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ときに、敵認定した相手が親友になることはありうる。好きの反対は嫌いじゃない、無関心なのだ。嫌いも好きも相手を意識しているということだ。で、あるならば大嫌いから大好きに、大好きから大嫌いになるということもありうるのだ。
そしてまた政治的、歴史的背景、立場の違いから敵対関係にあったものが、ある出来事がきっかけで仲良くなることもある。お互い人間なのだから。
ここでは敵対関係にあるはずの個人や団体が友情を築き上げた20のケースを見ていこう。
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1. クリスチャンとイスラム教徒の友情(エジプト)
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エジプトでクリスマスシーズン、教会に向かうクリスチャンたちをイスラム教徒が守ったというエピソードがある。2011年、イスラム過激派テロリストが、エジプトで少数派のクリスチャン21人を殺害する事件が起こった。
そのため、クリスマスイブの礼拝のために教会に行くのも、クリスチャンにとっては命がけだった。一同が恐る恐る教会に到着すると、イスラム教徒の集団が待ち構えていた。
だが、彼らは明確なメッセージをクリスチャンたちに伝えるためにそこにいた。「テロリストたちがあなたがたを殺そうとするなら、まずわたしたちが殺されなくてはならない」イスラム教徒たちは、自ら人間の盾になるためにキリスト教会に集結したのだ。
2. アップルの倒産の危機から救ったマイクロソフト社
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1997年8月6日はアップル社はマイクロソフト社によって救われた。
財務困難に陥っていたアップル社に対し、マイクロソフト社は1億5000万ドル以上を出資し、さらにはMicrosoft Officeをアップル社のmacでも使えるように開発がすすめられた。
これには裏事情がある。スティーヴ・ジョブスがゲイツと接触して個人的に取引をもちかけたのだ。アップルは、特許侵害でマイクロソフト社を訴えていたが、マイクロソフトの弁護士たちは長期にわたり訴訟を引き伸ばしていた。
もし条件をのんでくれたなら訴訟を取り下げるという約束を交わしたのだ。約束は守られ、アップルは業績を回復した。
ジョブズはこの年の講演で、「我々は”アップルが勝ち、マイクロソフトが負けるべき”という考え方を改める必要がある」と述べたそうだ。
3. 投獄されていた囚人、ネルソン・マンデラと仲良くなった看守
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南アフリカの政治家、ネルソン・マンデラは、若くして反アパルトヘイト運動に身を投じ、27年間に及ぶ獄中生活を送った人物だ。
その時の看守だったクリスト・ブランドは、アパルトヘイトを頑なに支持していたが、マンデラと接触しているうち、その誠実で情け深く、謙虚で慈悲の心に満ち溢れたマンデラの性格にいたく感銘を受け、その考えを改めるようになった。
やがて、マンデラは教育の価値について父親のように助言した。ブランドは食べ物やお気に入りのシャンプーなどを密かに差し入れしたり、マンデラの孫の訪問すら許すようになった。ブランドはマンデラにアフリカーンス語(南アの公用語のひとつ)を教えたりした。すべての人の内面には根本的に慈愛が隠されているということを、ブランドは確信したとマンデラは語った。
4. ヒトラーがゲシュタポから守ったユダヤ人
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エルンスト・ヘスは、母親がユダヤ人だったため、彼はほかのユダヤ人と同じ扱いを受けた。ダビデの星をつけなくてはならず、町でナチ支持者に繰り返し嫌がらせをされた。
しかし、ヘスは第一次大戦のとき、ヒトラーの指揮官だった。ヒトラーはヘスの救済と保護を保証し、ゲシュタポに対して、ヘスはいかなることがあっても、不都合な人間であることはないと指示した。ヘスはユダヤ人の先祖がいることには一切言及していない新しいパスポート携帯も許された。
5. 文学で意気投合したホームレスと弁護士
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敵対関係にあったわけではないが、身分が違うもの同志が培ったつながりはこのリストに入れておくべきだろう。ある敏腕弁護士は、毎日通勤途中でひとりのホームレスを見かけていた。そのうち声をかけるようになり、冗談を言い合うほどの仲となった。
話をしているうちに、ピーター・レズニックとホームレスのロブは、お互い文学が好きなことがわかった。レズニックがロブに本を買ってやり、ロブはその本をほかのホームレス仲間に回すようになった。
本を読んでそれについて語り合うことが楽しいことに気がつかされた仲間たち。そしてついにブッククラブが誕生した。それ以来、このアイデアは、アメリカ、ヨーロッパ全土で広まっている。
6. アメリカ人とイギリス人
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アメリカ革命で、イギリス人とアメリカ人の戦いは残酷で血なまぐさいものだった。しかし、アメリカ建国の父のひとり、ジョン・アダムズは法廷でイギリス人兵士を弁護した。
ボストン虐殺のとき、8人のイギリス兵が怒り狂う群衆に発砲し、5人が死に、複数が怪我を負った。このイギリス兵たちを弁護することは自らの命をかけるようなものだったが、、ジョン・アダムズはあえて名乗りをあげた。8人のうち6人を釈放したたけでなく、故殺で有罪とされた残りのふたりも親指への烙印のみで放免した。
7. 囚人と判事に芽生えた友情
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麻薬中毒の服役囚と控訴裁判所判事は本来ならば敵同士だ。しかし、このふたりは人生を変えるような友情を育んだ。
マイケル・バンヤードは元ギャング、麻薬の売人、コカイン中毒者で、25年の刑に服役することになった。彼は控訴を求める手紙を書き、それが、判事のスペンサー・レッツの目に留まり、その心を動かした。レッツは判決を覆し、更生の間にバンヤードの良き相談相手となった。その後、バンヤードは服役囚の子どもたちを教育する人材を育成する組織、イーチワン、リーチワン、ティーチワンを設立するに至った。
8. 北軍と南軍の兵士に芽生えた友情
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リンカーン大統領はフレデリックスバーグの戦いをまるで屠殺場のようだと表現した。しかし、それはまた北軍と南軍の兵士が友人同士になった戦いでもあった。
両軍はラッパハノック川の両岸で野営していたが、時間がたつにつれて次第にイライラがつのっていた。そこで、両者は間に合わせのおもちゃの船を作り、それに贈り物を乗せて対岸の敵方に向けて放った。南軍はタバコを、北軍はコーヒーを積み込んで船を行き来させたのだ。ついに両軍は川の反対側へ渡って顔を突き合わせ、おしゃべりをし始めたという。
9. イギリスと日本、戦争捕虜と拷問相手
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元戦争捕虜のエリック・ローマックスは、自分を拷問した相手を殺そうと計画した。だが、再会した結果、2人は良き友となったという。
第二次大戦のとき、イギリス軍の士官だったローマックスは、捕虜になり拷問を受けた。戦後、ローマックスは50年近くの歳月をかけて自分を拷問した相手を探し続けた。そしてとうとう、元日本軍の永瀬隆をついに見つけ出した。しかし、永瀬は戦中のことをひどく後悔しており、その生涯を慈善事業に捧げていた。それを知ったローマックスは復讐心が一気に消えていった。ふたりは互いに共通した部分がたくさんあることがわかり、残りの人生を良き友として過ごした。
10. 黒人人権活動家とKKKメンバー
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1971年、人種差別廃止活動家の運動を阻止するため、ひとりのKKKが送り込まれた。結果的に、ふたりは力を合わせて人種差別と戦うことになった。
黒人人権活動家アン・アトウォーターは、学校で行われる人種差別撲滅のための10日間の市民集会で議長を務めるよう頼まれた。しかし、ノースカロライナ州ダラムの市議会は、KKKの最高幹部サイクロップス・クレイボーン・P・エリスをアトウォーターの共同議長に任命して、彼女の邪魔をしようとした。
しかし、緊迫した何日かが過ぎると、ふたりは絆を結び親友になった。エリスはKKKを脱退し、アトウォーターと組んで長い間、社会的不公正と戦った。
11.
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1942年、藤田信雄はオレゴン州ブルッキングスの町を爆撃した。しかし、ブルッキングス市は藤田に名誉市民の称号を与えた。
アメリカにとって藤田は、戦時中実際にアメリカ本土を爆撃した敵だった。彼の爆撃による火災の被害は小規模だったが、アメリカの敵として認識されるのに十分だった。しかし、1960年代、当のブルッキングス市の青年商工会議所は、来たるアザレアフェスティバルのために藤田を現地に招待した。
藤田は戦犯として非難されるのではないかと思っていたが、予想外に大歓迎され、400年代々家に伝わる日本刀を最終的な降伏の証として市に寄贈した。
12. 誘拐犯と誘拐された子どもに芽生えた友情
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クリス・キャリアは子どものとき、誘拐され拷問されて瀕死の重傷を負わされて放置された。だが、彼はその後、誘拐犯の唯一の友人になった。
1971年、デイヴィッド・マカリスターはクリス・キャリアを誘拐し、タバコの火を押しつけ、アイスピックで何度も刺し、頭を撃って、エヴァグレイズに放置した。
1996年、マカリスターは罪を告白し、キャリアは彼と対峙することになった。その頃にはマカリスターはすでに目が見えず、介護施設で暮らしていた。マカリスターは過去を謝罪し、キャリアは彼を許した。それからずっとキャリアはマカリスターを見舞い続け、彼が人生最後の日々にきちんとケアを受けられていることを確かめている。
13. コーカコーラ社の企業秘密を守ったペプシ社
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コークとペプシはもっともよく知られたライバル企業だ。だが、ペプシはコークの企業秘密を守った。
2006年、コカコーラの社員ジョヤ・ウィリアムスは、ペプシに対して、会社の極秘情報とこっそり盗み出した商品サンプルを提供すると持ち掛けた。ペプシはライバル会社の機密を買うことに関心を示しつつ、それをひるがえして密かにコークの幹部に接触した。両社はFBIを呼び、おとり捜査の末、結局、ウィリアムズと共犯者は刑務所に入ることになった。
14. 息子をひき殺したドライバーと仲良くなった両親
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1982年、テッド・モリスは飲酒運転の車にひき殺された。テッドの両親はその運転手の良き師となった。
死亡事故だったにもかかわらず、トミー・ピガージへの判決は5年の執行猶予つきだった。テッドの両親はこの軽い判決に怒り、このままピガージが姿をくらまさないようつきまとい始めた。
しかし、ピガージが体育館に集まった高校生たちに向けてした話を聞いて、両親は気持ちを変えた。ところが、ピカージはアルコール中毒で執行猶予が期間が終わる前に刑務所に入ることに。夫妻は刑務所に出向きいろいろと話をし、出所後は教会に連れて行った。ふたりの支えがあり、ピガージはアルコール中毒を克服し、人生を変えることができた。
15. 十字軍の遠征で起きた敵
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第3回十字軍を率いたリチャード一世とイスラム勢力のサラディンは、熾烈な敵同士だった。しかし、サラディンはリチャードの命を救った。
リチャードはそのとき、砂漠の真ん中で、疲弊した軍を率いて戦いに臨んでいた。自分自身も病気で発熱していた。この十字軍の最大のターゲットであるサラディンは、リチャードが病気であることを知り、自分の主治医を送り込んで治療にあたらせた。敵の大将を看病して回復させただけでなく、高熱を下げるためにと砂漠に雪を送り届けたのだ。
16. KKKメンバーと黒人に芽生えた友情
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黒人であるダリル・デイヴィスはKKKのローブを20着以上所有している。KKKのメンバーが、友情の意思表示としてKKKを脱退し、各々のローブをデイヴィスに贈ったのである。
1983年、ミュージシャンのデイヴィスが、カントリーウェスタンバーで演奏していたとき、あるひとりの男と友人になった。その男はKKKのメンバーだった。デイヴィスの音楽のすばらしさに感銘した彼は主義主張を捨て、KKKを脱退し、その証としてローブをデイヴィスに渡した。
以来デイヴィスは他のKKKのメンバーたちとも親交を育んでいった。その結果、KKKのローブやフードが増えていった。KKKのメンバーたちは、デイヴィスとの友情のために組織を去ることを選ぶのである。
17. 米軍のB-17爆撃機を安全な場所に誘導したドイツ軍パイロット
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チャールズ・ブラウンとフランツ・スティグラーは、第二次大戦のとき敵同士のパイロットだった。だが、スティグラーはブラウンの戦闘機を安全な場所に誘導した。
1943年12月、米軍パイロット、ブラウンのB-17爆撃機が攻撃され、クルーともども敵の領域内で無防備状態で取り残されてしまった。ブラウンが窓の外を見ると、スティグラーの操縦するドイツ軍のメッサーシュミットが見えた。
驚いたことに、スティグラーはブラウンに対して親し気に会釈し、彼の飛行機を安全な場所へ誘導した。スティグラーによると、ブラウンらを空中で一気に粉砕するつもりで向かったが、彼らがまるで丸腰なのを見て気が変わったという。
18. 娘を殺し自分の右手を奪った敵を許し、ともに活動する女性
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、1994年にルワンダで発生したジェノサイド、ルワンダの虐殺は、フツ系の政府とそれに同調するフツ過激派によって、多数のツチ族とフツ族の穏健派が殺害された。正確な犠牲者数は明らかとなっていないが、およそ50万人から100万人とも言われている。
エマニュエル・ヌダイェサバは、フツ族の殺し屋として、ツチ族を皆殺しにするために雇われた。彼の蛮行のひとつが、アリス・ムカルリンダの手を切り落とし、その娘を殺めたことだった。
のちにヌダイェサバは自首して服役し、出所するとツチ族の生き残りたちに自分の蛮行を謝罪し始めた。アリスと再会したとき、ヌダイェサバは許しを乞い、彼女はそれを受け入れた。ふたりは一緒に、生存者たちの住む家を建設するために一緒に活動している。
19.
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第一次大戦のときイギリスとドイツの兵士たちは熾烈な戦いをくりひろげていた。しかし、クリスマスの日、その日限りの友となった。
1914年のクリスマスイブ、ドイツ軍の前線では、塹壕に明かりが灯され、クリスマスキャロルが歌われ始めた。そして、イギリス軍に向けて、ハッピークリスマスの旗印が掲げられた。すると、両者とも塹壕を出て顔を合わせ、互いに敵である相手に挨拶した。
サインを交換しておしゃべりをし、クリスマスの間はお互い攻撃しないと取り決めた。間に合わせに作ったボールとゴールでサッカーを楽しんでクリスマスを和やかに過ごしたのだ。
20. 元ネオナチのスキンヘッドとフルボッコされたゲイの男性が手を取り合う
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1981年、暴力的なネオナチのスキンヘッドの男性が十代の同性愛者を殴り、瀕死の重傷を負わせた。だが現在、ふたりは手を取り合って不寛容に対抗する慈善事業を行っている。
ティモシー・ザールは、スキンヘッドの仲間たちと町をうろついていたとき、たまたまマシュー・ボーガーと出くわした。この時ボーガーは、ゲイであることを告白して家から追い出されており、ザールにフルボッコにされた。
ザールはその後、ネオナチとの関わりを断ち切って活動家になった。24年後、ザールは寛容の博物館の館長になっていたボーガーと再会した。ふたりは話し合い、自分たちが共有している過去に気づいた。一緒に慈善事業を行い、ふたりの過去は本のテーマになり、そのドキュメンタリーはオスカー候補にもなった。
via:20 Weird Friendships That You Won't Believe Actually Happened
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ガンジーがヒトラーへ宛てた手紙「我が友よ」
戦場で激戦を繰り広げていた敵軍が、この日だけは友となる。奇跡のクリスマス休戦が映像となって再び蘇る。
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コメント
1. 匿名処理班
20のザールは何かに目覚めてしまったか(意味深)
2.
3. 匿名処理班
アメリカ人は武田信玄と上杉謙信を知らないのかよ
4. 匿名処理班
そのレアなケースはレアだからこそ注目されるわけで
そのレアなケースを基本目標にして良いわけではない
それを目指してみるも無残な結果が出たケースは5万と存在する
5. 匿名処理班
1.クリスチャンとイスラム教徒の友情(エジプト)
これ、同じエジプトで逆バージョンも起こってたよね、ムスリム人たちのお祈りしてる時間をキリスト教徒が守るために人間の盾になるやつ。
憎しみによる復讐は時に連鎖していってしまうけど、こういうのがどんどん連鎖されて繋がったらいいね。
6. 匿名処理班
偽善と言われるかも知れないけど 17は判るような気がする、命令でやっているからね、
世界第二位のスコアを持つバルクホルンも相手に脱出を勧めたって言うしね、
7. 匿名処理班
※3
むしろなんで知ってると思った?
8. 匿名処理班
ナチに協力的だったユダヤ人は戦後ひどい目にあったんですね
9.
10. 匿名処理班
絶対許せないのがいくつもあるよ…
11. 匿名処理班
2はビルゲイツがしたたかだっただけじゃ
アップルが潰れたら独禁法で分社化になっちゃうし
訴訟も取り下げてもらえるしで
うはうはじゃん
12.
13. 匿名処理班
いい記事なのに最後にフルボッコなんて安い言葉を使うから台無し感が・・・
14. 匿名処理班
マイクロソフトとペプシのは打算的なものに思えてしまう。
15. 匿名処理班
※4
だよね。
もちろんこういうケースもあると信じたいけど
>>好きの反対は嫌いじゃない、無関心なのだ。
最善でここ、無関心になることで突発的な衝動を落ち着かせてる。
16. 匿名処理班
フランツ・スティグラーは戦闘能力を失った機体やパイロットに戦闘の意志が無い、と判断すると見逃していたけど、機銃が故障して基地に戻る最中にP51ムスタングに撃墜されているんだよね。
17. 匿名処理班
片方がもう片方の思想に取り込まれただけよね
結局のところ勝者は常に一人
18. 匿名処理班
※3
アレ、脚色されているだろ。
19. 匿名処理班
サラディンは利権とかなしでキリスト教の敵に金を貸してやる良い奴
20. 匿名処理班
20年ほど前に今と同じようにフランスで移民排斥の空気になった時に「僕の友達に手を出すな」というスローガンとSTOPを表す手のひらのマークで若者たちが排斥に抵抗する運動をしてたのを思い出した。