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谷根千を歩く。
谷根千を歩く。
東京は文京区と台東区にまたがり、今も古き良き下町の風情を残す通称“谷根千”。
関東住みの方の散歩コースに限らず、最近では海外からの旅行客の観光スポットにもなっているこの辺りを、今回ブラっと歩いてみました。
学生時代、通っていた大学の本部キャンパスが近かったので、この界隈には長らく住んでいた。
今回は有名どころはそれとして、ちょっとマニアックな情報も紹介できるかと思います。
で、一応注意事項。
注1)観光地化しているとはいえ住宅街なので、散歩等散策の際、騒いだりしないようにしましょう。また写真など撮る場合は注意しましょう。
注2)指定の有無を問わず、貴重なものもあるので破損・落書きなのどしないようにしましょう。
注3)一応言っておきますが、山手線の圏内です。中です!
ではでは早速ブラっと行ってみましょう。
【上野発、谷中界隈へ】
東京は北の玄関口・上野駅の公園口を抜けると、上野公園をはじめ各博物館・美術館が立ち並ぶ。
そこを東京藝術大学方面へ進む道をまっすぐ行くと、台東区谷中の入り口だ。
目印はこちら、
区立下町風俗資料館敷設展示場(旧吉田屋酒店)
こちらの建物自体は上野桜木町の住所だが、谷中の街はここから広がっている。
その向かいにはすでに
と、こんな感じの喫茶店があったりする。
この谷中は住宅街である以上に、実はお寺街でもあったりする。
江戸の昔、江戸城から鬼門にあたる方向であることから、その守りを固めるためにたくさんの寺院が江戸城から見て東北方向に建てられたという。
その一番端っこがちょうど谷中界隈にあたる。
こんな感じでズラっと並んでいる。
時々お坊さん同士が回覧板片手に行ったり来たりしている姿が見れたりして、ちょっとホッコリする。
谷根千の中でも谷中ってかなり面積が広かったり、観光スポットも多いけれど、個人的に一番好きな谷中の風景がこちら。
谷中名物ヒマラヤ杉。樹齢は90年超といわれている。
付近の再開発の話しが上がった際には切り倒す云々という話しも出たらしいけれど、いまだ健在。
いわば谷中の主という風情で佇んでいます。
またこの杉の傍らには
『みかどパン店』さんがあります。古き昭和の香りがしますね。
もちろん今でも営業されていて、『ヒマラヤ杉ラスク』などのオリジナル商品をはじめ、お菓子や飲み物など買えます。
cf,谷中のシンボル!樹齢90年超の「ヒマラヤ杉」と「みかどパン店」に胸がキュンキュン ( 己【おれ】)
ヒマラヤ杉から谷中の空を望む。
高い建物があまりないから、空がくっきりと見えます。
※再度注意、ここは山手線の中です!
周辺の路地はこんな感じ。レトロな雰囲気が好きな人にはたまらない風景が広がってます。
さて、ヒマラヤ杉にほど近いところにあるのがこちら
大名時計博物館。
こちらは陶芸家・上口愚朗が生涯をかけて収集した大名時計がずらり展示されている資料館。
収蔵品はどれも、江戸時代に大名お抱えの御時計師達が、長い年月をかけて手造りした時計です。
cf,大名時計博物館 (TAITOおでかけナビ)
ちなみにこちらは勝山藩の下屋敷跡になります。
大名時計博物館の裏塀あたり
この坂道と言い、風情がなんとも心地良い。
フツーにブラブラ歩いても、こんなアンバランスな光景に出くわすことしばしば。
谷中から千駄木界隈に近いところまで来ると、ちょっと見落としがちですがこんな道があります。
通称へび道。
その名の通りクネクネと曲がった道が続いています(曲がり具合がお分かり頂けるだろうか?)。
このへび道は、現在は暗渠化している藍染川の上にあります。ですのでこのように曲がっているという次第。
また、上記写真において、右側が台東区、左側が文京区という区界にもなっています。
cf,へび道をくねくね歩く
しっかし、クルマがフツーに止まっている通り、この道でもちゃんとクルマが通るんだから凄い…。
で、ちょっくらワープしまして、
こちらは谷中界隈でも大きな面積を占める谷中霊園。徳川慶喜の廟があることでも有名ですね。
この辺りから霊園内にまっすぐ進むと戦後すぐまであった五重塔跡があります。
昭和32年の焼失以来一度も再建されず現在に至ります。
cf,谷中五重塔放火心中事件
この辺りは冒頭であった旧吉田屋酒店をまっすぐ三崎坂方面へ向かったところにある。
この三崎坂を境に、ここまで紹介したヒマラヤ杉などは上野寄りになる。
そして日暮里方向はまた趣を多少異にする感じで、街の雰囲気も一遍する感じがある。
こんな感じで昔の建物を今風にリフォームしたギャラリーや貸会場などがあったりする。
こちらは谷根千の顔といってもいい喫茶店・乱歩゜。
店名の由来となった江戸川乱歩と谷根千との関係は【千駄木〜】のところで後述します。
でも、私が住んでいた7〜8年前とはやっぱりいろいろ変わっている。
スカイツリーとか見えるあたり、変わってしまったなという哀愁を感じる。
さてさて、谷中の日暮里方面には谷根千の代名詞ともいえるこちら
観音寺の築地塀。
赤穂四十七士が度々会合を開いたと言われるこちらのお寺を訪れたら、一気に江戸までタイムスリップした気分になれます。
またこちらにほど近いところにあるのが
岡倉天心記念公園。
東京藝術大学の設立にもかかわって氏の旧居跡に立っています。
園内には六角堂という天心坐像が据えられた建物がありますが、それ以外にも至る所に六角形の形をしたものが多数置かれています。
是非探して見てください。
≪谷中で紹介したところ≫
【弥生発、根津を渡る】
お次は根津界隈。
と、その前に出発点の根津入口に面した文京区弥生の地にはこういう碑があります。
明治17年(1884)、東京大学の坪井正五郎ら3名が赤焼きのつぼを発見したところ、それらが縄文式の土器と異なっていたことから地名を冠し弥生式土器と命名された。
また、都心部における弥生時代の数少ない貝塚を伴う遺跡として大変貴重な場所でもある。
場所は東京大学の工学部と農学部の間を通る言問通り沿い。
この『弥生式土器』の名称及び、“弥生”という地名の存続には作家のサトウハチローが深く関わっているという話しを聞いたことがある。
彼の旧居もここにほど近い根津の住宅街にある。
文京区は坂の街としても名高いが、さっそくこんな風景に出会う。こちらは異人坂。
かなりの高低差がある。
で、この異人坂近くには地元民以外では見落としてしまうであろう階段がある。
それがこちら
お化け階段。
上から見るとこんな感じ。
で、なぜ“お化け階段”と言われるかというと、登った時と降りた時とで段数が違うことからきている。
……なぜ段数が違うのか?
ホント、なんででしょうかね?
こちらの階段、今でこそ拡幅されていますが、以前はホントに狭い階段だったようです。
cf,昔のお化け階段
私の撮ったものにも旧階段が保存されていることが分かると思いますが、谷根千界隈ではどこでも、こうした古いものを残しつつ新しい時代に即してという考えが広まっているように感じます。
さて、根津の中心部にあるシンボル的な
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