サンチョ「坊つちやん」
親譲りの無鉄砲で子供の時から無茶ばかりしている。
父と旅をしていた時分一人で外に出て魔物に襲われたことがある。
なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。
別段闇雲に勇気を試したかったわけではない。父が人と大人の話をしていて手持ちぶさただったから外に出てみたというだけの事である。
ただその時私はスライム相手にも手こずるようなひ弱であったから、一時に三体の魔物を前にしてすっかり怯えてしまった。
近くに私の影が見えないことに気がついた父がすぐに駆けつけてくれたのでその場はどうにか収まったが、今度は父の怒声が飛んでくるかと腹を据えていると父の方はこれからは気を付けるんだぞ。と軽く窘めるだけでそれ以上私の蛮勇を非難することもなかった。
元来父は気性の優しい男である。
私はそんな父が大好きだった。
今私はある聖堂の建設予定地で労働する奴隷の身分となっている。
一応光の教団とかいう宗教団体の管轄にあるらしいが、どうもこの組織が気にくわない。
名目上の教義では魔物の蔓延る下界から正しき人々を隔離して平和に暮らすことを掲げてはいるが、実態は人々をさらっては奴隷としてこき使い、あまつさえ魔物を上司に置くような暗黒の教団である。
第一こんな胡散臭い連中にだまされる方も悪い。
最近では方々でちゃちな奇跡なんぞを演じて見せて人々を誑かしているそうだが、あんなのはただの呪文の応用でそこいらの子供だって練習すれば十分再現できる。
そんなことも見抜けぬとは余程学がないか、魔法系統に縁のない脳筋集団なのだろう。
そもそも光の教団のようなものが生まれ、また大手を振って天下を渡り歩くようではいよいよ世も末である。
しかしそんな檻の外の世情に目を向けられる余裕があるのは私ぐらいなもので、ヘンリーのような奴隷仲間は今日日の生活の方がずっと大事なようであった。
何しろ奴隷だから馬車馬の如く働かされる。しかも一般の労働ではないから給金などもない。
娯楽や褒美もなく、ただ果てしなく働かされる苦痛の中では人の心など生きていけぬ。
一人、また一人と落伍者が樽に詰められて華厳の滝へ流されていく中で、私とヘンリーはいつか必ず娑婆に出てやると気骨だけを頼りに踏ん張っていた。
それができたのは互いに心を許せる友人を持ったからに相違ないが、もう一つ、我々がこの地獄で生きる希望を失わなかった理由がある。
文字の読めぬ輩はそれを尻を拭く紙にして捨ててしまうが、ヘンリーの様な教育のある人間がそれを押し留めて少ない娯楽として反芻する。
隣からその様子を見ていた私は興味を抱き、ヘンリーに頼んで文字を教えてもらった。
王族の直系であるヘンリーは嫌々とは云えある程度勉強をしていたので文字が読めた。
しかし精々六歳くらいの知識だからあまり難しい単語は分からない。
そこで同じ被教育に助けを借りる。今でこそ考えにくいが、この頃の牢には王族や貴族がそれなりに収容されていたのだ。
もっともその大半は厳しい奴隷生活に耐えきれず死体となって外界の海と繋がる滝へ無期徒刑に処せられてしまったが。
ある程度ものを読めば書きたくなるのが性分である。
寝ているムチおとこの胸元からペンをくすねた我々は小説ともいえぬお粗末な散文を互いに読ませ合った。
何分読むことだけは必死になって反復していたので形だけは立派だ。
ヘンリーは派手な小説を好んでいたので砕けた文体だが、私はある小説家をえらく気に入ったのでそれを真似ている。
色々なジャンルに挑戦しては批評を重ねる内、ある時過去の自分の体験談を書こうと云うことになった。
六の年から奴隷として働いているので必定それより昔の話となるが、ヘンリーはいや、俺の生涯は今と変わらぬほど退屈だったから君が書き給えよと云う。
万事休すとなった時分、我々の目の前で女奴隷がムチおとこに虐められている。
私は何が嫌いだと云って弱い者虐めをすることほど嫌いな事はない。
奴隷の身分も忘れムチおとこに飛び掛かれば、ヘンリーも加勢して大騒動となった。
ムチおとこは伸したが監査の兵士が何の騒ぎだと駆け付けたのでいよいよもって窮地に陥った。
するとその兵士は倒れている女奴隷の介抱と我々を牢に閉じ込めておくよう命じた。
我々はどうなっても構わないが女奴隷が虐められるのは酷だと思っていたので、兵士の裁量には感慨を覚えた。
聞けばマリアの兄だと云うから合点がいった。マリアと云うのはあの女奴隷の名で、どうやら妹が助けられた恩返しをしたいらしい。
何をくれるのかと思えばなんと脱獄の斡旋をしてくれると云うから驚いた。
妹を抜け出させるついでだと云うが、そのついでがどれほど困難かは推して知るべきである。
何分難しいから少し時間を要すると云われたが、こちらはかれこれ十年も好機を待ち続けていたのだから今更十数日程度と笑ってやった。
数日後、はたして注文した品物を持ってマリアの兄がやってきた。しかも脱出の目処が立ったというので尚更嬉しい。
数日もせぬ内にまた来ると云って妹思いの勇敢な兵士は立ち去った。
それがついさっきのことだ。
これから記すのは私が六つの頃の不思議な体験の話である。
ここを抜け出したら間を置かずにこれを回収する所存だから、これを見つけたら我々は死んだものと見てよろしい。
その後は華厳の滝に流すなり仲間内で回し読みするなりどうとでもするが良い。
単に親の庇護があるという安心感だけでなく、父がそれ以上に人を守る気根のある実力者であったから、彼の隣にいれば百戦危うからずといった風の妙な無敵感を抱かせてくれたのだ。
また父の唱える呪文も尋常ではなかった。本人はホイミと唱えるだけだったが、その回復呪文はホイミの効能を遙かに上回る威力を持っていたように思う。
実の所そうではなく、ただのホイミであったのかもしれないが、幼少のか弱い自分に施される癒しの力はそういった幻影を見せてくれたのだ。
強いて思い出せる一番古い記憶と云えばどこぞの荘厳なお城で生まれたばかりの私を父が高く掲げて、それに驚いて私が泣き出したことである。
皆も知っている通り私と父は旅をしていたというだけの何の変哲もない一般市民だから、これは何かの本にあった出来事と混ざってしまっているのだろう。
父にそれを伝えた時も寝ぼけているなと笑われた。
曖昧な記述をして間違いがあるといけないから、より鮮明に思い出せる場面から話すことにする。
暇な私が船中を捜索していると突然物陰から大男がとびかかってきた。
見ると怖がらせるつもりなのだろう、珍妙に顔を歪めてこちらを威嚇している船員である。
呆れた私が黙っているとお、泣かなかったな、偉いぞと云って頭を撫でてくる。
実はそれなりに驚いたのだが、大男の顔が恐いよりむしろおかしかったのでこみ上げる笑いとで相殺されたんである。
それでも褒められるのはうれしいので黙って撫でられていた。
すると一向に蓋が動かない。調べてみると鍵が掛かっている。
船長にあれは開きますかと聞けばあれはルドマン様のものだから勝手に開けてはいけないよと苦笑する。
ルドマンとは誰ですと問えばこの船のオーナーだという。普段客は乗せないが、パパスさんのために特別にサービスとして乗せるんだと云っていた。
子供の私はよく意味を分かっていなかったから特別で乗せてもらえる父はそのルドマンとかいうのより偉いものだとばかり思っていた。
娯楽のない船の中に飽き飽きしていた私は一刻も早く陸に上がりたかったが、父がそれを押し止めた。
見れば歩み板を非常な速力で駆け上がるもの凄い奴がある。
赤いドレスに身を包み、バラの簪をした黒髪のおかっぱ娘である。それも肌や髪の健康状態から察するにいい身分の令嬢と見た。
おかっぱは船に乗り込むなり入口の前にいる我が父に向っておじさん、邪魔よと怒鳴りつけた。
父が驚いて後ずさると足回りのよくないドレスでありながらやはりすばらしい駆け足で奥の部屋へと消えた。
富豪がいや、娘が失礼しましたとおかっぱの非礼を詫びると、船長がお帰りなさいませ、ルドマン様と慇懃に頭を下げる。
この富豪が先の話に出ていたルドマンとかいうオーナーらしい。船長との会話からすると旅行の帰りのようだが、彼の晴れやかな顔を見るとそれもうまくいったようだ。
ルドマンが省みてフローラや。と呼びつけると何か小さい者が船の縁に必死に手をかけて奮闘している。
おや、少し入口が高すぎましたなと船長が呟くと、父がどれ、私が手を貸しましょうと幼い手を取って丁寧にエスコートする。
私は生来口下手であるからあまり美人の形容はできないが、旅をして方々の人々を見てきた経験から云っても全くの美人に相違ない。これは将来が実に有望であると子供心に思った。
船に上がった彼女は周りを取り囲む大人たちの注目を浴びていることを自覚したか、顔を赤くして俯向いてしまった。
ルドマンがお礼をしなさいと促すと、気恥ずかしながらもしっかりと顔を上げて、ありがとうと太陽の如くまぶしい笑顔を見せた。
遠くからぼけらと眺めてばかりいた私はその笑顔を見て自分に
コメント一覧
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- 2016年10月23日 23:01
- 良いけど、長いって文句が容易に予想できる
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- 2016年10月23日 23:06
- なぜかサイテョに空目した
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- 2016年10月23日 23:54
- 良かったぜ
原作リスペクト(ドラクエの方は言わずもがな、木から落ちたときのセリフとか)もあって素晴らしい
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