AI寿司職人は美味い寿司を握れるか : 情熱のミーム 清水亮
「表現」こそ日本に託されたAI発展の道
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長らくファンだった、神田のとあるお寿司屋さんが補強工事のため1年ほど休業することになってしまった。僕としては寂しい思いが強いが、そういうことならば仕方がない。それ以上に驚いたのは、そこの板長さんが休業を機に辞めてしまうということだった。
個人的に「寿司ほど人に依存する食べ物はない」と思う。
もちろん、焼肉や焼きとんだって超一流の職人にかかるとまったく別次元の料理になる。ただ、寿司は毎日同質のネタを仕入れられる保証がなく、河岸へ行って毎日、目利きをしなければならない。目利きの力と想像力の両方が必要とされるのが寿司職人という仕事だ。
目利きといえば、昨今流行りのディープラーニングは画像分類が人間並みか、それ以上の精度を出せるのでAI寿司職人が河岸に行けば万事解決かといえば、そうでもない。河岸で、ただ新鮮な魚を見つけ出せばいいというものではないからだ。
その魚をどう捌くか、どう料理するか、そのすべてに想像力が必要だ。つまり、いいネタを探し出すと同時に、そのネタをどのように料理すればいいのか瞬時で判断しなければならない。そこが、まだ今のAIには難しいところだ。
あるとき、このお寿司屋さんで「みかん鯖」という魚が出たことがある。みかんだけを食べさせて育てた鯖だ。
本物のイベリコ豚がどんぐりしか食べないように、みかんだけを食べて育った鯖はどんな味になるのか? 心なしか爽やかな後味になるのだ。もちろん「みかん鯖」という名前からくるイメージがプラシーボ効果を与えている可能性は排除できない。しかし、注意深く味わうと確かに柑橘類のようなイメージが湧いてくるのである。どんぐりしか食べずに育った最上級のイベリコ豚のハムから、微かに木の実の香りがするのと同じように、みかん鯖もやはりみかん風味がどこかに残るのかもしれない。
このお店の板長のスペシャリテはさまざまだ。たとえば中トロに小魚の骨を煮詰めてつくったみぞれを掛けて食べるというものがある。たかが寿司、されど寿司だ。ほかにスルメイカの肝乗せなんかもある。
こうした見事な仕事や工夫の数々は、最初から何が正解か決まっているAIが解くような問題には向かない。このお店は多店舗展開しているが、それぞれの職人が独自の工夫で寿司をつくっていいことになっているそうだ。
こういうお店はマニュアルを堅守するフランチャイズ文化のなかでは育たない。もし、我が国が「AI」という新興分野でなにか効果的な手を打てるとしたら、まさしくこうした在野の表現者たちの感性を、うまくAIが学び取ることができれば、あるいは可能性があるのではないかと思う。
絵そのものでは、すでに日本人は韓国人や中国人にしばしば腕前で負けることがあるそうだ。オマケに値段も安いので、どんどん海外に才能が流出してしまう。しかし、お金にもならないのに自発的に絵を書き、漫画を書き、それにお金を出す人がいるというのは、我が国のもつ重要な知的資産であると思う。
寿司は一例に過ぎないが、日本にはたかが料理と言えども、それぞれのお店が独自の工夫を凝らしたメニューをつくるのが、ごく普通に行なわれているめずらしい国だ。
また、たとえフランチャイズに近い経営であったとしても、たとえば一条流がんこラーメンのように、基本の味はフランチャイズで共通としながらも、各店舗で独自の味を追加するというような施策がとられたりする。これもまた、食を通じて表現したいという欲求の現われであり、我が国では誰もが普通にもっている願望であるが、これも世界的にはかなり珍しいと思う。
もっといえば自動車を改造したり、アニメの絵を描いたりということが、全員ではないにせよ、ごく頻繁に行なわれていたり、それを肯定したり、ましてや地下アイドルのようにほとんど収入にならないにも関わらず、表現者として活動することが許容されている国というのは、かなり特殊ではないか。
いわゆるテストで良い点数を取るとか、囲碁やチェスなどのゲームに強いとか、そういうAIは欧米と中国がかなり進んでいるが、その世界の評価尺度では、計算資源があればあるだけ有利だし、十分な計算資源を確保するために莫大な費用がかかる。
GoogleやMicrosoftのように欧米で成功したベンチャー企業は何兆円も稼ぎ出すが、日本にはそんなベンチャー企業は存在しない。かといって、エスタブリッシュメント企業がAIに数百億投資する積極的な動機もないまま、日本とそれ以外の実力差は日に日に広がっているのが、残念ながら現状である。
日本以外の国にいるAI研究者は、おそらく「高い知能」のモデルとして自分たち自身や、せいぜい歴史上の科学者などの重要人物をイメージしているだろう。だからこそ、ベンチマークが囲碁やゲームでの勝利だったり、テストでの勝利だったりするわけだ。
ところが、我々は諸外国とはまったく異なる「高い知能」のモデルをもっている。それは漫画家であり、アニメーターであり、クリエイターだと思う。教育格差の激しいアメリカと違って、日本はそもそも全体の教育水準が高い。4年制大学を卒業してクリエイターになる人はたくさんいる。
以前、アメリカのアニメスタジオを見学したことがあるが、アメリカのアニメは、日本とはつくり方が根本的に違う。まず、30分のアニメーションをつくるのに約1年かける。そのチームが、たとえば12チーム同時に走り、1年後には12話のアニメーションが完成しているというわけだ。ものすごく贅沢なつくり方といえる。
日本ではアニメの放送が始まってもまだ作画しているケースも少なくない。そういう環境だからこそ、エヴァンゲリオンのような勢いのある作品が生まれる。アメリカのアニメは日本のようにTVシリーズで盛り上がったから映画化、という流れにはなかなかいかない。衛星放送が主体でチャンネル数が異常に多いという理由もあるだろう。アメリカの大ヒットドラマの話しをアメリカ人の友人に話しても、知らないという答えが案外多い。文字通り生きる世界が違うのだ。
日本も今は空前のアニメ多産時代を迎えているが、話題作は自然と絞られる。大人になってもアニメに夢中になってる人が少なくないのも日本人の特徴といっていいかもしれない。
先進国で最初に少子高齢化社会を迎えようとしている日本は、言い方を変えればジーンよりも遥かにミームの伝搬力が強いのである。子供の数(ジーン)は減っているが、創作される表現物(ミームから生まれた表現物)は年々増えている。
我々は少子高齢化によって減った労働人口をAIとロボットによって補完することで少子高齢化社会を乗り切ることになる。
表現者という観点から見た場合、欧米に対して日本はまだまだ負けていない。そしておそらく、表現するAIをものにした日こそが、最高の知性をもったAIが誕生する瞬間になるだろう。
勝つとか負けるとかではなく、表現者として偉大なAIが出現したとき、"それ"はどんなミームを抱くのだろうか。
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