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犬猫ルンバで学ぶ「評論家という病」 - イーアイデムの地元メディア「ジモコロ」
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犬猫ルンバで学ぶ「評論家という病」

犬や猫がルンバに乗っている動画をYouTubeなどでよく見かけますよね。大変愛らしい動画ですが、それをレビューしようとすることを例に、一億総レビュアー時代の「評論という病」を暴きます。

上田啓太 京都ひきこもり大演説

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犬猫ルンバという言葉は存在するのか。

たぶん、しないと思います。しかし私はよく「犬猫ルンバがあればそれでいいんだよ」と言うんですね。とくに缶ビールを三本ほど空けると言いはじめることが多い。しかしまずは説明しておいたほうがよさそうですね。

 

「犬猫ルンバ」というのは、犬や猫がルンバに乗って移動している光景のことです。さらに言えば、それをYoutubeなどで見る楽しみのことです。日常的にネットをしている人は、一度くらい目にしたことがあるんじゃないでしょうか。

 

www.youtube.com

これが犬猫ルンバの一例です。ほっこりします。

ということで本題です。今回は「犬猫ルンバ」を題材に、「評論家的なもの」が進化していく過程を考えてみたいと思います。

 

犬猫ルンバ内部での洗練

さまざまな画像がネットに氾濫することで、「犬猫ルンバ評論家」とでもいうべき人々が登場するわけです。彼らはもう素直に「かわいい!」とは言いません。過去に自分が見てきた無数の犬猫ルンバをもとに、新たに見た映像を位置づけていくのです。

たとえば、ルンバは何色が良いか? ルンバの速度はどの程度がいちばんよいか? 床はフローリングがよいか、畳がよいか? ルンバに乗っているのはネコがよいか、犬がよいか? 柄や大きさはどうか?

このように考えて、ネットにあふれる犬猫ルンバを格付けしていくのです。 それが評論家への第一歩です。

 

亀ルンバの登場

犬猫ルンバを楽しむあいだはいいです。しかし人間は飽きるものです。「人と同じではイヤだ」とも思うものです。それが「犬猫ルンバの先」を求めます。そして登場するのは、たとえば「亀ルンバ」です。ルンバの上に亀が乗っているわけです。

もちろん、これはマイナー受けです。「犬猫」を最終回答とするなら、その周辺での遊び。ポテトチップスがうすしお味とコンソメ味という最終回答に辿りついていながら新たな味を出すようなものです。

だから人々は亀ルンバを話題にしつつも、亀ルンバが主流となる世界のことは想像しません。犬猫ルンバという王道はあるのです。しかし王道はみんなと同じでイヤだというときに、「亀ルンバ的なもの」が出てくるのです。

 

他にも「イタチルンバ」「ねずみルンバ」「ザリガニルンバ」「トカゲルンバ」など、無数の生き物がルンバにのせられていきます。たとえば犬猫ルンバを楽しんでいる人々に対し、「わりぃ、俺、亀ルンバ派なんだよね」と言う感じ。

 

ルンバ犬猫と空白ルンバ

視点を変えるというパターンもあります。たとえば「ルンバ犬猫」。犬や猫の背中に、ルンバをのせるわけです。関係の逆転ですね。ネコの背中のほこりが取れます。あと、たぶんフギャーッと言われると思います。

 

さらに進むと「空白ルンバ」が登場します。すなわち、ただのルンバです。ルンバに何も乗せない。ただルンバが動いている状態を楽しむ。このあたりから、非常に評論家好みになってきました。

「文脈を楽しむんだよね」と彼は言います。 

「これはただのルンバに見えるかもしれないが、我々はすでに犬猫ルンバの存在を知ってしまっている。よって、我々はただのルンバの動きに「犬猫の不在」を読み取ってしまうのだ。このルンバには何も乗っていないのか? 否、「無」が乗っている。これは言うまでもなく仏教の問題、あるいはハイデガーにおける死の問題とも接続されることになるだろう……

 

というふうに、えんえんと言葉が紡がれてゆきます。「ルンバとハイデガーを接続されても」と思うのが人情ですが、ハイデガーは何にでも接続できるのです。あなたのがんばりひとつで。

 

ルンバがかわいい

「ルンバそのものがかわいいことを我々は忘れていたのだ」というパターンもあります。「犬猫がかわいいのではなく、ルンバがかわいいのだ」と言うわけです。これもまた視点の転換です。ルンバの回転ぶりや作動音のかわいさに注目してみるといいかもしれません。

 

ルンバ地球 

「ルンバ地球」という発想もあります。「そもそもルンバは地球に乗っていたのだ」という視点を提供するわけです。地球の回転の上にルンバはあった。そして「乗る物・乗られる物」のうち、犬猫ルンバにおいては「乗られる物」だったルンバが、ここでは「乗る物」になっている。だからこそ「地球ルンバ」ではなく、「ルンバ地球」となるのです。

そろそろみなさんも「こいつうぜえ……」と思いはじめたかもしれません。こんなことを真顔で語られたら、空から巨大なタライが降ってくることを期待してしまいますが、ひとつの視点としてでっちあげることはできるということです。

 

一周まわったうえで

このあたりで「ふつうの犬猫ルンバ」に戻るというパターンもあります。「ただかわいいだけ」ということです。「あらゆる表現の進化は原点を知るためにあったのだ」ということです。もっとも、「一周まわったうえで」と分かるようにしなければいけません。人は差別化をはかりたがる生き物ですので、なんらかのかたちで「ただ犬猫ルンバを楽しんでいる人」とはちがうことを示したいのです。

 

犬猫ルンバの抽象化

しかし、一周まわることは気に食わない。それじゃあ発展していかない。

そのときに出てくるのが「犬猫ルンバの抽象化」です。どういうことか? 犬猫ではなく「抽象化された動物の骨組」、ルンバではなく「抽象化された掃除機のエンジン」を提示するのです。犬猫ルンバから構造のみを抜き出して提示する。犬猫ルンバのアブストラクト。

この場合、呼び名も犬猫ルンバではなく、

DOG-CAT-ROOMBA

になります。さらに、抽象化したことを強調したい場合は「単語から母音を抜く」というテクニックが使われますので、正式な作品名は、

DG/CT/RMB

これが「作品名」です。とりあえず、これを犬猫ルンバの最先端としておきます。「ネコがルンバに乗ってるのかわいいよね!」と言われた場合、「DG/CT/RMB」に言及しておけば、まず間違いはないです。

 

かわいくはないので!

ちなみに、DC/CT/RMBは全然かわいくありません。むきだしの骨組の上にむきだしの骨組が乗り、真白い空間を一定の速度で移動しているだけです。

しかし、「かわいくないじゃん」と言ってしまえば、「分かってないなあ」という顔をされます。現代音楽に対して、「全然メロディアスじゃないじゃん」とか言うようなもんです。返事は鼻息です。「んなこと分かった上でやってんだよ」ということです。

 

以上、犬猫ルンバの進化を駆け足で考えてみました。

ちなみに私は普通の犬猫ルンバが好き。ほっこりしたいので。

 

 

<過去のコラムはこちらから!>
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ライター:上田啓太

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京都在住のライター。1984年生まれ。
居候生活をつづったブログ『真顔日記』も人気。
Twitterアカウント→@ueda_keita