異論も受け入れ、自由にものが言える社会を支える。
報道機関としての決意を新たにしたい。
1987年の憲法記念日、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に押し入った男が散弾銃を発砲、記者2人を殺傷した。
それから30年がたつ。東京本社や名古屋本社寮への銃撃を含めた一連の事件は2003年までに時効となった。
捜査で動機は解明されず、「赤報隊」を名乗る犯人の正体はわからない。
犯行声明に「反日分子には極刑あるのみ」「五十年前にかえれ」とあり、戦前回帰を求める思想の持ち主の可能性がある。
テロと暴力が吹き荒れ、戦争に突き進んだのが昭和初期だ。そんな悲惨な時代に戻るわけにはいかない。
戦後の日本は、国民の多大な犠牲のうえに「言論の自由」をうたう憲法を制定した。
言論は多様な価値を認め合う民主主義の土台である。それを封殺するテロには屈しないと改めて誓いたい。
だが、異論を封じる手段は有形の暴力とは限らない。赤報隊の使った「反日」という言葉は、今やインターネット上や雑誌にあふれかえる。
自分の気に入らない意見を認めず、一方的にレッテルを貼って排除する。激しい非難や極論は相手を萎縮させ、沈黙をもたらす。
異を唱えにくい時代へと時計が逆戻りしている。そんな心配が募る。
朝日新聞襲撃から30年 むしろ広がる異論封じ
https://mainichi.jp/articles/20170501/ddm/005/070/012000c