鷺沢文香「燃える彼女がくれるもの」
「熱い」と、感じた。今は冬なのに。
目の前の少女はとにかく大きな声で、自己紹介……であろう言葉を続けている。
どこかの本に書いてあったのだが、人間が「極めてうるさい」と感じる音は、確か80dbかららしい。
その情報が、また、自分の今、抱いている感想が正しいのなら、この少女の口から襲い掛かる音はそれ以上のものということになる。
……確かその本の注釈欄には「※ 80db以上:地下鉄の車内、騒々しい工場内」などという、およそ人間の体から発せられるモノとは遠い例が載っていたはずなのだが。
「よろしくお願いします!!!」
一際大きな結びの言葉を発した少女は、その小さな体を、見事に90度に曲げてお辞儀をしている。今にも"ピシッ"という音が聞こえてきそうだ。
どうやら自己紹介は終了したらしい。
かろうじて聞き取れたのは、お茶が好きということと、"ラグビー"という言葉。先程のお辞儀の丁寧さと照らし合わせると、体育会系のラグビー部に所属していた可能性が高い。
いや、女子ラグビーという競技の規模はどれほどだったろう?
あまり聞かないからには、男子ラグビー部のマネージャーという枠かもしれないが、まあどちらでもよい。
そして最後に――
「はっ! も、申し遅れました! 私、日野茜といいます!!!」
彼女の名前が"日野茜"であるということだけは理解することができた。
少しばかりの時間が過ぎ、茜が顔を上げる。
自分は今、目の前の少女にどんな目を向けているだろうか。懐疑? 恐怖? それとも驚き?
別段、怒りの感情が込み上げているわけではない。ただ少し、長い時間を物言わぬ古書との対話に費やしてきた自分にとっては、少しだけ、刺激が強かった。それだけだ。
こちらの発する、様々な感情が混ざっているであろう目線などは意にも介さず、茜はただ、純粋な好奇の目をこちらに返していた。
例えばこの世界が、オノマトペの目視できる世界であったなら。そのようなファンタジーだったならば、きっと彼女の周りには絶え間なく、キラキラとか、ワクワクとか、メラメラとか、そんな表現が飛び交っているに違いない。
「……」
「……」
沈黙。……ああ、こちらの挨拶を待っているのだ。
「鷺沢文香……と申します」
「鷺沢文香さんというんですね!素敵なお名前です!」
「は、はあ……ありがとうございます……」
「何かご趣味は!」
「趣味……と呼べる程のものかはわかりませんが、読書を多少、嗜んでいます」
「おお! かっこいいですね! 知的ですごいです!」
「そう……でしょうか」
「はい! お、お恥ずかしながら私は読書というものが苦手でして……! ぜひ何か、おすすめの本などを教えていただけると……!」
「え? ……あ、はい、では何冊か、見繕っておきます」
「本当ですか!? ありがとうございます!!!」
笑顔でこちらを褒めたかと思えば、すこし俯いてお願いをし、またすぐにお礼と共に笑顔が復活している。
"見ていて飽きないな"という気持ちと、"自分とは反対にいる人なんだろうな"という気持ちが、胸の中に生まれていた。
「……」
茜がこちらを見つめている。恐らく、こちらの自己紹介をまだ待っているのだろう
「あ、あの……」
「はいっ!」
「そのように見つめられましても……、私にはこれ以上、特筆するような情報は……」
「あ、す、すみません!」
「いえ、謝る必要は……」
なんだか少し、やり取りが噛み合っていないような気もするが、彼女とのファーストコンタクトはこのような流れであった。
この後、自分はレッスンのため部屋を離れ、茜は所属のための書類提出やら何やらがあるらしく、部屋に残っていた。
(不備なく書類を提出できるでしょうか……)
という感想は、初対面にしてはいささか無礼であったと思うのだが。
自分はアイドル事務所に籍を置いている。
というと回りくどい言い方になってしまうのだが、いかんせん"アイドルです"と自己を紹介するには経験も実力も足りていないのだから仕方がない。
この事務所に所属してはや数ヶ月。100人近くを数える先輩アイドルたちは、どこを見ても眩しくて、一番の新人である自分は恐縮しきりの毎日であった。
そんな中、新しいアイドルが所属することが決まった。それが日野茜である。
事実上の"後輩"ではあるのだが、先輩風を吹かそうなどということは露ほども思わなかった。
絵に描いたように明朗快活。笑顔を絶やさない彼女を見て、こういう人こそアイドルという職業にふさわしいのだろうな、とも感じ、自身を不甲斐なく思う気持ちが強くなってしまったくらいだ。
そんな彼女とは、翌日も顔を合わせることになった。
昨日の会話は、自分が部屋で本を読んでいる時に、プロデューサーが茜を連れてきたことによって始まった。
しかし、この日は逆だ。自分が朝、事務所の部屋に入ると、ソファの上に、なんとも落ちつかなそうな表情の茜が座っていた。
無理もない。新しい環境というものは、多少なりとも人の心に不安を呼ぶものだ。
恐らく自分なら、本を読むという逃げ道を用意していただろう。しかし、行動派(らしい)茜の持つ逃げ道の選択肢は、恐らくどれも体の動きを伴うものばかり。結果として、消化できないウズウズを胸に、ソファに鎮座する以外なかったのだ。
「あっ! 鷺沢さん! おはようございます!!!」
こちらの存在に気がつくと茜はすぐさま立ち上がり、1日ぶりのキレイなお辞儀と、1日ぶりの80dbを披露してくれた。
「おはようございます……」
茜の声に比べると、まさに蚊の鳴くような声。もちろん向こうは気にしない。
「鷺沢さん! 今日はお仕事ですか!? レッスンですか!?」
「私はボーカルレッスンです……。日野さんのご予定は?」
「確か皆さんのレッスンの見学だったはずです! ですが、ダンスレッスンと言っていたので、鷺沢さんのレッスンではなさそうです……」
なぜか茜は残念そうに目を伏せるが、自分としてはラッキーだ。アイドルという未知なるものに大きな期待を抱いている茜に、自分のような不器用なダンスを見せてしまっては忍びない。いずれは見られてしまうものだろうとは思うが、最初は素敵なダンスを見てほしい。
ちらと予定表を確認し、ダンスレッスンが組まれている名前を見つけ出す。
姫川・城ヶ崎・大槻・若林……
よかった、このメンバーなら安心だ。茜に失望感を与えることもないだろう。
「えっと、アイドルのことは良くわからないのですが、鷺沢さんは、デビューとか、そういうのはまだなんですかっ?」
茜が尋ねる。
そういえば、自分がまだ新米であることすら話していなかった。
「はい。というのも、私もまだ、この事務所に入って半年も経っていないのです。日野さんと同じ、"新人"と呼ばれる部類に入るのでしょう」
「え? あ、そうだったんですか! おキレイですから、てっきりもうご活躍されているのかと……!」
「ありがとうございます……。世辞だとしても、むず痒いものですね」
「せじ……?」
「あ……"お世辞"ということです。お世辞と言うのは……」
「ああ! "お世辞"ならわかりますよ! い、いえ! わかるといっても、さっきのはお世辞でもなんでもなくてですね!」
「そう……ですか」
「あ! それと!」
「?」
「私の方が年下ですから! "茜"とお呼びください!」
「は、はあ……。では、茜……さん」
「はいっ!」
心底嬉しそうに笑顔を浮かべる茜。
他人との距離の縮め方が上手いと、感心するばかりであった。
しかし、昨日今日と、全ての会話において茜から話を振ってもらっている気がする。流石に話題提供の一つでもするべきか。
そう感じた結果、適当な話題を振ることにした。
「茜さんは、昨日、あの後は何をされていたのですか?」
「あの後ですかっ! 書類を全部出した後、自由になったので、一旦家に戻って……。あ! ○○神社でお参りをしました!」
失礼ながら、意外だ。
そういう信心を大事にするタイプなのだろうか。確かに、○○神社はこの辺りでは1番大きな神社である。とはいっても、事務所からだと4駅くらいは離れているが。
「そうですか……。その近くにお家が?」
「いえ! 私の家は××駅の近くです!」
驚いた。××駅は、事務所から神社とは反対方向の駅だ。
いささか長い時間を電車での移動に割いてまで、お参りしたかったのだろうか。
「××駅からだと、電車ではどれくらいかかるのですか?」
「え? 電車ですか? えっと……す、すみません、わからないです……」
「……?」
「電車は使っていないので……」
少し混乱してきた。茜が家から○○神社へ行ったのは事実である。そして、茜の家から○○神社が遠いということも事実だ。
しかし電車は使っていないという。まさか車? いや、そもそも免許を取れる年齢なのだろうか。では自転車? それも少し辛い気がするのだが……。
まさか、走って、などということはないだろう。
「家からランニングをしていたら、偶然辿り着きまして!」
そのまさかだった。
あっけらかんと言う茜に対し、どうしても"信じられない"という眼差しが隠せなくなってしまった。
"行動派(らしい)"などという騒ぎではない。茜の行動力と体力はまさに底なしだ。
――少し、羨ましいと、感じた。
ある日の午後、レッスン後にいつものように事務所で読書をしていると、ふいに声が掛かった。
「あら、文香。お疲れ様」
「お疲れ様です。奏さん」
栞を挟んだことを確認して、本を閉じる。
声の主は速水奏だ。入社当初からなにかと気にかけてもらっている。
いや、向こうの方が年下なのだから、"気をかけてもらう"というのも変な話ではあるが。
そんな彼女は、口元に軽い笑みを浮かべていた。
「聞いた?」
「……?」
「その顔は、まだ聞いてないのかしら?」
「ええと、すみません、大意が掴めず……」
「ああ、ごめんなさいね、文香、日野茜ちゃんってわかる? つい最近入ってきた娘なんだけど」
「ええ、存じ上げています。何度かお話もしました」
「あら」
奏がわざとらしく目を丸める
「意外ね。文香とは対極の感じに見えたけど」
「それは……否定できませんが」
「まあいいわ。あの娘、昨日から本格的にダンスレッスンが始まったらしいんだけど」
「はい」
「なんと、レッスンの間、一回も休憩せずに踊り続けたらしいのよ。3時間も」
「……はい?」
自分の耳を疑う。思わず間の抜けた声で返事をしてしまったことも自覚がない。
意味がわからない。3時間も体を動かし続ける? 何を言ってい
コメント一覧
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- 2017年01月12日 22:09
- あのー、ここ最近ssの※欄でちゃんみおが叩かれることが多くて気になったのですが、具体的にどのあたりが気に食わないのですか?あ、煽りとかじゃなくガチの質問ですので、出来れば嫌いな方教えて下さい。それすら嫌なら別に構いませんのでm(__)m
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- 2017年01月12日 22:09
- 本だみおちゃんシネマトゥデイ
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- 2017年01月12日 22:10
- あらすなボケ
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- 2017年01月12日 22:14
- ※1
未央叩くやつ多いけど
渋谷凛と卯月の根暗コンビだけだったらニュージェネは大成しなかったけどな
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- 2017年01月12日 22:19
- あんなジコチュー八方美人叩かれて当然だろ
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- 2017年01月12日 22:23
- シンデレラガール二人の薄汚い足枷が大成にどう貢献したんですかねぇ
運営に自分のついでと言わんばかりにゴリ押しの口添えでもしたんですか?
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- 2017年01月12日 22:25
- 文香覚醒したらきっと戦隊ヒーローだってこなせるからな
体力はともかくアクションは負けてない
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- 2017年01月12日 22:37
- 凄く良い……(語彙喪失)
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- 2017年01月12日 22:38
- 荒らしに構うな、ふみあかを讃えよ。
地の文多いssに苦手意識持ってたけど、普通にすらすら読めて、面白かった。
ふみあかの元気な犬が飼い主に戯れてる感じほんと好き。
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- 2017年01月12日 23:06
- やっぱりCPの根底には静と動の大前提があるんだよなぁ
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- 2017年01月12日 23:13
- あら~(唯一神)
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- 2017年01月12日 23:25
- 優勝
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- 2017年01月12日 23:32
- 最高に尊い
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- 2017年01月12日 23:46
- 百合は苦手だけどこれは良い
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- 2017年01月12日 23:47
- ※1
僕はね、彼女のことを動かしやすいなと思って動かしていただけなんです
彼女はそう、妖精みたいだって。でもそんなこと言ったら「いい歳したおっさんが妖精とかいうな、気色悪い」という批判ばかりで。ネット弁慶しかいない一般人には理解されないのが悲しい限りですよ
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- 2017年01月12日 23:49
- これ百合じゃねえべ。フツーに仲間とか相棒ってだけだべ。それでこそ尊い
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- 2017年01月12日 23:53
- このSSの作者は苦労人事務所の人です
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- 2017年01月12日 23:55
- そろそろ管理人ホスト規制しろよ。正直不愉快だ。
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- 2017年01月12日 23:56
- ※18
ここはぶっちゃけア・フィブログと変わんねえから規制とかしないよ
アクセス数減って稼ぎが減ったら困るからな
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