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1950年代の北海道千歳市の様子がわかるヴィンテージ写真 : カラパイア

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 北海道千歳市は、道内最大の空港でもある新千歳空港で有名な都市となった。人口はおよそ9万人、今では多くの人々がここを拠点に道内を行き来する。

 以下は昭和25〜35年(1950年代)に千歳に滞在していた外国人がとらえた当時の風景だ。戦後を思わせる景色も一部あるが、空港や滑走路のイメージとは無縁に見える北国の暮らしが写っている。
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 千歳市は飛行機と縁の深い都市だ。今から90年前、大正15年(1926年)に当時の千歳の村民が着陸場を造ったことがきっかけで、飛行機の離発着の場として使用されることとなる。
 
 その後、着陸場は次第に規模を増し、拡張後は軍用機にも用いられた。そして太平洋戦争後の昭和26年(1951年)には羽田空港につながる民間の飛行機が就航。自衛隊の駐屯地や航空基地の役割も担うようになった。

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image credit:Phil Peters

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via:vintag・translated D/ edited by parumo
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コメント

1

1. 匿名処理班

  • 2016年12月29日 19:14
  • ID:e79uIrwF0 #

千歳住んでたことあるけど当然ながら全然違うなあ

2

2. 匿名処理班

  • 2016年12月29日 19:27
  • ID:.gyW.2w.0 #

いいなぁ、こう言う感じの写真は好き

3

3. 匿名処理班

  • 2016年12月29日 19:38
  • ID:Vw1pViN90 #

なぜ千歳がチョイスされたのだろう。
とても嬉しいけどびっくり

4

4. 匿名処理班

  • 2016年12月29日 20:03
  • ID:inozblld0 #

なんか心がほっとした

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5. 匿名処理班

  • 2016年12月29日 20:16
  • ID:cpF39drq0 #

ヒンナヒンナ

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6. 匿名処理班

  • 2016年12月29日 20:24
  • ID:Jh5.3LLA0 #

※3
終戦後千歳基地は1959年まで米軍が所有してた(50年代に入ってからは民間路線も復活してや警察予備隊も千歳に入ってたけど)からその関係で千歳に住んで商売してたアメリカ人は居たんじゃないかな。

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7. 匿名処理班

  • 2016年12月29日 20:30
  • ID:IE.3f7Hw0 #

なんでこんなにきれいな写真なのかしら

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8. 匿名処理班

  • 2016年12月29日 20:47
  • ID:skLYstV40 #

札幌に近いこともあり、また1950年代という高度経済成長期只中、石炭産業で北海道が輝いていたころの写真だけに、街にも活力があふれているようだなあ。

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9. 匿名処理班

  • 2016年12月29日 20:54
  • ID:BUp4LeNN0 #

6.食堂のメニューが「チャンハン」になっている。
11.何の仕事をしている人なのでしょうか?
18.水谷自転車 なつかしい!子どもの頃に乗っていました。会社は新車製造は撤退したが自転車用品の代理店として存続しているみたいです。
23.「明朗正札 値引の無い店」値引きが無いのがセールストークになる時代だったのが信じられない。

※7 写真がきれいなのは4×5とかの大判カメラに当時高価だったコダック等の高画質輸入カラーフィルムを使用していたためと思われます。 WEB掲載にあたりデジタルでさらに処理されているのかもしれませんが。

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10. 匿名処理班

  • 2016年12月29日 21:04
  • ID:8OQIMYps0 #

三河漫才は全国的だったのかね?

子供はどの時代でもかわいいね

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11. 匿名処理班

  • 2016年12月29日 21:17
  • ID:jmUPCIns0 #

大正と平成が混ざってる感じ

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12. 匿名処理班

  • 2016年12月29日 21:32
  • ID:Hq.O29lT0 #

コダクローム。
全く退色しないな。
なんで生産中止したのか、怒りさえ感じる。

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13. 匿名処理班

  • 2016年12月29日 21:40
  • ID:RzVarIrt0 #

日本のエネルギーを一手に預かる石炭資源と食糧の生産地だった北海道が最も輝いた時代
長すぎる兵站線なぞ物ともしない活力に溢れた世界が確かにあったのだ

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14.

  • 2016年12月29日 21:49
  • ID:xKyxggPs0 #
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