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「甘やかされて育った人に質問、現実の壁にぶち当たったのはいつ?」ほろ苦いエピソードいろいろ:らばQ
2017年04月04日 13:02

「甘やかされて育った人に質問、現実の壁にぶち当たったのはいつ?」ほろ苦いエピソードいろいろ

 

現実の壁
教育方針は家庭によってそれぞれ異なり、厳しく育てられる人から、とことん甘やかされて育てられる人まで十人十色です。

海外掲示板に、
「甘やかされて育った人へ。現実にぶち当たったのはいつでしたか?」と質問が投げかけられていました。

回答をいくつかご紹介します。

Former spoiled rotten kids, when did the real world really hit you?

●祖母に育てられた。彼女は裕福で80代だったが、世界は私中心に進んでいった。バレエ、体操、音楽教室、スケジュールが合う限り習い事を入れられた。数多くのペットもいた。クリスマスになると異常なほど豪華で、子供が考えうる全ての気まぐれが調達された。
現在大人になり、すばらしい祖母が亡くなり、自分の体験はとても変わったものだと知った。世界は自分を待ってくれず、誰にとっても特別ではなく、権力的なものやナルシスト的な傾向にもがいている。たまに孤独を感じるし、祖母が恋しい。

●自分は本当にわがままに育って10代に突入した。
16歳の誕生日に両親が赤いコンバーチブルの新車をプレゼントしてくれたときさえも、兄の持っていた(今でもある)古いダークブルーの車が欲しいと駄々をこねた。当時の自分は本当に浅はかで、ひどい人間だった……。
自分を変えたのは翌年の夏に地域のキャンプでカウンセラーの仕事についたこと。働く必要はなかったけど、毎日が退屈で何か簡単なことをしたかった。それまでの自分がどんなに間違っていたことか……。
このキャンプは主に低所得者用で、子供の保育費用のない人々のために用意されていた。朝食、昼食、そして午後のおやつを出していたが、キャンプに来ていた子のほとんどはそれしか食べることができなかった。金曜日になると、自分や兄弟姉妹のために家に持って帰る食事やおやつをせがんできた。なぜなら彼らは月曜日まで何も食べられないかもしれないのだ。このことは本当にショックだった。
しかし1番こたえたのは、ある1人の子(5〜6歳)が、公共のプールへ行く日に靴と靴下を脱ぐの断固として嫌がったこと。なぜそんなに嫌がるのか理解できなかったけど、ある日その子は痛そうに足を引きずってやってきた。何とか彼を説得して、彼の足を手当てしようとしたんだが……それがわかったときには思わず泣き出しそうになるのを全身でこらえた。
彼の靴下は血だらけで、小さな足は靴擦れだらけ。つま先は曲がっていた。彼は痛くて痛くてたまらなかったんだ。3つほど小さいサイズの靴を履いていた。彼の家族は靴を買ってあげるお金もなかった。ランチの休憩時間に何足かの靴と靴下を買いに行った。このことが身に染みて、それ以来、考え方が激変した。

●インドネシアで育った。
発展途上国で、掲示板に投稿しているような人の家には必ずメイドがいる。自分は複数のメイドがいるのは当たり前だと思って育った。あるときシンガポールに引っ越した。先進国である。そこにもメイドはいたが、本当に裕福な上流階級の家庭だけだった。
先生に床を掃くことを命じられたときが、初めてホウキを持った日だった。マンガのように前後にほうきを動かしていたら、みんなに「いったい何をやっているの?」と注目された。
まわりにほこりを舞わせていただけだった。ほうきは片方だけに掃いて、ゴミをチリトリに集めることを学んだ。とても驚いたしショッキングだった。

●裕福な家で育った。郊外の豪邸には必要ないくらいの部屋があった。何でも欲しいものは与えられた。巨大なプラズマテレビ、デジタルカメラ、バイク、子馬……でも両親が何の仕事をしているかは知らなかったんだ。よく公園で、他の子供たちから両親は何の仕事をしているのかと聞かれたが、どう答えていいのかもわからなかった。
しばらくして、父親が麻薬取引で逮捕されて真実を知った。家、車、全てのものが犯罪収益として没収された。現在はあまり治安の良くないところで、とりあえず建っているようなひどい家に暮らしている。新しい環境にショックだったが、なんとか適応していると思う。

●母親が何でもしてくれる家に育った。彼女が全部してしまうので、多くのことを教えられていない。(もちろん良い母親ではあったけど、もっといろんなことを教えられていたらと思う)
現在は精神疾患を抱える患者の面倒をみる仕事をしている。基本的に全て自分でやらなければいけない。料理、掃除、全ての洗濯、患者にシャワーを浴びさせ、着替えさせ、おむつを替えたり。
この仕事は自分にとってかなり役立っている。現実的な経験をしているし、将来両親を助けるための良い機会だと思っている。

●20歳のときに今の夫と付き合い始めた。彼は3つの仕事をかけもちしても生活がやっとのシングルマザーに育てられ、私の母は専業主婦で父は仕事で成功している人だった。
私たちは同じ高校だった。
うちの両親は私たち姉妹の衣類に平気で15000ドル(約166万円)も使っていて、夫は高校の受付に地域から寄付された服を取りに行く人だった。当時はそんなことを知りもしなかった。
同じ高校だったのは偶然だけど、お互いのことは友人として知っていた。高校を卒業してから2年くらいして、ある酔っぱらった晩にお互いの元彼と元彼女の愚痴を言い合って、理想が似通っているいることがわかった。そしてその3週間後に一緒に住み始めた。
今では彼は普通に稼いでいる。そしてとてもハンサムでいつもじっと彼を見つめてしまう。うちの両親は裕福だったけれど私は違う。だから今は小さな部屋で謙虚に生活しているけど、幸せなので気にならない。

●大学入学を機に家を出て、カルチャーショックを受けた。
経済的な理由から行きたい大学に行けない学生や、1日おきの外食さえできない学生がいた。彼らは古着を買って、海外どころか州を出たことのない人もいた。両親が最初に買った車を運転しているなど、それらにすべてショックを受けたんだ。これが国の99%の人の生活のしかただと知った。
自分は驚くほど裕福な家庭に育ったが、大学ではそのことを努力して隠していた。普通の服を着て友人には自分のことはあまり言わない。できるだけセールで物を買うようにした。
意図せず表に出てしまうこともある。大学に行くまでボロボロの車を見たことはなかった。ひどいハンドルの車を運転もしたこともない。自動的にヘッドライトが消える車しか乗ったことがないので、いつも消し忘れる。お金を気にしなくていいので、何にどれくらいお金がかかるのかも知らない。お金の価値を知らない。100ドル(約1万1000円)は大した金額ではないが、他の人には大金だと知っているので気前よく与えてしまう。だが、こうした癖は気をつけて見なければわかりにくいと思う。
お金のことを心配せずに生活してこれたのは感謝してるし、多分これからも心配することはないと思う。でももう故郷には戻りたくない。かなり不健康な生活スタイルだからね。そこでは権利とお金がいくらあるかで人の価値が判断される。それが嫌でそういう人々と関係を持ちたくない。
それから自分は「あなたみたいに裕福だったら……」といわれることを忌み嫌う。もうそこで会話に終止符を打ってしまう。自分がいくら持っているかで中身を判断されるのが嫌い。

●本当にお金に困っている人がいることを知った。
必要なものを買わないのは、倹約をしていて貯金をしているからだと思っていた。貧困さを知らないだけではなく、それが発展途上国だけの遠い話だと思っていたんだ。アメリカにいる人はみんな快適だと思っていたよ。大学に行くまでよくわかっていなかった。大学卒業後のことが恐ろしい。


苦労をしたことがなく、甘やかされて育った人も、人生のどこかでターニングポイントが待っています。

幼少期に恵まれすぎるのも考え物ですね。

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