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幻の発売中止SFCソフト『サウンドファンタジー』をめぐる物語 (1/3)
 

幻の発売中止SFCソフト『サウンドファンタジー』をめぐる物語 (1/3)


< 歴史に埋もれた幻のSFCソフト>

 2015年4月――
 とある有志により突然、それは公開された。1994年に発売中止になったスーパーファミコン専用ソフト『サウンドファンタジー』である。

soundfactry22.jpg
 ※画像:タイトル画面 SNES Sound Factory (JP Sound Fantasy)


 その人物がこれをEbayからサルベージするのに約7000ドルも費やしたという。そんな貴重なプロトタイプ版のプレイ動画は、現在、Youtubeで拝見することができる。
 


 ご覧の通り、タイトルが「サウンドファクトリー音楽工房(仮称)」となっているところからも、このプロトタイプ版はまだ開発初期段階のものであることがわかる。果たしてこのソフトはどんな経緯で開発され、はたまた、どんな経緯で発売中止となったのだろうか?

 今回はそんな幻のSFCソフト『サウンドファンタジー』をめぐる物語である。




<マルチメディア時代の熱狂>

 あの頃はやっぱりおかしかったです。
 熱病のようでした。

 ※ほぼ日刊イトイ新聞「みんな大好きウゴウゴルーガ」より

 そう述懐するのは1992年から94年にかけて放送されていた伝説的子ども番組「ウゴウゴルーガ」のスタッフだった。

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 ※ 『岩井俊雄の仕事と周辺』(六曜社/2000) ウゴウゴルーガより 

 世はマルチメディア時代の到来期――
 マルチメディアという言葉があたかも「すべての希望」であるかのように叫ばれ、次世代を象徴するゲーム機として「3DO」「セガサターン」「プレイステーション」「PC-FX」が市場へ投入されようとしていたていた1990年代初頭。「ウゴウゴルーガ」は、そんな嵐の前の静けさならぬ、“嵐の前の熱狂”とも言える実験的番組だった。

 そこでCG及び、システムそのものを担当したのが岩井俊雄(敬称略)というメディアアーティストである。彼こそ、のちに『サウンドファンタジー』を手掛けることとなる人物であった。

 岩井の原点はパラパラ漫画だった。
 やがて学生時代にエレクトロニクスと出会った。
 まだ「メディアアート」などという言葉がなかった1980年代初頭から、彼はテレビモニタ、ビデオデッキ、コンピュータといったテクノロジーと融合したアート作品を次々と発表。その図抜けた先見性と、子どものような純粋性が生み出す独創的な作品は、徐々にワールドワイドな評価を獲得していった。




<メディアアートが直面した問題>

 岩井俊雄のテーマのひとつが「映像と音」だった。彼は著書のなかで以下のような趣意を語っている。

 もともと世界において
 映像と音は常に一緒に存在していたはずだ。
 人の話を聞くのにも
 相手の表情やしぐさが常にそこにあった。
 それが、19世紀の終わりに分断されてしまった。
 (中略)
 僕らは映像と音が別々であることに
 何の疑問も抱かなくなった。 

 ※ 『岩井俊雄の仕事と周辺』(六曜社/2000) 映像と音が一つに戻る時より 


 21世紀に突入すると岩井俊雄の活動はアート界のみならず、音楽、テレビ、ゲーム業界へと拡大していた。しかし彼は2008年「100かいだてのいえ」という絵本を発表して以来、メディアアーティストとしての目立った活動を止めてしまう。公式サイトも2011年で止まった。

 その理由のひとつとしてメディアアート作品の性質上の問題が指摘されている。彼は作品が世に残らないことを嘆いていたという。※出典

100かいだてのいえちか100かいだてのいえうみの100かいだてのいえ

 いわゆる保存問題だった。ゲームの保存問題が叫ばれている昨今であるが、メディアアートは10年も前にその問題と直面していたのだ。




<『オトッキー』がつないだ縁>

 そんな岩井が初めてゲーム開発に関わったのは1987年3月のこと――
 ファミコン黄金期、真っ只中。とある制作プロダクション会社がゲーム業界へ進出した際に声をかけられた。そのとき手掛けたのが、ファミコンディスクシステム用ソフト『オトッキー』である。

otocky0.jpg


 プロデューサーは当時、その会社に在籍していた石原恒和(敬称略)だった。あの、稀代のゲーム総覧本「テレビゲーム―電視遊戯大全」の作者であり、後に『ポケモン』の生みの親となった出色の人物だ。

 石原は岩井の大学の先輩だったのである。

otoky01.jpg
 ※オロチ所有『オトッキー』説明書より
  なぜかゴリ押しされていた小沢なつき。積極的に本名を公表していくスタイル。





<着想はゲームと楽器の親和性>

 『オトッキー』は音を題材としたシューティングゲームだった。岩井はこのゲームを着想したきっかけを以下のように語っている。

 僕は「スーパーマリオ」や「ゼビウス」などテレビゲームに夢中になった。(中略)そのうちBGMに合わせて弾を撃ったり、マリオをジャンプさせて音を出して遊んでみたりするうちに、ゲームをしながら楽器を演奏しているような気分になった。

 ※ 『岩井俊雄の仕事と周辺』(六曜社/2000) オトッキーより 


 その後、彼は自らもプログラミングを憶え、サンフランシスコにへ飛んだ。そこで「ミュージックインセクト」(1992)というメディアアート作品を発表。

 それはモニタ画面にドットが動いており、絵を描くとそのドットが通った色に反応して様々な音を出すという作品だった。帰国後、彼は任天堂が「マリオペイント」というクリエイティブな作品をリリースしていたことを知る。

岩井俊雄の仕事と周辺 (Artist,Designer and Director SCAN)
 ※ 『岩井俊雄の仕事と周辺』(六曜社/2000)

 「ミュージックインセクト」にも可能性があるかもしれない……

 そう思った岩井は『オトッキー』で世話になった石原へ連絡を取り、京都までのチケットを2枚買った。かくして任天堂へのプレゼンは成功し、スーパーファミコンでのゲーム制作が始まったのだった。



幻の発売中止SFCソフト『サウンドファンタジー』をめぐる物語
第1章 歴史に埋もれた幻のSFCソフト
第2章 あくまでも目指したメディアアート作品
第3章 ゲーム性とアート性は両立するのか?(※執筆中)

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[ 2017/06/28 22:56 ] SFC・64 | コメント(0)
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