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鏡にむかって「お前は誰だ?」と言い続けた結果 - イーアイデムの地元メディア「ジモコロ」
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鏡にむかって「お前は誰だ?」と言い続けた結果

鏡の中の自分に向かって「お前はだれだ?」と問いかけ続けると、人はどうなるのか?都市伝説で言われているように本当に気が狂ってしまうのか?それとも…?ブログ「真顔日記」の上田啓太が無職時代に試した実験結果が明らかになります。

上田啓太 京都ひきこもり大演説

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この話はけっこう有名だと思うんですが、知らない人もいるかもしれないので、一応簡単に説明しておきます。ほとんど都市伝説のように語られている話です。

自分の家の鏡にむかって、

「おまえは誰だ?」と言い続けていると、

徐々に頭がおかしくなり、

最後は完全に狂ってしまうらしい……

私がはじめてこの話を知ったのはもう十年以上前なんですが、そのときからものすごく印象的だったんですよ。幽霊が出てくるような怪談よりもずっと怖えな、というか。

 

何が怖いのか?

やはり、試そうと思えば今すぐ試せるというのがポイントだと思うんですね。誰の家にだって鏡の一枚くらいはあるし、毎日のように鏡を見ている。そんな日常的なもので結果が「発狂」というのは、入口は広く谷底は深いという感じがして素晴らしい。

しかしなかなか試す勇気は出てこないし、そんな暇もない。仕事やら何やらで忙しいですからね。だから大抵の人は「へえ」とか「なんか怖いな」と思っても、実際に試したりはしないと思います。

 

実験してました

んで、私はこれを数年前に試してたんですよ。

ちょうどその時、私は仕事をしておらず、金はないが時間だけはあるという状態だったので、色々と以前から気になってたことを実験してたんですね。この連載でもいくつか書きましたが、文字を読むことをやめてみる(参照とか、自分の記憶をデータベース化してみる(参照とか。そうした色々のなかに、この実験もありました。

結論から言えば、べつに狂ってはないんですが(そしたらこんなふうに文章を書けてない)、どんなことが起こるか、なぜ起こるかに関する理屈は分かりました。

ということで、どんなふうに実行してみたかと、その考察です。

 

実行してみる

とりあえず実行ですが、まあ、手順も何もないわけです。非常にシンプルです。平日の昼間から鏡にむかって「おまえは誰だ?」と唱えてました。はじめのうちは、口に出すんではなく、頭のなかで唱えるという感じでした。

やってみると分かりますが、この時点でハタから見れば頭がおかしいムードは出ます。おまえ平日の昼間から何やってんだ、ということです。もしご近所のかたに見られれば、確実に「ヤバいやつがいる」とは思われますね。

まあ、それはおいといて、最初はとくに何も起きませんでした。鏡には見慣れた自分の顔が映っているだけ。仕方ないので、頭のなかじゃなく実際に唱えてみました。

しかし声に出して「おまえは誰だ?」とか言ってみると、余計にバカバカしくて笑ってしまう。「おまえは誰だ?」と問いかけてみても、「俺は俺だろ?」とスーパスターみたいなことを思ってしまうし、結果的に押尾学みたいになっている。いまいち入りこめない。何日か続けてたんですが、アホらしさは増すばかり。

 

「知らない人が映っている」と感じる

んで、こっちも意地になってるんで、試行錯誤をはじめました。

まず、顔だけが映るような小さめの鏡でやってたんですが、家に全身鏡があったので、そちらに変えてみました。床に正座して、自分の全身が映る状態にして、ジーッと見つめる。

「おまえは誰だ?」と唱えるのもやめました。そうじゃなく、ただボーッと自分の顔を見る。頭のなかを空白に近づけていく。

このとき、目元の力をゆるめて、「自分の顔」じゃなく、その少し後方を見るようにしてみると効果的でした。焦点を自分の顔には合わせずに、ボーッと見るわけです。

するとたしかに、フッと意識の状態が変化して、「知らない人が映っている」と感じる瞬間がやってくるんですよ。これは明確に、「変化」として感じられました。鏡のなかで、知らない人間が正座している。

 

なぜか防犯が気になる

ただ、そこで反射的に頭に浮かんだのは、

「防犯」

の二文字だったんですね。「知らない人が家にあがりこんでいる」という恐怖感が湧いた。「カギ締めてないのか!」というふうに。

どうも、「自分の顔」は見慣れないものになったが、後ろに映っている「自分の住んでる家」はそのまま認知していたみたいで、結果的に「見慣れた家に知らない人がいる」という意識状態になったようです。

この展開はさすがに予想外でした。いまいち怖くないというか、怖さのベクトルが期待していたのとちがう。そんな現世的な恐怖を感じてしまっても、という。

それはそれとして、たしかに「知らない人が映っている」という感覚は明確に起こりました。べつに、それでいきなり発狂したりはしませんでしたが。

 

ゲシュタルト崩壊

さて、いったん考察します。これは「ゲシュタルト崩壊」とか呼ばれるものだと思うんですね。たとえば、ひらがなの

をジーッと見つめていると、そのうち、「ん、こんな形だったか?」と不思議になる瞬間がやってくる。それの顔面バージョンですね。

普段はいちいち意識せずに、パッと「自分の顔」として認識している。認識したうえで、自然と色々なことを考えるわけです。自分の顔が好きだとか嫌いだとか、鼻毛が出てるとか肌が荒れてるとか、性別や年齢によって変わると思いますが、鏡を見ると、反射的にさまざまなことを考えるわけです。

この「反射的に」というのがポイントなんですね。無自覚なわけです。ほっといても勝手に考えてしまう。「対象をただ見る」というのは普通にしていると起こらない。見た瞬間に色々なことを連鎖的に考える生き物です。

鏡を見る→自分の顔だと認識する→感情と思考が展開する

普通、この「矢印」は勝手に進むんですが、この実験は、その反射的なプロセスを止めてみるための方便みたいなもんだと思います。

「おまえは誰だ?」という言葉も、その言葉自体に意味があるというよりは、特定の言葉を指定することで、反射的に色々なことを考えてしまうのを防ぐ効果があるんじゃないでしょうか。

 

「知らない人が笑っていること」の怖さ

その後も続けてみたんですが、ひとつ興味深いのは、「鏡のなかの知らない人がフッと笑った瞬間」に、すさまじい恐怖感が生まれたことでした。自分が笑みをこぼしただけなんですが、この「顔が動いた」ことに対する恐怖感は大きかった。

「鏡のなかに知らない人がいる」という状態よりも、「その知らない人が微笑んだ」という状態のほうが、ずっと怖かったんですね。

以前、2000連休の記事(参照)で書きましたが、「意識と肉体がつながっていることの根拠」がぐらついた時に、強い恐怖が生まれます。そして、ただ座っているんじゃなく、その人間の顔が動いたときに、「意識と肉体のズレ」みたいなものが強く実感されて、恐怖感を生んだんじゃないかと思います。

 

「顔の特別視」がすこし薄れた

あとは余談です。実験の副産物として、街中で他人の顔を見るときにも、反射的な思考・感情のプロセスが起きていることに気づいているようになりました。

こんなふうに表現するとややこしいですが、分かりやすく言えば、「おっ、あの子かわいい!」みたいな反応とのあいだに距離ができたということです。

もちろん判断自体は以前のように起きているんですが、そのプロセスを他の位置から観察している状態ですね。そして、以前よりも人の顔に対する「観察力」は上がった気がします。感情的反応に吹っ飛んでしまうと、観察はできませんからね。

 

顔とヘソ

それと、社会における「顔」の扱いにも敏感になりました。たとえば履歴書には「顔写真」を貼っている。ツイッターやフェイスブックのアイコンも「顔」です。そのへんが面白くなってきました。なぜ特定の部位をこんなに重視してるんだという感覚ですね。

あるいは、顔にモザイクをいれたり、目元に黒線をいれることで、プライバシーを守ろうとしている。それで何かを「隠せた」ということになっているのも笑えてきます。

このへんは、試しに、ヘソで考えてみると分かりやすいです。

もしも「その人間」はヘソで代表される世界があったらどうなるか。履歴書にはヘソの写真を貼り、ツイッターにはヘソのアイコンを設定する。ヘソの自撮りをあげる。見栄えのよいヘソにするためにフォトショでいじる。反対に、ヘソにモザイクをかけたり、ヘソだけ黒く塗りつぶしてプライバシーを守る。

そんな世界はギャグにしかならないんですが、

「じゃあなんで顔の場合は、ギャグだと感じないのか?」

ってことですね。

 

まとめ

この実験というのは、「顔を見る」という自動的なプロセスに、待ったをかける効果があるんだと思います。「頭がおかしくなる」というのは、「常識の土台を掘り崩される」とでも言い換えたほうがいいかもしれません。当たり前だと思って気にもしなかったことを、意識にあげてみるということですね。

それでは、また次回。

 

 

ライター:上田啓太

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京都在住のライター。1984年生まれ。
居候生活をつづったブログ『真顔日記』も人気。
Twitterアカウント→@ueda_keita