ばいきんまん「『必要悪』って、知ってるか?」
ばいきんまん「ぐぬぬ……おのれ、アンパンマンめぇ!」
それは、いつものようにばいきんまんが悪さをして、いつも通り退治される、いつもの光景。
その戦いの間に何度か攻守が逆転して、アンパンマンが1度顔を取り替えるのもまた、いつものことであり、言うまでもないことだ。
あとワンパンでケリがつく。
それも、いつものこと。
渾身の力を込め、必殺の『アンパンチ』をぶち込めば、いつも通り「バイバイき~ん」と彼方の星になる……
かに、思われたのだが。
そんな、『いつも』通り窮地に立たされた、ばいきんまん紡いだ次の一言は……
ばいきんまん「『必要悪』って、知ってるか?」
『いつも』とは違っていた。
その問いに、アンパンマンは思わず鼻白む。
血反吐を吐きつつ、ボロボロの身体となったばいきんまんだったが、その両の目から力は失われておらず、口角は不敵に釣り上がっている。
ばいきんまん「ギャハッ……ギャハハッ……!」
息も絶え絶えな掠れた笑い声。
彼は酷く弱っている。それは間違いない。
しかし、それでも……
嘲るような響きが、どうにも鼻につく。
ばいきんまんの強さの真髄が、そこに含まれていた。
アンパンマン「自分が、その『必要悪』だとでも、言うつもりか……?」
堪らず問い返すアンパンマンを、ばいきんまんはニヤニヤ見つめ……
ばいきんまん「ギャハッ!……すぐに、わかる。俺様が、どんな存在か。そして、『必要悪』とは……『悪』とは、何なのかをな……ギャハッ!ギャハハッ!!」
この悪党に問答など不要だ。
あからさまな嘲笑に耐えかね、アンパンマンは拳に込めた力を解放する。
アンパンマン「アァァァァンッッ!!」
空間を歪める程のエネルギーが、眩い光の奔流となり、荒れ狂う。
それを掛け声に伴い、収束。
悪を討ち亡ぼす、正義の鉄槌の完成だ。
アンパンマン「パァァアアアンチッ!!!!」
ばいきんまん「ギャ……ギャボッ!?!!?」
ばいきんまんの腹部に突き刺さった拳を、前方に突き出すように振り切る。
メキメキと、骨が軋む振動が伝わり、ばいきんまんの足が地面から離れた。
ばいきんまん「バァッ!?バァイバァイき……」
空の彼方へと高速で射出されたばいきんまんの捨て台詞は、「バイバイき」までしか聞き取れず、辺りを静寂が包み込んだ。
一拍の間を置き、歓声が上がる。
アンパンマンが救った者たちが、一斉にヒーローの元へと駆け寄ってくる。
今日もまた、正義が勝ったのだ。
カレーパンマン「やっぱお前にゃ敵わねぇや」
しょくぱんまん「流石ですね!」
共に肩を並べて闘った仲間達も、口々にアンパンマンを賞賛する。
気恥ずかしい気持ちになりながらも、アンパンマンは周囲をぐるりと見渡し、自分の救った人々の笑顔を目に焼き付けた。
皆一様に嬉しそうで、優しげな笑みだ。
こんな素晴らしい世界に『必要悪』が入り込める隙間なんてある筈がない。
やはり、最後のばいきんまんの言葉は戯言だったのだ。
と、確信したその時。
メロンパンナ「きゃあああああああ!?」
メロンパンナの悲鳴が響き渡った。
メロンパンナ「きゃあああ!?やめて!離してカバオくん!?」
あらあら大変!
カバオくんったら、メロンパンナちゃんを押し倒して、粗相を働くつもりみたい!
もちろん、そんな狼藉は彼が許す筈もなく……
アンパンマン「やめるんだ!カバオくん!!」
即座にアンパンマンが止めに入る。
しかし、パワー系のカバオくんの馬鹿力はアンパンマンの膂力を上回っていた。
カバオくん「離せぇぇえええええ!!」
アンパンマン「くっ……駄目だ!カバオくんの力が強すぎて止められない!!」
羽交い締めにしようと背後に回るものの、暴れるカバオくんに振りほどかれてしまう。
メロンパンナ「やめっ……乱暴しないでっ!きゃあああああ!?」
カバオくん「ぐふふふっ!はあはあ……可愛いよ、メロンパンナたん」
カバオくんの巨体に組み敷かれたメロンパンナも、その重みで窒息しないようにするだけで精一杯だ。
舌舐めずりしながら迫る暴漢に、抵抗する余力などなかった。
このままでは不味い。
なんとかしてカバオくんを無力化しなければ、取り返しのつかないことになる。
アンパンマンは決断を迫られていた。
カバオくんを無力化する方法はある。
ばいきんまんを吹き飛ばした『アンパンチ』を使えば、星の彼方までぶっ飛ばせるだろう。
その右ストレートが、アンパンマンの膂力以上の破壊力を発揮出来るのは、ひとえに『愛と勇気』の恩恵だ。
悪を討伐する為、彼に与えられた力。
だからこそ、今この状況でその力を振るうのには、躊躇いを覚えた。
この必殺技は、世界の平和と人々の笑顔を守るべく生み出されたものなのだ。
それを、仮にも守るべき対象であるカバオくんに使うなんて……
カバオ「ぐふっ。ぺろぺろ……甘い!?ぐふふふふっ!甘い!甘いよ、メロンパンナたん!」
メロンパンナ「舐めないでっ!?そんなところダメェェェェエエエエ!!?!?」
決心のつかないアンパンマンの目の前で、今まさにメロンパンナが蹂躙されようとしている。
もはや一刻の猶予もない。
決断の刻が、差し迫っていた。
アンパンマン「ッ……カバオくん、ごめんよ」
狼狽するアンパンマンに、救いを求めるかのようにメロンパンナの手が伸びる。
悲痛な叫びが、ヒーローの心を傾けさせた。
アンパンマン「アァァアアンッ……!」
腰だめに拳を構えながらエネルギーを込める、アンパンマンの目からは涙が流れている。
血の涙だ。
どうして!
どうしてこんなことに!?
自問しても返ってくる答えはない。
それでも、彼は拳に力を込め続ける。
それが『ヒーロー』の、役割だから。
ようやく殺気に気づいたカバオくんが、喚く。
しかしメロンパンナの上から退く気配はない。
パワー系のフリをして、カバオくんは狡猾だ。
こうして泣き叫べば、アンパンマンが何も出来ないと知っているのだ。
しかし、正義の化身と化した今のアンパンマンには、カバオの悪意がはっきりと感知できた。
ドス黒い醜悪なオーラを纏ったカバオは、宿敵たるばいきんまんをも霞ませるほど、唾棄すべき存在へと、なり果てていた。
もはやカバオは、アンパンマンの知るカバオではない。
そう思うと自然に、躊躇いは消えていた。
そうだ。
どちらにせよ、こいつを野放しには出来ない。
ならば、痛みを感じる間も無く、意識を刈り取り、『処分』するのが適切であろう。
さようなら、カバオくん。
その別れの言葉は、胸中に留めて……
アンパンマンは、決断した。
アンパンマン「パァアアアアンチッ!!!!」
カバオくん「ひゃああああぁあ!?」
大気を切り裂く拳圧が、まるで唸り声のように周囲に響き渡り、それに含まれた圧倒的な殺意に、カバオは漏らし、メロンパンナを汚した。
けれど、それにメロンパンナは気づかない。
彼女もまた、アンパンマンに畏怖を抱いていたからだ。
瞬きを一度。
次の瞬間には、カバオは自分の上から消え失せているだろう。
彼女はそれで救われる。
それは喜ぶべきことで、感謝すべきことだ。
しかし……それが怖い。
堪らずぎゅっと目を瞑ったカバオの糞尿塗れのメロンパンナは、この日初めて、アンパンマンに恐怖を覚えた。
固く目を瞑り、息を殺して嵐が過ぎるのを待つメロンパンナだったが、待てども待てども嵐は訪れない。
おかしい。
そう思い、恐る恐る目を開けると……
アンパンマン「……なんのつもりだ?」
カレーパンマン「へへっ。悪いな」
しょくぱんまん「ここは冷静になるべきかと」
目の前には見知った仲間の姿。
彼らは、カバオとアンパンマンの間に割って入り、必殺の『アンパンチ』を防いでいた。
無論、無傷とはいかない。
彼らは全身傷だらけで、それぞれのカラーに染まった白と黄のマントはボロボロだ。
ぷすぷすと、端から煙が立ち上っている。
そんな有様になっても、カバオくんを庇う彼らの意図がわからず、アンパンマンは再度問う。
アンパンマン「何故庇う。理由を言え」
だが、引くわけにはいかない。
カレーパンマン「おいおい、おっかねぇな」
しょくぱんまん「やれやれ、です」
余裕を演出しつつ、事態が収まるのを待つ。
だが、目の前の正義の化身には通用しない。
理由を述べるつもりがないのなら、尋ねるだけ無駄であると、アンパンマンは判断した。
アンパンマン「そこをどいてくれ」
静かな口調。
しかし、迸る怒気は隠しきれない。
相対する2人の汗腺が開き、冷や汗が滲む。
だが、引くわけには、いかないのだ。
カレーパンマン「落ち着けよ、兄弟」
しょくぱんまん「ええ、頭を冷やして、どうか冷静に」
冷静に?
またその台詞か。馬鹿馬鹿しい。
そんな悠長なことを言ってたら、メロンパンナが凌辱される。
そんなこともわからないのか?
アンパンマン「どけ、と……言ってるんだ」
仲間達が纏う悪の気配。
見過ごすわけには、いかなかった。
しょくぱんまん「退くわけにはいきませんね」
ひりついた空気を和ませるべく、軽い口調で返答したのだろうが、全くの逆効果だ。
疑念は確信に変わり、かつての仲間の2人を、アンパンマンは『敵』と見なした。
アンパンマン「邪魔だぁぁああぁあ!!」
カレーパンマン「おっと!やれやれ……大将はせっかちだな」
しょくぱんまん「仕方ありませんね。カバオくんを失うわけにはいきませんから」
戦闘が始まった。