつづけていた
この闘争は100年以上つづき
これもまたダキア人の軍事と共属意識を強化する重要なステップとなった



35: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:29:51.753 ID:BkBVk03A0
信仰は民族アイデンティティの保持には有効だったというわけね



36: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:30:51.922 ID:THX21ZRS0
ここらで記録された初めての「ゲタイ(ダキア)王」があらわれる
名はドロミカイテス(Dromichaetes)

おそらくケルトに対抗するべく
各部族が同盟をくむなかで頭角をあらわして
最終的にはワラキア全部族をまとめあげた人物

彼に率いられた「ゲタイ」はかなり勢力を強めたようで
北・西からのケルトと争いつつ
南からゲタイを攻撃しようとしたマケドニア軍をもやぶり
マケ王リュシマコスを捕虜にしたりもする(BC290代)

ドロミカイテスはこのリュシマコスらを手厚くもてなして
すぐに解放するかわりに和平と同盟を結びあっさり終わらせる

いっぽうケルトとの戦いはやはり激しく継続されたようで
ドロミカイテスもこのなかで戦死したとも言われている
(ちなみにこの頃はここだけじゃなくバルカン全域でケルトが暴れていて
 BC270代にはギリシャにも「ガリア人」がハデに侵入してるような時代)



37: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:32:20.884 ID:THX21ZRS0
このあたりからダキア人はその戦闘民族っぷりを開花させ
本格的に台頭しはじめる

前2世紀にはいると王ルボボステス(Rubobostes)によって
ついにトランシルヴァニアのケルト支配がうち倒される

そしてワラキアからの有力者層の移住もおこなわれて
かつてのケルト支配がはじまったときのように
支配階層がまるごとダキア人にいれかわる

とはいえケルト人全てが殺されたり追放されたりしたわけでもなく
それなりの数が残りつづけたみたい
さっきの画像の居住地もおおくがそのまま存続する

ただし支配下でも独自性を守りつづけていたダキア人とはことなり
残ったケルト人たちは急速にダキア化していった



38: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:33:27.471 ID:KL4i+B1ba
なんだアスペニか



40: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:35:21.579 ID:THX21ZRS0
>>38
ちがうで
アスペニの模倣者



39: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:34:35.500 ID:THX21ZRS0
またおなじ前2世紀なかばには王オロレス(Oroles)が
北からトランシルヴァニアに侵入しようとしていたバスタルナエ族を撃退する

このバスタルナエ族ってのは
ベースはゲルマンあるいは先スラヴであり
ゆっくり南下しつつあった東ゲルマンの最前集団の可能性高

ただし西のケルトや東のスキタイ要素にくわえ
時代がくだるにつれダキア文化とのつよい混交も見られることから
明確に「ゲルマン人」とも言えないような連中

彼らはオロレス率いるダキア人に敗退すると
モルダヴィア北東部におちつくようになる

以後はしばしばダキアと衝突しながらときに従属させられたりで
つよい文化影響を受けることに
結果的にベースがゲルマン系でありながらダキア人の近縁集団にも変化し
はんぶん吸収された形に


あと精確な時期は不明ながら
ダキア人は西にも精力的に軍事行動をとっていたようで
セルビア北部にいたケルト系スコルディスキ族などとも衝突していた



42: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:36:56.954 ID:THX21ZRS0
つよい王がゾロゾロでてきたこのあたりで
いったん歴史から離れて
社会構造や政治についてもサラっと触れておく


いかんせん史料不足で不明なところが多いものの
ダキアはまず部族社会だったというのは確実
族長をはじめとする有力貴族がそれぞれの土地を支配しており
それら部族・地域単位で独立自治していた


ダキア社会における身分はおおまかには以下の三つ

・貴族「tarabostes」あるいは「pileati」 意味は「帽子男」
・平民「comati」 意味は「長髪の男」
・戦士「capillati」 これも直訳すると「長髪の男」だけどこっちのほうがもっと長いニュアンス


貴族の「帽子男」という由来はおそらく
束ねた髪をフリギュア風の帽子でしっかり隠すことから
(サンタや七人の小人が被っているようなアレ フリジア帽子の元ネタ)
この帽子をかぶるのは貴族しか許されていなかったため
それに対比して平民は「長髪の男」と呼ばれるようになったみたい



43: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:38:49.956 ID:THX21ZRS0
実生活におけるこの貴族・平民の最大の差は
土地所有のありかただった

平民は部族の共同所有地が分配されるという形で
土地私有を認められていなかったけど
貴族は大量の私有地をもつことができた


そして三つめのグループである戦士「capillati」は
貴族・平民と分離していたわけではなく
平民のうちの一部が同時に戦士「capillati」を構成していた

また戦士思想のつよい部族社会であるため
貴族の若者衆も戦士「capillati」に属していた可能性もある
貴族をあらわす帽子をかぶってるけど格好は上半身裸で
戦士「capillati」のシンボルである両手剣「falx」をぶん回している描写が
トラヤヌス円柱などによくみられたりで


ちなみに「capillati」などの名称はラテン語翻訳であり
もとのダキア語名称は不明



44: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:41:01.714 ID:THX21ZRS0
そしてダキア社会において
もうひとつの重要なのが神官層のグループ

彼らも貴族層に属していたけども世俗とは一定の距離があって
とくにザルモクシス神官たちは政治的にも特権地位にあった
最終判断が「王」ではなく彼らの「占い」に任せられたり

また部族の壁をこえての
ダキア全土にひろがる独自のネットワークをもっていた
(これはおそらくザルモクシス信仰の
 拝一神教とされる性質によって形成された)



45: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:41:41.960 ID:THX21ZRS0
最後に「王」について

これまでの王の政治権力は
実際は族長に毛がはえた程度のもので
権力範囲はまず母体部族とその周辺にとどまっていた

「ダキア(ゲタイ)人の王」とはいえ
その性質は「ダキア(ゲタイ)の支配者」ではなく
あくまで族長クラスから選ばれた代表者・軍事指導者というもの

理由は独立性のつよい部族社会の性質が
政権・軍権の一点集中を妨げていたことと
王位の権威不足などがあげられてる


族長クラスにもなれば祭祀役も担ったりで
宗教的権威はそれなりに強いものがあったけども
これもまた母体部族とその周辺に範囲がとどまり
「全ダキア人の支配」などを正当化できるものではなかった



47: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:43:39.508 ID:BkBVk03A0
>>45
戦国時代の日本のだいたいの大名みたいなもんだね
国人(部族の長)が言う事聞かなかったら兵すらままならない



49: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:45:32.218 ID:THX21ZRS0
>>47
戦国日本はあんまりくわしくないけども
つまみ食いした感覚だとそんなふうに似ていると思う



46: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:42:24.755 ID:THX21ZRS0
とはいえこうした傾向はドロミカイテスやオロレスなど
強大な軍権を手にした王の出現で
ゆっくり変質していったようで

前1世紀にはとうとう決定的な力をにぎる男が現れる



48: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:43:40.510 ID:THX21ZRS0
話はもどって歴史へ

ダキアで強き王たちがつづいていた前2世紀代
南のほうでもついにラスボスが視野に入ってくる


かのローマが本格的にバルカン半島に進出しはじめる

VSマケドニアの第三次戦でローマは決定的な勝利をあげ
BC140代の第四次戦でとうとうマケを属州化
また直後にギリシャもすっぽり属州化

これらによってマケの属国だったトラキア(オドリュサイ王国)が
独立するんだけどもしょせん建前だけだった

トラキアはマケが衰退しつつあった頃からすでに分裂内紛ぐっちゃぐっちゃで
「独立」以降はローマが我が物顔で介入してきてさらにミキサー状態になる
また黒海沿岸部のギリシャ都市たちもぞくぞくとローマの影響下におかれていく

くわえてローマはアドリア海方面からも進出してきており
スコルディスキ族とも激しい衝突を繰返すようになる
(ただしスコルディスキのほうもマケ滅亡のスキをついて拡大を狙い
 ローマへ全力で喧嘩を売っていった)



50: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:46:45.934 ID:THX21ZRS0
こうしたローマによる怒涛の拡大は
ダキア人らにかつてのケルト侵入・支配を思いださせるには充分だった

あのマケドニア・ギリシャ圏が陥落したというのも
なおさら脅威を際立たせることになり
彼らはすぐに「ローマによる侵略」をつよく警戒するようになった

それは行動にもあらわれ
さっそくBC130~BC100代のスコルディスキとローマの戦いでは
スコを背後から殴る絶好の機会だったのもかかわらず
逆にスコ側を支援しだしたり



ちなみに「ローマによる侵略」という警戒は
決して彼らの思いこみでもなかった

この共和政中期から末期にかけてのローマは
ヒャッハー全開でもっとも領土拡張した時代で
ダキアのことも「大河の北は肥沃で金銀鉄もザックザクらしいぜ!」
と照準にいれはじめていた



51: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:47:51.008 ID:BkBVk03A0
それにしてもやっぱりケルトは暴れまわるのね……
ローマも首都を一時的とは言え占領される憂き目にあったようにダキアもまた然りと



52: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:49:13.284 ID:THX21ZRS0
こうしたなかでダキア人の勢力圏もじわじわと広まっていったようで
このあたりからスロバキア・ハンガリーなどに
よりおおくのダキア人が居住した痕跡が見られるように

すこしあとの前1世紀初頭には
ダキア文化圏はこのぐらいにまで拡大する↓
no title

黄緑はダキア文化が支配的な地域
薄赤は支配的ではないものの一定の地位を得ていた地域

さらにはポーランドふかくまでダキア系が進出したことが示唆されているものの
(ヤストシェンブニキJastrzebnikiにおける発掘調査などで)
規模が小さく現地文化との本格混交もみられないことから
進出したとしてもきわめて少数であるため
そのへんはダキア文化圏には加えられていない



53: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:50:51.246 ID:THX21ZRS0
そして前1世紀のはじめごろ
ついに屈指の王ブレビスタ(Burebista)が現れる


初期の経歴は不明で(おそらく有力部族長かその家系)
BC80代(より具体的にBC82とも)に王位についたとされる

彼は王になるやすぐさまその軍才を発揮し
トランシルヴァニア・ワラキアの全部族をあっというまに服従させる

またそうした武力による掌握だけじゃなく
その権力安定に不可欠である権威確保も巧みにすすめていく

ブレビスタはある段階(おそらくBC70代)に
ザルモクシス最高神官のデケネウ(Deceneu)と組み
全ダキアにおける宗教権威の掌握へとのりだした



54: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:52:34.166 ID:THX21ZRS0
詳細は不明ながらもおおまかには
禁酒などの厳格な教義を施行することで神官ネットワークを一本化
宗教権威をネットワーク頂点の最高神官デケネウに集中させ

その最高神官を王が保護するという形で
「ザルモクシスの民(ダキア人)の頂点」たる正当性をゲットという流れ


くわえてワラキアのArgedava(現ポペシュティ)にあった王都を
トランシルヴァニアのオラシュチエ山地深くの
ザルモクシス信仰の聖地サルミゼゲトゥサ・レジア(Sarmizegetusa Regia)にうつし
さらに権威強化
(この遷都には対ローマにそなえての軍事的理由もあった 後述)

こうしてブレビスタは名実共に
「ダキア人の王」たる地位の確立を成功させる

ちなみにこの宗教権威まわりの改革は
ザルモクシス以外の有力な神々をおさえこむ目的もあった可能性もある
たとえば禁酒政策は
祭儀で酒盛りをしていたディオニュソス信仰を抑えこむためだとか



55: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:52:36.834 ID:UdZhafLR0
紀元前の話は想像すらしにくいなあ



56: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:54:17.212 ID:THX21ZRS0
そんなかんじでブレビスタがダキアを掌握しつつあったころ
南ではローマの暴れっぷりも加速しつつあった

黒海南東岸にあるポントス王国との
バルカン・小アジアをまたにかけたミトリダテス戦争がはじまり

トラキア各部族もローマ・ポントス側それぞれに分かれて戦うことになる
中には「ゲタイ」のいくつかの部族も参戦していたらしい
(ちなみにあのスパルタカスもこの戦乱の中で捕虜になったと言われてる)

ミトリダテス戦争は最終的にローマの勝利で終わり
トラキア圏におけるその影響力がさらに高まることになる

また東のほうでは
西進してきていた強力な騎馬遊牧民サルマタイが
ついに黒海北西部まで到達して
そのなかのロクソラニ族やイアジェゲス族が
ダキア・トラキア圏と接するようになる

no title




57: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:56:17.014 ID:THX21ZRS0
こうした周辺状況による危機感の増大は
ブレビスタには追い風にもなったみたいで
彼の体制はますます強固なものになっていく

そして「統一ダキア王国」の基盤固めを完了させるや
彼はさっそくそのパワーを外へと向けはじめる

BC60代にはまず西のケルト圏へ侵攻

セルビア北部のスコルディスキ族らを次々とたいらげ
パンノニア平原北部のエラウィスキ族や北部のコティニ族も従属させ
スロバキアにものりこんでケルト強キャラであるボイイ族にも大勝する

つづくBC50代には東と南へ侵攻
モルダヴィア方面にむかいバスタルナエ族を従属させ
サルマタイをも押しこんで現在のオデッサあたりまで制圧する



58: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:57:32.291 ID:THX21ZRS0
そして南ではドナウをこえてトラキアにも進撃し
沿岸部のローマ従属下のギリシャ都市群をもつぎつぎ制圧
こうしてドナウ南岸にも大きな影響をおよぼすようになる

また年代は不明ながら
北のドニエストル川方面にも進みコストボキ族も従属させたり


こうしてブレビスタの版図はこれから↓
no title


最終的にこうなる↓
no title




59: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 22:59:55.104 ID:THX21ZRS0
この急激な拡大の理由は
もちろんダキア人のヒャッハー気質によるところ大だけども
他にも合理的な理由もあった

それは「生存するためには強くなくちゃ」というもの

古から文明交差点でさっんざんな目にあってきたうえ
このころは南のローマにくわえて
東からはサルマタイも迫っていたため

これらの危機感また
この拡張を押しすすめた要因だった

この軍事への傾倒姿勢は外部攻勢だけじゃなく内部にも表れていて
もっともわかりやすい例は対ローマ防衛態勢の急速な整備

都をサルミゼゲトゥサにうつしたもう一つの理由もこれだった



60: アスペニート 2016/10/14(金) 23:00:50.121 ID:LgDVNTA90
ブレビスタすごい



61: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:01:37.357 ID:THX21ZRS0
単純に生産性なら
ワラキアやモルダヴィアの平原はかなり肥沃で優れていたけども

いざ対ローマとなればワラキアは一番最初に荒れるところだし
モルダヴィアもはんぶんサルマタイのお庭と化していてアテにならなかった

いっぽう山脈に囲まれているトランシルヴァニアは守りに最適で
北部から中部の生産地もその後背地として安定機能させやすい

この地勢をまた見るとわかりやすい
no title


またその生産性もワラキア・モルダヴィアには劣るものの
かつてケルト人が気に入って住みついたとおり
なかなかのもんだった
くわえてやはり鉱物資源が豊富な点もナイスだった

ブレビスタはこうした理由から
ダキア圏の中心地をワラキアから
トランシルヴァニアへと移行させていく



62: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:03:11.940 ID:THX21ZRS0
そして中でも
トランシルヴァニア南西部のオラシュチエ山地に彼は目をつける

ここはトランシルヴァニアの「南玄関」をおさえられる要衝で
対ローマ防衛線の核としてはこれ以上ない地だった

くわえてトランシルヴァニア内でも有数な
鉄ほか金属資源の産出地でもあったため
要塞化するにもうってつけで
彼はここを防衛戦略の要として城砦網の整備をすすめていった

この政策は以降の指導者たちにも引き継がれていき
のちの1世紀末にはこのくらいまで固められる
no title

no title




63: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:05:13.561 ID:THX21ZRS0
またオラシュチエのみならずダキア全土でも同様の拠点整備がおこなわれ
おなじく1世紀末には全体もこのように
no title


中心地は完全にトランシルヴァニアにうつり
山脈を利用した拠点ネットワークがそれを囲むようになっていった

こうしたダキア全体を意識した配置にわりとすんなり移行できたのも
統一されて連帯意識も確立されたことで可能になったものだった

ちなみに地名によくついている「DAVA」というのは
ダキアのことばで砦を意味する


またこの画像でトランシルヴァニア中心部がわりとスカスカなのは
そこにダキア人が住んでいなかったというわけではなく
防衛設備の遺構が現在まで確認されていないため

居住の跡そのものはちゃんとおおく見つかっている



65: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:06:52.350 ID:THX21ZRS0
話しもどって前1世紀へ

こうしたブレビスタによる軍事強国化は結果的に大成功をおさめ
本格台頭したダキアは
ドナウ域の主導権争いの大舞台に踊りでる

ただし古今東西の歴史が示すとおり
強気の対外政策は底なし沼におちこむリスクが多々あって
もれなくダキアもそのルートをつき進むことになる

「やれるもんならやってみろやコラ」という威圧は
サルマタイに対しては一定の効果があったものの
肝心のローマには完全に裏目にでてしまう



66: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:08:02.291 ID:THX21ZRS0
ダキアがローマ従属下のギリシャ都市を横取りしたり
影響下にあったトラキアへ介入してきたりと

現実にローマ覇権への挑戦行為をともなっていたため
これを宣戦布告同然にとらえたローマ世界では
ダキア脅威論が本格的に強まっていくことになる

一方でダキア側も
同時期のローマによるガリア戦争といった
将来も予感させるような事実もうけて
さらに警戒を強めていくことに

こうしてお互いに安全保障上の脅威とみて敵対しつづけるという
ステキな底なし沼関係が完成する



67: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:09:02.541 ID:THX21ZRS0
ちなみにこの本格台頭したダキアの軍事力は
実際にはどのくらいだったかというと

まずローマの著述家たちは
「ブレビスタは20万を動員できる」(ストラボン)など
巨大戦力を有していることをよく強調している

ただしこれは古今東西の著述の例にもれず
かなりの誇張がはいってる



68: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:10:35.891 ID:THX21ZRS0
まず最大100万ほどという当時のダキア人口と現実的な運用を考えると
自由に動かせる戦力はおおくても5万程度にとどまる
(現代研究家のI.Oltean氏はもうすこし少なく4万と見積もってる)

本土防衛で戦える男を限界までかきあつめたりなどの
死に物狂いモードでやっと10万にぎりぎり届かない程度
(のちの2世紀での対ローマ戦でこのモードになる)

くわえて周辺の従属・同盟勢力から供出させられる戦力もせいぜい数万なため
外征時のダキア軍は最大でも5~6万ってのが現実的な落ちどころになる

このように
ストラボンの20万発言なんかにくらべたらだいぶ見劣りする規模だけども
だからといって当時においてショボイというわけでもなかった



69: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:12:02.396 ID:THX21ZRS0
他の「蛮族」仲間とかんたんに比べてみると

たとえば同時代のゲルマンでは
ウェーザー流域の有力部族が結集したアルミニウスの反乱(AD9~16)で
その連合軍の最終規模は5~6万ほど

もしドイツ南部の大物マルコマンニ族・クアディ族なども加わっての
西ゲルマン大連合になっていたら
戦力は10万ちかくになったとも言われている

またガリアではガリア戦争時には合計戦力が30~40万にまで膨れあがったとも

ただしこれらは政治的に独立していた数多の部族勢力が
一時的に徒党をくむことでやっと実現されうる規模だった
(ガリアなんてその部族構成はおおきめのものだけで70ほど
 小さいのを含めれば数百単位になる)

いっぽうで統一を果たしたダキアは「単独勢力」として最大100万の人口を有し
5万の戦力を自由に動かすことができ
本土防衛時には一時的に10万ちかくまで増強することができるという

西ゲルマンが団結決起したのに匹敵する規模の動員を
自分たちだけでこなすことが可能だった



71: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:13:13.908 ID:THX21ZRS0
またそうした動員能力だけではなく

なによりもブレビスタからのダキア軍は
強力な騎馬民族をふくむ周辺勢力を
片っ端からぶっとばしていたほどに中身も強かったという点も重要

実際のところブレビスタ以降のこいつらは
のちのローマ戦をのぞいて無敗だった

ローマ側の警戒やダキア軍20万という誇大記述なども
こういった彼らの実際の軍事業績を反映してのものだった



72: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:14:08.278 ID:THX21ZRS0
そうして軍事強国化していくダキアは
ローマとの関係がどんどん悪化していったけども

両者完全に拒絶しあっていたわけではなく
状況にあわせての妥協的友好もあった

とくにローマ側は断続的な侵略戦争をへて
すぐに内戦突入という当時はすごく忙しい時期だった

カエサルによる内戦が勃発すると
ポンペイウス陣営は背後の憂いをなくすために
このときは建前だけでもブレビスタに歩み寄るようになる

そしてブレビスタ側も
泥沼内戦でローマが自滅することを期待したのか
様子見をえらんでポンペイウスとの同盟締結を了承する



73: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:15:25.649 ID:THX21ZRS0
でも内戦が終結するとそんな関係はやっぱり即ご破算

さらに勝ったのがポンペイウスじゃなくカエサルだったというのもあり
ふたたび関係が急激に悪化していったようで
カエサルはパルティア侵攻の次にダキア侵攻も考えていたらしい

でもその計画はBC44にカエサルが暗殺されたことで頓挫する
これはダキアにとって非常に好都合な出来事だったんだけども
おなじ年に彼らの側でも大変なことがおこる


それはブレビスタ暗殺



74: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:16:18.573 ID:THX21ZRS0
これはどんどんブレビスタに力が集中していくのをみて
地位喪失を危惧した有力者たちが暗殺したと言われている

そうしてせっかく統一されたダキアは
あっという間に四つあるいは五つに分裂しちゃう

当然ながら北のコストボキ・東のバスタルナエ・南のトラキア・西のケルト
これらブレビスタ征服地での影響力もまるごと喪失する

またブレビスタが築いた「統一ダキア王」位も継がれることなく
分裂した各地でそれぞれ王が現れる事態に



75: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:17:21.684 ID:THX21ZRS0
なぜブレビスタの「ダキア王」の位が継がれなかったというと
実はその王位はまだ未完成だったからという点がしばしば指摘されている

ブレビスタのダキア王権は
最高神官の保護者となり
その絶対的な宗教権威を借りるかたちで維持していたんだけども

これはつまり「王位」そものもは
絶対的権威を有していないということだった

そして最高神官の保護者なんてポジションは
ブレビスタ個人の才とカリスマありきのもので
彼以外にそんな力がある者は当時いなかった
(そもそも他に並びうる者がいないからこそ彼は頂点に立てた)

だから彼が急死しちゃったら当然おわる



76: アスペニート 2016/10/14(金) 23:18:07.173 ID:LgDVNTA90
ダキアの最高権力者がカエサルと同じ年に暗殺されたって因縁めいてるな



77: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:18:12.651 ID:BkBVk03A0
ブレビスタとカエサルはある意味重なるところがありますね
インペラートルを名乗ったカエサルと王を名乗ったブレビスタ……



78: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:18:13.636 ID:THX21ZRS0
ちなみにブレビスタ暗殺についてもう一歩踏みこんで
この王権の未完成問題そのものが暗殺理由だとしている説もある

この問題を解決させるべく
ブレビスタは王位にも絶対的な宗教権威をもたせようと
「王位と最高神官位の融合」を試みたも

あまりに急進的なやり方だったため
暗殺されてしまったという流れ



81: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:21:07.044 ID:BkBVk03A0
>>78
東ローマのやった皇帝教皇主義に似たようなことをやろうとしたわけですね



79: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:19:21.786 ID:THX21ZRS0
たたでさえ文献史料がすくないダキアでも
この分裂期はとくによくわかっていない

ただし少なくとも指導者たちとある程度の勢力図は
以下のように推測されている

・王コティソ(Cotiso)
勢力圏は南西トランシルヴァニア・バナト
「ΚΟΣΩΝ」銘の金貨を生産したコソン(Koson)と同一人物
あるいはその息子であり
分裂勢力の中ではもっとも力がある
いちおうは北部にも影響力があったとも言われてる

・王ディコメス(Dicomes)
勢力圏は南東トランシルヴァニア・ワラキア・南モルダヴィア
コティソにつぐ大勢力

・DapyxとZyraxes
勢力圏はドブロジャ
ドブロジャ内でのそれぞれの勢力圏は不明

・最高神官デケネウ
勢力圏はオラシュチエ
ブレビスタ死後に右腕だったデケネウが
そのままサルミゼゲトゥサ周辺の支配だけを受けついだ形
実効支配域はちいさいものの権威についてはかわらず頂点



80: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:20:18.028 ID:THX21ZRS0
このように見事にバラバラになったものの
ブレビスタの作った枠組みがすべて崩壊したわけでもなかった

サルミゼゲトゥサは変わらず全ダキア人にとっての最高の聖地であり
そこの最高神官は絶大な権威を有しつづけ
王たちも手を出そうとはしなかった

そして王たちの一時的な武力衝突も少なからずはあったにせよ
戦国乱世に突入するようなこともなかった

あたかもブレビスタから相続して
みんなで合意の上で分割統治するような状態におさまり
「ダキア」全体としての連帯意識もそれなりに保たれつづけることになる



82: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:21:29.729 ID:THX21ZRS0
たとえば二大勢力であるコティソとディコメスは
ローマ世界を二分していたオクタウィアヌスと
アントニウス両陣営と話し合いをして

しばらくフラフラ態度を決めかねていたものの
最終的にそろってアントニウスと同盟をむすぶ

「連中はローマパワーをダキア内の勢力争いにも利用するだろう
 それで泥沼内戦になればたっぷり政治介入できるだろうフフフ」
なんて考えてもいたオクタはこの失敗でダキアのことが嫌いになる
(いっぽうでのちのパルティア相手ではこれがちゃんと成功して介入しまくり)

くわえてアントニウスが死んだとたん
すぐにダキア人たちがドナウ南岸へ侵入しはじめたため
もっと嫌いになる



85: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:22:43.114 ID:THX21ZRS0
BC30
アントニウスがエジプトで没するや
それを同盟のおわりとみてダキア人たちはいっせいに行動開始

ドブロジャのDapyxとZyraxesが
北のバスタルナエと徒党をくみ
コティソの支援もうけてドナウ南岸へ侵攻する

しかしアント死直後で忙しかったにもかかわらず
オクタは即断してローマ軍を迎撃に向かわせる
こうしてローマVSダキアという構図としては初めての本格衝突がおこる
(いままでも交戦はあったもののダキアは脇役の支援勢力だった)

モエシア・トラキア地方をまたにかけて数年つづいた戦いは
BC27にバスタルナエの王Deldoが討ちとられるなどして
ローマの勝利でおわった

さらにその過程でオドリュサイ王国も属国としてとりこまれ
モエシア地方もローマ領として正式併合を宣言され
これでドナウ南岸全域がローマ支配下という形になる



86: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:23:48.554 ID:THX21ZRS0
ただし当時のローマが
この宣言どおりにドナウ南岸全域を
実効支配できていたかは微妙なところもあったり

このあとも断続的なモエシアでの戦いが記録されており
ローマ側が正式に「モエシア属州」を設立したのも
併合宣言から30年ほどたったあとだった

さらに「侵入してそのまま住みついていたゲタイ人」たちを
北岸に追いかえすという騒動も属州設立後にも起こったり


おそらくBC27にはローマは一応の大勝利をあげたものの
北岸諸勢力をおとなしくさせるような決定的なものにはいたらず
侵入と戦いはだらだらと継続したっぽい



87: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:24:42.405 ID:THX21ZRS0
そのようにドナウ下流でくすぶっていたころ
西の中流部でも動乱がおこる

今度はローマのほうからの動きだった

パンノニア征服がおわりかけていたBC10に
その征服軍の一部が前進して(指揮官はMarcus Vinicius)
ローマ軍としてはじめてドナウをこえて北岸に侵入する


このローマ軍の経路は二通りの説があって
一つ目はパンノニア平原を東西にぶちぬいて進んだというもの
二つ目はダキアからみて南西のセルビア方面から入るというもの
がそれぞれある

どちらにせよこの軍はバナトに侵入し
そこの王コティソの勢力圏に攻撃をくわえることに



88: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:25:28.051 ID:THX21ZRS0
この侵入は長期にはおよばなかったものの
そのぶん濃密でかなり激しい戦闘が行われたようで

ローマ側はそこそこの段階で撤収をはじめる
ただしコティソ側はそれ以上に甚大な損害をこうむっていた

おそらくコティソたちが
今まで周辺相手にやってきたように積極姿勢の迎撃にでて
戦力集中してのガチンコ勝負をいどんだけども

ローマ軍が今までの敵とは比べもんにならん強さで大敗という流れ
(しかもローマ軍のもっとも得意とするものこそがガチンコ会戦)

コティソ自身もここで戦死してしまったという説もあり(I.Oltean)
すくなくとも彼の勢力は大幅に弱体化する



89: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:26:16.846 ID:THX21ZRS0
このときのローマ軍の目的は本格的な征服ではなく

・「俺らもドナウ越えられるからな!」という北岸勢力への牽制
・西からのルート確保とダキアの情報収集
これらだったため
ついでで有力だったコティソを潰せたのはかなりの収穫だった

しかしこのコティソ没落で生じた政治空白が
結果的にはダキアにとって有益なものになる



90: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:26:48.444 ID:BkBVk03A0
オクタヴィアヌスは没する時に遺訓として東西南北の帝国の墨守すべき場所を定めてますね
東はダキア領より西が限界域だったから如何にダキアがローマにとって目の上のタンコブだったか伺える



91: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:27:49.198 ID:THX21ZRS0
ブレビスタ死後
オラシュチエ一帯は最高神官デケネウが支配していたんだけども

コティソが没落したこのころは
デケネウの弟子であるコモシクス(Comosicus)という男が
その最高神官位をついでいた

そして彼は地位だけじゃなく
先見の明や策士っぷりも受けついでいたようで
コティソ王が没落(たぶん戦死)した際
すかさずその王位を継いでしまう

つまり世俗王位と最高神官位の融合という
ブレビスタができなかった最後の仕事をサクッとやってのけちゃう

しかも有力者たちへの根回しもうまくいったようで
とくに反発もおこらずにそのまま存続させてしまう

ただしこれ全てをコモシクスの手腕に帰すのも安直であり
実際のところ各地有力者たちも
権力集中への容認姿勢がブレ時代よりもずっと強まっていた可能性が高い
本格的にローマの強さを身をもって知りだしていたから



92: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:29:09.725 ID:THX21ZRS0
そうしてコモシクスが王位を完成させ
さらに南西トランシルヴァニア・バナト一帯も勢力下において
統一ダキア再建の足がかりを固めつつあったころ

時代も1世紀にはいり
周辺状況も次のステージへ



93: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:30:27.701 ID:THX21ZRS0
まずはサルマタイ系の本格進出

西のパンノニア平原は
ブレ死後にダキア支配から外れていたんだけども

そこにサルマタイ系イアジェゲス族が
カルパチア山脈の北をぐるっとまわってきて侵入する

彼らはケルト系現地民を従属させるか追いだしちゃうと
そのままそこに居座ってしまった

ちなみにこのパンノニア平原は
あとの時代でもフン・アヴァール・マジャールといった
騎馬民の面々が次々住みつくようになる
ここはウクライナ以西におけるヨーロッパ最大の草原地帯で
西進してきた遊牧騎馬民の終点のようなところだった


また東の黒海沿岸部でも
おなじくサルマタイ系のロクソラニ族がじわじわ南下してきて
モルダヴィア南部・ワラキア北東部にまで勢力を広げていた

彼らはダキアと摩擦しつつ
ローマとも衝突を繰りかえしたりと第三勢力みたいな存在だった



94: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:32:02.820 ID:THX21ZRS0
いっぽうローマのほうも
ドナウ南岸域での力をじわじわと固めていた

AD4にはドナウ南岸にのこっていた「ゲタイ人」を北岸に追放し
そのころまでには正式にモエシア属州も設立され
つづくAD12・AD15・AD30におきた侵入もすばやく撃退して追いはらい
AD40にはオドリュサイ王国もついに併合してトラキア属州を設立

そのように統合と整備はすすめられ
クラウディウス帝期終わりまでには
ドナウ南岸全域の実効支配がほぼ確立

そしてとうとうドナウこそが
対ダキアの軍事境界線として定められるようになる

こうしてダキアは東西を強力なサルマタイ系に挟まれ
南もドナウをはさんでローマと直接対峙することになり
東西南三方すべてが脅威でしかも密着という
いままでのダキア史においてもっとも危険な時代に突入する



95: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:32:38.438 ID:THX21ZRS0
しかしダキア側も着実に力を回復させつつあった

AD30ごろに
コシモスクのあとをついで王となったスコリオ(Scorilo)は
トランシルヴァニア北部全域や
かつてディコメスの勢力圏だった南東トラ・ワラキアをゆっくり吸収

着実に体制をかためていき
AD60代までにはダキアの再統一をほぼ完了させる



96: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:34:07.951 ID:THX21ZRS0
そしてそんななかのAD68

ローマで皇帝ネロが自殺し
有力者たちが帝位をめぐって内戦勃発というお祭りがはじまる

この動乱は周辺勢力から見れば
ローマ領に侵入してヒャッハーする絶好のチャンスだった

ドナウ下流域もその例外ではなく
スコリオのダキアとロクソラニもこの機を逃さずに
ローマへの攻撃を敢行することに

とはいえ
このころからダキアとロクソラニはいちおうは同盟関係であったらしいものの
それは「敵はローマだからね!」と確認し合うくらいのもので
まだ真に軍事同盟と呼べるものではなかった

そのためダキアとは完全に別行動で
ローマ側の各文献にも別の事件として記録されることになる



97: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:34:59.123 ID:THX21ZRS0
ローマで内戦が勃発しても
スコリオはしばらくうごかなかった

ドナウ防衛線のローマ軍主力が
北岸からの攻撃を警戒して迎撃態勢をとっていたから

でもそう様子見していたダキアとは逆に
ロクソラニはお構いなしにぶっこんでいった

AD69のおそらく一月
彼らは凍結したドナウをわたって9千騎でモエシアに侵入する

その初動の侵入自体はわりとあっさり成功したんだけども
それで調子に乗ってしまったのか
彼らはローマ軍を舐めきってすぐに略奪に夢中になってしまう

そしてそこをローマ軍主力に捕捉され
案の定ボッコボコにされ北岸に逃げかえる始末に

ダキアからすれば「ほら言わんこっちゃない」状態



98: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:35:57.440 ID:THX21ZRS0
しかしAD69の夏のおわりごろ
ついにドナウのローマ軍主力も内戦のため
イタリア方面に出撃するという千載一遇のチャンスが訪れる

ここですかさずダキア軍がドナウ防衛線を強襲
主力がいないローマ側など取るに足らぬもので
モエシアに侵入してこれでもかとヒャッハー


でもここで思わぬ事態がおこる

一ヶ月もしないうちに
ちょうど東方からイタリアへと進軍中の
ウェスパシアヌス派の軍がモエシアに通りかかる

こいつらは
ユダヤ戦争で長年鍛えられてきた精兵どもで
かつその指揮官ムキアヌスも歴戦の勇将というゴリゴリの組みあわせだった

そんな彼らがイタリアいきを一時中断して
ドナウ戦線に加わったことで形成が逆転しちゃう
ダキア軍はあっさりボコられて追い払われるという結果に



99: アスペニート 2016/10/14(金) 23:37:13.955 ID:LgDVNTA90
ローマ軍強すぎてずるい



100: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:37:15.843 ID:THX21ZRS0
こうしてスコリオによる攻勢は失敗におわる

くわえて彼はAD69のうちに死んでしまったようで
次はデュラス(duras)という男が王位につく

このデュラスはスコリオの弟という説もあって
すくなくとも若いうちから高位であり
また自ら戦士団をひきいて前線で指揮もとっていた人物

そんなバリバリ戦士なデュラスは
AD69のひどい負けっぷりをふまえて
いったん対ローマ攻勢をゆるめてダキアの軍事強化に勤しむことにする

まず内部では
いままでは兼業の肩書きみたいなもんだった「戦士(capillati)」を
正式な身分階層として区別してその地位を強めて統制をかためていく
(これはスコリオ時代から段階的に行われていた可能性もある)

そして外部に対しては
ローマ以外の周辺勢力へと積極的に圧力をくわえ
それぞれを従属させたりダキア上位の同盟を結ばせたりし
供出戦力も増強させていった



101: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:38:34.412 ID:THX21ZRS0
この対外政策でとくに重要なのがサルマタイとの件だった

彼がサルマタイに圧力をかけたのは
単純にブレビスタ版図の回復という目的もあったけども
それ以上に即戦力たる熟練騎兵の大量確保という
ピンポイントな目的があった

デュラスは強力な騎馬民族など恐れずに
東のロクソラニ族と西のイアジェゲス族両方に
時には武力で
時には富で
ガンガン揺さぶりをかけていった

おそらくデュラスは最初はちゃんと軍事同盟を提示したものの
その内容が明らかにダキア上位だったもんで
とうぜん両部族が「はあ?身の程をわきまえろやザコ農耕民」みたいに拒絶
そこでダキアがすかさず軍事侵攻にでるという流れ



102: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:40:05.901 ID:THX21ZRS0
騎馬民族の支配地にのりこむなんて無謀にも聞こえそうだけど
デュラス率いるダキア軍はサルマタイたちを圧倒しちゃう

びっくりしたロクソラニは早い段階でダキアとの話しあいに応じ
戦力供出を義務づけたダキア上位の軍事同盟にしぶしぶ承諾する
ダキアはこれで最大2万ほどのサルマタイ騎兵を望めるようになった

いっぽうで西のイアジェゲスは頑なに拒んで戦いつづける道を選んだ
以降彼らはイジメられつづけ
最終的にティサ川の西岸に追いやられることになる



103: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:40:51.052 ID:BkBVk03A0
こっから五賢帝時代にかけてのローマ軍はキチガイレベルに強い



105: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:42:06.770 ID:THX21ZRS0
またそうした軍事強化にくわえて
対ローマ戦法もこのデュラス期を境に改善されていったみたい

考案したのはデュラスなのかどうかや
そもそも明確な戦法として認識されていたのかも不明だけども

これ以降の戦例をふまえて要点を抽出すると

・ローマ領深くへの長期侵入や
 真っ向勝負の大規模な会戦などは極力避けるようにする

・逆にローマ軍をダキア領に誘いこんで
 森などを利用して待ち伏せや
 分散した遊軍によるゲリラ戦を中心にする

こういう姿勢がこのデュラス期から全体に浸透するようになる

おそらくその意図は
戦力結集させたローマ軍と正面から殴りあっては勝ち目がないため
じわじわと消耗させようというもの



107: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:43:05.797 ID:THX21ZRS0
ちなみにこれは
ローマと戦う「蛮族」にとっての模範解答みたいなもので
代表的なのはローマのゲルマニア征服を頓挫させたアルミニウスも
これと同様の方針をとっていた
(デュラスたちも実際にアルミニウスを参考にしていた可能性もある)

アルミニウスとちがう点といえば
ダキア人たちは山岳地帯での城塞戦も併用したくらい



108: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:44:06.897 ID:THX21ZRS0
そのようにして
軍事力の増強・戦法確立も成功させ
ダキアはいよいよローマとの「決戦」の準備をすすめていった

その最終目的は
ドナウ北岸への進出をローマに諦めさせ
さらにモエシア・トラキアからも手を引かせ
ブレビスタ以来の野望であるドナウ流域一帯の覇権を握ることだった

しかしこれの準備をおしすすめたデュラス自身は
態勢が整うころには高齢になっていたため
彼はある後継者にバトンタッチすることに


その男の名はデケバルス



109: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:45:49.511 ID:THX21ZRS0
このデケバルスは
スコリオ王の息子(デュラス王の甥)とも言われており
すくなくとも若い時期からかなり高位についていた

それも単に血筋のおかげだけじゃなく
その能力によるところも大きかった

彼は若きころのデュラス以上に戦地にバンバンでて
そのリーダーシップや軍才を証明
デュラスの絶大な信頼もえたようで
晩年にはその右腕(事実上のNo.2)になる



110: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:46:50.763 ID:THX21ZRS0
ダキア民衆も彼のことを熱烈に支持していて
「この男ならきっとローマに勝てる!」と信じていた

またデケバルスは単に「ローマに対する勝利」というだけではなく
ブレビスタが果たせなかったドナウ流域制覇という野心も
堂々と口にしていたようで
これもまた人々を熱狂させるものだった
(そしてローマ人の警戒心をより強めさせた)

そうした猛烈な期待をうけながらデケバルスは軍事をひきつぎ
そしてついに準備完了したAD85

デュラスが次王にデケバルスを正式に指名するという形で
決戦開始のGOサインをだす



112: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:47:44.876 ID:THX21ZRS0
この時期のローマは
ブリタニア方面ではカレドニア(現スコットランド)へ侵攻中
ライン方面では対ゲルマン政策でカッティ族討伐や
シュヴァルツヴァルト地方を占領して
あたらしい防衛線の構築を進めていたりと
あちこちで大きな軍事作戦中でいそがしかった

これもまたダキアにとっては好機であり
デケバルスはこの絶好のタイミングを逃さなかった

デュラスから王位を譲られたその年の秋に
さっそく行動を開始する



113: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:49:04.290 ID:THX21ZRS0
まず第一段階

ロクソラニから供出させた騎兵もふくめた軍勢で
ワラキアからドナウ防衛線への一斉奇襲を敢行する

その規模はおそらく3~4万ほど
ローマのドナウ方面軍(全体で10万以上)にくらべたら少ないけども
それらはドナウ流域にまんべんなく配置されていたため
ダキア側が一点に戦力集中すれば防衛線をぶち抜くのは簡単だった

奇襲は見事に成功し
彼らはモエシアに電撃侵入する

そして街という街を手当たり次第に荒らしまわり
くわえて迎撃にでてきたローマ軍(どの軍団かは不明)を撃破し
ローマ側の現地最高指揮官であるモエシア総督を討ちとるという大手柄もあげる

しかしそれ以上は欲張らず
ローマ側が本格迎撃にでる前にダキア軍はさっさと撤収開始
秋が終わらないうちに略奪品・捕虜の輸送もすませて
すばやく北岸への引きあげを終了させる

これで第一段階が完了



114: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:50:13.534 ID:THX21ZRS0
ちなみにここでダメ元ながらも
デケバルスはローマに講和を打診していた
とうぜんながら向こうはこれを無視する

このハデに攻撃しておきながら
同時に講和を打診するなんて
一見して矛盾しているような二面性だけども

これもまた戦争の最終目的が「ローマを滅ぼす」ではなく
「ローマにダキアを諦めさせる」だったことによる行動

このあともデケは
ローマが疲れて折れるのを期待して
積極的に喧嘩をうりつつも
同時に講和の打診も繰りかえしていくことになる



115: アスペニート 2016/10/14(金) 23:51:40.952 ID:LgDVNTA90
ローマの征服欲は異常
いったいどこからモチベが来るのか



116: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:51:41.125 ID:THX21ZRS0
翌AD86
ローマ側が反撃にでることになる

春に皇帝ドミティアヌスが現地いりし
軍を再編してドナウ北岸への侵攻を命令

動員されたのはドナウ方面軍から
対ゲルマンの上流部のぶんをのぞいた7~8万ほど

そのうちドナウをこえたローマ軍の正面戦力の規模は
ドナウの残留守備・兵站ルート守備のぶんを差引くと
おそらく5~6万ほどになる

上辺の兵数はダキア全軍と同等かやや上回っており
くわえて組織力・装備・錬度の質を考えるとやはりローマが優位だったんだけども
このときのローマ軍にはある致命的な問題があった

それは肝心の最高指揮官であるドミティアヌス



117: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:52:43.329 ID:THX21ZRS0
この皇帝ドミティアヌス
対ゲルマンの防衛上の弱点だったシュヴァルツヴァルト地方をしっかり固めたり
あらかた制圧しつつあったカレドニアをその価値を見極めてあっさり捨てたりと
大局的な判断はなかなかだったんだけど

いざ自分で戦争をやるとなると
カッティ族討伐でさんざん苦戦を強いられたりと
あんまりパッとしなかった人だった
(バリバリの軍人でもあった父帝や兄帝とちがって
 彼はまともな軍務経験がなかった)

それでもカッティ戦ではそもそもの戦力で圧倒していたため
ゴリ押しでなんとかなったんだけども
このダキア戦ではそうもいかなかった



118: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:54:00.569 ID:THX21ZRS0
ここでドミティアヌスは大きな過ちを犯すことになる

シニカルな人物だったゆえか彼はダキアの戦争能力について
ストラボンの「20万」とかの過大評価に振り回されることはなかったんだけども
逆にかなり過小評価してしまっていてた

5~6万程度の正面戦力では
足りないという点に気づいていなかった

ただしこの問題は現場指揮官が優秀ならまだカバーできたんだけども
ここでドミティは最悪の過ちを犯す

その肝心の現場指揮官に微妙な人物を任命したこと



119: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:54:45.793 ID:THX21ZRS0
その指揮官はコルネリウス・フスクスという名で
勇猛な軍人でネロ死後の内戦でも指揮経験があり
ドミティ時代には親衛隊長になっていたけっこうな地位のひと

ただし勇猛なんだけど肝心の軍才はあんまりパッとしなかったみたい
(凡将たちが殴りあったグダグダなベドリアクムの戦いにおいても影が薄い)

またその「勇猛さ」にも少々難があったらしく
タキトゥスには
「危険の報酬よりも危険そのものを好み、
 すでに手に入れた確かなものよりも、
 新しく疑わしい危なげなものを好んだ」
(同時代史 國原版)
と評されてたり



121: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:56:03.821 ID:THX21ZRS0
ただしそんな指揮官の不備があったにもかかわらず
ローマ軍による反攻序盤は滞りなくすすむ

というのもダキア軍はバナト・ワラキアでは小競り合いしかせず
「なぜか」トランシルヴァニアまであっさり退いたから

「抵抗軽微で進路阻むものなし」
という報告を南岸でうけたドミティアヌスは
これはダキア側が恐れて逃げまくったと考え
勝ちを確信してさっさとローマに戻ることに

おなじくフスクスも勝ちを確信して
ダキア首都サルミゼゲトゥサ・レジアに狙いさだめ
自ら先陣軍をひきいてずんずん奥地へ進んでいった



122: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:57:17.854 ID:THX21ZRS0
そうして詳細な地点はいまだ不明ながら

フスクス率いるローマ軍が
のこのこと深部までやってきたとき
ダキア側の第二段階が発動する


すでに勝った気でいたローマ軍が谷あいを進んでいると
周囲の森から突然3~4万のダキア軍が出現
そしてあっというまに分断・各個包囲される事態に

ここまでデケバルスの罠だった

軍をトランシルヴァニアまで退かせたのも
戦力を温存するためとローマ軍を油断させ誘いこむため

こうも見事に罠にハマってしまっては
天下のローマ軍といえども手の施しようはなく
ここで彼らは大敗を喫することになる



123: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:58:19.363 ID:THX21ZRS0
損害の実数は不明ながら
先陣のフスクス率いる親衛隊と
第五軍団アラウダエが消しとんだのは確かで
(この第五軍団は再編されることなくこのまま消滅)

またここの戦闘のあとも
南へ逃げるローマ軍へ激しい追撃が継続されたため
損害はさらに雪だるま式に

ちなみにやっぱりというか
フスクスもサクッとここで死ぬ



124: アスペニート 2016/10/14(金) 23:58:28.988 ID:LgDVNTA90
完全にトイトブルクの二の舞いに見える



125: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/14(金) 23:59:15.397 ID:THX21ZRS0
こうしてローマ軍が南岸に壊走したことで
デケバルスの作戦の第二段階は大成功となったんだけども
これで終わりではなくむしろはじまりだった

かつてのアルミニウスのトイトブルクの大勝利が
つづく過酷なゲルマニクス戦の前座にすぎなかったように
ここからが踏ん張りどころとなる


この大敗北をうけて
ドミティアヌスは自分のミスを痛感してすばやく修正していく

まずカレドニアの制圧が仕上げに入っていたにもかからわず
「んなクソ僻地にかまってる場合じゃねえ」とすぐさま捨てて
その戦線の猛者兵たちをドナウに送ることを決定する

くわえて次の現場指揮官は
経験豊富で優秀な将ユリアヌスを任命するなど
人事面も徹底的にカバー



127: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:01:01.677 ID:Z+jbfLLq0
こうして建てなおしが完了してのAD88の夏

新将ユリアヌス率いるローマ軍は
ふたたび首都サルミゼゲトゥサを最終標的として
ドナウ北岸へと侵攻開始する

規模はAD86とほぼ同じながらも
動き方は当然ながらフスクス軍とはちがい
ユリアヌスはがっちり警戒態勢を組みながら慎重に進軍していった

そんな強固なローマ軍を可能なかぎり消耗させるべく
今回はデケバルス側も最初から
さかんに遊軍をつかっての積極的なゲリラ戦をとるものの

やっぱり有能な将に率いられたローマ軍はクッソかたく
戦局はじわじわと苦しいものに

そこで秋になっていたこともあって
デケバルスはふたたび
トランシルヴァニア方面へ軍を退かせることにする



128: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:02:49.793 ID:Z+jbfLLq0
そうしてダキア軍がさがり
ローマ軍がじわじわ進んでの秋の半ばごろ
舞台はトランシルヴァニアの入り口であるタパエの地にうつる

タパエはさっきのこの地図で
no title

SARMIZEGETUSAの団子のすぐ左「TAPAE」というところ

ここはトランシルヴァニアの正面玄関のひとつで
そしてここから西のティビスクム(TIBISCUM)方面にかけて
山々の隙間をつらぬく回廊のような地形

その谷あいのほとんどが
ふかい森に覆われているという絶好の待ちぶせポイントだった

デケバルスはそこに罠を張って
フスクス戦の再現を狙うことにする
(ちなみにフスクス軍がぶっとんだのもこのタパエの地とも言われてる)



129: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:03:41.751 ID:Z+jbfLLq0
しかし情報収集を徹底していたユリアヌスも
この危険な回廊のことは事前に把握しており
ここからはさらに入念に斥候をだしはじめていた

そのため森に潜んでいたダキア軍の一部が発見されてしまう

この軍はデケバルスの右腕Vezinaが指揮をとっていた一団で
罠にかかったローマ軍の背後や側面をたたく役目を担っていた

その関係で彼らは先行配置されており
東奥のタパエ方面に待機していたデケバルス本隊とはけっこうな距離があった
(デケバルスはローマ軍の前方から攻撃して
 後方のVezina軍と挟みうちにする段取りだった)



130: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:04:23.885 ID:Z+jbfLLq0
こんな絶好の機会をユリアヌスが見逃すはずもなく
孤立状態のVezina軍へとすばやく接近開始する

そんでVezina軍のほうも
こうなったら仕方ねえと打って出るんだけども
やっぱり真正面からの殴りあいとなればローマ軍はかなり強くて
Vezina軍はあっという間に劣勢に

そしてそのまま総崩れになるかというところで
急行してきたデケバルス本隊が滑りこみ参戦する

またVezina軍の他にも小部隊が分散してあちこちに潜んでいたようで
それらもローマ軍の側面を攻撃するなどして
なんとか戦局を持ちなおすことに成功させる



131: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:05:16.389 ID:Z+jbfLLq0
しかしローマ軍は
デケバルスたち増援にもまるで動じないという
即瓦解したフスクスのときとは正反対のタフネスっぷりだった

そして戦いはガチンコの力比べという
ローマ軍がもっとも得意とする形式へ

これこそデケバルスが避けたがっていた戦いで
こうなっちゃうとダキア側はどのみち敗北確実なジリ貧だった

そこで負けるにしても全滅だけは避けるべく
デケバルスは早い段階で退却させることに

この意図的な「敗走」はかなりリスキーなものだったけども
さいわい森という追撃しにくい環境と
ユリアヌス側がさらなる待ち伏せを警戒して深追いしなかったため
なんとかオラシュチエに退くことに成功する



132: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:06:11.946 ID:Z+jbfLLq0
とはいえこのタパエの戦いは
デケバルスにとって明らかな敗北だった

ローマ軍をふたたび一網打尽にするという目的は失敗し
また退却成功したとはいえ
劣勢の激戦だっただけあって損害も甚大だった

ただしユリアヌス側も
ここでいったん進軍停止するほどの損害をだしていたため
「ローマ軍を消耗させる」という目的については
なんとかぎりぎり達成できていた


そしてデケバルス側はとうぜんながら
タパエ戦が失敗した場合のことも想定済みで
ここからも何重にも対策を用意していた



133: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:07:18.787 ID:Z+jbfLLq0
ローマ軍はタパエを制して
ついにトランシルヴァニア内へのルートも確保して
勝利にわいていたけども
指揮官ユリアヌスはここからさらに頭を悩まされることになる

ダキア軍に大損害をあたえて敗走させたとはいえ
デケバルス本隊はとり逃していたし
斥候や密偵たちが集めてきたこの先の情報がどれも難儀なものばかりだった

まずオラシュチエ山地は
おおくの拠点で固められており
どうしても攻め手が消耗を強いられる攻城戦が
連発することが目に見えていた

no title


またそのオラシュチエをまもる戦力も
残存している主力にくわえて
戦える男手を一時的にかきあつめることで増強されていた



134: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:08:18.765 ID:Z+jbfLLq0
くわえてユリアヌスは
オラシュチエ以外の地域も意識しなければならかった

no title

この画像のとおりダキアの軍事要衝はオラシュチエ周辺だけではない

PETRODAVA・PIROBORIDAVA・CUMIDAVA一帯の東部群もかなりのもので
またとBotfeiからTasnad一帯の北部群もそれにつづくものだった

こんな状況でローマ軍がオラシュチエに飛びこめば
これら東部・中部から増援がやってきて
ローマ軍の背後を突いてくるのは目に見えていた

そしてユリアヌスのいまの手持ち戦力では
大量複数の城砦を攻囲しつつ背後の敵増援の相手もするなんて
あきらかに困難だった



135: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:09:47.380 ID:Z+jbfLLq0
そのうえ冬が迫っていたのも大問題だった

プロ常備軍で兵站網も整備されていたローマ軍は
その気になれば一年通して軍事行動をとれたものの

山岳地帯の厳冬期で攻囲戦やゲリラ戦となれば
さすがにきびしいものがあった

いっぽうでダキア人たちが
ドナウが凍結するほどの厳冬期でもガンガン活動できる元気っ子だったことも
この問題をより深刻化させていた

これら数々の問題を前にしたユリアヌスは
南に一時撤収し
オラシュチエ侵攻は翌年に行なうことを決定する



136: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:10:59.154 ID:Z+jbfLLq0
おそらくデケバルスはこれにすごく残念がった
ユリアヌスが飛びこんできてくれていたら
冬のあいだたっぷり苦しめて一網打尽にできたから


こうしてローマ軍はドナウ南岸にいったん退いて
翌年への準備にとりかかる

とはいえ
ユリアヌスは戦力の大幅増強を望んでいたものの
ドミティアヌスが許可したのは損失ぶんの補充だけで
大規模な追加派遣は却下されたらしい

これはおそらくドミティアヌスが
別の戦線が手薄になってしまうのを警戒したため
(すこしあとでやるけどこれについては正しい判断だった)



137: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:11:53.438 ID:Z+jbfLLq0
ということでユリアヌスは
あくまでドナウ方面軍の範疇でやるしかなく

その状況で正面戦力を増やすのは
ドナウ防衛線や兵站ルートにおく兵力が減ることを意味していた

これは当然ながらリスクが増大する面があったものの
仕方なく彼はこの方向で準備をすすめていく

そしてA翌D89
そうした後方の懸念がありつつも
はやくも一月下旬から彼は先陣軍をひきいて
ドナウをわたりバナトを北上していった



138: アスペニート 2016/10/15(土) 00:12:37.255 ID:NEbdkYkm0
ローマに取ってはこれも数ある戦線の中の一つに過ぎないのが恐ろしい



139: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:13:02.257 ID:Z+jbfLLq0
いっぽう
デケバルスはこれも見越してちゃんと策を用意していた

ユリアヌス軍が慎重に北上していたころ

ドナウ下流でダキア・ロクソラニの合同軍がとつぜん動きだす
そしてローマのドナウ防衛線に大規模な奇襲攻撃をかけはじめた

これは戦力がうすくなっていた防衛線を狙うという
ユリアヌスがまさに心配していたことを的確についた形だった

この奇襲攻撃は大成功で
ロクソラニ軍が防衛線突破してモエシアに侵入し
AD68の報復をはたすように大暴れ

ローマ側はとうぜん
戦力を抜かれていた現地守備隊ではどうにもならず
ユリアヌスは侵攻を一時中断し
急遽これの対処にあたらざるをえなくなる



140: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:14:06.803 ID:Z+jbfLLq0
彼はすぐに軍を戻して
ドナウ下流・モエシアに急行するんだけども
いかんせん現地は混乱状態でなかなか主導権を握れなかった

くわえて侵入していたロクソラニ軍も
AD68のときとはことなってローマ軍の動きを意識しており
騎馬民族の機動力を生かしてのらりくらりと衝突を避けながら
あちこち荒らしまわる始末だった



141: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:14:59.861 ID:Z+jbfLLq0
こうした状況でも夏には
ユリアヌスはなんとかロクソラニ軍を追いはらい
ドナウ防衛線も持ち直すことに成功したんだけども
やはりけっこうな損害をだしてしまうことに

ただでさえ戦力が少なくて困っていたところでの
このダメージは致命的だった

もはやドナウ方面軍だけでのダキア討伐は困難であり
作戦を根本から練り直さなきゃならないのは明白だった

これだけでもデケバルスの狙いは達成していたんだけども
このとき別の事件がローマ側で発生していて
それがさらに追い風になってくれていた


ダキアらがドナウ下流を攻撃していたちょうど同じころ
ローマ内部でも上ゲルマニア属州の総督サトゥルニヌスが反乱をおこしていた



142: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:16:14.294 ID:Z+jbfLLq0
この反乱そのものは
現地部隊同士のちょろっとした小競り合いだけで
サトゥルニヌスが死んであっさり終わるんだけども
ローマ世界ではやはり衝撃的な事件だった
(ネロ死後の内戦の記憶がまだ濃かったせいでひときわ過敏)

とくに元から神経質だったドミティアヌスはこれに大激怒で
サトゥルニヌス派の反逆者たちの調査・粛清にいそしむことに

かわりにダキアの優先度は下がってしまい
ドナウ戦線は厳戒態勢のまま待機を命令され
ユリアヌスの再侵攻計画も事実上の無期限延期になってしまう

それでも翌AD90には事態も落ちついてきて
計画が再開される可能性もいくぶんかは出てきたんだけども
ここでさらなる事件が発生する


AD90なのかAD91なのかはハッキリしないものの
この頃にドナウ上流~中流部のゲルマン人たちが
突如ローマ領への攻撃を開始する



143: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:17:03.570 ID:Z+jbfLLq0
中心となったのはスエビ系の
有数の強部族であるマルコマンニとクアディ

彼らはダキアに加勢したわけではなかった

すこし前のデュラスの拡張などでダキアをかなり警戒しており
逆にダキアと敵対していたイアジェゲスと同盟を結んでいたくらいで
明確に「敵」といってもいいポジションだったった


いっぽうでローマとの関係もかなり険悪なものになっていた

ローマが少し前に叩いたカッティ族は彼らと同盟を結んでいたし
またローマが征服したシュバルツヴァルト地方は
はんぶんマルコマンニの影響下であり
従属下の小部族もおおく住んでいた庭のような地域だった

ゆえにローマの行動にマルコマンニは激怒し
兄弟分のクアディも同じようにぷんぷん



144: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:18:01.470 ID:Z+jbfLLq0
そんななかローマVSダキアがはじまり

AD88にダキアがタパエで大敗し
いっぽうローマも翌年のダキ・ロクソ連合の侵入で苦戦
くわえて総督反乱などでてんやわんや

(マルコマンニたちと総督サトゥルニヌスが
 裏でつながっていたという話もある)

そうしてダキアもおとなしくなったしローマも疲労しているという
ゲルマン人たちにとって絶好の機会が到来する



145: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:19:28.087 ID:Z+jbfLLq0
ぷんぷんしていたマルコマンニとクアディは
従属させている多数の小部族をひきいて
ローマ領のノリクムとパンノニアに襲撃をかけちゃう

さらにAD92にはパンノニア平原のイアジェゲスも
クアディと同盟を結んでいた関係でこれに加勢

いままでダキアに圧迫されてきたストレスを開放させるように
ドナウをこえてローマ領になだれこんで暴れまわっちゃう
(ローマからすれば「なんでこっち来んだよダキアのほうにいけよ」状態)

これはローマ側には完全に不意打ちだったようで
とくにAD92の一斉攻撃は甚大な被害をこうむり
(ここで第21軍団ラパクスが消滅したとも)

ドナウ下流の対ダキア用の戦力を裂いてでも
パンノニア方面の穴を埋めなくちゃならなくなる



147: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:20:33.408 ID:Z+jbfLLq0
とはいえAD92以降のドミティアヌスの対応は
申し分のないものだった

まずユリアヌスの増援要請を蹴って
上流部にも主力を駐屯させたままだったおかげで
防衛線が完全崩壊することだけは回避できていた

くわえてドミティアヌスは
選りすぐりの「優秀な指揮官」に全権をあたえて再編させ
AD92のうちに全面的な反撃を開始させる

すべてを任されたその「優秀な指揮官」は
ドミティアヌスの希望どおりあっという間にゲルマン・サルマタイを撃退し
さらには逆に北岸へわたっての
反撃侵攻ができるほどまでに戦況がもちなおされる



148: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:21:09.747 ID:Z+jbfLLq0
そうしてローマ側はめざましい逆転勝利と
その「優秀な指揮官」の活躍で湧きかえるんだけども
一部にはそれを100%喜べない人もいた

それは対ダキア担当だったユリアヌス

ドミティアヌスはもうダキアへの関心を失い
ゲルマンへの反攻継続を優先することにしちゃったから



149: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:21:44.363 ID:Z+jbfLLq0
こうして最初の「ダキア戦争」は
ダキアは戦いでは負けつつも
デケバルスの消耗戦がギリギリ成功したのにくわえ

運もかなり味方して有利な騒動が連発したことで
まさに彼の望みどおりの結末となる

ただし
実は必要以上に成功しすぎた節もあった

そのせいでドミティアヌスが
最後にとんでもない爆弾を置いていくことになるから



150: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:22:42.005 ID:Z+jbfLLq0
対ゲルマンを優先したいということで
ドミティアヌスがとうとう
無視しつづけていたデケの講和打診に応えることになる

この交渉は
「優秀な指揮官」がゲルマン戦で活躍している裏で
さりげなく行われたようで(AD93~95あたり)
その内容は詳細不明ながら
かなりローマ側が譲歩したものだったらしい

ドミティアヌスはとにかくさっさとドナウ下流を安定させたかったらしく
ダキア側が絶対ゴネないような条件を提示していた

つたわるところではまずドナウ北岸からのローマ軍の全面撤退
および今後は北岸へ介入しないこと
そしてローマ兵捕虜解放のひきかえに身代金をはらうことも約束する

どれもこれもローマ人にとってはイライラものだったけど
とくに最後の身代金が問題だった

兵士がお金で救われるなんて
ローマ人とくに軍人にとってはとてつもない屈辱だった



151: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:23:42.268 ID:Z+jbfLLq0
ドミティアヌスがそこまで意図していたのかどうかは不明ながら
この講和内容は結果的にダキアの首をしめることになる

ローマ軍人たちに
「いずれ必ずダキアを潰してやる」と
ひときわ強く誓わせることになったから

そしてそうした軍人のなか
対ゲルマン戦を任せられていたあの「優秀な指揮官」が
とくにダキアにつよい関心を抱いていた


その男の名はトラヤヌス



152: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:24:45.562 ID:Z+jbfLLq0
このトラヤヌスがのちに皇帝になるというのは
ドミティ治世中は誰も予想していなかったにしろ

ダキアへの憎悪が凄まじいことになってきたのは
デケバルスもすぐに察知することになる


一連の戦いで
いちおうはローマ側から「北岸への不介入」などの
デケバルスが欲しかった約束を引きだすことに成功したものの
ローマ側の空気をみるかぎりそれはいつか必ず破られるものだった

「ダキアを諦めさせる」という最大目標はいぜん確立されておらず
むしろローマがダキア絶対殺すマン化してしまったため
逆に遠のく結果になってしまっていた

デケバルス自身この失敗を痛いほどわかっていたはずで
これからのダキアの未来も察し始めただろうけど
すでに選択肢はなくなっていた



153: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:26:28.346 ID:Z+jbfLLq0
ローマ側がマジになってきたというだけじゃなく
ダキア内部も強硬派がかなり台頭していたようで

「死んでザルモクシスに身を捧げるべし」という
頑なな思想がより高まりつつあった

すでに「ダキア存続とひきかえにローマに従属する」などの
妥協案は絶対に許されない空気になっていて

これに反して無理やり方針転換しようものなら
デケバルスは即暗殺されかねない状況だった

こういったことから
和平を手にいれた直後からも
デケバルスはさっそく次の決戦にそなえていくことに


そしてその不穏な平和が数年つづいたのちのAD96の九月
ドミティアヌス暗殺という大事件がおこる



154: アスペニート 2016/10/15(土) 00:27:20.138 ID:NEbdkYkm0
最強皇帝トラヤンが相手とか…



155: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:27:28.281 ID:Z+jbfLLq0
すぐにネルウァが次の皇帝として承認されるものの

ドミティ暗殺に怒っていた親衛隊が暴走したりとか
それを利用した次期帝位をめぐってのダークな政争などで
「もしかしてまた内戦・・・?」と一時はきな臭くなったりと
目まぐるしい経緯をへて翌AD97

ついにダークな駆けひきを制したトラヤヌスが
ネルウァから指名され次期帝位をゲットする

そしてAD98初頭にネルウァが天寿を全うするや
軍からの絶大な支持のもと皇帝に即位した



156: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:28:42.040 ID:Z+jbfLLq0
このトラヤヌスはいろいろな意味で
軍事に突きぬけた久々の最高指導者だった
(もちろん内政面でも優秀)

以前にもティベリウスやウェスパシアヌスといった
軍人肌の皇帝はいたものの

即位後は前線を部下に任せたティベやウェスパとはことなり
トラヤヌスは即位後もかわらず自ら最前線にでて
陣頭指揮をとるような凄まじい現場主義な人

ひらめきタイプか秀才タイプかという性質の違いはあったものの
最高指導者としてはカエサル以来の戦争屋だった



157: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:29:40.008 ID:Z+jbfLLq0
その現場主義っぷりにまつわるエピソードもいくつかあって
たとえばのちのパルティア遠征では
とある攻囲戦のさいに自ら攻撃隊をひきいていき
そのとき城壁から矢(バリスタという説も)で狙いうちされて死にかけたり

また帝都ローマ駐屯のラクチン生活していた親衛隊じゃ
矢玉とびかう最前線を駆けまわるトラヤヌス護衛は困難だったため
地方軍から歴戦の戦闘マシーンを選抜した護衛隊があらたに編成されたり

しかもただ勇猛なだけじゃなく
ドミティ時代にゲルマンをきっちりボコっていたりなど
その能力も確固たるものがあった

そんな筋金入りの戦争屋がローマを
それも国力・軍事力が最高潮な黄金時代ローマを率いることになり

ダキアは運命の時代をむかえることになる



158: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:30:13.963 ID:dcmKWbeI0
ドミティアヌスって五賢帝の前で今一軽視されがちだけど有能よね



160: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:32:47.801 ID:Z+jbfLLq0
>>158
いろいろと問題もあるけど業績もすごくあるね
親父ウェスパと彼が土台固めをしてくれたからこそ五賢帝期があるといっても良いくらい



159: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:30:31.845 ID:Z+jbfLLq0
即位したトラヤヌスはすぐには帝都ローマに向かわなかった

しばらくライン・ドナウ上流部にとどまり
対ゲルマンの仕上げを継続するんだけども
それに平行してさっそく対ダキアの準備もはじめていた

新たに二個軍団や
けっこうな数の補助部隊も新設したりと兵を増員し

兵装の強化・更新もおこない
大量消費するのをみこして軍需品も増産備蓄させ
兵站網も準備させて大遠征の基盤をかためていく

また対ゲリラ戦や攻囲戦を想定しての
具体的な演習も頻繁におこなわせていった



161: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:33:51.262 ID:Z+jbfLLq0
このようなトラヤヌスの戦争準備は
デケバルスも察知しており
彼のほうもより軍事強化をすすめていった

豊かな鉱物資源と工房フル稼働で武器を生産し
戦士だけじゃなく可能なかぎりの壮健な男たちに訓練をおこなわせ

また城砦網の整備にもより力をいれ
そのなかでもサルミゼゲトゥサを中心としたオラシュチエ防衛網を
いっそう強固なものにしていき
バリスタなどもたくさん作ってそこに配備したり



162: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:34:58.253 ID:Z+jbfLLq0
また周辺へ圧力をかけての
版図拡大も継続的に行われていて

ブレ死で分裂し周辺地を失っていたダキアはここから↓
no title


AD100までには
デュラス・デケバルス期をとおしてここまで回復させていた↓
no title


その勢力は強固なものになっており
ブレビスタ時代みたいにまだローマと密着さえしていなければ
デケバルスたちもその版図を完全回復させ
さらに広げるのも夢ではなかった

でもいまはもうブレビスタの頃とはちがい
ローマと密着していた

この先なにをするにしても
まずはローマをどうにかする必要があった

そしてトラヤヌスも
そんな野心と活力にあふれる勢力を
隣人にしておく気なんて微塵もなかった



163: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:37:18.417 ID:Z+jbfLLq0
AD100ごろには
トラヤヌスはもう意図を隠さなくなっていたようで

よその方面からも大々的に部隊が派遣され
年末までにはドナウ南岸に15万ほどのローマ軍が集結していた

これは「いち方面作戦」の範疇をこえた本気モードであり
動員規模もカエサル~オクタウィアヌスの内乱期以来のものだった

そして翌AD101の初頭
とうとう状況がうごき「トラヤヌスによる第一次ダキア戦争」が始まる


ちなみにこの時の両陣営の主要配置はこんな感じだった↓
no title

このほかにも
ダキア側の細かい拠点をだいぶ削ってるのと同じく
ローマ側もドナウ沿いに書ききれないくらいに小砦が連なっていた



164: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:38:30.731 ID:Z+jbfLLq0
この第一次戦のはじまりは
まずダキア側によるドナウ南岸への小規模な襲撃だった

これは前線のいち部隊がデケバルスの待機命令を無視して先走った
あるいは時間が経つほどローマ側の態勢が整っていくとみて
「さっさとやれ」とデケバルスが挑発させたという二通りの説がある

どちらにせよローマが計画する開始時期はまだちょっと先だったようで
この襲撃の報告をトラヤヌスは政務中の帝都で受け取ることになる

ただし計画より早かったとはいえ
ダキア側から開戦してくれるのは
「向こうが和平を破った」と大義名分を掲げやすくて好都合だった

一気にもりあがる気運にのって
トラヤヌスはすかさず現地入りし
最終準備を急ピッチですすめていく



165: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:39:30.333 ID:Z+jbfLLq0
ローマがダキアを狙う目的は大別して二つ

①反抗的な統一ダキア政権の打倒
 (安全保障問題の解決と報復)

②ダキア地方の征服・併合
 (莫大な鉱物資源と豊かな土地をゲットしたいという物欲)

このAD101からの戦争は後述する侵攻過程から踏まえると
トラヤヌスはまず①の達成のみに集中していたとみていい
(②は従属させたあとにゆっくり進めればいい)

具体的にはデケバルスを討ちとって
後釜に親ローマの傀儡王をすえるというお馴染みのやり方

そのため侵攻作戦の大筋も
首都サルミゼゲトゥサを最終標的としたものになる



167: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:40:55.429 ID:Z+jbfLLq0
そして四月
トラヤヌスは自ら軍を率いて
ドナウ北岸へ侵攻開始する

全軍15万のうちドナウ線・兵站ルート守備のぶんをひいて
正面戦力はおそらくフスクス・ユリアヌス戦時の倍になる10万ほど

ただしその全てが一気に投じられたわけではなく
それなりの数が予備としてドナウ南岸に留め置かれていた

北岸への侵攻軍はまず
ユリアヌスのときと同じくバナトルート↓をたどっていった
no title


進軍は一定間隔で数万ずつ分かれて行われ
最終的にあのタパエで全軍合流して
トランシルヴァニアへの侵入口をおさえるというプランだった



168: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:42:31.066 ID:Z+jbfLLq0
いっぽうデケバルスもすぐにローマ軍の動きを察知し
すばやく対応する

こちらもやり方は基本的に前とおなじ

まずバナト・ワラキアでの抵抗は軽めにしてローマ軍を誘いこみ
絶好の伏兵ポイントであるタパエの回廊で
ふたたび待ち伏せすることに

ただし
ユリアヌス軍と同様に警戒しているトラヤヌス軍相手では
待ちぶせの罠を発動させる前に
ふたたび伏兵が発見されてしまう可能性が大だった

そこでデケバルスは作戦を変えることにした



169: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:43:28.165 ID:Z+jbfLLq0
待ち伏せに警戒しつつ
タパエにつづく回廊を慎重にすすんでいたローマ先陣軍

彼らは森の中のすこしひらけた野原にでたところで
堂々と布陣しているダキア軍に遭遇することになった

得意な会戦にもちこめる機会を
とうぜんローマ軍が見過ごすはずがなかった

その先陣軍はすぐに待ち伏せ警戒モードから会戦モードに切りかわり
ダキア軍へと正面から攻撃開始する


しかしその布陣していたダキア軍はエサだった

野原で正面会戦がはじまるや
周囲の森に潜んでいたダキア主力が一斉にうってで
ローマ軍の両側面へと襲いかかった



170: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:44:37.286 ID:Z+jbfLLq0
どうせ見つかるのなら
いっそのこと「逃げも隠れもしない正面会戦」という
ローマ軍が本能的に逆らえないエサを堂々ぶらさげて
連中がそれに夢中になって食いついたところを横から突く

というのがデケバルスの作戦だった

その罠は完璧すぎるくらいに決まる
ダキア軍は華麗にローマ軍を挟みうちにして
彼らの勝利の方程式が発動する


と思いきや



171: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:45:16.219 ID:Z+jbfLLq0
ローマ軍は
ここで両側面に伏兵がいることは知らなかったとはいえ

トラヤヌスの指示で
どんな時でも伏兵に対応できるように演習を繰りかえしてきており
ここでもその成果を完璧に発揮する

彼らは両側面を強襲されてもあわてず踏ん張り
士気も統制も乱さずに持ちこたえて戦いつづけた

そうして戦いが長引いてしまったことで
トラヤヌス本隊などのローマ軍後続もぞくぞく合流・参戦してきて
デケバルス側があっというまに窮地に追いやられることに



172: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:45:48.988 ID:dcmKWbeI0
首都を脅かしたカルタゴやケルトを別格にするならダキア、マケドニア、マルコマンニ、ゲルマンはローマを苦しめた四大敵やね



173: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:46:19.739 ID:Z+jbfLLq0
その時
ザルモクシス神が助けてくれたかのように
天候がとつぜん悪化してすさまじい雷雨になった

デケバルスはこの機会をのがさずに
すかさず全軍に退却を命令

ダキア兵たちも士気崩壊せずに死に物狂いで戦ってくれたため
大損害をだしつつもなんとかオラシュチエへの退却を成功させる



174: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:48:21.249 ID:Z+jbfLLq0
いっぽうトラヤヌス側も優勢だったとはいえ
ダキア側の奮戦でなかなかの損害をだしており
また雷雨の森という環境を進むのも危険とみて深追いはしなかった

そうしてローマ軍は当初の予定通り
進軍停止させてタパエに強固な陣地をつくりはじめた

そして南岸から予備戦力を移動させたり
道路の整備したりと
この年の残りはルートの恒常化に勤しむことにする



175: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:49:32.932 ID:Z+jbfLLq0
もちろんデケバルスがこれを黙ってみているわけがなく
土木工事中のローマ軍を狙ってのゲリラ奇襲などで執拗に妨害していく

また年末には大掛かりなイベントも用意していた


ダキア東部+ロクソラニの軍によって
前回とおなじくドナウ下流へ大規模な攻撃を敢行する
しかも今回はさらに大規模だった

この冬はやや暖かかったようで
凍結したドナウを渡河中に氷が割れて死者続出とか問題はあったものの
全体的には大成功をおさめ
まずロクソラニを主とした1万5千ほどの先陣がモエシア侵入に成功する

でも今回はそこからが違った



176: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:50:48.256 ID:Z+jbfLLq0
ダキア軍はさらに続けてなだれこもうとしたものの

今回のローマ軍は守備にもたっぷり兵が残されていたことにくわえ
前例をふまえて入念な打ち合わせと演習もおこなっていたため
その対応速度が尋常じゃなかった

反撃にでたローマ軍によってすぐに侵入路を寸断されたことで
モエシア侵入していたロクソラニ軍は孤立することになる

もう周辺を荒らすどころじゃなくなった彼らはすぐに転じて
北岸へと渡れる場所を探してドナウ河口方面へと逃げるも
アダムクリシ(Adamclis)という場所でついに捕捉され全滅する

no title


またワラキアにいたダキア軍も
ドナウをすばやく下ってきたトラヤヌス隊によって
おもいっきり蹴散らされるハメに

こうして今回の東部攻勢はむざんな失敗に終わる



177: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:51:55.555 ID:Z+jbfLLq0
しかしこれでダキア側の手が尽きたわけではなかった
むしろここからが本番

前回のユリアヌス戦も実をいうと
ダキアにとっては「前哨戦」の段階で早期終結していたようなもので
彼らの「主力要素」の出る幕がなかった

それは彼らが代々かけて整備してきた城砦群

翌AD102
本格的にトランシルヴァニアに切り込みはじめたローマ軍の前に
いよいよこれら城砦群が立ちはだかることになる



178: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:52:54.279 ID:Z+jbfLLq0
トラヤヌスは
侵攻ルートが西のタパエ方面からだけでは不足とみて
タパエからの侵攻指揮は部下にまかせ(おそらくリキニウス・スラ)
彼自身は別ルートを切り開いていくことにする

ワラキアを流れるドナウ支流のオルト川をさかのぼり
南カルパチア山脈のTurnu Rosu Passを抜けて
オラシュチエの東にでるルート

no title


これで西と東からオラシュチエを挟みこんで
効率的に攻められるようになり
また東部・北部からの支援の妨害も望めるようになる



179: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:53:20.034 ID:Z+jbfLLq0
これら二方面からすすむローマ軍
そして城砦網とゲリラ戦のあわせ技でむかえ撃ったダキア軍

その戦いは双方にとってかなり過酷なものになった



180: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:54:19.246 ID:Z+jbfLLq0
ダキア軍は
大規模な戦力を一度にぶつけるんじゃなく
機動重視の小規模戦力に分けて
起伏はげしい地形とふかい森を利用しての
神出鬼没な奇襲戦法をとる
それも連日のように

その一戦一戦は規模が規模だけに
ローマ軍に大損害をあたえることはできないものの
数を重ねれば効果絶大であり
また絶え間ない攻撃は相手の疲労蓄積・士気低下も期待できた

ローマ軍はそれらを退けつつ城砦の攻囲にかかるんだけど
その間もダキアゲリラはあいかわらず周辺からチクチク
そして城砦側も激烈な抵抗をおこない
ローマ軍はより消耗していく

こういった戦いが各地で何度も連発していった



181: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:55:57.244 ID:Z+jbfLLq0
しかしそうした激しい抵抗をうけてもなお
大怪獣ローマの前進は着実だった

城砦を徹底的につぶしゲリラ部隊も退けながらゴリゴリすすみ
トラヤヌス隊はTurnu Rosu Passルートを確保
トランシルヴァニア内にのりこんでダキアを分断

タパエ方面軍も正面の盆地を制圧したことで
夏にはオラシュチエ山地の包囲が完了される

でも文字どおり「山」場はここから

ここからのAD102のオラシュチエ戦こそ
ローマVSダキア史上でもっとも激しいものになった

ダキア側が死に物狂いで抵抗するのは当たり前として
ローマ軍もとある理由でとにかく急いで前進しようとしたから

それはやはり「冬」という問題

こんな凍える山地で
厳冬期でも元気なダキア人と戦うなんて愚の骨頂
ユリアヌスとおなじくトラヤヌスにとっても論外だった



182: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:56:21.353 ID:dcmKWbeI0
古代の戦いはこういう作戦や戦術次第で状況を変えられたというのが本当に面白い



183: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:56:34.270 ID:Z+jbfLLq0
損害をだしながらも止まらず
すさまじい勢いで攻めてくるローマ軍に
つぎつぎ玉砕していくダキア側の城砦

さすがにこれには
デケバルスも追い詰められていたようで
いつもどおりダキア側から繰りかえされていた講和の打診が
だんだんと「降伏」よりになっていく

いっぽうローマ側は
ダキアからの打診が「降伏」よりになっても
しばらくは無視しつづけていたんだけども

とある理由でその態度も変わっていくことになる



184: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:58:45.108 ID:Z+jbfLLq0
デケバルス側がジリ貧になっていたころ
実はトラヤヌス側もいくつかの重大な問題に直面していた


一つ目は
オラシュチエの城砦網が予想以上に堅固であり
このペースでは冬までにサルミゼゲトゥサを落とすのは困難だということ

二つ目は
最終標的をサルミゼゲトゥサとしたローマ軍の作戦が示すとおり
「心臓部を追いこめばデケバルスは求心力を失い
 統一ダキアは自然に崩壊する」彼らは思っていたけど
それは誤りだったこと

こんな状況になってもさっきの画像のように↓
no title

北部・東部勢はデケバルスに忠実なままで
ぞくぞくと兵を向かわせてきていた

これは
サルミゼゲトゥサ陥落・デケバルス排除「するだけ」では
ダキア人の連帯意識を砕けないということを示していた



185: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 00:59:43.484 ID:Z+jbfLLq0
ここでトラヤヌスは軌道修正を迫られることになった

とはいえ戦略根幹であるために修正は至難であり

くわえてダキア全土を短時間で武力制圧するとなると
このユリアヌス戦の倍の正面戦力でさえも足りなかった

せまる冬や大動員による財政圧迫もふまえれば
このへんで侵攻中断して仕切りなおすのが一番リスクが小さかった

でも軍や民衆を納得させるには
「中断」ではなく堂々と「勝利」といえる形が必要だった


こうして次第にトラヤヌスも
デケバルスからの「降伏」打診に興味を持つようになっていった



186: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:00:44.923 ID:Z+jbfLLq0
ちなみにデケバルスもこのタイミングで
「これで決まりだ!」というように
はじめて高位の貴族を使者として送りこんでいたりと
彼のほうもトラヤヌス側の事情を把握してたみたい


そして秋ごろ
トラヤヌスはデケバルスとの交渉に応じ
その降伏をついに受けいれる

ちなみにこの時点での侵攻状況は
いまだにオラシュチエの防衛網を完全につぶすには至っておらず
ローマ軍はサルミゼゲトゥサには到達していなかった



187: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:02:31.979 ID:Z+jbfLLq0
降伏による取りきめはだいたい以下のとおり

・ダキアの武装解除

・ドミティアヌス帝期に結ばれた協定は完全反古

・デケバルスのもとダキア王国は存続を許されるものの
 ローマの言葉をきくこと(事実上の従属)

・周辺地域の放棄(バナトおよびワラキア地方はローマが管理し軍が駐屯する)

・城壁をふくむ防衛設備はすべて破壊すること そして再建も禁止

・軍事系の技術者およびローマからの亡命者をひきわたすこと

これらでいちおうは合意に達してひとまず停戦となる



188: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:03:52.508 ID:Z+jbfLLq0
こうしてAD102のうちにトラヤヌスはさっさと南岸に引き上げるけども
ダキア内にしっかりとローマ軍を残していった

タパエに第三軍団フラウィアを
バナトのベルゾビアに第一軍団アディウトリクスを
そのほかにも要衝や整備したルートにそって部隊を多数配置

そして首都サルミゼゲトゥサにも一個大隊ほどを駐屯させたらしい
(この年に破壊されたサルミゼゲトゥサ城砦の資材を再利用して
 ローマ軍が駐屯地を作っていたことが発掘調査で確認されている)

この首都駐屯はデケバルス政権の監視というだけじゃなく
ザルモクシス信仰の聖域すらもローマの影響下であると
宣言する目的もあった

こうしてこのような情勢になる↓
no title




189: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:05:00.612 ID:Z+jbfLLq0
このようにデケバルス率いるダキアは敗北したものの
彼らの闘志はまだ挫けなかった

むしろこの戦いは
「団結さえすればローマの大侵攻にも耐えられるはず」
という自信を抱かせる面もあった

たしかに結果的には負けたとはいえ
東部はほぼ無傷だし
トランシルヴァニア内の後背地や北部もばっちり残っていて
まだまだ余力はあった

そして一連の戦いっぷりにおいても
地の利を生かしてローマ軍をさんざん消耗させたし
要であるオラシュチエの城砦網も最後まで持ちこたえし
これでその防衛戦略が正しく効果もあることが証明された

くわえて圧倒的劣勢の状況でも
統一ダキアの連帯が崩壊しなかったというのも
さらなる自信をあたえて連帯強化の後押しにもなった



190: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:05:33.402 ID:Z+jbfLLq0
とはいえ

此度の戦いが「大敗北」であることは事実
圧倒的劣勢であり滅亡一歩手前な戦いだったこともまた事実だった


よくもわるくも単純な戦士層や民衆は
敗戦をうけてもなお熱狂し
ダキアの最終的な粘り勝ちを疑わなかったけども

より大きな視点をもっていた指導者層では
本気になったローマの絶大すぎる力を目の当たりにしたことで
やはり微妙な空気が漂いだしていた

くわえてデケバルスの戦略で
いつも捨て駒役にされていたバナトとワラキアが
結局ローマの手にわたってしまったのも
各地の指導者に疑念を抱かせる大きな要素だった



191: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:06:51.614 ID:Z+jbfLLq0
AD103のデケバルスの動向はハッキリしていないけども
サルミゼゲトゥサをよく留守にしていたのは確かなようで

おそらく北部や東部をまわって各地指導者にあい
励ましと説得で忠誠の再確保につとめていた

また周辺勢力にも使者をおくって
ダキアを核とした同盟継続の再確認をとっていたものの
やは先の戦況が響いて完璧にはいかなかった


あろうことか同盟勢力のなかで一番有力だったロクソラニが
曖昧な態度をとりはじめる



192: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:08:06.173 ID:Z+jbfLLq0
ロクソラニとダキアは
たしかに対ローマで利害が一致していたとはいえ

彼らの同盟はもともとダキアが圧迫して押しつけたむきがあり
くわえてロクさんはAD101冬のモエシア侵入失敗で
大損害もこうむっていたため
ここで態度が変わってくるのも当然だった

第三者視点である彼らからすれば
ダキアはもう沈みかかっている船でしかなかった


そしておそらく
デケバルスも本音ではそれを自覚していただろうけども
ダキア王たる彼はそれでも船を進めるしかなかった



193: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:09:02.703 ID:Z+jbfLLq0
降伏の際にローマと交わした協定は
デケバルスはあたりまえのように完全無視する

デケバルスは各地をまわって指導者と会うのと平行して
再戦へむけての準備もさっそく進めていたようで
西部ではその準備運動のようにイアジェゲスいじめが再開されたりもする
(これはデケバルスが忠誠再確保もかねて自ら指揮した可能性もある)

そしてAD104にはいるとついに本拠オラシュチエでも
各地での城砦再建や武具類の再生産も急ピッチでやりはじめる
もちろん駐屯するローマ軍の監視なんて無視して



194: アスペニート 2016/10/15(土) 01:09:17.404 ID:NEbdkYkm0
ローマこわい



195: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:10:18.678 ID:Z+jbfLLq0
これらは明らかな挑発行為もかねていたようで
デケバルスはできるだけ早く口火をきろうとしていた
ローマ側の準備が整っていないうちに戦争に引きずりこもうと

これは無謀にも聞こえるけども
それでも準備万端なローマ軍の攻撃をただ待つよりかは
まだいくらかマシだった


こうしたダキアの動きはとうぜん
帝都ローマのトラヤヌスにも逐次報告されていたものの
彼は現地部隊にたいして駐屯地に篭って静観するよう指示を出す

これは山積みなっていた内政業務を優先するためと
デケバルスの行動を挑発だとも見抜いていたから

地の利は圧倒的にダキア側にあり
くわえてダキア内に残している現地兵数もけっして優勢ではなかったため
下手に個別の積極行動にでるとフスクスの二の舞になる可能性があった

次はしっかり準備して全軍で一気にカタをつける
トラヤヌスはそう決めていた



196: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:11:48.749 ID:Z+jbfLLq0
ダキア側が再軍備をすすめていたのと同じく
ローマ側もまた準備をすすめていた

まず終戦すぐのAD103から
ドナウをわたる巨大な橋が建設開始される
(Trajan's Bridge)

これまではローマ軍は船をつなげた一時的な橋を使っていたけども
この新たなものはがっちり橋脚を作っての恒久的なもので
軍事展開の効率化という目的のほかに
「ドナウ北岸もローマの管理下」だという宣言でもあった

また全土でさかんに志願者を募って人員を補充し
いくつかの新たな補助部隊も新編成

経験を踏まえて演習もより入念におこなわせ
対ゲリラ戦・攻囲戦の能力もさらに磨きあげていった



197: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:13:00.203 ID:Z+jbfLLq0
そうしてAD105
おそらく春ごろとうとう大橋が完成する

ローマが着々と準備をすすめていくのを見たデケバルスは
これ以上時間を与えてはならないと判断して
ふたたびダキア側から仕掛けることに

こうして夏のおわりに第二次戦が開幕する


ダキア軍がまず狙ったのは
オラシュチエ一帯に駐屯しているローマ軍だった

各地で基地に奇襲をかけて次々と攻略し
サルミゼゲトゥサにあった目障りなローマ砦も
すぐに落として聖地解放になんなく成功する


ちなみにサルミゼゲトゥサにいたこのローマ隊
彼らについての文献記録は残っていないものの

その状況からみて
聖地を穢されて怒り狂っていたダキア人によって
かなーり悲惨な結末を迎えたのは確実



198: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:13:47.822 ID:Z+jbfLLq0
そうしてデケバルスは
サルミゼゲトゥサ城砦の再建も急がせながら
次にバナト・ワラキアに連なるローマ基地に矛先をむける

この南下攻撃はダキア人の怒りを反映した激烈なものだったようで
ルートぞいに点在するローマ基地を怒涛のいきおいで潰していき
夏の終わりにはドナウまで到達し
ドナウ防衛線にも激しい攻撃を開始する

no title




199: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:14:47.653 ID:Z+jbfLLq0
とはいえ
北岸に残っていたローマ軍を一掃できたわけでもなかった

小規模な基地なら楽に落とすことができたけども
さすがに軍団本隊が篭っているタパエ・ベルゾビアなどの大きな駐屯地は
手出しできるもんじゃなかった

ダキア側も第一次戦のせいで
兵数が三分の二から半分程度にまで減少していたようで
各地に分散展開しつつ強固な軍団駐屯地を落とすような芸当は難しかった

また完成したばかりなローマの大橋の橋頭堡も
おなじく強固な設備と人員を抱える拠点で
ここでもダキア軍は攻めあぐねることになる

そして各地でローマ側も積極反撃にでるようになり
しだいに戦況が逆転していくことに



200: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:15:57.030 ID:Z+jbfLLq0
また
報告をうけとったトラヤヌスの動きもはやかった

すぐに第二次遠征の計画を前倒しして
全土の駐屯地へ部隊をドナウへ送るよう伝令をはなち
自分も帝都ローマを発って秋には現地いり

そしてすぐにドナウ南岸の現地軍をみずから率いて大反撃にでる

これはダキア軍の怒涛攻勢をさらに上回る電撃反攻だったようで
トラヤヌス円柱には皇帝自身が
みずから騎馬隊を率いて先陣を突っ走っていく光景も描かれている

ローマ軍は橋頭堡の包囲網をやぶって解放し
ついで北へ進撃しルートぞいの拠点も次々と奪還
ベルゾビアとタパエの包囲もといて合流し
あっというまにバナト・ワラキアの再制圧を完了させる



201: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:16:41.490 ID:Z+jbfLLq0
デケバルスは事前に
ローマが大反撃に出た場合はすぐに
トランシルヴァニアに退くよう段取りをとっていたらしいものの

あまりにトラヤヌス軍の進撃が速くて
退却が間にあわずに捕捉されたり
やけになって真っ向からローマ軍に挑んだりする集団が各地で続出した

こうしてデケバルス自身がひきいる隊は
しっかり兵を温存して退却に成功したものの
全体としては無残な敗退だった



202: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:18:13.757 ID:Z+jbfLLq0
先の戦争のせいですでに兵力事情が苦しかったダキアにとって
この大損失はトドメになった

オラシュチエ一帯には大量の鉱山と工房があるおかげで
武器自体はおおく蓄えていたけども
肝心の戦闘員がもう底をつきかけていた

オラシュチエに戻った時点でのデケバルス直接指揮下の戦士は
少ないものではわずか1万という推計もあるくらい

そこで今まで武器を持ったことすらないような者まで
徹底的にかきあつめることで数だけは増強したけども
それでもドミティ時代や第一次戦時にくらべたら
作戦能力はいまや悲しいレベルだった


いっぽう南のローマ軍側では
全土から続々と部隊が合流しつつあり
規模は前回と同じかそれ以上になる様相

いくら地の利があり
防衛網も強固で後背地も無傷とはいえ
ダキアの状況は絶望的だった



203: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:19:05.334 ID:Z+jbfLLq0
そうして冬を前にいったんローマ軍が落ちついたこの時期
追い詰められたデケバルスは苦しまぎれの策にでる
いくつか同時に進められていたらしくそのうち二つは今日まで伝わってる

一つ目は
一連の戦いのなかで捕虜にしていたローマの将ポンペイウス・ロンギヌスを
交渉のカードにするというもの
このロンギヌスさんは執政官経験もある最上層エリートで
人質にされたらトラヤヌスも何らかの対応をとらざるを得ないほどの高位の人物だった

そんなローマ政界を揺さぶるにうってつけなカードだったんだけども
この策はあっさり失敗する

ロンギヌスさんが国益を優先してさっさと自害しちゃったから



204: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:19:54.529 ID:Z+jbfLLq0
二つ目の策は
脱走・亡命してきた元ローマ兵をつかってのトラヤヌス暗殺作戦
亡命者たちをローマ軍営に紛れこませて仕留めるというもの

でも亡命理由になった罪状がよっぽど悪くて有名だったのか
彼らの顔を知っているものが多くて
すぐに捕らわれて失敗

デケバルスは他にもいろいろとやっていたようだけども
それらも全て失敗したらしい


こうして成果なくAD105の冬が終わり
AD106をむかえたころ

ダキア戦線に集結したローマ軍は20万にたっしていた



205: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:20:59.799 ID:Z+jbfLLq0

その大軍をもってトラヤヌスはいよいよ動きだす
内容はこれまでの経験を全てフィードバックしたものだった


それがどんなもんかは
この侵攻ルートを見るだけでだいたいわかると思う

no title




206: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:21:56.755 ID:Z+jbfLLq0
まずタパエ・Turnu Rosu Passルートの二方面から
オラシュチエを囲いこんでサルミゼゲトゥサを目指す
という点はAD102の時とおなじ
でもご覧のとおり今回はそれだけではなかった

Turnu Rosu Passルート隊は
南カルパチア山脈を突破したあとも
その全てがオラシュチエにいくわけではなく
おおきく三つに分かれるというものだった
ひとつは東カルパチア方面へ
ひとつはオラシュチエ方面へ
ひとつはそのままさらに北へ

またドナウ河口方面からも一軍が出撃し
ロクソラニの土地を突っきってダキア東部を外側から攻撃
そして西でも北上しアプセニ山地の裏側をおさえたり

前回からさらに兵力が増員されていたのは
こうした複数方面の同時侵攻を行うためだった


「首都とデケバルスを討つだけでは足らん?
 だったら全部まとめて潰そう」
という全盛期ローマならではの豪快プラン



207: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:23:09.256 ID:Z+jbfLLq0
この「ローマ史上最大の外征」ともいわれる攻勢を前にして
とうとうダキア人の闘志も挫けはじめてしまう

まずローマ制圧下のワラキア・バナトで
森や山地に篭ってゲリラ戦をつづけていた連中が
あっさり投降しトラヤヌスに許しを乞うてきた

またトランシルヴァニア内でも離反がおこり
有力者が自身の民や戦士団をつれてローマ側へ降伏しにむかったり
あるいは逆に北へにげはじめたり
そしてデケバルスにはそれらを止めるほどの力はもうなかった

さらには最高指導部からも離反者がでたようで
たとえばブリクルというデケバルスの側近だった者もローマ側にくだった

彼はダキア側の重要情報をまるごと明かしたり
デケバルスが埋めた莫大な隠し財宝のありかを教えたりと
ひじょうに協力的だったためローマ側の待遇もかなり良かったらしい



208: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:24:37.070 ID:Z+jbfLLq0
そうした空気は周辺勢力にも波及した

まず曖昧だったロクソラニの態度がこれで決まる

ドナウ河口から出撃したローマ軍がロクソラニの土地にのりこみ
道中にある居住地を片っ端から焼きながら進んでいっても
ロクソ中心派閥たちはそれを黙認する
抵抗したのは居住地を直接襲撃された現地の少数だけだった

モルダヴィアのバスタルナエも
北カルパチアのコストボキもみんな同盟を放棄して支援を打ちきったり

そして彼らはローマ側へ使者をおくって交渉も独自にはじめ
こうしてダキアは完全に孤立する



209: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:25:18.762 ID:Z+jbfLLq0
このようにダキア陣営はどんどん崩壊しだしたものの
みながみな逃げ腰になるわけもなく
追い詰められたことでより頑なになる者もおおぜいいた

とくにオラシュチエでの抵抗は
「ザルモクシスのために死を!」と狂信化した者が多くて激烈なものだった

文字通りの「死に物狂い」な男たちが
城砦にたてこもって最後の一人まで奮闘
なかには城砦に避難していた女子供までが武器を持つこともあったり

そしてそれまでは投降者しだいである程度の酌量もしていたローマ側も
ここからは一切慈悲を見せない苛烈な姿勢に

その執念と圧倒的な戦力差のまえに
ダキア砦は奮戦むなしく玉砕していった



210: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:25:22.559 ID:l4aRUn480
兵どもが夢の跡か



211: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:26:24.813 ID:Z+jbfLLq0
そしてはやくも夏の初めには
オラシュチエの防衛網はほぼ全て破壊され
首都サルミゼゲトゥサが丸裸に

そしてその城壁は
そこへ猛進してきたローマ軍先鋒の強襲にさらされることになる

しかしサルミゼゲトゥサ城砦の防御はかなり強固で
デケバルスの指揮もあって
この最初の強襲はなんとか撃退成功する


でもどれだけ強固な城砦であっても
ここまで死ぬほど攻城戦つづきだったローマ軍側にとっては
とくに問題はなかった

彼らはすぐに策を変更し
サルミゼゲトゥサ周囲をかこんで封鎖する堡塁を築いたり
木を切りだして兵器を増やしたりと堅実な攻囲にとりかかる

またこのあたりでトラヤヌス本隊も到着して
この首都は大軍に包囲されることに



212: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:27:39.434 ID:Z+jbfLLq0
サルミゼゲトゥサはいくら強固で蓄えもあるとはいえ
このままではどう見ても陥落確実だった

唯一の頼みの綱は
北部・東部からの援軍だけだったものの
この時点でそれはもう望めなかった

ローマの別の大軍が北へむかい
ゆく先々を片っ端から破壊しながら縦断
東部でも大攻勢があり次々と敗退・陥落

そんな悲惨な報せが
おそらくローマ軍が首都到達する直前に
デケバルスたちのもとにドッサリ届いていた

援軍なんてもうどこからも来なかった



213: アスペニート 2016/10/15(土) 01:28:25.249 ID:NEbdkYkm0
オーバーキルだろ



214: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:28:42.825 ID:Z+jbfLLq0
そんな絶望のなかでも
サルミゼゲトゥサはなんとか一ヶ月ほど耐える

しかし夏の終わりについに崩壊する
それも内部から

とどめの一押しになったのは
ローマ軍に水道を破壊されたためとも言われている

もう絶望に抗えなくなって
サルミゼゲトゥサ内のダキア人たちは武器をおいてしまった

かといっていまさら投降すれば
地獄のような辱めも確実であったため
高位のものを中心として大勢がザルモクシスの死の恩寵を求めた
つまり自決を選択した

ちなみにデケバルスの息子もおそらくここで自決した



215: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:29:19.359 ID:Z+jbfLLq0
この集団自決へのデケバルスの姿勢については
大きく二つの説があって

デケバルスがそう促したというものと
デケバルス自身は自決に反対したものの
みなの懇願に押しきられて認めるしかなかったという説がある

これをハッキリさせる証拠はないものの
このあとのデケバルスの行動を踏まえて
後者の説がより支持されている



216: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:30:20.952 ID:Z+jbfLLq0
こうしてサルミゼゲトゥサは恐慌のどんぞこへ

聖地もろとも逝こうと思ったのか
誰かが城砦にも火をかけはじめた

これを見た外のローマ軍はビックリ仰天

どうもダキア人が自分で火をかけたらしい
ってのはすぐに判明したものの
ローマ軍のテンションも一気にあがっていたため
(略奪する予定の品が燃えちゃうってのもみんな心配)
トラヤヌスはそのまま一斉攻撃を命令する



217: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:30:28.722 ID:l4aRUn480
何もそこまでやらなくても、と言いたくなるくらいの圧倒的殲滅戦だなあ



218: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:31:26.795 ID:Z+jbfLLq0
とうぜんながら抵抗はほとんどなかった
ローマ軍はやすやすと城壁を突破し
サルミゼゲトゥサに雪崩れこんで
また生きていた者たちを片っ端から虐殺して
あっさり陥落させた

ただしトラヤヌスが一番ほしかったデケバルスの首級だけは
あげることはできなかった

彼はこの騒動にまぎれて
忠実な戦士たちと一緒に脱出していたから



219: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:32:56.147 ID:Z+jbfLLq0
そしてデケバルスは周辺の残党とも合流し抵抗を継続する

ときにはローマ軍の野営地へはげしい奇襲をかけたりもした
しかし全体戦況はやはり絶望的だった

デケバルスの奮戦もむなしく
追いたてられてどんどん手勢が減っていき
ここまでついてきた者たちの中からも
王を見捨てて逃げたり勝手に自害したりする者が出はじめたり

それでも彼はあきらめようとせず
東部山地の残党と合流しようとするものの
いまやその東部に向かうことすら困難になっていた

すでにトランシルヴァニア中にローマ軍がいた
現地人しか知りえないような秘密の山道でさえもローマ兵がうろついていた
さらに捕虜を尋問して得た情報で
デケバルスの追跡網も狭められつつあった



220: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:34:30.497 ID:Z+jbfLLq0
そして秋の半ばごろ
南カルパチア山脈の中部にて
デケバルスはとうとう地面に座りこんだ

彼のもとにのこっていた者はわずか数人
周囲あちこちからローマ騎兵の蹄の音が迫ってきており
木々の向こうにはその姿も見えていた

もう逃げ場はなく
かといって生け捕りにされたら確実に
帝都ローマに連行され凱旋式で見せしめにされる

それはデケバルス個人にとっても
ダキア人全体にとっても究極の辱めであり
ならば選択肢は一つしかなかった


彼はここで自刃した



221: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:35:22.799 ID:Z+jbfLLq0
デケバルスの首はローマ騎兵によって回収され
トラヤヌスらの検分ののち帝都ローマへ
そしてカピトリヌス丘の階段から投げ落とされるという
「大罪人」に対する辱めの形で晒されることになった


ダキアではその後も各地で
デケバルスに忠実な者たちによる抵抗がつづいたものの
状況が変わることはなかった

抵抗者はことごとく狩られるか
あるいは北や東の山地深くに追いやられていった

そして秋の終わりには
ローマ軍はトランシルヴァニア全域制圧を完了し
トラヤヌスはダキア征服完了と属州化を宣言


こうして統一ダキア王国は滅亡する



222: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:36:26.478 ID:Z+jbfLLq0
ダキア人の首都サルミゼゲトゥサは
徹底的に破壊された

これは単に報復や略奪のためというだけじゃなく
ここがザルモクシス信仰の聖地であり
統一ダキアの精神的な柱でもあったから

ローマ側としては
今後の属州統治のためにも残しておくわけにはいかなかった

ローマ軍によってすこし離れたところに
別の「サルミゼゲトゥサ市」が新しく作られはじめたいっぽう

この「古いほう」の跡地にはどでかい駐屯地が築かれて
これでもかとローマの威光を上書きされたのち
数年後には軍も撤収して完全放棄され
そのまま無人の地に

そして徐々に忘れ去られていき
約1900年後に正式に再発見されるまで
なかば伝説として森のなかで眠り続けることになる



223: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:38:18.090 ID:Z+jbfLLq0
この第二次戦でローマが得たダキア人奴隷は
5万とも10万とも言われている
(Criton of Heracleaによると50万とされているけどこれは明らかに誇大
 これは写本のさいに桁をミスったという説もある)

さらに死者や北・東の山奥に逃げたりしたものも含めると
全体で15万から20万ほどのダキア人がこの地から姿を消した

そのなかでもとくに重点的に「狩り」の対象になったのは
デケバルス政権の基盤であったオラシュチエ一帯で
ここのダキア中央集団とも言える有力層は完全一掃される

そしてその生じた空白には
ローマ圏からの大規模入植が行われ

こうして政治・経済・文化の中心部がまるごと取り替えられたことで
ダキアは急速にローマ化していくことになる



224: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:39:51.337 ID:Z+jbfLLq0
ただし

統一ダキア王国は完全消滅したけども
ダキア人そのものが消えたわけではなかった

15万~20万いなくなって
ローマ圏からの入植者と入れ替わったとはいえ
ダキアのもとの人口は最大100万

政治・経済・文化の主導権は失ったものの
人口はいぜんダキア人が多数だった

そのうえローマによって属州化されたのは
バナト・トランシルヴァニア・ワラキアのみであり
北と東のカルパチア山脈帯やその周縁部は正式には組みこまれなかった

no title

(薄赤の地域はAD117にハドリアヌス帝によって放棄)

そのため東部のダキア人の一派カルピ族や
北の兄弟集団コストボキはそのまま存続する



225: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:40:33.002 ID:Z+jbfLLq0
くわえてそれらの地にて
トランシルヴァニアから逃れた者たちによって
カルピやコストボキとはまた別の
「亡命ダキア」ともいえる集団も形成される

その勢力地はダキア属州の国境線に張りつくように広がっていたらしく
ディオは彼らを「Daci limitanei」と記している
(limitaneiは「国境の」「辺境の」的なニュアンス)
ちなみに現代では「Free Dacians」(自由ダキア人)と呼ばれている

この「自由ダキア人」たちは
ローマによるダキア本土支配を認めず
このあとも執拗に攻撃を繰りかえすことになる



227: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:42:17.884 ID:Z+jbfLLq0
また属州内部でもダキア人は大勢残っていた

たとえば特に「狩り」がはげしかったオラシュチエからアプロン一帯にかけてでさえ
2007年までに確認されている大きめな集落跡59箇所のうち
23箇所が属州化後もおおくのダキア人が暮らし続けていたことが判明している

さらにちいさな農村部になるとその傾向はより強まり
ダキア人のライフスタイルがそのまんま続いていく

(これらはダキア式の陶器や建築がローマ式のものと長期間混在していたり
 ダキア式墓所の副葬品にハドリアヌス以降の硬貨などが含まれていることで判別可能)
(I.Oltean, Vlad.Georgescu, Ion Grumeza, I.Aurel Popらの研究)



228: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:43:04.156 ID:Z+jbfLLq0
またほかの被征服民と同じように
属州民となったダキア人たちもローマ軍へ志願入隊し
ダキア補助部隊も編成されブリタニアやエジプトなどに派遣されていた

「Dacorum」を冠した隊は
これまでに少なくとも六つ確認されており
ダキア人名がならぶアウレリウス帝時代の隊内名簿や
セウェルス帝時代の退役証明書も見つかってたり



229: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:44:00.896 ID:Z+jbfLLq0
そして「ダキア人」としてのアイデンティティも
それなりに受け継がれていたことを仄めかすものも発見されている

たとえば
ブリタニア派遣されたあるダキア補助部隊の碑には
ダキア人の伝統武器であるFalxあるいはSicaが
隊のシンボルとして彫刻されていた
(Cohors I Aelia Dacorum 配備はAD125~400?
 最初期の隊員はデケバルス戦士の息子世代)

これは彼らがダキア戦士の子孫であることを自覚し
軍人としてそれを宣言するほどに誇りにしていたことを示唆している

こんな感じでローマ化しつつも
彼らはダキア人としての部分も抱きつづけていた



230: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:44:42.917 ID:Z+jbfLLq0
こうして国は滅ぼうとも
ダキア人の営みはローマ世界の中で
あるいはその外縁部で
それぞれ新環境に適応しながらつづいていくことになる

ダキア戦争のような彼らが主役の大事件はもうなかったけども
それでも脇役ながらちょくちょくと歴史の表舞台にでてくる

AD170 マルコマンニ戦争中には
ヴァンダル族といっしょに
自由ダキア・カルピ・コストボキがダキア属州に侵入して
ローマ軍と激しい戦いをくりひろげた

AD214にはカルピが単独で攻撃

つづいてその三世紀のあいだ
今度はゴート族の侵攻などに加勢し
マクシミヌス・トラクス帝などと干戈をまじえたり

AD271にはついにアウレリアヌス帝によってダキア属州が放棄され
ゲルマン人たちにくっついてという形ではあるものの
自由ダキア人の一部は夢にみた故地に帰還することもできた
(属州内でローマ化していた側のダキア系にとっては災難でしかなかっただろうけど)



231: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:45:40.838 ID:Z+jbfLLq0
しかしこのローマのダキア放棄という念願の出来事が
ダキア人にとって最後の輝きだった

その後も内紛や民族移動などの度重なる騒乱によって
仇敵ローマがどんどん凋落していったんだけども
ダキア人も同じくその時代の荒波に飲まれることになる

ゲルマンにつづいてフンやアヴァールやスラヴなどなど
次々とやってくる新興勢力にもみくちゃにされ
その闇鍋のなかに彼らは埋もれていった

こうして「ダキア人」の物語は溶けるようにして終わる



232: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:46:14.850 ID:Z+jbfLLq0
ただしその子孫たちの物語は
新章に入る形でつづいていった

古くから民族移動と文明の交差点であるこの地で
かつて闇鍋からダキア人が形成されていったように
今度はゆっくりと「ルーマニア人」が形成されていくことになる




おわり



233: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:47:02.086 ID:Z+jbfLLq0
ちゃんと知りたい人のために
主に参考にしたのだけでもちょろっとかいておく

まず文献資料もとはヘロドトス ストラボン 
スエトニウス タキトゥス カシウス・ディオ ヨルダネスら
おなじみの面々の書物

現代研究ので軸になっているのは
Daicoviciu親子 I.Glodariu A.Diaconescu I.Olteanあたりので
特にちょくちょく名前が出ていたI.Oltean氏の
まとめ本「Dacia: Landscape, Colonization and Romanization」はすごくよかった

あとダキア戦争ほかローマ戦史まわりはStephen Dando Collinsの
「Legion of Rome: The Definitive History of Every Imperial Roman Legion」も参考に
(あるていど英語OKでローマ軍がかなり好きな人はコレけっこうオススメ)



236: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:47:59.485 ID:l4aRUn480
>>233
参考文献ありがたい



235: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:47:49.411 ID:Z+jbfLLq0
また日本語文献では
残念ながらダキアメインのものはないけども
周辺を固めるため「ケルト事典」や
「ハドリアヌス ローマの栄光と衰退」などもつまんでる

あとなんだかんだで
塩野さんの「ローマ人の物語」にもけっこう助けられた
本編もさることながら巻末にある参考文献目録が宝の山

そして英版ウィキペディア記事も
内容もさることながら出典リストがすんげえ宝の山でホクホクだった



237: アスペニート 2016/10/15(土) 01:48:02.614 ID:NEbdkYkm0
現代ルーマニアの主要民族のヴラフ人ってどこかでダキア人と繋がってるのかな



238: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:49:40.120 ID:Z+jbfLLq0
>>237
文化的にはやっぱり断絶状態だけども
血統的にはしっかり繋がってるとおもう



245: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 04:20:08.238 ID:veZbvcYp0
>>238
ルーマニア語はイタリア語系だよ



246: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 05:25:24.837 ID:Z+jbfLLq0
>>245
そう
属州化後も人口のうえではダキア人が多数派だったけども
ローマ圏からの入植者たちが政治・経済・文化の中心勢力だったことで
多数派のダキア人たちもだんだんラテン語系話者になっていって
(いわゆるローマ化)
血統上の子孫はおおぜい残りつつもダキア語自体は中世初期あたりで死語になる



239: アスペニート 2016/10/15(土) 01:52:21.006 ID:NEbdkYkm0
おつかれさまでした



240: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:54:37.320 ID:l4aRUn480
乙でした
これは永久保存にしたいスレ



241: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/10/15(土) 01:55:00.879 ID:Z+jbfLLq0
こんなマイナー蛮族史の長丁場
みんなもほんとお疲れさまでしたした


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