<ゲームでなければいけない理由> テトリスに出会って30年。
どうも。熱血テトリスおじさんことオロチです。
先日、上の息子より1つ大きい親戚くん(8才)がうちへ泊まりに来た。我が家は一般家庭に比べたらゲームに関して寛容なので、ゲーム好きの親戚くんにとっては天国みたいなもんだ。現に彼は我が家へ泊まりに来る日のことを「ゲーム合宿」と呼んで、毎回、楽しみにしているそうである(笑)
しかし、テトリスおじさんは思った。
ゲームってのは
ただ楽しめばいいってもんじゃないと。なぜなら、楽しいことなんて他にもいっぱいあるじゃないか。そこに何かしら「ゲームでなければいけない理由」があるから、お前たちはゲームをやってるんじゃないのか。とことん追求してみろ。なぜお前たちはゲームが好きなのか?
何も考えなしにただ楽しいからってゲームをやってるんだったら今すぐやめろ。ただの中毒だ。履歴書の趣味欄にゲームって書けない問題と根っこは同じである。ゲームは暇つぶしだと思われてる問題と根っこは同じである。逆に言えばその答えを見つけることができれば、いつか面接官に堂々と「ゲームが趣味です」って言える未来もあるんじゃないのか。テトリスおじさんは、お前たちの手でゲーム受難の歴史に終止符を打ってほしいのだ……
そう考えると、もはや楽しさだけを伝える時代など終わった。いや、終わるべきなのではないだろうかという考えに至ったのである。
現に息子らがやってることと言えばただただマインクラフト。ひたすらマインクラフト。エンチャントだの、ネザーゲートだの、訳分からん。いや、本当はわかるよ。『マインクラフト』は楽しい。その大胆に記号化された世界観、クリエイティビティを刺激される全能感、MOJANGの地元スウェーデンでは授業に取り入れている小学校すらあるという、この革命的ゲームの魅力など今さら私が語るまでもない。(私自身は3D酔いしてしまうため毎回30分以上プレイできないが、それでもこのゲームの魅力は理解できる)
でも君らはまだ子供なんだ。可能性の塊なんだ。人生という名のリアルオープンワールドには、
まだまだプレイすべきゲームがたくさんあるんだってこと知ってほしい。ひとつのことにとことんのめり込むことも大事だが10を知った上での1なのか、1しか知らないのかの違いは大きいぞ。内側ばっかり向いてると輪郭がぼやけるのだ。これは
ファミコン偏重主義をやめたテトリスおじさんからの教訓だ。でも憂うべきは悲しいかな「人生は有限」ってこと。
はっきり言おう。君たちには時間がない!
そこで今回、テトリスおじさんはゲーム合宿・特別講演「テトリスおじさんのテトリス講座」を開催することにしたのだった。
<テトリスおじさんのテトリス講座> さっそく息子に「テトリス」をプレイさせて熱血指導。
本格的な内容は別の機会に譲るとして、ここでは簡単に私がどのように「テトリス」の攻略法を息子に教えたのか解説してみたい。テトリスおじさんが毎回、口酸っぱく言う鉄則は以下の3つだ。なお、テトリスの攻略に興味ないひとはこの段落を読み飛ばしてもらっても構わないぞ。
A.ブロックは回すな
B.積むときは平坦に
C.隅っこが高い法則
<A.ブロックは回すな> たまに、くるくる必要以上にブロックを回しているやつがいるが、お前は海老一染之助かと言いたい。くるくる回したところで別にめでたくとも何ともないのだ。大切なのは
ラインを見ること。たとえば図AみたいにいきなりSとか来ると困っちゃうけどHOLDする前にラインを見ろ。ラインは一番下とは限らない。図Aの赤ラインのように、2番目のラインで消せばいいってこともあるのだ。
そもそもなぜ回さないか。それはレベルが高くなるにつれ
落ちるスピードが速くなってくるからである。最高レベルにまで達すると一瞬で落ちる。いちいち回してられないのだ。しかしテトリスの醍醐味はそこから始まるといっても過言ではない。したがってスピードが遅いうちになるべく回さない消し方に慣れておけば、いざ、スピードが速くなったときでも自然に対処できるようになるという先を見据えた指導である。
<B.積むときは平坦に> たとえば図Bのとき、四角ブロックはどこに置くのがいいだろうか。正解は1である。2は50点。3は0点だ。ブロックを積むときはなるべく平坦にすること。一番いけないのは中国「石林」みたいに凸凹になっちゃうことである。
ちなみに3が0点の理由は3ブロック以上の穴ぼこができてしまうためである。この穴ぼこには棒しか入らない。つまりみずから
選択肢を狭めてしまっている積み方は悪手なのだ。敗着にもなりかねないぞ。
そもそもなぜ平坦にしなければいけないのか。これも選択肢の問題である。フィールドが石林状態よりも平坦のほうが
圧倒的に積む選択肢が多いということを憶えておこう。
<C.隅っこが高い法則> 図Cのとき、どこに積むのがいいだろうか。正解は3である。2は50点、1は0点だ。平坦にすることのほうがプライオリティは高いが、それができそうにないとき、高くすべきは隅っこなのである。図Cの場合、テトリス穴を左につくっているので、隅っこは右。極端な話、一番右はどれだけ高くしてもかまわない。これが隅っこが高い法則である。
ちなみに1が0点の理由。それは詳細は省くが
テトリス穴周りでいろいろなライン消しテクニックができるからだ。これはどうしても処理の困ったブロックを「テトリス穴にぶち込む」という最終手段の余地を残しておくためである。
※中国の石林の様子(Wikipedia Creative Commons) 以上。
テトリスを30年間、研究してきたテトリスおじさんのテクニックを、ほんの一部だけ紹介させてもらった。もちろん、これ以外にもさまざまな細かいポイントがあるが、その解説はまた別の機会にでもさせてもらおう。
<みるみる息子がテトリスを嫌いになっていく> まあ、こんな感じで、ああでもない、こうでもないと熱血指導してたわけだ。ただただ世の中にはこんなに奥の深いゲームがあるってこと知ってほしい。その一心だった。しかし息子の反応はいまいち。それどころか「自由にやらせてよ」と怒りだす始末。
つづいて親戚くんにも同じように指導したが何か言うたびに、慌ててボタンを押してしまうのかクルクルとブロックが空回り。画面の中に出来損ないの現代アートみたいなオブジェが形成されるばかりであった。見ていられなくなって思わずコントローラを奪い取る。
いいか、こういうときはこう!
そしてこう、こう、こうだぁぁぁっ!!!
テトリスおじさんの熱量とは裏腹に、明らかにテンションが落ちていく子どもたち。なぜだ。テトリスの次はあのゲーム、このゲームと往年の名作ゲームを順番に熱血指導していくつもりだったのに、もはや子どもたちはそんなテンションではなさそうだ。なぜだ。なぜなのだ……
そこで私はハッと気づく。あれは大学を卒業してバイトしながらゲーム制作を行っていた頃、題材としていたオカルト学や宗教学について、自主的に図書館へ出向きひたすら研究していたことを。ことこまかくレポートをまとめたノートは何十冊にも及んだ。図形や挿絵などはコピーせず、あえて模写することで体へ憶えこませた。
学生時代に自主的に図書館へ行ったことなど一度もなかった私が、なぜそこまですることができたのか。その理由はたったひとつしかない。
自分がやりたかったからだ。人間、誰かにやれと言われることほどやりたくないものはない。たとえそれが大好きなゲームだったとしても……
<ゲームなんて上手くなってどうなるの問題> まあ、そんなことは最初からわかってたんですけどね(笑)
ゲームに関してはどうしても熱くなってしまうのだ。いつか息子たちが大人になって「あのときは嫌だったけど、そういうことだったのか、オヤジ!」みたいなパターンを希望している。子どもに媚び売るクソみたいな父親だけにはなりたくないのだ。しかしここでひとつの問題が浮上してくる。
ゲームやキャバクラなど、手っ取り早く承認欲求を満たせることばかりに時間を使っていると、身につくスキルがひどく偏ってしまって、将来を生きていくためのスキルがロクに身につかないまま、歳をとってしまう
「認められたい」熊代亨 (著) via Books & Apps 最近、目にした気になる論調である。いわゆる「ゲームなんて上手くなってどうなるの問題」だ。
正直、言いたいことはわかる。でも言っておくが私はキャバクラが大嫌いだ。付き合いで何十回と行ったが心の底からくだらないと思っている。なぜ金を払ってまで女と喋らないといけないのか。ファミコンをやってたほうが100倍楽しいじゃないか。支払いのとき「この金で初代ロックマンの完品が買えるなあ」とか何度思ったことか……
ちなみにキャバ嬢に年齢を聞いて「え、マジ? セガサターンといっしょじゃん」などと
同じ年齢のハードを挙げ自然にレトロゲームの話に持って行くのが私の常套手段である。けっこうファミコンやったことある子も多いし、なに、はじめてやったゲーム機がPSPだと?とジェネレーションギャップを楽しむのも良いだろう。
また、私の統計によるとキャバ嬢はポケモン好きが多いので、予習していくのもいい。まあ中にはぜんぜんゲームやらない子もいるけど相手はプロ。たとえ興味なくても興味ありそうに聞いてくれるぞ……
って、けっこう、楽しんでんじゃねえかっ!
そういうことじゃないんだよ。私が言いたいのは
ゲームとキャバクラをいっしょにするなってことだ。
手っ取り早く承認欲求を満たせるゲームなんてただの消耗だ。そういう意味ではこの主張も間違ってないが、ゲームの奥の深さを知ら
余計な制約でプレイしてもすぐ飽きてしまう。
単なる作業化してしてしまうから。
その前に自分の意見を他人に押しつけるのは良くないと思う。