<まるで暗黒面に堕ちたファミコン> バブル景気が湧き起った1986年――
日本列島にファミコン旋風が巻き起こると、カセット交換屋、ディスクコピー屋など様々な怪しい便乗ビジネスが誕生した。ファミコン本体に連射機能をつけたり、スローモーション機能をつけてくれる
改造屋もそのひとつだ。
今回はファミコンブーム初期に、ひときわ異彩を放っていた、とある改造ファミコンにスポットを当ててみたい。
※当時の広告1 「武装化ファミコン Hacker Junior」
「これがファミコンの最終兵器だ!」
攻撃的なキャッチフレーズが躍る広告の中央に、まるで
暗黒面に堕ちてしまったかのような禍々しい黒いファミコンの姿が見える。これこそ、知る人ぞ知る改造ファミコン
「ハッカージュニア」だ。
手掛けたのはファミコン裏物界のドン・ハッカーインターナショナルである。
当時の広告2 こちらの広告は漫画風。中央には葉巻を咥え、山高帽にサングラス、蝶ネクタイにストライプスーツのマスコットキャラクタが大きく描かれている。ポップに売り出していたようだが、のちに
大変なことになるなんて、この時点では知る由もなかっただろう……
<改造内容> 気になる改造内容については別のタイプの広告を見てみよう。
主な改造は以下の4点だったようだ。
1.ハイパーショット(高速連射)
2.ビデオ端子出力
3.ステレオ音声出力端子
4.オートスローモーション回路
この他にコントローラのコードが長い点を加え
「5つのスゴイ」として謳っている広告も存在するので、コントローラのコードも長く改造していたようだ。また、改造は本体のみならず、連射機能についてはコントローラにも基板を埋め込んでおり、わりと
広範囲な改造内容だったことが読み取れる。
<販売方式と価格> 当時の広告といっしょに発行されていた「申し込み表」へ目を向けると、その販売方式と価格の全貌が見えて来た。
ハッカージュニアを新品で買おうとした場合、2万2800円。下取りだと1万6800円。ハッカー社に改造を依頼した場合は7900円。自分でつくりたいひとへはキットが5800円で販売されていたようだ。
いずれも送料込みの値段である。まとめると販売方式は大きく分けて
以下の3種類あったことになるだろう。
・改造品の販売(下取り方式含む)
・改造の請け負い
・改造キットの販売
これはのちほど大きなポイントになるので、覚えておいてほしい。
<開発経緯とハッカー社のスタンス> 改造内容や販売方式はわかったが、そもそもハッカージュニアはどのような経緯で開発されたのだろうか。調査をすすめるとファミコン通信1993年3月12日号掲載の漫画「あんたっちゃぶる」に、少し言及されていたことが判明した。
※ファミコン通信連載「あんたっちゃぶる」より。 当時の社長・萩原暁氏は以下のように述べている。
それが最初の仕事ですよ。本をつくるので技術をもった人間がいましたから、じゃあ作っちゃえってことになりまして。
どうやら改造ファミコンがゲーム事業へ参入する
最初の仕事だったようだ。そして任天堂については以下のようにブラックジョークを飛ばしていた。
みなさんが思われるほど、あそこと仲悪くはないですよ。いつも法廷で顔を合わせた仲ですから。
ファミコン通信1993年3月19日号掲載の後編では、ハッカー社が任天堂に許可なくゲームソフトを出し続けることができる理由について述べられていた。まとめると以下のような見解となる。
・CPUに著作権はない
・ファミコンのCPUは昔からあるもの
・そこで走るゲームを作ること自体に違法性はない
ちなみに他のメーカーが勝手に作らない理由については以下。
・他のメーカーには流通販路がない
・ロムの厚さや形には特許は商標登録がある
・例えばPCエンジンのCD-ROMは2年間研究した
・普通にNECと契約するほうが安上がりだった
つまりハッカー社がファミコンソフトを勝手につくっていたことについては、違法性がなかったため、任天堂は
止めることができなかったのである。
<nintendo事件とは?> さて、予備知識はここまでにして、いよいよ本題だ。
それは1992年5月27日の出来事――
ファミコンが発売されて9年が経っていたその日、裁判所からハッカー社へ106万7040円(+法定金利)の
支払いを命じる判決が下ったのだ。その相手は何を隠そう任天堂である。萩原元社長が「いつも法廷で顔を合わせていた」というのはジョークではなく、本当のことだったのだ。
これが世に言う
「nintendo事件」である。
※当時の広告3 任天堂は長い間、ハッカー社がHなファミコンソフトを大量生産してボロ儲けしていたことを苦々しく思っていたものの、その違法性を立証することができずにいた。そこで、同社が1986年8月から87年12月まで販売していたハッカージュニアに目をつけたのだろう。
上記のようにハッカー社は正攻法よりも高くつくことがあるにも関わらず
ゲームソフトの自主制作にこだわっていた会社である。また「PCエンジンSUPER CD-ROM2を2年間研究した」との証言でもわかる通り、ハッカー社には、万全の体制を期してから法律の目をかいくぐって商売する狡猾さがあったのだ。
しかしながらハッカージュニアについては初参入事業であったことを思い出して欲しい。つまり法律対策が甘かった可能性が高いのだ。なんとかハッカー社にギャフンと言わせたかった任天堂が、それを見逃すはずもなかったというわけだ……
<それぞれの主張と判決> それではさっそく裁判の様子を見ていこう。
以下のやり取りは、私オロチが判決文を読んだ上での個人的な解釈を、架空のキャラクタである「N堂」君と「Hカー」君に再現してもらったものである。したがって、実際の裁判の「流れ」については
正確に伝えるものではないことをご了承の上、お楽しみ頂きたい。
※ハッカージュニアの商品名については判決文に準じてローマ字表記とした
ありがとうございます。