序章

 

 

「グアムでもお前らは俺の道具だからな、ハハハハ」

 

菅原課長の下卑た笑いがフロアに響く。僕たちは肩を震わせ、うつむいていた。

 

 

僕が新卒で入社した最初の会社は、パワハラ、セクハラ、残業、早出、休日出勤、時には暴力まで行われる、非常にエキサイティングな職場だった。

 

菅原課長はその会社の悪い部分を抽出して人の形にしたモノみたいな存在だ。

 

とても太っており、常に怒鳴り散らし、部下の事を「道具」と呼び、クレームやミスを部下に押し付ける。いきなり飲み屋に部下を連れて行き、レモンサワーを30杯注文し、「全部飲むまで帰るなよ」とだけ言い残し、金も払わず帰る。フロアの全員から「死なねえかな」と思われていた。

 

 

 

僕たちはわかっていた。この会社は狂っていると。ひたすらに大声を出すという謎の新卒研修の段階で皆気づいていた。新卒カードを無駄にしたとか、大学を出た意味とか、そういうのを認めたくなくて、気づいていないフリをしていた。気づいてしまった同期が1人、2人と辞めて行き、1年で半分以下になった。

 

もがくように働き続けてボロボロになっている精神と身体に追い打ちをかけるようなイベントが、総務部より告知された。

 

 

 

 

 

 

 

虹色の創英角ポップ体が踊るクソみたいな掲示が、僕たちを心を大きく抉った。マジか……と思いながら掲示を読んでいくと、更に心を削られた

 

・通常休暇を3日分、旅行に充てます

・行動班はフロア単位で分けます

 

休みを3日消費して行われる。つまり3回土曜日に出社しなくてはならない。相当キツイ。行動はフロア単位で行われるということは、3日間、菅原課長とグアムを巡らないといけない。こんな福利厚生を誰が求めたのか。何が最強だ。しかし行かないという選択肢が許される環境でもない。行きたくない。行きたくない。行きたくない……

 

 

負の感情が渦を巻き、

 

それらも一緒に気流に乗せて、

 

僕たちは夏のグアムに到着した。

 

 

 

 

税関の手続きを待っていると、同僚の岸部が真っ青な顔でフラフラした足取りでやってきた。目に生気が無い。すごく小さい声で、岸部は語りかけてきた。

 

「地獄だ。この島は、地獄だ」

 

まだ着いたばかりだというのにホラー映画みたいなセリフを吐いてくる。戸惑いながらも、事情を聞く。

 

 

「どうしたんだよ」

 

「俺、菅原と2人部屋なんだよ」

 

「マジかよ」

 

「飛行機の席も部屋割りと合わせて隣だ。さっき飛行機の中で、ワインボトルを1本飲まされた」

 

「えっ」

 

「こんなのが3日続くんだぞ、発狂するかもしれない」

 

「……なるべく俺らと居ような」

 

「グアムで人を殺したら、グアムの刑法が適用されるのかな……」

 

岸辺がやばいゾーンに入っていた。彼は気が弱く従順な性格と、シンプルにミスが多い事が災いし、入社時からずっと菅原の奴隷みたいになっていた。彼はいつもスロットで負けているのだが、今回のくじ引きでは菅原と2人部屋を引き当てるという剛運を発揮したようだった。

 

 

空港を出てバスに乗る。

 

 

カラッとした青い空と海。心に立ち込める暗雲。

 

 

この時は、まさかこの社員旅行があんな事になるだなんて、思いもしていなかった。

 

1日目 昼

 

 

ホテルの部屋に着き、荷物を置いて少し休息。旅行は一応、総務部の偏差値30くらいの女が作った簡単なプログラムが組まれており、全員でホテルのプールサイド的な場所でBBQをやる感じとなっていた。ホテル到着からBBQ開始まで3時間あってマジかよって思った。仕方ないので同僚たちと軽く食事、買い物、散歩などで3時間を消費し、集合時間の15分前にプールサイドに行く。既に大量の肉や海鮮が用意されていて、大量の肉の塊にアメリカを感じた。

 

パツパツのアロハシャツを身にまとった菅原が、「遅えぞ!」と僕らを怒鳴る。15分前に着いているとかは関係ない。この人より後に来たら遅刻なのだ。会社と一緒だ。何でワンサイズ小さいアロハを着てるんだ。ボタンが取れそうだ。アロハはパツパツなのに短パンはめちゃくちゃワイドでスフィンクスみたいになっていた。

 

 

上層部の人たちは既に飲んでいるようで、僕らの卓にも、1人1つずつ缶ビールを配られる。見慣れない、海外のビールだった。菅原が「コイツめちゃくちゃ飲むんで10個くらい下さい」とか言って、岸部の前に10缶ほど置かれた。

 

 

「よかったなあ岸部、せっかく貰ったんだから全部飲めよ」

 

 

ニタニタしながら、岸部と肩を組む菅原。岸部の目は焦点が合っておらず、顔はまだ青白かった。

 

 

 

 

 

BBQが始まる前に、スタッフの方が注意事項を伝える。主に、プールには絶対入るなという話だった。もう飲んでいるのでマジで誰も聞いていなかったが、菅原の地獄耳はそれを聞き逃さない。

 

 

「岸部、今、プールに飛び込め。ハハハ」

 

 

悪魔の命令が発せられる。

 

 

「いや、それはちょっと……」

 

 

岸部も断るが、菅原がイライラした口調になる。

 

 

「早くしろ。飲んでからだと死ぬかもしれんぞ?」

 

 

 

岸部は諦めたような、悲しげな表情をして立ち上がり、着衣のままプールに飛び//