長門「……漏らしてしまった」キョン「……えっ?」
月末に古代ケルド人主催の収穫祭を控え、なにやらそわそわし始めた団長の命令によって、得体の知れない作業を強制させられた俺は、安息の地を求めて、学校帰りに長門の家にお邪魔させて貰っていた。
ペラペラと本を読み進める長門の向かいに座り、俺は半ば放心状態で1日の疲れを癒す。
長門の家は、落ち着く。
殺風景と表現するに相応しい、何もない室内。
こちらから訪ねたことには反応するが、自らは何も発しない家主。
その癖、湯呑みのお茶が減っていたり、冷めていたりすると、次々と新しいお茶を注いでくれるのだから、長門のことをよく知らない者はさぞ居心地が悪かろう。
しかし、俺は違う。
長門という少女のことを、知り尽くしていると言っても過言ではない俺には、その殺風景さも、無言も、全く苦にならない。
さすがに立て続けに飲ませられる大量のお茶には辟易としていたが、そんなことは瑣末な問題だ。
だが……静寂を切り開くように放たれた先ほどの一言は、瑣末な問題と割り切れるものではなかった。
キョン「……すまん、長門。もう一度言ってくれ。どうしたって?」
長門「……漏らしてしまった」
そのことに、衝撃を受ける。
長門が……漏らした?
何をだ?
順当に考えれば、それは排泄物の類いだろう。
重要なのは、それが小なのか、はたまた大なのかだが……いやいや、落ち着け。
長門に限ってそんなことがあるわけがない。
ハルヒならともかく、まさか長門が、そんな。
思考を切り替える。
排泄物の類いでないとすれば、それはなんだ?
漏らす……つまりそれは、何かが流失してしまったということだ。
ということは、恐らく外部に流れてはいけない機密、そして俺と長門の関係性から鑑みるに、それはハルヒ関連の何か、だろう。
そこに思い至った俺は、意を決して口を開いた。
キョン「漏らしたってのは、ハルヒ関連の機密を誰かに漏らしてしまった……ということか?」
長門「……涼宮ハルヒの、機密?」
キョン「違うのか?」
長門「……違う。私が漏らしたのは……排泄物」
長門は確かにそう言った。
つまり、俺の最初の読みは正しかったということになる。
しかし、そのことに対して素直に喜ぶ余裕は今の俺にはなかった。
問題は……そう、問題は、それが『どちら』なのか、である。
キョン「排泄物ってのは、その……ち、小さいほうか?」
長門「……違う」
キョン「ということは……」
長門「……そう、大きい、ほう」
事態は最悪の方向に進んでいった。
長門「……ずっと、我慢していた」
キョン「我慢してたって……ここはお前の家だろう?だったら、遠慮せずにトイレくらい行けば良かったじゃないか」
長門「……私が席を外すと、あなた1人になる」
キョン「そんな気を使わなくていいんだよ。大体こっちがお邪魔してるんだから、ほっといても全然構わないさ」
俺がそう言うと、長門はほんの少し俯く仕草をして、か細い声で本当の理由を話始めた。
長門「……聞かれたく、なかった」
キョン「何を?」
長門「……私が、脱糞している音を」
それが、長門が便意を堪え続けた理由だった。
男の俺でさえ、そのことに対して忌避感を覚えるのだから、女の長門にとっては切実な問題だったのだろう。
ましてや、この部屋はお世辞にも防音設備が整っているとは言えない。
もちろん、高級マンションと呼べるくらいには立派なことは立派なのだが、テレビも無ければオーディオの類いも無いこの部屋では、用を足している音をかき消すことはできまい。
キョン「そうか……それは、何というか…すまなかったな。俺が長居し過ぎたせいで、こんなことになっちまって……」
長門「……そんなことは、ない。あなたが居てくれて……助かった」
不意に、長門はそんな意味のわからないことを言った。
長門「……言葉通りの、意味。私は……あなたに助力を願いたい」
助力を願いたい?
どういうことだ。
この状況下で俺に出来ることなど、限られている。
俺に出来ることなど、何も言わずに退室することくらいしか思いつかない。
だが……長門が助けを求めると言うのならば、俺は助けてやりたかった。
朝倉に襲撃された際に、身を呈して命を救ってくれたこの少女を、今度は俺は救ってやりたかった。
キョン「どうしたらいい?俺に出来ることなら、なんでもする。なんでも言ってくれ」
出来る限り真摯にそう申し出た俺を、長門はしばしじっと見つめて、そしておもむろに、驚くべき願いを口にした。
キョン「……えっ?」
そんな突拍子もない願いを聞かせられた俺は、まともな反応が出来なかった。
とにかく、この口数の少ない少女から事情を聞かねばなるまい。
キョン「えっと、長門。お前を浴室に運べばいいのか?」
長門「……そう」
キョン「どうしてだ?」
長門「……今の私は、『エマージェンシー・モード』」
『エマージェンシー・モード』
それは、三年前の七夕の日にタイムスリップをした俺と朝比奈さんが、長門のマンションの一室で部屋ごと凍結された際に用いられた表現だ。
まさかそれを再び聞くことになるとは、思いもしなかった。
長門「……今の私……正確に言うと、私の臀部から足裏にかけてを、内部構造ごと凍結している」
キョン「……つまり?」
長門「……このままだと、一歩も歩けない」
なるほどな。
言いたいことはわかった。
キョン「それじゃあ、俺はお前を抱えて浴室まで向かえばいいんだな?」
長門「……そうして貰えると、助かる」
キョン「なに、お安い御用さ」
長門「……ありがとう」
それも、あの長門に、だ。
キョン「い、いいって!そんなに畏まるな!」
長門「……でも、あなたが居なければ……私は、永久にこの場から離れられなかった」
事態はそこまで切迫していたらしい。
しかし、その原因を作ったのは紛れもなく俺という存在であり、そのことを自覚すると、なんとも居た堪れない気持ちになる。
キョン「と、とにかく、すぐに運んでやる。だから、安心しろ」
長門「……ありがとう」
二度目の感謝の言葉に心底申し訳ない気持ちで一杯になる俺だったが、兎にも角にもまずは依頼された務めを果たそうと、決意を新たに立ち上がった。
恐らく、これが『エマージェンシー・モード』とやらの効果なのだろう。
正座の姿勢の長門の、尻と足裏の間に挟まれたそれごと、凍結しているのだ。
ならば、匂わなくても不思議ではない。
キョン「それで、どう運べばいいんだ?」
長門「……だっこ」
傍に立ち、どのようにして抱えるべきか聞いた俺に、長門は両手を広げてその方法を示した。
足元から上目遣いでこちらを見上げ、両手を広げる長門は、月並みな表現ではあるがとても可愛らしく、こんな状況下だというのに、俺は胸が高鳴るのを感じた。
長門「……よろしく、お願いする」
長門の細腕がしゃがみ込んだ俺の首に回され、その頬がひんやりとした感触と共に首筋に触れた。
その心地良さに、思わずこの場で押し倒したくなる衝動に駆られるが、ぐっと堪え、使命を優先する。
とりあえずこれで、俺が上体を起こせば長門は持ち上がるだろうが、いかんせん不安定だ。
なので、長門の下半身を安定させる必要があるのだが、これを幸いにと彼女の足や尻に触れるのは倫理的にどうかと思う。
なにか手はないか。
冴えない頭脳を振り絞って、俺は名案を思い付いた。
キョン「長門、座布団ごと、持ち上げるぞ」
長門「……わかった」
これならば、長門の下半身を支える為に足や尻に触れる必要はなく、健全であると言えた。
そんな胸中を知ってか知らずか、快く快諾してくれた長門の座布団を掴み、上体を起こしながら座布団ごと正座の姿勢のまま、持ち上げることに成功した。
キョン「……よっと!長門、平気か?」
長門「……大丈夫」
長門の膝を腹で支えるようにして、安定感を更に増した俺が声を掛けると、長門は耳元で気丈にそう答えた。
囁くような彼女の声が耳朶を打つに伴い、ゾクゾクと劣情が湧き上がるのを感じたが、こればっかりはどうしようもない。
健全な男子高校生なんてこんなものだろう?
長門「……わかった」
なんとか劣情に抗いつつ、一歩一歩慎重に浴室へと足を運ぶ俺は、長門の軽さに驚きつつ、密着した彼女から漂う香りに頬が緩んでしまうのを感じた。
ああ、誤解しないでくれ。
長門の香りと言っても、それは大便の匂いではなく、彼女本来の体臭やシャンプーの香りであって、決して不健全な愉悦に浸っているわけではない。
そう、これは極めて健全な感情なのだ。
しかし、長門はそんな俺の邪気を感じ取ったのか、ポツリと言葉を漏らす。
長門「……匂いを、嗅がないで」
キョン「……すまん」
キョン「これでいいか?」
長門「……これで、いい」
浴室の床に、座布団を敷いて座っている長門は酷く滑稽だったが、状況が状況である。
この際仕方あるまい。
キョン「それじゃあ、俺はリビングに戻るから……」
長門「……待って」
役目を終えた俺が足早に浴室から出ようとすると、袖口を引かれ、呼び止められた。
キョン「どうしたんだ?」
長門「……服を、脱がせて欲しい」
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- 2016年10月21日 00:00
- 素晴らしい