気になる記事がありました……
日本で白黒テレビが普及し始めたのは1950年代で、カラーテレビの普及は1964年の東京オリンピック以降でした。
古いカタログなどを見ると、たしかにその頃のテレビのデザインは脚付きが多かったようだけど、1970年代に入ると脚の長さがどんどん短くなっていき(胴が長くなったとも言える)、1980年代に入ると脚付きテレビ自体、ほぼ姿を消しています。
そしてファミコンの発売が1983年(昭和58年)。
というわけで、話題になってる画像のような脚が長いタイプのテレビは、ファミコン発売当時でも、よっぽど物持ちのいい家にくらいしかなかったはずで、僕の実体験としても、自宅や、ともだちの家、おばあちゃんの家ですら、このような脚の長いタイプのテレビは見たことありませんでした。
したがって、この組み合わせが
「感動の再会」と表現されていることに違和感ありまくりなんですよね。
文中では「どこからどう見ても昭和な光景」って言ってるけど、この記者さんは
どこでこんなレアな光景を見たんでしょう(笑) もちろん、まったく無かったとは思いませんが、この記事みたいに「この組み合わせが昭和のスタンダードだ」みたいな書き方されると、1mmもピンと来ない自分がいます。
※さらに言うと、記事では「脚付きブラウン管テレビ」と紹介されていますが、ツイート主さんによると、このテレビの中身は液晶だそうです。・
「ファミコンは昭和の玩具ではありません」という話(2015/07/03)
こちらの記事でも書いたのですが、意外とみんな知らないのかな。ファミコンが現役だったのは1983年~1994年で、昭和が平成になったのが1989年1月なんですよ。
つまり、
ファミコン時代の50%は平成だったんです!
※こちらはオロチ所有の1980年製HITACHI「KidoColor C14-420」当時はこんな感じのテレビでしたね。なんなら、これでもちょっと古いくらいかな。 そう考えると、この「感動の再会」ってワード、ぜんぜんハマってないじゃないですか。たしかに1990年11月にスーファミが発売されると、時代はとたんにスーファミ一色になってしまうので、平成時代のファミコンのイメージが薄いってこともあるかもしれません。(最後2年間にいたってはぜんぜんソフト出てなかったし)
でも、昭和を63年間とすると、ファミコンが稼働してた期間は最後のわずか6年間であり、その割合はたったの9%。
それでいてファミコンはこのように、世間からは
「昭和の象徴的存在」みたいに思われてるわけだから、いかに日本人にとって印象深い玩具だったかが、わかるってものです。
ちなみに、情報元であるツイート主さんは、そんなことわかった上で、レトロなものを組み合わせて楽しんでいらっしゃるといった感じで、感動の再開だの、昭和の光景だの、一言もいってませんでした。ですよね……
そういえば以前、日本有数のホーロー看板コレクター某氏とお会いした時、こんなこと言ってました。
昭和時代を題材にした映画を見てると、画面に写り込んだホーロー看板の年代が間違ってることが多くて、気になって仕方ない。
わかるなあ(笑)
あれ、この看板、この時代にはまだ無かったはず。みたいなやつを見つけちゃったら、もう気になっちゃって仕方なくなっちゃうアレですね。べつに、こっちは好きで気になってるわけじゃないんです。無意識レベルで違和感が飛び込んで来るっていうか、素直に楽しみたいだけなのに、ついつい気になっちゃうんですよね。
果たして気になるほうが悪いのか。気にさせるほうが悪いのか……
参照サイト:テレビ今昔物語 パナソニック テレビと家電の歴史 他
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初ファミコンのテレビは
家具調テレビだったなぁ