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英オックスフォードシャー、バンベリーのオールドパーロードには、緑豊かな庭園、低い石壁、明るい色で塗られたドアが特徴的な煉瓦造りの家など、美しい風景が広がっている。この名称が殺人の罪で1746年に絞首刑となったパーの名に因んでいることを知る者は少ない。彼の遺体は人型に作られた檻に納められ、腐るまで道路脇に建てられた柱から吊るされた。
つまり、ジビットが使用されたのだ。
こうしたジビットによる絞首刑は中世にまで遡ることができる。当時、遺体の冒涜は礼式に則ったものであった。非業の最後を遂げた者の首が、杭の先端に刺されて晒されることもあった。裏切り者であれば体をバラバラにされ塀の上に置かれた。こうした晒し刑に処された人間は、死してもなお生きている者にルールを犯さぬよう警告する役目を負わされた。
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「グロテスクな代物です」とレスター大学の考古学者サラ・ターロウは話す。「枷や檻は人型で、遺体の形を保ちます。また、そこを生きる者と死者との間に横たわる不気味な領域に変えてしまうような特徴もありました」
イングランドには現在16個のジビットが残されており(多くは博物館所蔵のもので、その一つにはまだ気の毒な利用者の頭蓋骨が納まっている)、ターロウは2014年にそのすべてを訪れて、調査を進めた。
ウィンチェルシーのタウンホールで展示される鉄製のジビットと木部構造。内部に男の頭蓋骨が残されている。
「面白いのは、ジビットはそれほど頻繁には使われなかったということです。ですが、使用されれば、大きな反響と強い印象を残しました」
イングランドにおいて、ジビットによる絞首刑がもっとも盛んに行われたのは1740年代のことだが、制度化されたのは1752年の殺人法によってである。1752〜1832年にかけて134名が絞首刑にされ、1834年に正式に廃止された。
ジビットが建てられると無数の観衆が集まったという。だが、驚くまでもなく、ジビットの側で暮らすのは嬉しいことではない。
1700年代初頭。海賊の船長ウィリアム・キッドの絞首刑。
「ひどい臭いがしたでしょう」とターロウ。遺体が腐る臭いは非常に強烈で、ジビットがある方向から風が吹く日は窓という窓が閉ざされた。「腐乱死体があったらどうなるか簡単に想像がつくでしょう。特に軟組織がまだあるような場合はね」
また、ジビットは恐怖感を最大限に煽るような設計がされていた。風に揺られて、キーキーと不気味な音を立てるのだ。
さらに住人にとって気の毒なことに、ジビットはすぐに撤去されるような代物ではなかった。場合によっては、遺体が虫や鳥に食われて白骨化しているというのに、数十年もそのままにされることがあった。
勝手に撤去されないよう足場は外され、柱自体も9メートル以上もあった。12,000個もの鋲で覆われているものもあった。それは風景の一部となり、パーのように犯罪者の名前が通りに与えられ、地域の境界の役割も果たした。
滅多に実施されなかったため、鍛治職人によって製作されることも稀だった。「新しい物を作るたびに再発明するようなものでした。設計は一からされました」
レスター・ギルドホール博物館所蔵のジビット
重いものもあれば、緩いものや調整可能なものもあった。鼻が納まる窪み付きのものもあった。胴体の部分しかなく、手足を檻の外側にぶら下げるようなものもある。削ってタバコパイプにされた柱など、降ろされたあとで土産にされることもあった。
女性にジビットが使用されることはなかったが、別に女性の遺体に対して敬意が払われていたからではない。むしろその逆で、ターロウによると、女性の遺体は「外科医や解剖学者の垂涎の的」だったのだそうで、そうした用途に供されたということだ。
『ジビットの側の群衆』トマス・ローランドソン作、18世紀後半
野蛮であるとして、ジビットの使用に反対する者も常にいた。だが、法廷は犯罪を抑止する手段とみなしていた。しかし、その期待には沿わなかったようだ。
実際、ジビットの近くで発生した犯罪の記録が残されている。例えば、ある16歳の少女は友人とジビットがある場所にピクニックに出かけ、その友人に毒入りケーキを食べさせた。友人に彼女が切望していた仕事がオファーされたことが動機らしい。
1832年までには、ジビットによる絞首刑は時代遅れのものとなっており、別個の事件の犯人2名が8月に処刑されたのみだった。
両者とも処刑後まもなく柱から降ろされている。1人は友人によって、もう1人は群衆がつめかけ道路が渋滞したため役人によって降ろされた。これがジビットが使用された最後の事例であり、その2年後に正式に廃止された。残ったのはオールドパーロードの名のみである。
via:The Incredibly Disturbing Medieval Practice of Gibbeting/ translated hiroching / edited by parumo
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コメント
1. 匿名処理班
確か酒を飲みすぎた人もこういうのに入れられて吊るされたんだよね。
生きたままで1日くらい吊るして反省を促す、みたいな。
2. 匿名処理班
ゲームのサイレントヒルでこんなの見たな
3. 匿名処理班
清く神のもとに正しくなくとも、普通に生きていれば死刑の当事者として係わる事もない。
法が正しく、裁く側が公平であれば。
4. 匿名処理班
コールタールで固めるのがお約束。女性をやらなかった理由は
至って単純で、吊るすことにより男の市民が無意味な欲情を
発生し別の事件を発展しかねなかったのが理由
そのため裸で吊るす絞首刑でも同様な理由で女性はしなかった
5. 匿名処理班
ドリトル先生航海記の舞台になった時代でもこのような刑罰があったと言うことか。
今の時代からしたら驚くような刑罰でも、廃止されたのは意外に新しかったりする。
6. 匿名処理班
フォレスターの書いたホーンブロワーのシリーズにも描写が有るね、でもアレは軍法で裁かれたのかな?統計には入って居るのかな?
小説だと絞首刑がしょっちゅう行われてるみたいだけど。
7. 匿名処理班
人間の残酷ネタに対する創造力ってすごいよね
8. 匿名処理班
で、ウヰスキーとの関係は?
9. 匿名処理班
日本の場合、江戸時代の獄門(見せしめのために処刑後
切り取った首を晒すこと)は二晩晒すと撤去された。