【艦これ】深海の呼び声【後半】
関連記事:【艦これ】深海の呼び声【前半】提督は紙煙草に火を点けた。
一服。
「霞は?」
「文字メッセージで連絡がありました。体調不良だそうです」
提督室で、羽黒は提督と二人きりだった。
なんだか久しぶりな気がする。
羽黒の対面で彼は長く煙を吐いた。
「そうか。わかった、それじゃあ北上の件はひとまず羽黒と確認しよう」
「はい」
「演習してみて、どうだった? 正直なところを答えてくれ」
背もたれに大きくもたれて煙を天井へ吐く提督。
羽黒はいつもどおり小さく縮こまっている。
「そう、ですね…。はっきりいえば、私の記憶している北上さんとはぜんぜん違いました。
動き、視線、姿勢、タイミング、予測…どれも初めて海に出る艦娘レベルでした」
「……私には…、わかりません。あの北上さんを見ていると前の北上さんとしか思えないんですが…、
でも、頭では記憶喪失なんてことは無いんだと、そう思ってもいるんです」
羽黒はじりじりと痛み出した側頭部を押さえた。
「明日、山城に直接確認してみよう。それから、妖精に面談する申請を中央の同僚に依託してある。こっちももうしばらくしたら許可が下りるだろう」
「妖精さんですか」
「うん。君らのことは妖精に聞くのが一番だからな」
「直接聞けばよいのでは?」
「え? ああ、いや。海軍の人間が妖精とコンタクトを取る場合はなにかと面倒な手続きが必要なんだ」
艦娘の装備や工廠にいる小人をイメージしているらしい羽黒に提督は笑って首を振った。
羽黒はそうなんですか、と答えて口をつぐんだ。
雷雲は一日中ごろごろと唸っている。
「……戦闘には、」
「え?」
「戦闘には天候も重要な要素だな」
「そう、ですね」
「今日の演習でも、やはり晴れのときとは勝手が違っただろう?」
「それは、…はい。視界も悪いですし、波も強く、戦闘は困難でした。……でも、」
「でも?」
「以前の北上さんならば…、そんな状況だろうと、見事に雷撃していました……。本当に、北上さんは強くて。……だから。………」
「ふむ」
「今の北上さんが、前の北上さんなんて、信じられないんです。でも…見た目は……」
ぼうんやりとした真っ黒な人影が部屋の隅に立っている。
その輪郭は判然としない。
目鼻も口も無いが棒立ちでこちらを見ている気がする。
「同名艦らも俺のわからない見た目がかも影響しれない雪」
正面に座っている人影が紅茶の入ったカップをべろりと飲み込んだ。
それからティーポットを取り上げてなにもないテーブル上に紅茶を零す。
「山城さんは、何があったか知っているんでしょうか……」
テーブルに広がった紅茶の水溜りが端に到達して床へとだらだら落ちていく。
羽黒の隣に座っている影が上体を揺らした。
頭が無い。
「話してだった大破そんな状態ならっぽいできないわからない」
窓の向こうから誰かが覗いている。
ぎょろぎょろと目が動いている。
べったりと硝子に手をついてがたがたと窓を揺らしている。
執務机の上で、人の形をしたなにかがぐねりぐねりとその身をくねらせる。
それがなんだか踊っているように見えて、羽黒は吐きそうになった。
「内臓の話だぴちゃぴちゃぴちゃ記録が茹でられてべろべろ」
「偏りるきる重ね傷あるいる薬」
「ここに来る司令官さんはみんな、ひどく焦っているようでした」
「波があるん紙とずるずる必死だからだろう中央か」
「罹りきる指先上の聞く歩く意味っつっつっつあげれば構わない」
「けけけけけぐぐぐぐぐぐ」
「――ろ……はぐろ――」
「え?」
「羽黒!」
「羽黒!」
肩をゆすられて羽黒はびくりとして目を開けた。
提督に心配そうな顔で見つめられて彼女はどぎまぎした。
「大丈夫か? 起きたか」
「ふぇ……えッ!? 司令官さん!? どどどどうしてここに」
「何?」
寝ぼけてなにか勘違いした羽黒は慌ててソファを後ずさり、そこで周りを見渡してはっと気がついた。
「わ、私の部屋じゃ、ない……?」
「提督室だ。本当に眠っていたのか。突然黙り込んでしまったから驚いた」
「え……あ……私、また……」
提督はソファに戻って紅茶のおかわりを注いだ。
カップはきちんとある。
「羽黒。君、ちゃんと眠れているのか? 最近、様子がおかしいぞ」
「いえ……あ…すいません、司令官さん、その…」
「無理しないでくれ。君が艦隊の要なんだ。なにか問題があるなら、なんでも言ってくれ」
そう言われて羽黒はそれでももじもじとしていた。
しかし、しばらくして口を開き、最近の悩みを吐露した。
「司令官さん。その、私、病気なのでしょうか……?」
「………。わからない。それも妖精への質問に加えておこう」
羽黒はこくこくと紅茶を飲む。やけに喉が渇いていた。
「北上はしばらく訓練して練度を上げることにする。あのままでは出撃も遠征もままならんだろう」
「わかりました」
「妖精への面談はおそらく来週くらいになると思う。三、四日ここを留守にすることになる。その間は羽黒が指揮を取り、訓練に努めてくれ」
「出撃や遠征は……?」
「うん。さすがに休みにしよう。なにかあったら連絡してくれ。それから…、そうだな、出張に同行したい艦娘がいたら検討するからその旨周知してくれ」
「同行というのは?」
「いやなに、特に仕事はないが、せっかく中央に行くんだからな。そんなに自由時間はやれんと思うが」
「わかりました。全員に連絡します」
「それから霞には以上を報告して、体調の状況を俺に連絡するよう言っておいてくれ」
「はい。了解しました」
提督は煙草を消した。
「なァーによ! 敷波の次は霞がひきこもり?」
「あっ曙ちゃん、声が大きいよ…」
ラウンジ。
かちゃんと音高く、曙がカップをソーサーに戻した。
「あの自他共に厳しすぎる霞がねぇ…ま、たしかに様子はおかしかったわね」
「提督は体調不良だって言ってたけど、なんだかそんな感じじゃなかった、と思うの」
「それならそうと潮にそう答えるわよねぇ。艦間通信は…回線切ってるのね」
「うん……。霞ちゃん、だいじょうぶかな……」
窓の外を見遣る潮。
吹き荒れる風に窓はがたがたと揺れている。
「霞の場合、心配したほうが怒られそうだけど――っと」
言いながら、ぱちんと曙が手を叩いた。
「え…虫?」
「ええ。なんか最近やたらと虫が出てるわねぇ。あたしの部屋もよくいるんだけど、潮はどう?」
「えぇっと…うぅーん、どうかな、そんなに見ない、かな…?」
「あっそう。今度、蚊取り線香でも試そうかな。それで、霞の部屋には行ってみたの?」
「う、うん…でも、霞ちゃん、いないみたいで…返事してないだけかもしれないけど……」
「ふうん。本当に体調不良なら、寝てるのかなって思うけど」
「それなら、いいんだけどね」
「ああもう! 普段口やかましい霞が静かだと不気味ったらありゃしないわね」
「あけぼの? っぽい?」
ぴょこりと夕立が顔を出した。
とててと近寄ってくる。
「夕立も混ぜて~♪」
「もっもちろん!」「ほら座りなさいよ」
潮が夕立のぶんも紅茶を用意した。
「霞の話よ」
「ああ。なんかさっきの演習、やりにくそうだったっぽい」
「やっぱり? こっちから見てても、なんか様子がおかしかったわ」
「照準がうまく合わなかったっぽい? 霞には珍しいよね」
「提督には体調不良って報告してるみたいなんだけどね…」
「体調不良っていえば山城さんは元気になったっぽい?」
「あっそうだよね!」
「ええ。今朝方、目を覚ましたわ。まだ体は動かないようだけど、意識ははっきりしてる」
「へぇ~よかったっぽい!」
「曙ちゃん、毎日お見舞いしてたもんね」
「あっあれは別にッ!」
「山城が大破したのって確か、夕立が来る前よね?」
「そうよ。あたしが来てちょっとしてからね。あたしが来たときから、山城は大破のままだったわ。クソね」
「山城さんが入渠したから比叡さんがここに来た、んだったかな。懐かしいね」
「ふん! あの頃からこの鎮守府はクソったれてたわよ」
「曙ちゃあん!」
「曙、言葉汚すぎっぽい」
「うるさいわね!」
そのとき、ふらっと羽黒がラウンジに現れた。
ひどく眠たそうである。
「あ、羽黒さん!」
「……?」
夕立に呼ばれてゆるゆるとこちらを向く。
「あ……」
「あ…はい……司令官さんに早く寝るよう言われたので、寝る前に温かいものでも頂こうかと……」
「それならホットミルクとかがいいんじゃない」
「あっ私が淹れます!」
「羽黒さん、ここ座るといいっぽい! もう倒れそうにみえるっぽい!」
「だ、だいじょうぶです……」
夕立が引いた椅子にすとんと座る羽黒。
「そういえば、連絡にあったクソ提督の出張に同行って、どういうことよ」
「へ? しゅっちょう?」
また連絡を見ていなかった夕立のためにぷりぷり怒りながら曙が説明した。
潮が牛乳を温めて運んでくる。
「へー! なにそれ! 楽しそうっぽい! 行きたい行きたーい!」
「あ、そうですか…?」
「演習と訓練、ですね」
「あれっ? 提督さんとお出かけしたら、パーティできないっぽい?」
「さすがに艤装は持ってけないんじゃないかなぁ?」
「戦闘する機会なんてないわよ」
「ええぇ~っじゃあ行かないっぽい~」
「あんたね……」
「曙ちゃんは?」
「あたしぃ? どうしてあたしがクソ提督と出かけなきゃならないのよ。潮、あんたは?」
「うーん、中央も行ってみたいけど…誰も行かないなら、ちょっと…・・・」
「羽黒さんは? 行くの?」
「……私は…、行きたいですけど……でも、旗艦ですから」
「それくらい誰かに任せていけばいいじゃない。出撃もないんだし」
「だめです……!」
羽黒が強く言い切ったので三人は驚いた。
半分眠りながらむにゃむにゃと羽黒が呟く。
「は、羽黒さん、もう寝たほうがいいですよ!」
「送っていくっぽい!」
「まったく、しかたないわね!」
夕立が羽黒に肩を貸し、曙と潮が手早く片付けて追いかけた。
そして彼女を部屋のベッドに寝かせて、
「羽黒さん、すっごく疲れてるっぽい~」
「クソ提督のせいね、きっと」
「そ、そんなことないよぉ」
三人は顔を見合わせるのだった。
「ねー。何さ、わざわざ呼び出して」
「北上さん。お願いがあるんです」
薄暗い部屋の中で、北上と綾波が向かい合っていた。
窓ガラスにはびしびしと大粒の雨が叩きつけられている。
「お願い?」
椅子に斜めに腰掛け、机にもたれかかる北上。
それとは対照的に、綾波はきちんと姿勢を正している。
「はい。北上さんには、」
すう、と一息。
「――なんとしても、記憶を取り戻してほしいんです」
閃光。
北上はへへへ、と笑った。
綾波はむっとして、
「真剣な話なんです!」
轟音。雷が落ちた。
「あのさー、あたしが記憶喪失かどうかは、提督曰く"調査中"らしいよ?」
「司令官は北上さんを知らないからそんなこと言えるんです」
綾波はきっぱりと言い切った。
「北上さんを知っている人は皆わかってるはずです。あなたは記憶を失ってしまっているんです」
は、と北上は呆れたように息を吐いた。
「ま、あたしにゃ判断できないけどね。でもさ、なんであたしが記憶を取り戻したほうがいいのさ?
そりゃ確かに今のあたしは戦力になんないけど」
「そんなことじゃないです。これは敷波のためなんです」
んあ? と北上は間の抜けた声をあげた。
「敷波? なんで敷波?」
「北上さんは覚えてないようですけど、敷波は以前に北上さんを撃ってるんです」
「なにそれ。初耳なんだけど」
北上は椅子に座りなおした。
「……それで、敷波は、仲間殺しの罪を背負っているんです。でも、もし北上さんが沈んでなんていないなら敷波の罪は無くなります。
だから、北上さんが記憶を取り戻せば、敷波は救われるんです!」
ふーん、と北上。
ぎィっと椅子を揺らす。
「わかって、もらえましたか?」
そのとき、
「北上さん!」
勢いよく扉が開き、大井が入ってきた。
「北上さん! こんなところにいたんですね!」
「おー大井っちー」
「探したんですよ! さっ夕ご飯食べに行きましょう!」
大井が嬉しそうに北上の手を取って立ち上がらせる。
「ち、ちょっと待ってください……!」
慌てた綾波が追いすがろうとすると、
ぎろりと大井に睨まれた。
そこでようやく存在に気付いて、しかし何の価値も無いゴミを見るような目付きに綾波はたじろぐ。
「まーまー大井っち」
北上がへらへらと笑って綾波を振り返る。
「できるかわからんけど、努力してみるよー。そんでオッケー?」
「あ、はい、ありがとうございます」
「じゃ行こっかー大井っちー」
「はい! 北上さん♪」
そうして綾波がひとり残された。
力が抜けたように椅子に座る。
「……あとは……」
端末の光が綾波を顔を照らした。
ざあざあと、雨が降っている。
かちゃん。
かち、かち、―――かちゃん。
「………」
霞は自室で食事を取ろうとしていた。
しかし右手がいうことを聞かず、何度やっても箸を取り落としてしまう。
――かちゃん。
霞が苛苛すればするほど、右手の自由は利かなくなっていく。
しかたなく、霞は左手で食事を試みた。
「ったく……」
いつからこうなってしまったのかと、霞は記憶をたどった。
今朝、起きたときからすでに右手はおかしくなっていた。
山城と挨拶するときも右手を抑えるために腕を組むのをやめられなかったのだ。
北上を発見した戦いではつつがなく戦闘できていた。
もっと前か。
――下がっていろと言ったろう。二度言わすな
中将来訪。あのときだ。
提督が中将に殴られたときの怒り。押さえつけることのできなかった右手。
そのあとの風呂でもまだ止まらなかった。
「――っ!?」
ダン! と右手が拳を作って机を叩いた。
記憶に反応したのか、右手が突然暴れだしたのだ。
霞は箸を放り出して、体全体を使って右手を抑えにかかった。