最近、気になるスマホゲームのCMを見ました。
オヤジがお土産持って家に帰ると、家族みんながスマホゲームやってて、「ただいま」とか「何やってんの」とか言っても
無視されてんの。で、結局、オヤジもハマっちゃうって筋書きなんだけど、なんすか、この胸クソ演出は……
このゲームは、親父とまともにコミュニケーションすらできないゲーム中毒の子どもをつくりたいの?
ここは親父、キレてもいい場面でしょ。
<本当の意味でのコミュニケーション> 古い記事で恐縮だが、かつて任天堂の宮本茂さんが「子どもがゲームばかりやってて困ってます」と相談をされたとき、語った内容を引用してみよう。
少なくとも、自分で作ってるものに関しては、
やってムダな、時間を浪費させたなっていうものは、
作らないようにしてるんですけどね。
(中略)
そやから、そういうものばかりにならないように
ぼくらは対戦ゲームを作るんですよ。
4人くらいで対戦しながらワイワイって遊んでると、
その間はずっとコミュニケーションなんで、
長いあいだやっててもいいんちゃう?と思うし。
※出典:宮本茂が語る。子どもたちへ(樹の上の秘密基地) このとき宮本さんはゲームによるコミュニケーションを強調しているけど、それって当然、ゲームの中だけじゃなくて、ゲームをやる前とか後も含めてだよね。そういった意味で、ゲームはただ時間を浪費するものじゃない。
何かしらの役に立ってるんだよって言いたかったんだと思うのです。
<ゲームには「はばかり」があった> また、高橋名人の言葉
「ゲームは一日一時間」も、生まれたきっかけこそ保護者向けのリップサービスだったけど、名言として語り継がれるまでになったのは、ゲーム業界(当初は反発があったようだが)、親、子ども、すべての立場にとってwinwinになるエクスキューズだったからだよね。(子どもにとっては逆に1日1時間は約束されるわけだし)
宮本さんの発言しかり、高橋名人の名言しかり、良くも悪くも、そこにはたしかにゲームに対する「はばかり」の空気が存在し、時代がそれを受け入れていたように思うのです。
※なんとなく…… 僕も「楽しいだけのゲームはただの中毒だ」と思ってるので、皮肉にもこのCMは見事にそれを映像化してくれちゃったってわけだ。
<当たり前のことができてこそゲーマー> 月並みな表現かもしれないけど、僕は「
ゲームは人生を豊かにする」って信じてるので、この家族みたいに、まともなコミュニケーションできない人間ってのは、僕の考える「豊かさ」からほど遠い存在なんだよね。
もちろん、このCMが流れたところで子どもたちが即・影響を受けて、親父を無視してゲームするようになるとは思わないけど、先人たちが守ってきたイメージを、わざわざ台無しにするようなCMをつくることはないでしょう。
挨拶とか、返事とか、当たり前のことを当たり前にできてこそゲーマーなんじゃないんですか。なぜ、そっちの方向でつくれないのか。マジで疑問ですよ。
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CMはCM
いちいち目くじら立ててるお前の方が痛いわ