Credit: 1973年4月12日 毎日新聞
「なんと残酷!!母殺され、押し入れに3ヶ月」という見出しが踊っている。
記事によると4月11日の午後、
東京都某所のアパートの押入れから女性の腐乱死体が見つかった。この女性は数ヶ月前から行方がわからなくなっていた同室に住むスナックママのAさんであった。なおAさんの夫はAさんが行方不明になったと同時に行方をくらませている。
Aさんは警察の調べによると仰向けになって死んでおり、首をタオルで絞められた跡があった。
遺体はアパートの押入れから白骨状態で発見されたのだが、このアパートにはAさんの長女(中学1年生)と長男(6歳)の二人が住んでおりAさんの母(子供にとっては祖母)がふたりの面倒を見ていたという。
つまり、ふたりの子供は
母親の死体と一緒の部屋で暮らしていたことになる。
記事によると警察から「母親が押し入れで見つかった」との報告を受けた二人の子供は驚きのあまり、しばらくは声も涙も出ないほどにショックを受けていたという。
なお娘は部屋の中で「何か」が腐っているのは感づいていたようで「金魚の腐った臭いがする」と訴えており父親は「
そのうち掃除してやるよ…」と娘に語りかけていたという。
死体だけ引っ越し!? 衣装箱の中の入居者
続いては1973年9月5日の読売新聞に掲載された「死体だけ引越し」という記事である。
Credit: 1973年9月4日 毎日新聞
1973年9月4日、大阪府某所のアパートの部屋から異臭が発生。管理人が近くの派出所に訴えたところ
部屋に放置してあった荷物のなかから女性の腐乱死体が発見された。死体はフトン袋でくるんでいたブリキ製の衣装箱にありほとんど白骨化していたという。
衣装箱に押し込まれた死体は、下着姿で両足を折り曲げ、胸のあたりに黒い数珠が置かれていたという。
被害者は京都府のバーホステスの女性。管理人によると、死体が発見された部屋は3か月前の6月に40代の男が契約した部屋だったが、手付金として5千円を支払った後、「忙しくてアパートへいけない。荷物はそのまましておいてくれ」と管理人に電話しその後も姿を現さずに荷物だけ置いて行方をくらませていたという。
なお40代の男性は管理人に一枚の名刺を渡していたが、何度電話をかけても繋がらなかったという。
もっとも犯人と見れられる40代男性は、名刺という重要な証拠を残したため、遺体発見から1日経った9月5日に逮捕。女性は40代男性の妻で、発見から2年前の1971年の5月に京都市内で殺害された。
その後男性は発覚を恐れ、
衣装箱に死体を詰め約2年間に渡り関西のアパートを転々としていたという。
つまり男性は
約2年間を死体と一緒に引っ越していたことになり、最後の大阪府某所のアパートだけは死体のみの単身引越しだった、ということになる。
奇しくも1973年に発生した二つの死体遺棄事件。共通するのは
人知られずに殺され異臭がしてはじめて発覚するという事実だった。
2つの死体が発した「死臭」は、現世へ真実を伝えたかった最後のメッセージとなった。