【モバマス】塩見周子「ぜんざい」
塩見周子は雷門の赤提灯の下で、手帳にバッテンを書き込んだ。
利休白茶に光沢がついたような銀髪。切れ長の瞳。
少し尖った鼻。
普段の性格は飄々としていて、物事の深いところにあまりつっこまない。
彼女は友人の小早川紗枝を伴って、休日という休日を甘味処巡りに費やしている。
なにせこの暑さ。
冷や菓子でも食べていなければ、アイドルもやっていられない。
だが、東京には周子の舌に合う甘味処がなかなか見つからない。
その理由については周子自身検討がついている。
京の都には名水が多く、周子が生まれた菓子屋もその水を使って菓子を拵える。
日々の飯の煮炊きに使われる水も上質なもので、
周子が初めて東京の水道水を飲んだ時は、かすかに顔をしかめた。
餡子にしろ寒天にしろ、黒蜜にしろ、水がちがえば味が変わる。
周子はそれを責めるつもりはない。
これは好みの問題であって、良し悪しをつけるものではないからだ。
「浅草もダメか…」
周子はつぶやいた。
かれこれ20軒以上の甘味処を巡ったが、空振りばかり。
色気のある京言葉のイントネーションで、紗枝が言った。
艶めいた黒の長髪。目尻はおだやかに下がる。
たおやかな物腰で柔和。いわゆるはんなんり美人である。
この暑い夏だというのに、着物を涼しげに纏っている。
「京都かー…パスポートを作る時間がないな~」
はぐらかすように、周子が冗談を言った。
だがその冗談のなかに、自分はもう京都の住民ではない、
という気持ちが隠れていた。
アイドルとして自分でお金を稼ぐようになってからは、
そのようなことは口に出さなくなった。
自らの浅はかさを後悔していた。
周子の里帰りを妨げるものがすなわち、その悔悟の念である。
「いっそのこと自分で作っちゃおうかな」
京の味を懐かしむ様子を、表面上は見せずに周子は手帳を閉じた。
これもまた冗談であったが、紗枝がそれに乗った。
「ええなあ。うち、周子はんの作る冷ぜんざいが食べたい」
紗枝の、きらきらとした瞳に見つめられて、周子は首を横に振れなかった。
周子はひんやりと冷房の効いた、紗枝の部屋のキッチンにいた。
なぜかというと、ぜんざいを作るための材料がちょうど、
紗枝の部屋にあるからだという。
あたしよりよっぽど、菓子屋の娘らしい。
その紗枝は今も、にこにこと周子の様子を見ている。
さて肝心のぜんざい作りであるが、周子自身、まったく覚えがない。
老舗の菓子屋の娘といっても、跡取りは男と決められていたし、
菓子工房への出入りも禁じられていた。
しようがないので、周子はこっそりスマホをいじって、
作り方を頭に入れていた。
周子はさっと小豆を洗って、小鍋に入れた。
そしてたっぷりの水で茹でる。
「流石やなあ」
「褒めるのが早いってば」
苦笑しながら、周子はふつふつと揺れる小豆を見つめた。
塩見屋はどこの小豆を使っているだろうか、とふと気になった。
東京の甘味処は、「うちはどこどこの小豆を使っていて~」と、
アイドルへのごますりもあったのだろうが、気前よく話してくれた。
だが、塩見屋と同じ餡子____小豆は1つもなかった。
また、塩見屋で使われている小豆も極秘、門外不出の扱いである。
生家を飛び出した周子には、その味のほかには何もわからない。
「ほんに、京都に帰る気はないん?」
「………」
集中しているふりをして、周子は紗枝の問いを聞き流した。
帰れるものなら帰りたい。
両親に会って、かつてのことを謝りたい。
でも、どんな顔をして会えばいいんだろう。
周子は両親になんの相談もせずにアイドルになった。
いまでこそ、一人立ちしたと言えるくらい順調に活動をしているが、
親心は平穏ではなかっただろう。
親の言うことなど全く聞かない、好き勝手に生きる娘。
いや、もう娘とすら思っていないかもしれない。
これで渋抜きは終わり。
次は小豆がやわらかくなるまで、新しい水で一時間ほど煮る。
周子は湯気で汗ばんだ顔を拭った。
作り方を見たときから分かってはいたが、手間も時間もがかかる。
そのことで余計に、かつての自分の軽薄さが嫌になる。
菓子屋の苦労など知りもしないで、冬眠中の狐のように怠けていた。
ますます親に合わせる顔がない。
「紗枝、ちょっと火を見てて」
周子は部屋を出た。
また家のことについて尋ねられるのがいやだった。
懐かしくなって、涙がこぼれそうになるのがいやだった。
裏切りつづけたのに、今更になって家にすがろうとする自分が、
どうしようもなくいやだった。
しかし、鍵がなかった。
紗枝の部屋に置いてきてしまったのだ。
周子は扉の前で、膝をかかえた。
気を紛らわすために他のアイドルと話したくても、
あいにくLiPPSのメンバーはそれぞれ別の仕事が入っている。
周子は家を追い出されたときよりずっと、深い孤独感を感じた。
普段の気楽さ、飄々さが今日はふさぎ込んでいる。
だが、慣れぬことをした疲れからか、眠気がやってきて、
彼女はしばしの間苦悩から解放された。
周子は大慌てで、紗枝の部屋に戻った。
「ずいぶん、おそい帰りどすなあ」
「……ごめん」
「ぜんざい、できとります」
特に怒った様子もなく、紗枝は椀にぜんざいを注いだ。
だがそれは、椀を持つ手がひりひりするくらい、
熱々のぜんざいだった。
「食べてみて?」
まさかいやとは言えず、周子はまず、
ぜんざいの汁を飲んでみた。
涙が出そうになった。
舌が火傷するのではないかというくらい熱かった。
甘い。
けれども、いつまでも口に残らない、品の良い甘さ。
やはり水のせいか、若干のちがいはあるものの、
周子の心はかつてないほど、大きく揺さぶられた。
「もう一度聞くけど、ほんに、京都に戻る気はないん?」
紗枝からの再びの問いに、肩で息をしながら、周子は答えた。
「戻りたい……戻りたいけど…もう、あたしは娘だと思われてない…」
「似た者親子どすなあ」
周子が送り主を見ると、それは生家の住所だった。
「直接送っても受け取ってもらえんからって、うちにおくってくるんやもん」
「まさか、」
そんなはずはない。
周子は自分の顔がずいぶん情けない形に
なっているだろうと思いながらも、紗枝にたずねた。
「あの小豆は……」
紗枝はにっこりと笑ってうなずいた。
それを見たとき周子の心に、静かであたたかい雨がふってきた。
元スレ
塩見周子「ぜんざい」
http://wktk.open2ch.net/test/read.cgi/aimasu/1503329022/
塩見周子「ぜんざい」
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コメント一覧
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- 2017年08月24日 22:26
- 濃厚なレズ最高どす
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- 2017年08月24日 22:57
- ザ・短編
-
- 2017年08月24日 23:30
- 文体が時代劇Pっぽいから☆1
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