お互いを尊重した生活はできるのでしょうか?
自然とは美しくも恐ろしい。それを最も端的に表しているのがクマかもしれません。写真や動物園で見るのは可愛いけど、自然の中で出会ったらこれ以上恐ろしい存在はありません。日本でもいまだにクマによる被害、そしてクマに対する被害は無くなっておらず、ほぼ毎年のように死亡事件も起きています。人間とクマは、果たして生活を共にすることはできるのでしょうか?
米Gizmodoでは、この疑問を環境保護の専門家や自然主義者、作家などに投げかけ、答えを探りました。
At 21 stone and seven feet tall, a bear officiated this couple's wedding https://t.co/vJz7ZQ49Tj pic.twitter.com/6HOiPIpkLU
— The Times of London (@thetimes) 2016年11月1日
2016年末、ロシアでクマが結婚式の司式者をつとめた写真が広まりました。結局、この写真はフェイク(訳注: 司式者役のクマ、ステパンは本物のクマですが)と判明しましたが、こういった写真が人気になるということが、あることを明確に物語っています。人間とクマの間の何千年という歴史や、背筋の凍るドキュメンタリー映画などがあるにも関わらず、私たちはどこかでクマのことを、森に棲んでいる、可愛くて大きなイヌのように考えたいのです。
そう考えるのは間違っているのでしょうか? 人間とクマの間に、飼い主とペットのような、あるいはせめてお互いに無害になる関係は築けるのでしょうか? 野生の熊の保護を訴え、最後には無残に食い殺されてしまったティモシー・トレッドウェル氏のドキュメンタリー『グリズリーマン』などの例を見ると、答えは「不可能」であるように感じます。
しかし、私たちがインタビューした専門家たち(クマを研究し、共に生活し、彼らの生存環境を守るために活動している人たち