1: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2016/12/02(金) 16:19:46.68 ID:CAP_USER9.net
「的場 上原撃てる」で1面!?
99年阪神タイガースドラフト1位の的場寛一が、メディアの恐ろしさを知ったのは、入団会見直後のことだった。
12月15日、ドラフトで指名された8選手が甲子園球場と合宿所を見学している。
「新聞記者の人から“甲子園どうですか?”って聞かれたので“もう素敵ですね”と。
また別の記者が“こんなところで左中間真っ二つのツーベースとか打ったらいいですよね”と話しかけてきたんです。そりゃそうですよねと相づちを打った」
すると――。
翌日の『デイリースポーツ』紙の一面には甲子園球場に立つ的場の写真に〈いきなりイメージわいた 的場 上原撃てる〉という見出しが踊っている。
〈「一番、ショート・的場」。場内アナウンスを受け、緊張の甲子園初打席に立つ。マウンド上には、宿敵・巨人の上原が…。
20勝投手の初球は真っすぐ。的場の打球は、快音を響かせた。弾丸ライナーで、あっという間に左中間フェンスに達していた。
「左中間を真っ二つ。悠々の二塁打でしたよ」
的場は、スコアボードを眺めながらニッコリ笑った。宿敵を打ち砕いた“甲子園初打席初安打”。
約二秒間のイメージだったが、的場はプロとして生きていく姿を、しっかりと頭に描いていた〉(99年12月16日付)
的場とIBAFワールドカップ日本代表で同僚だった上原浩治は、前年に読売ジャイアンツに入り、20勝4敗という好成績を残していた。
的場は記者に上原と対戦して二塁打を打ちたいなどと話していない。全く違う内容の記事となっていたことに呆れていた。
突然の広報からの連絡
さらに――。
正月、尼崎の実家に滞在していた的場の電話が鳴った。相手は阪神の広報担当者だった。
「元旦か2日だったと思います。大学が休みだったんで、ゆっくりしていたわけですよ。
そうしたら“的場君、1月4日空いている?”と。自主トレ風景を撮影したいので、形式的に甲子園で練習して欲しいっていうんです」
いやいやいや、と的場は一度は断った。しかし、広報の説得で“自主トレ”をすることになった。
「ぼく、そのとき布団の中にいたんですよ。全然身体、動かしてなかったです。
えらいこっちゃと、ボーイズ(リーグ時代)の友だちに連絡して、“ちょっと手伝ってくれへんか”と」
翌日の『デイリースポーツ』紙の記事はこうだ。
〈真冬とは思えないポカポカ陽気の中で「我が庭」となる甲子園球場の感触を存分に味わった。
ランニング、キャッチボール、ペッパーと軽くこなし、約1時間で「甲子園独占自主トレ」をフィニッシュ。
「人がいなかったから寂しかったですよ」というジョークも目は笑っていなかった。
野村監督が今季に勝負をかけるように、的場もこのプロ1年目に自身の未来を見据えていた〉(2000年1月5日付)
ドラフト1位、期待の新人選手が自ら志願し甲子園で自主トレを始めたという調子である。
的場はこう振り返る。
「内野には入れなかったんですよ。ファールゾーンと外野芝生は使ってもいいよと言われて。
でも、友だちと二人でやれることなんか、知れてますよね。
キャッチボール、ペッパー、トスバッティング、バッティングはできない。もうええの?っていう雰囲気で終わりました」
スポーツ新聞側から何らかの形で的場の記事を作りたいという要請があったか、
あるいは、広報が気を利かせたか――。どちらにせよ、選手のため、ではなかった。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161202-00010002-baseballc-base
ベースボールチャンネル 12/2(金) 12:10配信
靭帯の手術を何回もしたり、脱臼したりね・・・まぁドラフト1位クラスだったかどうかは別としてね