1: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)11:42:32 ID:kF7
2リーグ制以降対象
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2: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)11:43:05 ID:kF7
野手
土屋雅敬(1951年盗塁王、1950年~1954年国鉄→1955年~1957年広島)
実働7年 602試合 .254(1466-372)7本塁打 108打点 140盗塁
26歳で国鉄スワローズ結成に参加。1951年75試合の出場で52盗塁を記録し盗塁王を獲得。
1953年以降は控えに回る事も増え、1955年広島に移籍。1957年33歳で現役引退。
土屋雅敬(1951年盗塁王、1950年~1954年国鉄→1955年~1957年広島)
実働7年 602試合 .254(1466-372)7本塁打 108打点 140盗塁
26歳で国鉄スワローズ結成に参加。1951年75試合の出場で52盗塁を記録し盗塁王を獲得。
1953年以降は控えに回る事も増え、1955年広島に移籍。1957年33歳で現役引退。
3: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)11:43:52 ID:kF7
深見安博(1952年本塁打王、1950年~1952年西鉄→1952年~1953年東急→1954年高橋→1955年~1957年南海)
実働8年 617試合 .261(1817-475)85本塁打 306打点 39盗塁
社会人を経て31歳で西鉄クリッパーズ結成に参加。1952年途中に東急にトレード移籍され2球団で25本塁打を放ち史上唯一の2球団にまたがる本塁打王を獲得。
その後は高橋、南海と渡り歩いたが衰えもあり全盛期ほどの打力は残っておらず、代打での活躍が主だった。1957年現役引退。
実働8年 617試合 .261(1817-475)85本塁打 306打点 39盗塁
社会人を経て31歳で西鉄クリッパーズ結成に参加。1952年途中に東急にトレード移籍され2球団で25本塁打を放ち史上唯一の2球団にまたがる本塁打王を獲得。
その後は高橋、南海と渡り歩いたが衰えもあり全盛期ほどの打力は残っておらず、代打での活躍が主だった。1957年現役引退。
4: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)11:44:29 ID:AGE
昔の選手には結構いそう
5: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)11:44:59 ID:kF7
山本公士(1966年盗塁王、1963年~1970年阪急)
実働7年 645試合 .212(325-69)1本塁打 17打点 103盗塁
プロ2年目以降代走・守備要員として一軍に定着。1966年も31試合の先発出場ながら32盗塁で盗塁王を獲得する。
その後は再び控えに回り1970年も58試合に出場していたが同年限りで28歳で現役引退。
実働7年 645試合 .212(325-69)1本塁打 17打点 103盗塁
プロ2年目以降代走・守備要員として一軍に定着。1966年も31試合の先発出場ながら32盗塁で盗塁王を獲得する。
その後は再び控えに回り1970年も58試合に出場していたが同年限りで28歳で現役引退。
8: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)11:46:31 ID:XOJ
>>5
すごい
すごい
113: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)13:02:45 ID:ExM
>>5
31試合32って相手がガバガバすぎやろ
31試合32って相手がガバガバすぎやろ
117: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)13:44:37 ID:kF7
>>113
先発出場が31試合であって年間出場数は106試合や
すまんな
先発出場が31試合であって年間出場数は106試合や
すまんな
6: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)11:45:51 ID:kF7
緒方耕一(1990年・1993年盗塁王、1987年~1998年巨人)
実働9年 685試合 .263(1851-486)17本塁打 130打点 96盗塁
プロ3年目に一軍初出場、4年目にレギュラーを獲得し盗塁王を獲得する。
1993年にも盗塁王を獲得するが、以降怪我もあり出場数は減少。1998年一軍出場無しに終わり30歳で現役引退。
実働9年 685試合 .263(1851-486)17本塁打 130打点 96盗塁
プロ3年目に一軍初出場、4年目にレギュラーを獲得し盗塁王を獲得する。
1993年にも盗塁王を獲得するが、以降怪我もあり出場数は減少。1998年一軍出場無しに終わり30歳で現役引退。
7: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)11:46:30 ID:AGE
緒方やん!
9: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)11:47:43 ID:kF7
赤星憲広(2001年~2005年盗塁王、2001年~2009年阪神)
実働9年 1127試合 .295(4330-1276)3本塁打 215打点 381盗塁
1年目からレギュラーに定着し打率.292、39盗塁の活躍で盗塁王だけでなく新人王も獲得。
その後長きに渡り阪神のセンターとして活躍したが、2009年試合中のプレーで怪我が悪化。33歳で現役引退。
実働9年 1127試合 .295(4330-1276)3本塁打 215打点 381盗塁
1年目からレギュラーに定着し打率.292、39盗塁の活躍で盗塁王だけでなく新人王も獲得。
その後長きに渡り阪神のセンターとして活躍したが、2009年試合中のプレーで怪我が悪化。33歳で現役引退。
13: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)11:50:18 ID:kF7
投手
梶岡忠義(1952年最優秀防御率、1947年~1956年阪神)
実働9年 299試合 131勝85敗 1920回 652奪三振 防御率2.80
27歳でプロ入りすると2年連続20勝以上を記録するなど活躍。しかしその後怪我もあり3年連続15勝未満に終わる。
1952年21勝、防御率1.71で復活。1955年9試合の登板に終わり1956年はコーチ兼任となるが一軍登板は無く現役引退。
梶岡忠義(1952年最優秀防御率、1947年~1956年阪神)
実働9年 299試合 131勝85敗 1920回 652奪三振 防御率2.80
27歳でプロ入りすると2年連続20勝以上を記録するなど活躍。しかしその後怪我もあり3年連続15勝未満に終わる。
1952年21勝、防御率1.71で復活。1955年9試合の登板に終わり1956年はコーチ兼任となるが一軍登板は無く現役引退。
15: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)11:51:19 ID:kF7
柚木進(1951年~1952年最優秀防御率・1952年最高勝率、1948年~1956年南海)
実働9年 281試合 123勝64敗 1511.2回 728奪三振 防御率2.49
シベリア抑留を経て1948年南海に入団。以降7年連続2桁勝利を記録しエースとして活躍した。なおこの頃の選手では珍しく20勝を記録していない。
1955年19試合の登板で3勝に終わると、翌1956年は僅か3試合の登板に終わり同年限りで現役引退した。
実働9年 281試合 123勝64敗 1511.2回 728奪三振 防御率2.49
シベリア抑留を経て1948年南海に入団。以降7年連続2桁勝利を記録しエースとして活躍した。なおこの頃の選手では珍しく20勝を記録していない。
1955年19試合の登板で3勝に終わると、翌1956年は僅か3試合の登板に終わり同年限りで現役引退した。
26: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)11:57:49 ID:OmL
>>15
柚木懐かしい
また見たいな
柚木懐かしい
また見たいな
30: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)11:59:13 ID:XOJ
>>26
いくつなんですかねぇ…
いくつなんですかねぇ…
16: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)11:52:32 ID:kF7
江藤晴康(1951年最多勝、1949年阪神→1949年~1953年南海→1954年高橋→1955年東映)
実働6年 155試合 50勝34敗 787.1回 276奪三振 防御率3.12
1949年阪神入団の際に南海との二重契約問題が発覚。この結果入団から直ぐ南海にトレードされるが1年間の出場停止処分を下される。
処分明けの1950年に14勝、翌1951年に24勝で最多勝を挙げるが翌1952年以降成績は低下。1954年高橋に、1955年東映に移籍するが活躍出来ず現役引退。
実働6年 155試合 50勝34敗 787.1回 276奪三振 防御率3.12
1949年阪神入団の際に南海との二重契約問題が発覚。この結果入団から直ぐ南海にトレードされるが1年間の出場停止処分を下される。
処分明けの1950年に14勝、翌1951年に24勝で最多勝を挙げるが翌1952年以降成績は低下。1954年高橋に、1955年東映に移籍するが活躍出来ず現役引退。
17: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)11:53:33 ID:kF7
大島信雄(1950年最優秀防御率・最高勝率、1950年~1951年松竹→1952年~1955年中日)
実働6年 162試合 64勝41敗 884.1回 273奪三振 防御率2.82
29歳で松竹に入団。1年目から先発として活躍し新人王も獲得。リーグ優勝にも貢献した。
1952年中日に移籍してからは衰えもあり成績は少しずつ低迷。1955年2試合の登板に終わり34歳で現役引退。
実働6年 162試合 64勝41敗 884.1回 273奪三振 防御率2.82
29歳で松竹に入団。1年目から先発として活躍し新人王も獲得。リーグ優勝にも貢献した。
1952年中日に移籍してからは衰えもあり成績は少しずつ低迷。1955年2試合の登板に終わり34歳で現役引退。
20: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)11:54:32 ID:kF7
西村貞朗(1954年最高勝率、1953年~1962年西鉄)
実働9年 312試合 82勝47敗 1226.1回 911奪三振 防御率2.44
1年目は2勝に終わるが2年目に22勝、防御率1.77で主力投手になる。その後も活躍を続けていたが1957年肩を故障し成績は低迷する。
それでも1958年に史上5人目の完全試合を達成するなどした。1962年4試合の登板に終わり現役引退。
実働9年 312試合 82勝47敗 1226.1回 911奪三振 防御率2.44
1年目は2勝に終わるが2年目に22勝、防御率1.77で主力投手になる。その後も活躍を続けていたが1957年肩を故障し成績は低迷する。
それでも1958年に史上5人目の完全試合を達成するなどした。1962年4試合の登板に終わり現役引退。
21: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)11:55:10 ID:kF7
中村大成(1955年最高勝率、1953年~1959年南海→1960年阪急)
実働6年 148試合 39勝18敗 594.2回 344奪三振 防御率2.77
高卒1年目から一軍で活躍。3年目の1955年に23勝を挙げる活躍を見せた。更に同年の日本シリーズで7試合中6試合に起用された。
だがこの年の酷使が祟り翌年以降成績は低迷。1958年を最後に一軍登板は無く阪急に移籍した1960年26歳で現役引退。
実働6年 148試合 39勝18敗 594.2回 344奪三振 防御率2.77
高卒1年目から一軍で活躍。3年目の1955年に23勝を挙げる活躍を見せた。更に同年の日本シリーズで7試合中6試合に起用された。
だがこの年の酷使が祟り翌年以降成績は低迷。1958年を最後に一軍登板は無く阪急に移籍した1960年26歳で現役引退。
22: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)11:56:17 ID:kF7
小川健太郎(1967年最多勝、1954年~1955年東映→1964年~1970年中日)
実働7年 253試合 95勝66敗 1254.1回 739奪三振 防御率2.62
1954年東映にテスト入団するが一軍登板は無く2年で退団する。その後社会人チームを渡り歩き1964年中日に入団する。
入団2年目から先発として活躍。しかし1970年にオートレース八百長を仕組んでいた容疑で逮捕され永久追放となった。
実働7年 253試合 95勝66敗 1254.1回 739奪三振 防御率2.62
1954年東映にテスト入団するが一軍登板は無く2年で退団する。その後社会人チームを渡り歩き1964年中日に入団する。
入団2年目から先発として活躍。しかし1970年にオートレース八百長を仕組んでいた容疑で逮捕され永久追放となった。
24: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)11:57:14 ID:kF7
宅和本司(1954年最優秀防御率・1954年~1955年最多勝、1954年~1959年南海→1960年~1961年近鉄)
実働8年 168試合 56勝26敗 709.1回 548奪三振 防御率2.29
高卒1年目からローテーション入りし26勝、防御率1.58で新人王を獲得。翌年も24勝を挙げ2年連続最多勝を獲得する。
しかし3年目に6勝を挙げて以降一軍で勝利を記録する事は無く、怪我もあり近鉄に移籍した1961年26歳で現役引退した。
実働8年 168試合 56勝26敗 709.1回 548奪三振 防御率2.29
高卒1年目からローテーション入りし26勝、防御率1.58で新人王を獲得。翌年も24勝を挙げ2年連続最多勝を獲得する。
しかし3年目に6勝を挙げて以降一軍で勝利を記録する事は無く、怪我もあり近鉄に移籍した1961年26歳で現役引退した。
27: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)11:58:09 ID:kF7
中川隆(1955年最優秀防御率、1954年~1961年毎日・大毎)
実働8年 210試合 32勝25敗 633.2回 356奪三振 防御率2.84
プロ2年目に49試合に登板、18勝を挙げる活躍を見せ防御率2.08でタイトルを獲得する。
その後はリリーフでの起用が主となり、1961年22試合の登板に終わり同年限りで26歳で現役引退。
実働8年 210試合 32勝25敗 633.2回 356奪三振 防御率2.84
プロ2年目に49試合に登板、18勝を挙げる活躍を見せ防御率2.08でタイトルを獲得する。
その後はリリーフでの起用が主となり、1961年22試合の登板に終わり同年限りで26歳で現役引退。
29: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)11:58:58 ID:kF7
藤田元司(1958年~1959年最高勝率・1959年最多勝、1957年~1964年巨人)
実働8年 364試合 119勝88敗 1701回 924奪三振 防御率2.20
26歳でプロ入り。1年目から新人王を獲得する活躍を見せると1958年から2年連続20勝以上でシーズンMVPを獲得。
1960年以降は成績が低迷。1963年からはコーチ兼任となり1964年現役引退。とは言え1964年も41試合で8勝11敗防御率2.73と悪くなかったが。
実働8年 364試合 119勝88敗 1701回 924奪三振 防御率2.20
26歳でプロ入り。1年目から新人王を獲得する活躍を見せると1958年から2年連続20勝以上でシーズンMVPを獲得。
1960年以降は成績が低迷。1963年からはコーチ兼任となり1964年現役引退。とは言え1964年も41試合で8勝11敗防御率2.73と悪くなかったが。
34: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:00:23 ID:a7J
>>29
巨人の監督のイメージしかない人多いと思うけど現役時代凄かったんやね
巨人の監督のイメージしかない人多いと思うけど現役時代凄かったんやね
33: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:00:10 ID:kF7
久保征弘(1962年最多勝・1963年最優秀防御率、1959年~1966年近鉄→1967年~1968年中日→1969年~1970年阪神)
実働9年 348試合 61勝86敗 1208.1回 489奪三振 防御率3.34
1962年に先発・中継ぎ・抑えで活躍し最多勝を獲得。翌年も同様の起用法で最優秀防御率のタイトルを獲得。
1965年以降負けが込むようになり低迷。1967年中日に移籍するが1勝も出来ず1969年阪神に移籍するが一度も一軍に上がれず1970年30歳で現役引退。
実働9年 348試合 61勝86敗 1208.1回 489奪三振 防御率3.34
1962年に先発・中継ぎ・抑えで活躍し最多勝を獲得。翌年も同様の起用法で最優秀防御率のタイトルを獲得。
1965年以降負けが込むようになり低迷。1967年中日に移籍するが1勝も出来ず1969年阪神に移籍するが一度も一軍に上がれず1970年30歳で現役引退。
39: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:01:22 ID:kF7
堀本律雄(1960年最多勝、1960年~1962年巨人→1963年~1965年大毎・東京)
実働6年 201試合 63勝59敗 917.1回 515奪三振 防御率2.82
社会人からプロ入りし1年目からエース級の活躍を見せる。しかしその後川上監督との確執もあり1962年オフにトレードされる。
移籍1年目はチーム最多の15勝を挙げるが翌年は1勝に終わり、1965年は1勝も挙げられず30歳で現役引退した。
実働6年 201試合 63勝59敗 917.1回 515奪三振 防御率2.82
社会人からプロ入りし1年目からエース級の活躍を見せる。しかしその後川上監督との確執もあり1962年オフにトレードされる。
移籍1年目はチーム最多の15勝を挙げるが翌年は1勝に終わり、1965年は1勝も挙げられず30歳で現役引退した。
40: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:02:33 ID:kF7
権藤博(1961年最優秀防御率・1961年~1962年最多勝、1961年~1968年中日)
実働5年 210試合 82勝60敗 1136回 667奪三振 防御率2.69
権藤、権藤、雨、権藤、雨、雨、権藤、雨、権藤という流行語が生まれるほどの酷使っぷりで3年目には既に故障。
1965年から3年間は野手としてプレー。1968年投手に再転向したが衰えは隠せず同年限りで30歳で現役引退した。
実働5年 210試合 82勝60敗 1136回 667奪三振 防御率2.69
権藤、権藤、雨、権藤、雨、雨、権藤、雨、権藤という流行語が生まれるほどの酷使っぷりで3年目には既に故障。
1965年から3年間は野手としてプレー。1968年投手に再転向したが衰えは隠せず同年限りで30歳で現役引退した。
114: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)13:05:20 ID:ExM
>>40
かわいそう
かわいそう
41: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:03:21 ID:XOJ
権藤ってこんな短かったんや
42: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:03:28 ID:AGE
野手転向権藤もそんなに悪くなかったイメージ
44: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:04:05 ID:ci1
権藤とかいう太く短くを体現しすぎた選手
43: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:03:31 ID:kF7
妻島芳郎(1964年最優秀防御率、1962年~1970年大毎・東京・ロッテ)
実働9年 250試合 29勝32敗 685.2回 316奪三振 防御率2.80
プロ3年目に56試合に登板(うち14試合先発)し防御率2.15で最優秀防御率のタイトルを獲得する。
翌年は57試合に登板(うち19試合先発)し初の二桁勝利を記録した。1969年以降登板数が減少し1970年32歳で現役引退。
実働9年 250試合 29勝32敗 685.2回 316奪三振 防御率2.80
プロ3年目に56試合に登板(うち14試合先発)し防御率2.15で最優秀防御率のタイトルを獲得する。
翌年は57試合に登板(うち19試合先発)し初の二桁勝利を記録した。1969年以降登板数が減少し1970年32歳で現役引退。
45: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:04:20 ID:kF7
池永正明(1967年最多勝、1965年~1970年西鉄)
実働6年 238試合 103勝65敗 1477.1回 793奪三振 防御率2.36
高卒1年目から20勝を記録し新人王を獲得。稲尾の跡を継ぎエースとなる。その後も勝ち星を積み重ね6年目に通算100勝を達成。
しかし黒い霧事件に関与していたとされ球界を永久追放となった。その後球団OBや著名人による処分取り消し運動が行われ2005年復権した。
実働6年 238試合 103勝65敗 1477.1回 793奪三振 防御率2.36
高卒1年目から20勝を記録し新人王を獲得。稲尾の跡を継ぎエースとなる。その後も勝ち星を積み重ね6年目に通算100勝を達成。
しかし黒い霧事件に関与していたとされ球界を永久追放となった。その後球団OBや著名人による処分取り消し運動が行われ2005年復権した。
48: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:06:12 ID:kF7
藤本和宏(1971年最優秀防御率、1967年~1969年西鉄→1970年~1974年広島)
実働8年 109試合 10勝10敗 248回 179奪三振 防御率2.79
1966年ドラフト外で西鉄に入団。しかし3年間で1勝も挙げられず自由契約となり広島に移籍。
1971年プロ初勝利を記録すると10勝を挙げ最優秀防御率のタイトルも獲得。その後は1勝も挙げられず1974年27歳で現役引退。
実働8年 109試合 10勝10敗 248回 179奪三振 防御率2.79
1966年ドラフト外で西鉄に入団。しかし3年間で1勝も挙げられず自由契約となり広島に移籍。
1971年プロ初勝利を記録すると10勝を挙げ最優秀防御率のタイトルも獲得。その後は1勝も挙げられず1974年27歳で現役引退。
50: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:14:25 ID:kF7
関本四十四(1974年最優秀防御率、1968年~1975年巨人→1976年太平洋→1977年~1978年大洋)
実働8年 166試合 27勝41敗1セーブ 619.1回 257奪三振 防御率3.14
ドラフト10位で入団。プロ4年目に一軍初登板し定着。1974年にタイトルも獲得。
しかし1976年太平洋にトレード移籍、更に翌年大洋にトレードされる。移籍2球団では結果を残せず1978年29歳で現役引退。
実働8年 166試合 27勝41敗1セーブ 619.1回 257奪三振 防御率3.14
ドラフト10位で入団。プロ4年目に一軍初登板し定着。1974年にタイトルも獲得。
しかし1976年太平洋にトレード移籍、更に翌年大洋にトレードされる。移籍2球団では結果を残せず1978年29歳で現役引退。
51: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:17:53 ID:kF7
山口高志(1978年最優秀救援投手、1975年~1982年阪急)
実働8年 195試合 50勝43敗44セーブ 787回 600奪三振 防御率3.18
1年目から豪速球を武器に先発・抑えとして活躍。1978年から本格的に抑えに転じタイトルも獲得した。
しかし同年日本シリーズで腰を痛め、翌1979年以降アキレス腱の故障に泣き1982年32歳で現役引退した。
実働8年 195試合 50勝43敗44セーブ 787回 600奪三振 防御率3.18
1年目から豪速球を武器に先発・抑えとして活躍。1978年から本格的に抑えに転じタイトルも獲得した。
しかし同年日本シリーズで腰を痛め、翌1979年以降アキレス腱の故障に泣き1982年32歳で現役引退した。
53: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:19:06 ID:kF7
山口哲治(1979年最優秀防御率、1978年~1985年近鉄→1986年~1988年南海)
実働9年 136試合 16勝13敗12セーブ 379.2回 148奪三振 防御率3.75
2年目に先発・抑えとして36試合に登板し規定投球回に到達、防御率2.49でタイトルを獲得する。しかし翌年以降怪我で低迷する。
1986年から南海に移籍したが復活する事はかなわず1988年29歳で現役引退した。
実働9年 136試合 16勝13敗12セーブ 379.2回 148奪三振 防御率3.75
2年目に先発・抑えとして36試合に登板し規定投球回に到達、防御率2.49でタイトルを獲得する。しかし翌年以降怪我で低迷する。
1986年から南海に移籍したが復活する事はかなわず1988年29歳で現役引退した。
55: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:20:11 ID:XOJ
流石に昔の選手が多いな
56: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:20:31 ID:kF7
工藤幹夫(1982年最多勝・最高勝率、1979年~1986年、1988年日本ハム)
実働5年 78試合 30勝22敗 413.2回 160奪三振 防御率3.74
3年目に22試合に登板し初勝利を挙げる。そして4年目の1982年先発として20勝を挙げ最多勝を獲得した。
しかし同年終盤に故障し、その状態でプレーオフで起用された事が祟り翌1983年右肩を故障。1984年を最後に一度も一軍に上がれないまま野手転向した1988年現役引退。
実働5年 78試合 30勝22敗 413.2回 160奪三振 防御率3.74
3年目に22試合に登板し初勝利を挙げる。そして4年目の1982年先発として20勝を挙げ最多勝を獲得した。
しかし同年終盤に故障し、その状態でプレーオフで起用された事が祟り翌1983年右肩を故障。1984年を最後に一度も一軍に上がれないまま野手転向した1988年現役引退。
57: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:21:38 ID:kF7
江川卓(1980年~1981年最多勝・1981年最優秀防御率、1979年~1987年巨人)
実働9年 266試合 135勝72敗3セーブ 1857.1回 1366奪三振 防御率3.02
阪急・阪神のドラフト指名を拒否した末巨人入り。1年目は9勝に終わるが2年目以降エース級として活躍し1981年投手五冠王に輝く。
その後も活躍を続けていたが肩を傷めていた事もあり1987年に13勝を挙げながら32歳で現役引退した。
実働9年 266試合 135勝72敗3セーブ 1857.1回 1366奪三振 防御率3.02
阪急・阪神のドラフト指名を拒否した末巨人入り。1年目は9勝に終わるが2年目以降エース級として活躍し1981年投手五冠王に輝く。
その後も活躍を続けていたが肩を傷めていた事もあり1987年に13勝を挙げながら32歳で現役引退した。
58: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:23:14 ID:kF7
森繁和(1983年最優秀救援投手、1979年~1985年、1987年~1988年西武)
実働9年 344試合 57勝62敗82セーブ 939回 455奪三振 防御率3.73
入団当初は先発で起用され3年目には14勝を記録。4年目以降リリーフに転じ1983年34セーブでタイトルを獲得した。
しかし翌年以降怪我の為成績は悪化。1986年には手術の為選手登録を外された事もあった。1988年21試合の登板に終わり現役引退。以降指導者としての道を歩みだす。
実働9年 344試合 57勝62敗82セーブ 939回 455奪三振 防御率3.73
入団当初は先発で起用され3年目には14勝を記録。4年目以降リリーフに転じ1983年34セーブでタイトルを獲得した。
しかし翌年以降怪我の為成績は悪化。1986年には手術の為選手登録を外された事もあった。1988年21試合の登板に終わり現役引退。以降指導者としての道を歩みだす。
60: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:25:11 ID:kF7
渡辺智男(1991年最優秀防御率、1989年~1993年西武→1994年~1997年ダイエー→1998年西武)
実働8年 123試合 45勝40敗2セーブ 725.2回 502奪三振 防御率3.73
1年目から先発として起用され10勝を記録。その後1991年まで3年連続で二桁勝利を記録し主力投手として活躍した。
1992年に右肘を故障して以降度重なる怪我に悩まされ目立った活躍は出来なかった。1998年西武に復帰するが一軍登板は無く31歳で現役引退。
実働8年 123試合 45勝40敗2セーブ 725.2回 502奪三振 防御率3.73
1年目から先発として起用され10勝を記録。その後1991年まで3年連続で二桁勝利を記録し主力投手として活躍した。
1992年に右肘を故障して以降度重なる怪我に悩まされ目立った活躍は出来なかった。1998年西武に復帰するが一軍登板は無く31歳で現役引退。
62: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:27:00 ID:kF7
与田剛(1990年最優秀救援投手、1990年~1996年中日→1996年~1997年ロッテ→1998年~1999年日本ハム→2000年阪神)
実働7年 148試合 8勝19敗59セーブ 247.1回 212奪三振 防御率4.58
1年目からクローザーとして活躍。しかし肩や肘への負担から4年目以降成績が低迷する。
1996年以降ロッテ、日本ハム、阪神と渡り歩くが5年間・3球団で1試合しか登板できなかった(1回1失点)。2000年阪神で現役引退。
実働7年 148試合 8勝19敗59セーブ 247.1回 212奪三振 防御率4.58
1年目からクローザーとして活躍。しかし肩や肘への負担から4年目以降成績が低迷する。
1996年以降ロッテ、日本ハム、阪神と渡り歩くが5年間・3球団で1試合しか登板できなかった(1回1失点)。2000年阪神で現役引退。
64: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:28:45 ID:XOJ
与田って阪神におったのか
知らんかった
知らんかった
68: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:30:41 ID:vOz
>>64
阪神では一軍で1試合も投げてないから残当
平井もこういう道を歩むかと思いきや中日で華麗に復活してびっくり
阪神では一軍で1試合も投げてないから残当
平井もこういう道を歩むかと思いきや中日で華麗に復活してびっくり
65: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:29:10 ID:kF7
戎信行(2000年最優秀防御率、1991年~2002年オリックス→2002年~2003年ヤクルト→2004年近鉄)
実働9年 80試合 15勝16敗1セーブ 342.2回 192奪三振 防御率4.04
プロ入り後9年間全く活躍していなかったが10年目の2000年に初勝利を挙げるとリーグ最多の8完投を記録するなど活躍。防御率3.27ながらタイトルを獲得した。
翌年以降再び低迷。2002年途中にヤクルトに移籍。更に2004年に近鉄に移籍するが活躍出来ず2004年現役引退した。
実働9年 80試合 15勝16敗1セーブ 342.2回 192奪三振 防御率4.04
プロ入り後9年間全く活躍していなかったが10年目の2000年に初勝利を挙げるとリーグ最多の8完投を記録するなど活躍。防御率3.27ながらタイトルを獲得した。
翌年以降再び低迷。2002年途中にヤクルトに移籍。更に2004年に近鉄に移籍するが活躍出来ず2004年現役引退した。
66: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:30:09 ID:kF7
島崎毅(1996年最多ホールド、1992年~1998年日本ハム→1999年~2000年中日→2001年広島)
実働7年 197試合 20勝19敗28セーブ 337.1回 243奪三振 防御率3.09
入団からしばらくは芽が出なかったが4年目の1995年中継ぎとして51試合に登板、回跨ぎ上等の起用法ながら安定した投球で活躍した。
その後も同様の起用法だった為劣化も早く、中日に移籍した1999年を最後に一軍登板はなくテスト入団した広島で現役引退した。
実働7年 197試合 20勝19敗28セーブ 337.1回 243奪三振 防御率3.09
入団からしばらくは芽が出なかったが4年目の1995年中継ぎとして51試合に登板、回跨ぎ上等の起用法ながら安定した投球で活躍した。
その後も同様の起用法だった為劣化も早く、中日に移籍した1999年を最後に一軍登板はなくテスト入団した広島で現役引退した。
69: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:31:07 ID:kF7
藤井将雄(1999年最多ホールド、1995年~2000年ダイエー)
実働5年 153試合 13勝8敗3セーブ29ホールド 286回 203奪三振 防御率3.90
入団当初は先発としても起用されたが結果を残せなかった。その後中継ぎに転じ1998年48試合に登板、1999年にはセットアッパーとして59試合に登板し日本一に貢献した。
しかし同年日本シリーズ後末期の肺癌が見つかる。その後懸命な治療・リハビリに取り組んだが、2000年チームのリーグ2連覇を見届け31歳でこの世を去った。
実働5年 153試合 13勝8敗3セーブ29ホールド 286回 203奪三振 防御率3.90
入団当初は先発としても起用されたが結果を残せなかった。その後中継ぎに転じ1998年48試合に登板、1999年にはセットアッパーとして59試合に登板し日本一に貢献した。
しかし同年日本シリーズ後末期の肺癌が見つかる。その後懸命な治療・リハビリに取り組んだが、2000年チームのリーグ2連覇を見届け31歳でこの世を去った。
72: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:33:15 ID:9h5
ワイDe鷹ファン藤井の名前が出て涙…
当時は鷹ファンではないが全盛期で亡くなった時はホンマに子供ながらに言葉失った思い出
当時は鷹ファンではないが全盛期で亡くなった時はホンマに子供ながらに言葉失った思い出
71: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:33:05 ID:kF7
森慎二(2002年~2003年最優秀中継ぎ投手、1997年~2005年西武→2006年デビルレイズ)
実働9年 431試合 44勝44敗50セーブ17ホールド 653回 755奪三振 防御率3.39
入団3年間は谷間の先発や中継ぎとして起用される。2000年に抑えに起用されてからは中継ぎとして活躍。2002年には71試合に登板した。
2005年オフポスティングでデビルレイズに入団。しかし1年目のオープン戦で肩を脱臼(後に関節唇損傷も判明)、以降NPB・MLBで復帰できず2014年独立リーグで現役引退した。
実働9年 431試合 44勝44敗50セーブ17ホールド 653回 755奪三振 防御率3.39
入団3年間は谷間の先発や中継ぎとして起用される。2000年に抑えに起用されてからは中継ぎとして活躍。2002年には71試合に登板した。
2005年オフポスティングでデビルレイズに入団。しかし1年目のオープン戦で肩を脱臼(後に関節唇損傷も判明)、以降NPB・MLBで復帰できず2014年独立リーグで現役引退した。
74: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:34:08 ID:9h5
>>71
当時のパワプロプレイヤーが1度は真似するであろうフォームやったな
当時のパワプロプレイヤーが1度は真似するであろうフォームやったな
73: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:33:56 ID:kF7
岡本真也(2004年最優秀中継ぎ投手、2001年~2007年中日→2008年~2009年西武→2011年楽天)
実働9年 357試合 32勝19敗2セーブ92ホールド 426回 421奪三振 防御率3.21
プロ入りしばらくは一軍で活躍できなかったが3年目に40試合に登板し先発・中継ぎで活躍。以降中継ぎ投手として長年活躍。
2007年オフ和田一浩の人的補償で西武に移籍すると、徐々に成績が低迷。2009年戦力外となり韓国移籍を経て楽天に入団したが一軍登板は無く2011年に現役引退した。
実働9年 357試合 32勝19敗2セーブ92ホールド 426回 421奪三振 防御率3.21
プロ入りしばらくは一軍で活躍できなかったが3年目に40試合に登板し先発・中継ぎで活躍。以降中継ぎ投手として長年活躍。
2007年オフ和田一浩の人的補償で西武に移籍すると、徐々に成績が低迷。2009年戦力外となり韓国移籍を経て楽天に入団したが一軍登板は無く2011年に現役引退した。
78: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:35:17 ID:kF7
加藤武治(2006年最優秀中継ぎ投手、2003年~2009年横浜→2010年~2011年日本ハム)
実働8年 294試合 30勝28敗9セーブ58ホールド 454.1回 443奪三振 防御率3.61
1年目から中継ぎとして活躍。2年目のアテネ五輪期間は先発としても活躍する。2005年以降は先発で結果を残せずほぼ中継ぎに専念。
2007年以降徐々に成績が低迷。2009年9試合の登板に終わり日本ハムにトレード移籍。2011年戦力外通告を受け現役引退。
実働8年 294試合 30勝28敗9セーブ58ホールド 454.1回 443奪三振 防御率3.61
1年目から中継ぎとして活躍。2年目のアテネ五輪期間は先発としても活躍する。2005年以降は先発で結果を残せずほぼ中継ぎに専念。
2007年以降徐々に成績が低迷。2009年9試合の登板に終わり日本ハムにトレード移籍。2011年戦力外通告を受け現役引退。
81: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:37:06 ID:kF7
川崎雄介(2008年最優秀中継ぎ投手、2006年~2010年ロッテ→2010年~2013年阪神→2013年~2014年西武)
実働7年 199試合 7勝9敗1セーブ49ホールド 187.2回 131奪三振 防御率3.84
2年目に48試合に登板、防御率1点台と安定した投球を見せる。翌年はセットアッパーとして65試合に起用され29ホールドを記録、タイトルを獲得した。
しかし翌年以降成績が悪化。2010年阪神に、2013年西武にトレード移籍するが結果を残せず、2014年戦力外通告を受け現役引退。
実働7年 199試合 7勝9敗1セーブ49ホールド 187.2回 131奪三振 防御率3.84
2年目に48試合に登板、防御率1点台と安定した投球を見せる。翌年はセットアッパーとして65試合に起用され29ホールドを記録、タイトルを獲得した。
しかし翌年以降成績が悪化。2010年阪神に、2013年西武にトレード移籍するが結果を残せず、2014年戦力外通告を受け現役引退。
83: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:38:30 ID:0K4
少し違うけど平井正史とかも現役自体は長かったけど全盛期は短かったな
日本人160キロは平井が最初に到達すると思ったが
日本人160キロは平井が最初に到達すると思ったが
89: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:41:45 ID:kF7
おまけ
大神武俊(1953年最高勝率、1952年~1956年南海)
実働5年 130試合 44勝21敗 639回 268奪三振 防御率2.59
20歳でプロ入りし1年目は8勝、2年目は19勝を挙げ主力級投手に成長。
ところが酷使が祟り1955年に肩を故障。1956年僅か1試合の登板に終わり同年限りで現役引退。
大神武俊(1953年最高勝率、1952年~1956年南海)
実働5年 130試合 44勝21敗 639回 268奪三振 防御率2.59
20歳でプロ入りし1年目は8勝、2年目は19勝を挙げ主力級投手に成長。
ところが酷使が祟り1955年に肩を故障。1956年僅か1試合の登板に終わり同年限りで現役引退。
90: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:41:48 ID:rvF
真っ先に赤星が思い浮かんだ
93: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:42:45 ID:kF7
おわり
やっぱり昔の投手は太く短くってのが多いやね
やっぱり昔の投手は太く短くってのが多いやね
96: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:44:03 ID:AGE
高卒2年目で15勝5敗27セーブは頭おかしい
97: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:44:50 ID:XOJ
鉄平は実働10年以上やったか
103: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:46:39 ID:2U3
津田恒美は入っとらんの?
105: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:48:53 ID:kF7
>>103
津田さんは実働10年
津田さんは実働10年
111: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)13:01:15 ID:V1X
加藤武治のフォーム本当に好き。
95: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)12:43:33 ID:9h5
サンイチ
緒方の引退早くてビックリやったわ
緒方の引退早くてビックリやったわ
引用元: http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1487904152/
1001: にっかんななし 2016/01/01 00:00:00 ID:nichiyakyu
やっぱり昔の速球投手って選手寿命短いんだな
今で言う10年持たなかった選手は昭和の頃の感覚なら5年もたなかった選手くらいのニュアンスやで
まぁ、究極の一年限定確変だったんやろうなぁ…
斉藤和巳は97~07年でちょうど実働10年だから違うな。
ちょっと違うけど、正田樹(2002年新人王)もNPB通算では実働7年だな(台湾で計3年、独立で計3年だからプロ実働は13年で未だ現役)
投手は実力があっても肘肩やってしまったら終わりになる場合も多いから、実働が短い選手も結構いるな。
まぁ黒い霧事件が起こった年に西鉄クビになった投手で、
「西鉄時代は遊んでただけ」というくらい不真面目、
ノーノー達成した時の取材も終始無表情と外から見ても闇抱えてそうだし……
怪我って恐ろしいわ
木田勇なら11年やってるよ
マジで藤本だけ意味が分かんないだよなあ色々と
巨人の話は気分が悪くなるからね
しょうがないね
両山口は地味に「タブチくん」のレギュラーだったから知ってるが、現役は短かったんやな。
改めて黒い霧事件のヤバさと西鉄の弱体化っぷりが分かる
打撃も守備も良かったいい選手
それにしても権藤権藤雨権藤とか昔の選手の使われっぷりハンパないw
そりゃ壊れちゃうよ・・・
新人王だけって奴は入ってないぞ
それ入れたらクソほど人数増える
そうなるとなおさら赤星はもったいなかったなぁ