Q.
ロースおじさんこんばんわ。私は18の女です。
生きてるって実感がないんですがこれわなぜですか。
何してもそれをやったなってのは理解できるけどそれを 本当に感じれません。説明が難しいです。
お名前:nibrollさん
A.
はぁ~~~~なるほどね~~~~~~。
基本的にメンタルやフィジカルの問題に関しては「病院に行って~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!! 病院で言って~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!」が唯一の正解やってことを差し引いて、一般論で答えるね! もしマジ切実で日常に支障をきたす悩みなら病院やで! 豚に聞いてる暇ないからね!
nibrollさんの抱いてる感覚は、よく「離人症」なんて表現をされている症状に近いかもしれんね。この感覚、わからん人にはまったくピンとこないらしいけど、まさに質問に書かれているような「何かをやったり見たりしてることは理解できるけど、本当にそれを体験している実感がない」不思議な感覚に包まれる症状や。あ、たまにそういう感覚になるからといって、必ずしも病気ってわけやないで!
目の前で起きていることがどこかウソくさく感じる。まるで芝居や映像を見ている、あるいは、薄い膜越しに世界を見ているみたいに感じる人が一定数いるんよ。
なんで、そういう感覚を抱いてしまうのかね? これを解き明かすには「自分」っちゅうもんの摩訶不思議さと向き合う必要があると、おじさんは思うんよ。
まず、「自分」とか「私」って言葉の意味について。これ、考えてみるほどに不思議な言葉よね。たとえば、おじさんの言う「自分」はロースおじさんのことで、nibrollさんが言う「自分」はnibrollさんのことを指しとるよね? つまり、「自分」とか「私」という言葉は、それを言う人によって指す意味が変わる言葉なんや。
でも、この説明だけだと不十分かもしれん。だって、考えてみて? あなたが「私」という言葉を使うとき、単に自分の名前をそのまま言うのとは違う意味がこもってる気がしない? なんちゅうんかな、世界の中で意思を持つ存在としての自分、みたいなニュアンスがあると思わない?
たとえば、ボイスレコーダーが「私」って音を再生するとするよね。でもそれはただの「ワタシ」という音であって、「ボイスレコーダー」を意味してるとは考えにくいと思うんよ。その差ね。ごめんね、理屈っぽくて。おじさんこういうことやたら考えたくなる時期があるんよ。だいたい長期間の勾留から開放されたあとのタイミングなんやけどね。
一番身近でしっくりくる言葉でいえば、これは「魂」の話なのかもしれん。
つまりね、「自分」「僕」「私」みたいな言葉は、単に「それを言ってるモノの名前の代名詞」ではないんよ。それに加えて「いまワタシと言ってるこの物体には魂があるんだよ~」というアピールが含まれているんよ。サッカーの試合ではみんなおそろいのユニフォームを着るやろ? あんな感じで、社会というゲームに参加するには「ワタシ」というユニフォームを着る必要があるんよ。そうやって人は自分や他人という言葉を使いこなせるようになるんよね。
逆に、生まれたばっかりの赤ちゃんには、「自分」や「他人」の区別がない。全てがむき出しの主観で埋め尽くされているスッポンポンなんよ。だから、自分の左手と目の前のおもちゃがどう違うものなのかもわからんってわけ。そこから熱いヤカンに触って痛い目にあったり、親の愛情に触れたりして「自分」や「モノ」や「他人」を徐々に発見していくんや。
でも、実をいうとこの仕組み、絶対に破綻するんよ。というよりも、本当は破綻しているのに、みんな気づかないか気づかないフリをしているんよ。
たとえばね。あなたが「自分には魂がある!」と言ったとするでしょ? それと同じことをあなたのお友達も言えるよね? 「自分には魂がある!」って。でも、それを聞いたときの「魂のあり方」のリアリティって、桁違いに低いはずなんよ。だって、自分の言う「自分」は、「この世界」が「この視点」から見えてるっていう動かぬ証拠に保証されてるんだもんね。それに対して、友達の言う「自分」は、こっちからしたらただ「言ってるだけ」やから、よくよく考えてみると、ボイスレコーダーとコイツ、何が違うの? ってなる。
そんでさらに、相手も同じことを言えちゃう。「オマエ、ボイスレコーダーと何が違うの?」って友達に言われたら、違いを証明する手段がないんよ。「だって、現に心があるやん」って言いたくても、それを人に伝える手段がない。誰もが「自分だけが特別な自分(魂)を持ってる」って言えるんよ。
つまり、あなたは
①ただ一人のかけがえのない存在であり
②無数の「かけがえのない人たち」の中の平凡な一人でもある
ってわけ。破綻してるでしょ?
こうして、よく2chでちょいちょい議論されるような「俺以外の人間に心はないかもしれないんだが?誰か論破してくれよ」的なスレが立つわけやね。ただ、この問題の面白いのは「もしかしたら他人には心がないかもしれない」なんて別に考えなくても成り立つってとこや。仮に友達に「心」とか「魂」みたいな何かがあったとしても、「この自分」が直接感じてるスッポンポンの主観がある以上、「自分が持ってるのが本当の魂だ」と言いたくなってしまうんよ。
やっと離人症の話に戻るね。
「自分」って、当たり前やけど、体を持っているよね? 言い方を変えれば自分ですら単なるモノ、物体や。だから、やろうと思えば「モノや機能としての自分」と、それを感じている「この自分」を切り離すのも可能なんよ。人によっては意図せずそれが成功してしまって、世界の中にいる自分ですら、まるで他人事みたいに「眺める」ことができるんや。戦時下では「人を殺している自分」を幽体離脱みたいに俯瞰で眺めていた兵士がわりといたんやって。そうやって、人を殺す自分とそれを見る自分という形で気持ちを切り分けていたんやね。
これが「生きてる実感がないという実感」の正体なんやないかな? 「唯一無二の魂を持つ自分」と「世界の中のモノとしての自分」の重ね合わせがちょっとしたキッカケでズレてしまって離人症を引き起こす。そうも言えるかもしれん。
ま、いままでの見解は所詮シロウト考えやから、真剣に悩んでるなら専門の病院に足を運ぶのをおすすめするで。
なんにせよ、あなたがそう感じることはなんら変なことではないとは思うんよ。ちょっと人よりウソを飲み込むのが下手なだけやで、きっと。
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