2016年11月17日
『ドリームキャストは発表当初、2、3と続いていく構想だったとしているコラム記事』が掲載中。
ドリームキャストは発表当初、2、3と続いていく構想だったとしているコラム記事が掲載中。故大川会長がドリームキャスト発表会で述べたものであって、ハードビジネスは続ける方針だったものですね。
時は1998年。ドリームキャスト発表会が大々的に行われた式典にて、故大川氏が発表の際、『ドリームキャストが1、2、3と続いていく際』という言葉を使い、シリーズ化させて定着を狙っていた事が当初伝わっていて、1の投入後、時期をみはらかって2を投入するプランを報道陣に向けて伝えていました。
CPUは日立製のSH4が採用され、GPUは当時NECのパワーVRを採用、ディスクはGD-ROMという1GB搭載の独自規格になっていて、1998年では最先端をいくチップを使用した事によリ、ポリゴンを表示するだけなら300万ポリゴンを実現させ、当時のセガのモデル3よりもスペックが一部上回るクオリティを誇っていました。
しかし、PS2が発表された際、エモーションエンジンを搭載して、6600万ポリゴンと謡われたスペックはドリームキャストを揺るがす大事件になったのは覚えています。
今思えば、ここで19900円にしないで29800円でがんばっているべきでしたね。PS2がDVD付きとはいえ39800円でしたから、まだ1万円アドバンテージがあった訳で、ここで無理したために1台1万円の赤字が発生する事になります。
PS2がDVDと搭載で2000年3月4日にデビューしてから2年くらいがんばればドリームキャスト2へバトンタッチする事が可能だったはずであって、セガの先見性のなさが露呈した感じでしたね。出荷台数は1080万台でしたが、これは生産停止が日経によってすっぱ抜かれ、それによりセガの香山氏が撤退するべきだと打診したためにアメリカ市場が崩壊したのが原因で、これが無ければもっと売れていて、2000万台近くはいっていたでしょうね。そしてセガ社内で激論が繰り広げられて、撤退が決定したものです。
撤退の最大の理由が赤字幅の増大でしたから、やっぱり値下げとソフトの制作コストの抑制が効かなかった事が大きな要因として挙げられるでしょうね。とはいうものの、ドリームキャストのソフト制作費は今の現行機よりずっと安いものでしから、赤字で身動きとれなくなってしまってからでは遅いという社内の空気が足りなかったのが敗因だと思います。
あのまま生産中止になっていてもドリームキャストを続ける事さえ出来れば、ドリームキャスト2、3という流れを作っていけたのではないか?という個人的な思いもあっていまも残念に思います。
時折、ドリームキャスト2待望論が海外で沸き起こりますが、今のセガサミーにそれを求めるのは無理であって、GD-ROM専用機を作ることさえ不可能になっているので、もし実現できればファミコンミニのようにソフト内蔵ではなくても本体を5000円くらいで作ってくれればまた盛り上りそうなんですが、無理な相談なんでしょうか・・・
とはいえ、セガの赤字はしたのグラフの通りになっているので、撤退という道しか残されてはいなかったのが現実としてあったようで、逆に今のセガが冒険しなさすぎるこじんまりとした会社になってしまったのが当時のセガのよさを十分知っている身からすれば残念でなりません。
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No title
ハッタリの6600万ポリゴンに惑わされたのが
痛かったですね。実行能力的には300万ポリゴン
程度だし、もちもんドリキャスも同じく
実行能力的に150万ポリゴン程度まで
落ち込みますが公称値ほどの差はないし
PS2の2倍もあるVRAMを活かした発色の良さを
アピールするとか、無理な値下げの前に
戦う手段はまだまだあったと思います
| ライラ | 2016/11/17 17:59 | URL | ≫ EDIT