10月10日朝、愛息の勸玄(かんげん)くん(3)と愛娘の麗禾(れいか)ちゃん(5)の幼稚園の運動会に出席した小林麻央(34)。
そんな小林のガンを見逃したともいえる医師を直撃している→ ranking
(以下引用)
麻央は、骨や肺に転移のあるステージ4のガンであることを公表している。
「最初に診た医師がしっかりしていれば、ここまで深刻にならなかった」
そう語るのは、ガンの専門医だ。
2014年2月、麻央は夫の市川海老蔵(38)と一緒に人間ドックを受診したとき、乳ガンの疑いを持たれる。
すぐに港区にある大病院で再検査。担当したのは、乳腺外科のA部長だ。
「当時、同科には部長が2人いた。もう一人の部長だったX医師は臨床経験が豊富な名医で、現在は赤坂で開業している。X医師が診ていれば、このとき発見できたはずだ」(同前)
結果、A部長はガンを見落とした。
「8カ月後、乳房に違和感を持ち、検査を受ける。ここでやっと乳ガンが発見された。告知したのはA部長だ」(同前)
すでにリンパ腺にガンが転移した状態だった。通常、このようなガンの場合、抗ガン剤によってガンを小さくし、手術で切除するのが「標準治療」だ。
「当然、A部長は標準治療を提案した。だが、麻央さんは乳房の温存を望んでおり、提案に難色を示した」(同前)
東大医学部出身のA部長は「使う用語が難しく、患者への説明がうまいタイプではない」(元患者)という。
「麻央さんの説得には、A部長の部下のB医師も加わった。だが、B医師は『それもひとつの選択肢』と非標準治療に理解を示し、説得を諦める。結局、麻央さんは病院を去った」(前出・ガンの専門医)
1年半後の今春、中央区の病院を麻央が訪れたとき、ガンは骨と肺に転移したステージ4。ガンが皮膚から飛び出すほど、悪化した状態だったという。
「もし、最初の診察でガンが発見できていたら。標準治療の有用性をもっと真摯に説明していたら、状況は変わっていたはず。悔やまれてならない」(同前)
A部長とB医師はどう答えるのか。
本誌の直撃に、A部長は「小林麻央さんの担当だったことについてはお答えしていません」。
B医師は「私は関係ない。診ていません」とのことだった。
港区の病院は「患者さんのプライバシーに関することはお答えできません」(総務課長)。
幼稚園に入っていく麻央の足取りは強かった。奇跡を信じて、麻央は力強く歩んでいく。
(週刊FLASH 2016年11月1日号)
これにネットでは「リンパ節転移があって病院を出て次の病院に行ったのが一年半後って遅すぎるわ」「医師がしっかり見てくれてない感は感じること多い。これはむしろもっと疑って患者側が別病院行ってでも詳しい検査要求すべきだったな。患者の検査要求を無視する医者なんて今の時代は皆無に等しいからね」「還元君のお披露目では髪の毛あるし、鎮痛剤飲むのも拒んでたとか、一体空白期間何やってたんだろ」「いい医者探しといい弁護士探しは似てるな。とても難しい」「カルテ、レントゲン残ってんだから患者がもらえばいいだけ。そこにハッキリガン細胞が写っていれば医者終了」「人間ドックで疑い持たれたら、1つの病院で検査した結果大丈夫と言われても鵜呑みにするなってことや。麻央は初期で複数の病院受診するべきやった」などの意見が。
疑わしい事がある時はセカンドオピニオンはとても大切なんですね…。
しかし、麻央の件については、空白の1年半は何をしていたのか気になる所・・・。
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ガンが皮膚から飛び出す状態になるまでほっとくなんて完全に自己責任だよな。
かわいそうに。
たしかに歌舞伎役者、しかも総本家だということを考えれば長男にかかるプレッシャーは大きいだろうし、もうひとりかふたり男の子を産んでおきたいところだったとは思う。乳がんが発覚した時点で卵子を取り出して、冷凍保存するとか、そういう提案をされれば少し違った結果もあったのかも知れないけど、それでも積極的な治療をせずにいた本人の責任だと思う。
再度検診したときはまだステージ2で、寛解の見込みも高かったし、寛解後にもうひとり子どもをつくれる可能性もあったと思う。
乳房切除や子宮摘出は女性なら誰でも避けたい手術だけど、母親も乳癌で、癌については多少の知識はあったはずなのに、放置して悪化させたのは本人の責任だと思う。