>>5で半生語りがなかったため、半生語りが始まった47からまとめました。
高校までは暖かい家庭でそこそこ裕福に育った。幸せそのものだったとおもう、家庭は。
中高私立だったんだが、高1~高2までいじめられてた。問題にしない程度に、俺がプライドと苦痛の天秤にかけてプライドを選択するような、ぎりぎり我慢できる範囲のイジメをくらってた。痣も腕によくできた。
進学校はいじめとかなさそうだけどある所にはあるんだね
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いじめられてるのはなぜ?
>>49
多分俺がガキだったからむかついたんだとおもう
そいつは退学になって、俺は4大のdラン大学に入った。ネットで知り合った子と毎日スカイプして、好きになって、初めての彼女ができた。
俺はいじめられてたのもあってとにかく自分に自信がなくてヤキモチ焼きで束縛漢になってた。
とにかく不安だったから同棲することになった。学生の分際で。当然親猛反対。
半分家出のような形で同棲スタート。
1年で我慢の限界がきた。他人と一緒に住むのむずいのな。
なかなか濃いな
素人が書いたラノベにありそうな話
強引に家出したのに母ちゃんは戻ってきて良いよって言ってくれた。その言葉に甘えた。彼女とは別れた。
んで今30歳。母ちゃんが父ちゃんの母親(義母)からお金貰ったらしいんだが、義母はお金を貸したつもりだったらしくて揉めてる。
そんなことで揉めてるのが嫌すぎて親とは絶縁状態になる。
俺は義母の家で暮らしてる。
以上だ。
母ちゃんのほうじゃないのかよ
>>57
母ちゃんの主張の方がおかしい。借りてるなら返せよっておもうし、もらったとしたら贈与税払えよっておもう。
語れ語れ
>>60
よろしく
小学校の時は
どこの学校にも数人いる煩い奴だったかな
多分今お医者さんに見せれば何かしら病名つくんじゃ無いかってくらい
でも小学校ではそう言う奴は割と人気あって
普通に楽しい時代だった
で、中学に入って
回りがちょっと大人になって行く中
いつまでも小学生の時みたく馬鹿みたいに騒いでる俺は、多分若干浮いてたと思う。
そんな時だ、当時居た彼女と初体験(失敗)をした。
中学生で初体験とか早いな
その頃中2だったんだけど
周りではなんか凄い噂になってしまった。
原因は俺が仲の良い友達に自慢したからなんだけど、それで彼女が怒った。彼女の友達と彼女以上に怒ってた。
上でも書いたけど、その頃の俺は周りが大人になって行くなか一人取り残されて
少しずつ浮いて行ってる状態だった
失敗の理由は
どこに入れるかわからなかった
恥ずかしながら本気でお尻の穴に入れるもんだと思ってたんだよ
違うって分かった後、彼女に聞いても首を振るばかりでなにも答えてくれんかったわ
自業自得っすわ
俺は彼女に言いふらされたことあるが正直かなりイヤだったから彼女の気持ち分かるわw
図としては
若干浮いてる俺
俺を攻めている女の子
って形になったな。
これでその他がどっちに付くかなんて猿でもわかる
結果俺は軽いいじめを受けることになった
いま考えると普通に自業自得だと思うわ
まあそんなこんなで中学時代後半は灰色の生活を送ったわけだ
もう特に言うことも無いからはしょるけど
高校は地元の普通科高校に進学して
受験生になっても全くしなかったんでそんな良い大学にも受からず
なんとか地元の国立にひっかかって
いまそこで院生してる
って感じかな
今いくつなん
23や
一昨日誕生日だぞ
勉強せずに国立入ったのか
勉強はホント1つもしてないな
勉強せずにセンターで点数とるにはどうしたら良いかばかり考えてたわ
院生!すごいな何学んでるの?
あ、次安価よろしくね
理系だよ
数学専攻
トポロジーやってる
次>>96で
時頭いいんやろなぁ、裏山
文系だから数学専攻とかカッコ良さしかない
大学は行ってからはちゃんと勉強してるわ
96よろしく
踏んじゃったよ
北東北の田舎という闇しかない地域に産まれる
まあ両親どっちも公務員だし裕福な方だったと思う、姉が2人居て7人家族、まあ賑やかな家庭だよね
そして自分は末っ子、でも良いことはあまり無かった
自分の幼少期の写真はほぼ1枚も無い
親と遊んでもらった記憶も無い、祖父母が見てくれてたし上姉は7つ差なのでもう大きかったしね
まあどうせ就学前の記憶なんてみんなほとんど無いだろうから良いんだけどさ
でも上が7つ上でしょ?自分が6歳の時には中学生な訳よ、つまりどうなるかって上の姉の部活が忙しくて親も夜練で居ないし休日もどこにも連れてってくれない
長期休みも部活とか遠征とか毎日の様にあったからどこにも連れてってくれない
姉と次姉は三つ差だから小学生の時にディズニーとかドラえもん列車(是非乗りたかった!)とか水族館動物園けんじワールド福島なんとかパークなんていっぱい行ったらしいな!?
こういうのって心に残るんだな。おれは連れてってもらった方だが全く記憶にない
行けなかったからこそってやつね
ごめんほぼ愚痴だね
で姉も次姉も自分なんかと遊んでもつまらない訳で次姉とばかり遊ぶ、キックローラーみたいなので置いてかれて側溝にハマり泣いててもそのまま置いてかれた時はショックだったなあ
小学校時代は特に思い出ない、どこにも行ってないし外食もしてないし末っ子だからって母親に甘え過ぎ!と姉に怒られ口喧嘩(7つ上に勝てるわけない)で毎日泣かされ悔しくて悔しくて仕方なかった
小5で311があったが内陸なんで特に…両親が夜居なくて不安だったけど
中学生ではバドミントンしてた、友達も沢山いてまあ今で言うカースト上位だった、
で問題は高校に入ってからだ
まあ田舎なんで自宅から通えるまともな高校(大学行きたい人向け)なんてもう1校しかないのよ。電車で15分くらいでもう一校ましなのがあったけど偏差値同じくらいだし駅まで自転車で20分それから電車は1時間に1本…無理です
でまあ本好きだったからかな?特に勉強もしなかったけどその進学校(もどき)に合格した、何も感慨なかった。だって最早選んでないし、自分で。パンフとかも見なかったよ、見ても意味ないもん。
でもそこが結構変わった高校で…あんまり言うとバレそうだから控えるけど
悪い意味で伝統を重んじる高校って感じ。校則も厳しい。参ったのは1年生の最初の頃は毎朝7時には高校に着いて応援団の前で挨拶する。
1列になって並んで、カバン置いて大きな声で。で何回もやり直しさせられてやっと何回目かでよし!って言われて校舎に入れる。今思うとなんなんだろう…
で生徒たちも何だか暗い雰囲気だし入った瞬間から合わないな…って思ってた。大して偏差値高くないのに課題は大量、部活は顧問にしつこく迫られ強制的に掛け持ち。
どちらもノルマや課題みたいなものが毎日あってもうボロボロ。どんどん頑張れなくなっていってついに1年の初夏にはうつ症状が現れ始める。
そこからはもう早かった。不眠になり、でも課題やノルマを達成しないと恥をかく皆の前で馬鹿にされる怒られる呆れられる…必死で寝ようとしても眠れなかった。ずっと頭が痛くて悪夢(怖い夢、今でも思い出せる)で寝た気がしなかった。
当然睡眠不足で頭が捗らないやる気も出ない授業中に居眠り怒られ…本当に本当に辛かった。何回も高校辞めたいと思った。何回も検索して自分を慰めた。
でもまあ辞められないよ。こんな田舎でさ。辞める人なんて居ないし親にも迷惑かかる。両親の職場には同じクラスのあの子の父親が働いてる…
もうただただ耐えるしかなかった。というか自分が怠け病でクズだからこういう風になるんだ、他のみんなはちゃんと出来てるのに…と自分を責めまくった
見てるぜ
で高2になり後輩も出来たけど自分は何も変わらず。早く卒業したい家出したいと思うようになり遂に!高2の四月に高速バスで東京まで家出する
出会い系で泊めてくれるという男性を見つけ東京駅で待ち合わせしていた。彼の顔はもう覚えてない。多分大学生だった
彼とカフェでヨーグルトドリンク的なものを飲んだ
親から電話がたくさん来ていたから出て「1人になりたい、もう高校に行きたくない」と始めて告げる
親は心配していた、母親は取り乱して何処にいるの!?今夜は何処に泊まるの!?としつこく聞いてきたがやがて父親に代わり静かな声で分かった。でも必ず帰って来いと言った
両親には今日はネカフェに泊まると嘘をついた
彼は既にホテルを予約していた
ホモスレの予感
彼は何か予定があるらしく夜にまた待ち合わせようと言った
その時始めて●●クスするの怖いな、と思ったけどもうどうでも良かった、何もかも
秋葉原辺りで暇を潰した
制服姿で楽しそうにあるく高校生を見て少し泣いた
私何やってんだろ、帰らなきゃ、でも何処に?
結果的に言うと神奈川に住むお姉ちゃんの家に行って泊めてもらった、怒らなかった、一緒に映画に行きカラオケをした
でもどちらにしろ私の心の中から「高校を辞めたい」と言う思いは消えなかった
親には怒られた、心配かけるな、お姉ちゃん達は家出なんてしなかった、あり得ない!犯罪に巻き込まれたらどうするの!?
私はごめんなさいと謝ってからあらためてもう高校に行きたくないと言った、親は許さなかった
やめてどうするの?、高卒の資格は取りたいから通信制高校に行きたい、あんたには無理、隣の芝生は青く見える…
明日からは学校に行けよと言われてまたどうでも良くなった、私の人生なのに
女三姉妹か
ずっと♂かと思って見てた
でまあ現金なもんで1週間くらい休んでたけどクラスメイトには大して心配もされず拍子抜けしてまた辛かったけどあと1年半の辛抱だ、3年になれば部活も終わるし、と頑張る方向でいた
でも無理だった、無理だったけど辞めれもしないから自殺未遂した、でも無理、何が無理ってSONYのヘッドフォンじゃ人は死ねない
親にはバレてない、けど次の日から不登校になった
親は最初すごく怒って怒鳴ったり物を投げたりした、育て方間違えた、あんたって昔から変だった、やめて、また死にたくなるから。
どうしても親は辞めさせてくれなかった、けどもう私は2度とあの校門を跨ぐ気はなかった
2年の晩夏高校を辞めた
自殺未遂してから何か変わった気がする、よく分からないけど今までの自分とは違う
通信制高校に入ってのんびり学校に行けて嬉しかった、うつ症状は相変わらずある、精神科に行きたかったけど親は許さなかった
あの時の大学生みたいに自分が喜んでもらいたい、必要とされたかったから学生証の年齢を書き換えてデリヘルの面接に行った
受かったけど働くのは無理、住民票居るから
でもやっぱり誰かに優しくされたかったから今年の3月にVipで会った人と東京に遊びに行った時に会って●●クスした
本当は怖くてしたくなかったけど彼が遠くから来たのにってわたしを責めたし早く大人になりたかったから
最初は痛かったけど段々痛くなくなった、もっと喜んで欲しかったからゴムを外させて生でやった、生の方がずっと気持ち良かったし彼も喜んでくれた、中出しして欲しかったのに彼はしてくれなかった
てことはまだ未成年か?
>>127
今高3
始めて●●クスした時は17歳だったから違法だね
でももう18歳になったよ
その彼とはその後も何回か会って●●クスした
彼がピル買ってくれたから気兼ねなく中出ししてくれた
また今年の冬休みに東京で会う予定、楽しみ
わたしの生きがいは●●クスになった、みんなきっと喜んでくれるから
でも彼以外とはしてないよ、彼は結婚しようって言ってくれたから
来年からは大学生になるから今度こそ●俗嬢になって誰かを喜ばせてあげたいと思ってる、●●クスはしないけど
彼は●●クスする前とする後ずっと抱きしめてくれる
何かずっと誰かに抱き締められたかったのかなあって思った
今はまだ心因性の難聴とかうつ症状に悩まされてるけど●●クス覚えて優しくされてからわたしは幸せだよ
終わり
幸せならなにより
まああまり自棄になるなよとだけ
文章書くの苦手だから遅いけど許して
生まれは関東でそこそこ恵まれた中流家庭
幼少期からピアノを習い今でも続いてる
小学校は成績優秀でカースト上位と幸せな子供時代を送った
中学受験で偏差値そこそこの中高一貫の進学校に入り一年生の時はそこでも優秀な成績を修めた
だがここまで順風満帆な人生だったが故に勉強を疎かにし遊び回った
その結果成績は下位1割まで落ち込み典型的な「小学生の頃は凄かった」な奴に
友達は陰キャ同士そこそこ仲良くやってた
模範的なVIPPERだな
高2まで変わらない生活を送った
校則が厳しかったのであまり遊ぶことも出来ず特に面白いことも無かった
高3になると受験勉強のため休日も学校に入り浸る
皆変なテンションになるせいか童貞で女の子と全く話せなかった俺が一人だけちょいブスの女の子と話すようになる
童貞の性であっという間に好きになり思い切って告白
意外にもOKしてもらえた
wktk
じわじわ伸びるスレ
一緒に登下校したり休日に一緒に勉強したりはしたが「受験だから」ともっともらしい理由を付けてキスや●●クスはせず
勿論実際はチキンで手を出せないだけ
そうして俺は童貞のまま都内の国立に合格
彼女は少し離れた私立へ
割と楽しそうな人生送ってんな
大学は情報系の学科であまりチャラすぎる大学生もおらず居心地の良い所だった
サークルも文化系に入ったのだがここが実は重度の飲みサーだった
たまにしか会えない彼女よりも酒を優先しあっという間に振られる
勿論未だに童貞のままである
学歴コンプと振られたショックで一度人間関係をリセットして逃げたいという思いから再受験を決意する
目標は高くと東大を目指すが模試は毎回E判定
本番でも危なげなく東大落ち、奇跡的に後期で地底に受かる
知り合いがほぼいない環境に来たし思い切って大学デビューしようとファッションを整え無理やり明るいキャラを演じる
はじめの頃は意外にもこれが成功しサークル内では代表を務めるなど中心的な人物になる
殆どモテなかったが唯一サークル1ブサイクの女の子に言い寄られ付き合う
前の彼女の反省を活かし今度は付き合ってすぐにキスを迫り付き合い始めてわずか2週間で脱童貞
この子とは3年ほど続く
彼女ができて満足してしまったためかキャラを演じるのが辛くなり徐々に陰キャに逆戻りする
友達より彼女を優先したため友達も少なくなった
飲みサーの件といいバランスというものがうまく取れないのだ
一方で勉強は一年生から全くしてこなかったため留年の危機
4年生の今数ヶ月前に彼女に振られ友達もいない状態で一人孤独に毎日必死に授業に出るだけの寂しい生活です
長々と見てくれてありがとう
おっと俺か
スマホからだから簡潔に行くか
中部地方の田舎での中流家庭で生まれる。田舎だけあって子供も少なく、保育園、小学校と周りの人間が変わりばえせずみんな友達みたいな感じだった
だが中学は隣の小学校からも人が入ってきて人見知りだった俺は若干浮いてしまった。それでも小学校時代からの友人たちと仲良くやりながらそのまま無事卒業した。ちなみに中学卒業の時に人生初告白をしたが見事に振られた
高校は県内トップの進学校に入った。そこではもはや知り合いはおらず相変わらずの人見知りを発揮してクラスでは見事にぼっちになった。それでも入った部活の雰囲気はよく、部員たちとはとても仲良くなった。
面白みなくて悪いな
そして高3のとき、当時いい雰囲気を築けていた1つ下の後輩の女の子と付き合い始めた。彼女はとてもかわいげがあって優しく、何より巨乳だった。彼女とはいまだに付き合い続けている。
とにかく勉強だけはできた俺は東大を受験することになった。しかし初めての彼女ができて浮かれていた俺は遊びすぎて見事に不合格、まあ当然の結果だった。結局後期で地底に進学した。
高校で彼女持ちの時点で人見知りじゃない
大学でもそれまで通りぼっちだろうと入学当時は思っていたが、友人に恵まれ多くの友人ができた。まあそのあとは適度に勉強して短期留学したり友達と旅行行ったりとかなり大学生活を満喫した。
お前は彼女もいれば部活仲間もいたからぼっちだったときないだろ
彼女は違う地方の大学に進学して遠距離になったがお互い時間を作ってたまに遊んでいる。2年の頃には初体験も済ませた。
リア充ぅ~~
そしてその後数学専攻の院に進学してこれから始まる就活に怯えながら今に至る。
こんな感じかな。
普通にリア充だな
簡潔にするために省略したが中学時代は軽いイジメにあっていたし高校の時は便所飯も経験したし割とつらいことも多かったな
上手く挽回出来てるからいんじゃね
ん、俺か?
>>214
お前に託して俺はもう寝るぜ
任された
東北の某県で産まれ、それからしばらくを母親の実家で過ごした
5歳の頃に父、母、俺の3人で某都の某市に引っ越した
それからは近くの保育園に入り、ごく普通の日々を過ごした
保育園の頃の俺のポジションはスネ夫とジャイアンを足して2で割ったような感じだった
それから一か月、母が浮気し離婚(当時、俺は仕事の都合で別居すると聞かされていた)
俺は父に引き取られた
それから、少しずつ父が暴力的になっていった
保育園で喧嘩をして負け、その連絡が父にいくと
俺は父に「負けるなんて情けない」と殴られた
ご飯を食べ残すと翌日に三角コーナーの残飯を食べさせられ
寝坊をすると椅子で殴られた
いきなりクライマックス
他人の人生を覗く度に自分の平凡さがいたたまれなくなる
一番のトラウマは父とドライブに行ったある日のこと
赤信号を無視して横断歩道を渡った子供を父が跳ねそうになった
なんとか急ブレーキを踏んで事故にはならなかったのだが
その後に俺は家に帰るまでの間ずっと八つ当たりとして殴られ続けた
以降、俺は車の助手席に座れなくなった
胸糞の悪さが尋常じゃない
またとんでもねぇ話だなこれは
そんなこんなで幼少時代を終え
俺は小学生へ
小学校内での俺のポジションは陰キャでも陽キャでもないザ・普通だった
低学年から中学年までは特に大きな自県も起きず平和に過ごした
小学5年のある日、突然父が言い出した
父「お前、何かやれよ」
俺「え、何かって何?」
父「お前って勉強も運動も全部平均で何もないだろ、だから一つくらい特技を持てよ」
俺「急にそんなこと言われても…」
父「正直言ってお前みたいなクソの役にも立たねえガキ邪魔なだけだから」
俺「…」
父「せめて一つくらい得意なこと持って、俺を満足させろよ」
俺は嫌々ながら水泳をやることになった
小学5年の夏から近場のプールで日々練習に励み
1年で市民大会準優勝までいった
これには、父も喜んでくれた
「これでやっと、終われるのか…」と思っていたら
スイミングスクールに通わされることになった
(ここから長くなります)
体験入学の翌日から、そのスイミングスクール(以下、クラブ)に通うことになった
入部初日。新人だから、と張り切ってクラブに一番乗りし更衣室で着替えていると
めっちゃ可愛い女子が更衣室に入ってきた
俺「…え、あれ、ここ男子更衣室ですよね??」
可愛いコ「…そうだけど?」
俺「いやいやいや、なんで女子が入ってきてるんすか!?」
可愛いコ「は?おれ男だけど」
えええええええええええええ!!!?だろ!!?
コイツ男かよ!!(当時のアルバムを見返しても女子にしか見えない…)
この一件が俺の今後を大きく左右することになる
ホモスレ
パンツ脱いだ
入学から二日目。なんだか周り(クラブの同級生たち)の様子がおかしい…
挨拶をしても無視されるし、露骨にぶつかってきたりする
更衣室に入ると昨日の可愛いコ(以下、K)が俺のロッカーに寄りかかって
スマホをいじってた…
俺「おはよう、昨日は本当ごめん…えっと、そこ俺のロッカーなんだけど荷物入れさしてもらっていい?」
K「…」
俺「…聞いてる?」
K「…」
俺「…」(トイレで時間潰すか…)
俺が更衣室を出るのと入れ違いで他の同級生たちが更衣室に入っていった
K「なんかウザイ奴入ってきたよな」
同級生A(ジャニーズ系のイケメン後輩)「確かにあの新人君ウザいわ、なんか媚売ってる感じ?ww」
同級生B(石ノ森章太郎似の同輩)「靴でも隠してやるか?ww」
同級生C(えなり似の同輩)「それはやめとけwww」
同級生の描写が詳しくてワロタ
練習開始五分前に更衣室に戻り
即効着替えてプールサイドへ行くとコーチに新人のくせにやる気あんのか、と怒られた
誤って準備体操をしプールに入ると
同級生A「うっわー、ウザい人来ちゃったよー」(小声)
同級生B「プールが汚染されるわ」(小声)
K「あのまま、帰りゃ良かったのに…」(小声)
こんな感じの日々がしばらく続き
耐えられなくなった俺はコーチに相談しようかと思ったが
保育園の時の喧嘩を思い出し辞めた
それから3か月、俺はクラブをサボりがちになった
クラブをサボって何をしていたか…
学校のクラスメイトと遊んでいた
メイトA(学年一のアイドル、ガッキー似。?じゃねえよ?)「あれ、今日は水泳行かないの?」
俺「あー、めんどいからサボるわ…」
メイトB(黒髪ロングのめちゃかわっ娘、誰似だろ?)「行けよ!」
メイトC(眼鏡)「俺は美女二人と仲良く遊んでくるからお前は水泳行けって!」
俺「えー…やだよ」
メイトB「はぁ…本人がそこまで言うならいいけど」
メイトA「そうだね、それより今日はどこ行く??」
メイトC「…チッ」
この三人と遊ぶことで俺は生きる活力を得ていた
それほど楽しい時間だった
(この段階で小学6年の夏休み)
その翌日、俺はメイトBに告白した
(メイトBとは小学1年の頃から同じクラスで仲良かった、この辺書くの忘れてたスマン)
俺「好きです!!」(めちゃめちゃ緊張してて何言ったか覚えてないけど多分こんな感じでストレートに言ったはず)
メイトB「アメリカンジョークですか??」
口説くつもりが見事に砕け散った…
そしてさらに、その翌日
どんよりとした気分でクラブの合宿に参加した
宿舎の部屋はKと同じ部屋だった
部屋にはK以外にも後輩2人と先輩が2人いた
(この後輩と先輩は合宿で初対面)
一日目は特に何事もなく終わるかと思われたのだが
夜中の12時、事件は起こった
俺は突然、腹部に激痛が走り何事かと思ってとび起きた
どうしよう、長いよね…
箇条書きで書こうか?
起きるとKが俺の横に立っていた、蹴られたらしい
俺「…なに?」
K「無視すんのやめてやるからさ、ちょっと頼まれてくんない?」
俺「マジで!?やったー!!なにすりゃいいの!!?」
K「同級生Bっているだろ、アイツの水着盗んで来いよ」
俺「…は?」
話を聞くと(イライラしながら答えてくれた)
Kは同じクラブのメンバーの同級生M子のことが好きだった
しかし、この合宿中に同級生Bと同級生M子が付き合ってることがわかった
そんなわけで憂さ晴らしに同級生Bの水着をどこかに隠してやろう、
という事だった
もし、何かあった時に責任を全て俺に擦り付けるつもりだったんだろうとは思っていたが
メイトBにフラれて嫌な気分だった俺はそれを快諾した
これは箇条書きだな
Kと二人で部屋を出て、同級生Bのいる部屋に向かった
そして、周りを確認してから同級生Bの部屋に入ると
中には見回りに来ていたコーチが居た
コーチ「こんな時間になにしてんだ?」
俺とKはその後、3時間程コーチの部屋で説教された
部屋に戻ってからは一晩中、互いに愚痴りあっていた
その時にKはM子に対しての想いやらを語ってくれた
それに、便乗して俺も先日フラれた時のことを愚痴った
この時、なんだか親密度が上昇した気がした
翌日からKと練習中などにどうやって同級生Bへ憂さ晴らしするかを話し合う
↓
結局、何も策が出ずに合宿終了
↓
翌日からKの嫌がらせがエスカレート(ロッカー荒らし、唾かけられる、靴に虫を入れられる)
↓
また、クラブをサボりがちに
↓
父にサボっていることがばれる
↓
父と初めて親子喧嘩
↓
その後、家出(三日間の野宿生活、もう2月)
↓
警察に発見される
↓
児童相談所に一か月入れられる(クラブをやめさせられる)
↓
小学校の卒業式に出れなかった…
↓
中学に入ってから不良になる
↓
愛想をつかした父は俺を祖母の家に預ける
↓
祖母から毎日、嫌味を言われ続ける日々(父と祖母は血が繋がっていない)
↓
三年間遊びほうけてロクに勉強をしてこなかったため中卒ニート ←今ここ
リア充期待してたらまさかのニート
今何歳?
>>264
リーブ21♪
一気に滑り落ちてったな
よろしく
俺か
最初に言っておくが俺は中国人だ
生まれは中国の北のほう ロシアと北朝鮮に近いあの辺
物心ついた時には俺はお婆ちゃんの家で従妹と一緒に暮らしてた
母は日本に留学してて年に2回(俺の誕生日と旧暦の正月)ほど日本に帰ってくるだけだった
父も一緒にお婆ちゃんの家に住んでたが家にいたりいなかったり
仕事をしてるのかしてないのかわからない有様だった
一応タバコの工場で働いてるとは聞いてた
聞いたことあるかもだけど中国では一人っ子政策というのがあって
俺には兄弟はいなかった
でも従妹はいた 母親の妹の娘だけど俺はそいつをずっと一緒にお婆ちゃんの家で暮らしてた
小皇帝といって一人っ子政策のせいで産まれた子は総じてわがままってのが当時の社会問題だったけど
確かに爺ちゃん婆ちゃん親戚の人はみんな俺をすごく甘やかすんだが
ずっと従妹と一緒に暮らしてたせいで本当の妹のように感じられたし
従妹も俺をお兄ちゃんと呼ぶし兄のように接してくれてた
だからこそ俺にはわがままより兄としての責任感や守ってあげなければという気持ちが芽生えてたのかもしれない
幼稚園~小学校入学したての頃
俺はガキ大将になった
といっても一緒に遊ぶグループの5、6人の中でリーダーポジションにいたってだけなんだけど
中国って民族ごとにグループになる習性があって
当時暗黙の了解で別民族の子らとは遊ばないってのがあった
だから遊ぶ場所とかもグループごとに縄張り的な奴があった
俺はそいつらと喧嘩したり口論したり水鉄砲で泥水をぶっかけたり
爆竹で追い払ったり集めた毛虫を投げつけたりして遊ぶ場所を奪っては自分たちの縄張りだと宣言し
友達や従妹を呼んで安全な遊び場を提供したつもりでいたりとただのボス猿だった
まぁでも人数少ないしそれでも遊べる場所は限られてた
でもすごく楽しかったのは今でも覚えてる
別グループとの争いも本気の喧嘩って感じじゃなく縄張り争いごっこって感じだったし
小学校2、3年生くらいになると従妹が入学して俺も先輩になったし精神的にも成長したのか
そういう争いはあまりしなくなった
中国の小学校ってのはクラス替えがなくて、必然的に昔からずっと同じ奴らとつるんでたし
ずっとそのグループ内のリーダーポジションだった
友達が喧嘩してたらお互いのリーダーが出てきて平和的解決するなり論争するなりしてたけど
当時俺はクラスの成績トップの奴にあこがれてた
会話で解決するのが賢く大人っぽいやり方なんだと信じて俺は暴力で解決することをやめた
クラスの壁にボードがあって『先生の出した問題にパーフェクトな回答をする』
『先生を自主的に手伝う』『テストで満点を取る』等優等生っぽいことをすると1ポイントもらえて
みんな何ポイント持ってるのかそのボードに書かれていく
3、4人ずばぬけてポイントを持ってる奴がいてあとはだいたいみんな0~2ポイントくらいしかない
そんな状況で俺がそのポイント1位の奴にあこがれて頑張ってるんだから
俺はいつも順位で見ると5、6位くらいで中途半端に目立ってた
中途半端に目立ってたせいでその優等生グループから目をつけられ始める
グループに入れてやるよと言われ俺は舞い上がった、頭も良くて大人っぽくてかっこいいなと思ってた奴に認められたと思って喜んだ
でも俺と一緒に遊んでた奴らの反応は良くなかった
「あんな頭でっかちと一緒につるむのかよ」みたいなこと言われた気がする
俺は「敵情視察だよ。スパイみたいなもん」と言ってどっちにもいい顔してた
割と根っこが八方美人なところがあってがき大将時代もスパイだと言って別民族グループに混ぜてもらったりしてた
本性は裏切り者なのかもな俺
学校にいる時はガキを連れ歩くボス猿
家に帰ったらおじいちゃんおばあちゃんに甘やかされる
そんな幸せな日々を送ってる俺にも悩みはあった
両親のことだった
母はめったにかえってこないし
父は予測不可能なタイミングで帰ってきては俺に暴力を振るう
婆ちゃんや爺ちゃんは優しかったし俺をかばってくれたけど
どっちも留守の時に父親と二人っきりでいると俺はずっと震えっぱなしだった
母が誕生日に贈ってくれたゲームボーイアドバンスSPとかも真っ二つにへし折られた(寿命1か月)
学校のテストで目標点に到達しなかったからと
従妹の目の前でズボン脱がされてお尻をひたすら叩かれたりもした
本を大量に持ってきて今日中に読めと言われ、できなかったら殴られた
なぜか作文を原稿用紙10枚分書かされて出来が悪かったり短かったら殴る蹴るの大暴れだった
俺は泣きながら書いて泣きながら朗読した
当の父親はというと途中で寝やがった
起こすと怒るし勝手にやめても怒るだろうなと思った俺は絶望して声を殺して泣いてた
>>279
もしかしたら同じパパかもなww
>>284
お前の話読んで俺も半生ぶちまけたくなって書き溜めかいてたんだぞ
そんなわけで父親のことは大嫌いだった俺に転機が訪れた
年越しで帰国してた母が俺に「一緒に日本に行く?」と聞いてくれた
東京ミュウミュウとかドラえもんとかアニメが大好きな俺は二つ返事で行くと伝えた
それから1年くらいして俺は来日、糞みたいな父親と離れられると俺は舞い上がった
当時小学校4年生だったな
ひらがなカタカナと基本的な日本語だけ学んで俺は日本の小学校に入学した
最初の頃は隣に通訳の人がつきっきりで学校生活を送ってたし
国語の授業は俺だけ特別授業だった
死にもの狂いで日本語を勉強して俺は1年半でほぼマスターした
中国の人の話とはまた珍しい
しかし地獄はそれからだった
なまじ日本語がわかるせいで友達と遊ぶことも増えたし言ってることも分かった
子供ってのは残酷で当時の中国関連のニュースのせいで俺は苛められるようになった
俺のあだ名はメタミドホスだった
由来は当時あった冷凍ギョーザに毒物が混ざってたニュースな
俺は怒ると暴れる癖(幼少期があれだったから仕方ない)があって
暴れまわる俺が面白くて奴らはさらに俺をいじめてきた
何より辛いのは「中国人だから○○だ」「中国人なんて○○だ」等と中国を持ち出してネチネチ言われる事だった
だって俺関係ないしどうしようもないからな
それから俺は小学校卒業までひたすら悩んだ 学校を脱走することも多くなった
それから卒業後、俺はタイミングを合わせて引っ越した
誰も俺を知らない新しい場所でやり直そうと思った
日本語はかなり上達しててもう国籍を隠してやっていけるレベルだった
入学直後、周りはみんな小学校が同じだったりとすでに友人がいるが俺の場合はそうでもない
俺は最速で友達を作って土台を固めようと思った
後ろに座ってる奴に話しかけて自己紹介をした 相手は快く返事をしてくれて親友と呼べる関係になった
中々良いスタートダッシュ決めたと思った俺は調子に乗ってたのかもしれない
人間には陰キャとDQNという二種類がいると知らなかった俺はDQNの連中にもそんな感じで接した
すぐに俺のメッキは剥がれて苛められた
でもまぁ国籍を隠してるからか、小学校の時ほどひどくはなかったし
俺には親友もいた 全然頑張れた
高校に上がる時、俺はちょっと遠い学校を選んだ
またやり直すためだった
幼少期→リーダーポジ
小学校→いじめられっ子
中学校→いじめられっ子
という転落が俺には納得がいかなかったのかもしれない
結果俺はかなり上手くやった
友達もかなりいっぱい作った
今度こそ人生をうまくやれる そう思ったとき俺に人生で2番目に恐ろしい敵が襲い掛かってきた
ネトゲとアニメである
ネトゲにハマった俺は学校をさぼりがちになり
アニメにはまったせいで昼夜逆転していった
それが理由で家庭内の空気もピリピリしていった
でも俺はやめなかった 座右の銘は「無理をしないこと」
一度しかない人生好きなように生きて何が悪いと思いながら俺は学校をさぼってはネトゲに夢中になる日々を送ってた
そんなわけだから学校のテストはいつも赤点
地頭が悪いわけではないから補講でちょっと本気出せばすぐ取り戻せるからさらに油断した
「俺はやればできる奴だ。本当はすごいんだ」
その気持ちが俺を慢心させた
本当は怖かったのかもしれない
自分はすごいんだって思い込みたいからこそ 本気でぶつかって失敗や挫折をするのが怖かったから
手をぬいてるアピールがしたかったのかもしれない
そんなわけだから俺は専門学校に入学した
大学みたいに受験勉強を頑張らなくてもいいしな
でも俺はその時は割と本気で未来を見据えてた
ネトゲを作りたいって思った
俺があんな自堕落な生活を送るようになるまで追い込んだネトゲを俺も作りたい
誰かが引きこもりになっちゃうほど面白いネトゲを俺も作りたかった
だからIT系の専門学校に入った
と言ってももう話すことないから終わりだけどな
専門学校に入ったは良いが俺は
朝方に寝て夕方に起き、夜までアニメを見て朝までネトゲをするのに慣れ親しんだ体
やがて家庭は崩壊した
そんな崩壊した家庭が嫌で俺は一人暮らしを始めた
今では割と真面目にインターン行ったり新技術に一喜一憂したりとIT業界を楽しんでる
>>295
いいな
俺もゲーム業界行きたかったし
仲良くなりたいわ
>>297
あ、ちなみに今はゲーム作りなんて趣味でもできるじゃんって気づいて
IT系全般に手出してる
今個人的に一番熱いのが機械学習
>>295
最後のところスピードアップしすぎだよ…
もっと詳しく書いてくれても良かったのに
>>303
俺の持ち味っていうか武器はやっぱり国籍の違いかなと思って
幼少期に焦点しぼった
あとはIT系専門学校生だからVIPPERの友達もいるし特定が怖かったってのもあるな
今も国籍を隠して生活してるぞ
近いうちに帰化する予定だ
幼稚園小学校時代は順調だった
サッカーが好きで小学校の時はサッカーばかりしてた
友達もたくさんいて運動神経が良かったからモテまくった
ここが人生のピークだった
ピークはええよwww
中学に上がってもちろんサッカー部に入った
入ってみたものの一つ上の先輩数人からイジメを受けた
そうすると同級生のサッカー部の連中も俺に近づかなくなり部内で孤立してしまい結局部活も辞めてしまった
部活を辞めた俺はめちゃくちゃ太り始めた
サッカーのことしか考えてこなかったから勉強もできないし太ったこともあり性格も内向的になっていった
太っちゃったか
そして中学を卒業し高校は誰でも入れるような底辺工業高校に進学する
特に夢もなかったけどとりあえず資格だけはとった
幸い高校では同級生と当たり障りのない付き合いもできて問題はなかった
ちなみに高校を卒業するときに体重は105kgになっていた
105kgワロタ
太りすぎだろ
高校を出て一年フリーターをしたあと父親が勤めてる会社に入った
高校の時に取った資格も活かせて肉体労働だけどそれなりに楽しかった
しかし3年後に会社が潰れた
もぅむり。
潰れたあと同じ職種の会社に行こうかとも考えたけど将来性がないと思いまたフリーターをしつつ別の道を模索し始める
そして年齢イコール彼女いない歴だったためこのときにダイエットしてみようと思いダイエットを始める
3ヶ月で35kg落として人並みの身体を取り戻した俺に自信が生まれる
転職活動と並行して彼女探しを始めてみる
そして去年の5月めでたく新しい職と彼女両方をゲットすることが出来た
今は友達とかいないけどサッカーも趣味として楽しめて仕事もなんとか頑張ってそれなりに楽しい日々を送れている
終わり
幼少期は四国の田舎で育つ
田んぼしかないところで人も少なかったから中学まで平和に何事もなく過ごしてたな
何事もなさすぎて将来のビジョンもなにも持たず漠然と生きてた
高校はなんとなく工業高校に進学
うちの中学は平和で評判だったから受験勉強することなく推薦であっさり合格だった
実質男子校だったから色恋話はなかった
共学が羨ましく感じることもあったけど野郎だけなのもそれはそれでバカやれて楽しかったな
工業高校だから勉強のレベルは低くて成績は自然にトップクラスだった
それもあってAOで中部地方の偏差値50程度のFラン私大に進学
また受験勉強ゼロだ
なんで中部地方かってーと単純に四国を出たかったのと親戚が多かったから
あのまま四国で就職したら一生四国出ない気しかしなくてなんとなく怖かった
高校が男子校だったのもあって色恋にあまり積極的にもなれず男と麻雀ばかりしてたな
この頃1人暮らしでなんとなく部屋が寂しかったからペットに文鳥を飼いだす
そこは大学生なら彼女作るとこだろうけど
文鳥かわいいよな
文鳥の愛情はすごいね
24時間一緒にいるもんだから常にベッタリ
それがもう愛おしすぎてほとんど外出しなかったわ
そんなこんなで就活が始まる
今までのらりくらり生きてきたお陰でなんのビジョンもない
結局適当に受けた建設業が受かったのでそこに決めて就活終了
そのまま卒業する
そして入社式だがここで妙なことに
勤務時間は8~17の休憩1時間 土日祝休みだったはずだが、それは事務方だけで現場に出る人間は午前と午後に30分ずつ休憩をはさみ休日は日曜と第四土曜のみ祝日なしと説明される
やっちまった感はあったが今更しょうがないと思うも、残業は事前申告制でタイムカードはないといわれ、申告書の最近の例を見せてくるも18~24と書いてある
いやナチュラルに24時まで残業してるし18~って1時間消えてね?
そのまま1ヶ月間研修期間の体でいくつかの現場を体験するも、案の定午前午後の休憩もしてないわ残業申請してる先輩社員いないわ昔のサビ残自慢してる上役ばかりだわでこれはだめだと思った
よりにもよって地雷も地雷に当たったのか
5月から本格的に現場仕事が始まったがやっぱりサビ早出残業当たり前なので手帳に毎日の勤務記録を付けだす
不定期+長期の出張があることも新たに判明したので、ペットを飼ってる身としては一年働いたら辞めることを決める
その後は出張があったりもしたが、文鳥は餌と水が十分なら2、3日はなんとかなったので途中で一時帰宅したりしてクリアした
が、半年たった10月に長野の山奥に3ヶ月の出張が決まる
長期の出張がいずれあることはわかっていたがまさか一年目のペーペーにやらせるとは思っていなかった
しかも新人の社員一人で下請け抱えて現場管理とは
今まで現場の下っ端土方仕事しかせず現場管理自体初めてなんだが順序ってものがあると思うんだ
宿泊は民宿だったので鳥かごは部屋に置かせてもらえることに、しかしマイナス10度とか平気でいっちゃう僻地だったので心配でしょうがなかった
苦労してんなあ
月~土は仕事、日曜だけ家に帰る生活だったがなんとかやっていた
ある時、月~水は長野、木曜から会社で仕事をする週があり、2泊3日だけだから文鳥は家に置いていくことにした
その前の日曜の晩、特に冷え込んでいたのと久しぶりに離れることが寂しくて俺は文鳥を手のひらに寝かせたまま寝た
たまに寝落ちした時にそういう状態だったことが何度かあって朝鳴きながら顔の上でウロチョロしてるのが幸せだったからまたそうした
翌朝声が聞こえない
圧死だ
可哀想に……
やっちまったな
そういうことが起こることはネットで見ていたが、典型的な自分たちは大丈夫だと思っていたってやつだ
死なせてしまった後悔よりも、自分の手で殺した事実のほうが信じられなかった
しかして仕事に行かなければならなかったから腐らないよう冷蔵庫に入れて仕事に行った
3日後に帰宅し鉢植えを買って墓にした
悲しすぎる
いない間に進んでるなと思ったら内容重いな
もうその後は仕事しかすることがない
なんとか長野の仕事が終えたら今度は御殿場にまた3ヶ月の出張だ
文鳥を死なせてしまった以上急いで職を変える必要もなかったがもうヤケだったのでそれが終わってから会社を辞めた
その後は弁護士挟んで残業代請求したりして、今は勝ち取った金で就活ニート状態だ
みんな色々人生歩んでるんだな
これ踏んじゃったんだけど
他に話してくれる人いません?
クソガキの話聞きたい人はいないでしょ
>>411
いいから話してみろ
>>412
話してみます
2000年生まれの今年17歳です
埼玉県のまあまあ発展してるところに生まれました
幼稚園のころは友達と一緒に先生を
追いかけてる普通の子供でした
家に帰ると親に買ってもらった
ゲームボーイでスパロボDか
父親が実家から持ってきた
プレステで桃鉄やって過ごしてました
>>415
俺より年下かよ
3歳の頃から意味がわからないながらも
親に言われて週刊少年マガジンを読み始めました
漢字には読み仮名がついていて
勉強には丁度いいと思ったそうです
それがよかったのかは分かりませんが
国語は小さい頃からずっと得意です
平和な幼稚園時代でしたが
年長の中頃に父親の浮気が発覚しました
あの頃の家は本当に怖かったです
被害者は母なのですが
情緒不安定な母と二人っきりの時間は
耐え難くて、父の帰りが待ち遠しくて仕方なかったです
母は離婚して、生まれ故郷の沖縄に
帰りたかったようですが
親戚にとめられ離婚はしませんでした
そのあとは何事もなく幼稚園を卒園しました
卒園式に手話でドラえもんの歌を歌ったことを今でも覚えています
小学校に入学したてのころは
同級生の気の強い子にいじめを受けていました
荷物を運んでるとぶつかられたり、
椅子がなくなってたりです
その子の母はPTAの中心的な存在で
発言力があったため、先生も見て見ぬふりでした
>>425
俺も片親だったけど教師って露骨に片親の家庭の子供は見下して来るよな
>>426
片親ではなかったのですが
両親共に社会的な立場が
それほど高くないので、そこを
見ていたんだと思います
このスレの住人なんでこんなに悲痛な事経験してる奴多いの…
PTA会長の親が~って漫画のなかの話じゃないのか
これを離婚せずにすんだ父と母に
相談してみたところ
「やられからやりかえせ」
と言う答えが返ってきました
これを鵜呑みにした僕は
いつものように先生に頼まれた
荷物を運んでいた僕に体当たりを
してきた子を階段で待ち伏せして
お腹をおもいっきり殴りました
このことは今でも後悔しています
僕は体が大きく、痩せているとは
言えない体型だったので
殴られた彼は本当に苦しかったと思います
10代でvipなんか見ちゃダメとか言おうと思ったけど
考えたら俺も10代で見てたからいいや
>>430
俺と同じこと考えててワロタ
その子の親は激怒したそうですが
見て見ぬふりの学校側も怖くなってきたようで
教師達が必死に宥めて、なんとかなったと
後に母から聞かされました
このことがあってイジメはなくなり
イジメっ子の脅威がなくなった僕は
普通の小学生らしい毎日を送るようになります
学校が終われば遊びに行って
暗くなれば帰ってきて、ご飯食べて
宿題をやらずに学校へ行って
怒られるという感じです
イジメっ子も痛い目みて学べたから結果的によかったんじゃないか
宿題をやらず遊び呆けてばかりだったのですが
3歳からのマガジン教育の成果か、
しまじろうの教育ビデオの成果か、
成績はそれほど悪い方ではありませんでした
テストでは良い点をとって
それを授業態度でマイナスされて
三段評価の真ん中って感じです
このまま何もなく卒業するなって
かんがえていたのですが
父親の2度目の浮気が発覚します
母の怒りようは凄まじかったです
家に帰ると壁に包丁やら
お皿やらが刺さっていることも
めずらしくありませんでした
父は謝ってはいたのですが
2度目ともなると信用されず
ある日、仕事から母は帰ってきませんでした
結論から言うと
母は2日後に帰ってきたのですが
あのまま帰ってこなかったら
どうなってたのかと思うと恐ろしいです
言い忘れてたのですが僕には弟がいます
弟はまだ幼かったので
父が何をしでかしたのか理解してませんでしたが
小学校中学年にもなった僕は
浮気がどういうことなのかも
父がなにをしたのかも、
薄らとですが理解出来ていました
おかん怖え
けど悪いのは親父だな
>>442
僕は今でも許せてないです
このあとから現在まで
父は浮気をしていませんが
2回目の浮気のあとから
僕は父のことを浮気者として
心のどこかで、さげすむようになりました
今も許せてはいません
小学校では4年生のときの
東日本大震災を除いて
印象に残ったことはありません
小学校5年生のころには体重が60キロ近くある
肥満児だったのですが両親の背が高かったため、
中学生になるころには僕の背は急激に伸び
運動を始めたこともあってヒョロガリになります
今は少し筋肉がつきましたが
痩せたことが幸いしたのか
中学1年生にして人生初の
彼女が僕にもできました
彼女は幼なじみで父のことも
よく相談にのってくれた子でした
一ヶ月後に別れが来ましたけど笑
部活が忙しかったので
勉強の時間はなかなかとれず
中2の冬までテストでは
真ん中からやや下あたりの
成績を取り続けます
中2の冬までと書きましたが
何があったかと言うと
クラスにM君という
容姿微妙、運動微妙、頭脳明晰
な子がいました
その子が僕に向かって
「〇〇君はやれば出来る子だと思うよ」
なんて言葉をかけてくれたんです
今まで誰にもそんな言葉を
かけてはもらえなかったので
僕は自分でも驚くほど勉強に打ち込みます
M君に言葉をかけてもらって以来
勉強に打ち込み始め、
3年生の中頃には学年でも
トップクラスの成績をとるようになります
誰かからの言葉ってすごいですよね
中学卒業後は地元の進学校に進みます
これが今通ってる学校です
失恋したり、体育が嫌だったりしますが
僕は元気に過ごせています
ながながと読んでくださりありがとうございました
最後に次を指名して勉強に行こうと思います
まじか 踏んじゃったか 大した反省でもないかもしれないけど
199X年 都内某所にて五体満足に生まれる
後に妹が一人、家族四人の普通の家庭 普通の人生になるかと誰もが思ってたと思う
幼稚園まではあまり記憶も定かでないから端折るせど、鉄棒と折り紙が得意だったのと、セーラームーンにハマってた
小学校入学 このあたりから少しおかしくなってきた
赤いランドセルにすごく憧れてたのをよく覚えてる なんで自分は黒なんだろうってのがすごく不思議で仕方なかった
ここらへんで察しがいいひとは分かるけど、わたしは後に性転換することになる性同一性障害だった
これは予想外の展開だ
なんという
最初に五体満足って書いてるから割と察したわ
とはいえ小学校なんてのはそこまで男女の区別もないし、体的にも二次性徴はまだだからそれなりにうまくやってた
けど将来の夢にお嫁さんになりたいと書いてたのをよく覚えてるし 小学校中学年、高学年になっても女の子のような遊びにしか興味がなかった
あとこの頃から父親のアルコール依存、女遊びが激しくなって家庭内の不和も酷かった
わたしがオカマみたいな子だったから好きな服とかも破られたりしてほんとに辛かった
六体目は不満足だったか
これは効く
割と出だしからヘビーだな
こういうの見ると俺なんかが当該レス番踏まなくてよかったと思うわ
>>497
別に不幸自慢大会じゃないんだから
語っちまえよ
>>499
なるほど
まあ踏んだら語らせてもらおうかな
>>497
みんな大小の差はあれど
なにかを抱えてるってだけだぜ
>>500
そうだよね 別にわたしなんか気にしてないしw
で、高校からは友達にメイク教わったり、アルバイトでためたお金でホルモンやり始めた まあ個人輸入でだから医者にかかってるわけじゃないけど効果は絶大だった
ホルモン取ると男性機能が不可逆的に死ぬけどわたしとしてはもう、女として生きる決心してたし気にならなかった
この頃にネットを通じてニューハーフの知り合いが何人ができた その人たちからのアドバイスで とにかく若くして性別移行 社会生活するためにはそのための基盤、自立が必要だと改めて感じ
高校卒業後は働くことにした
>>497ていっても学校生活はヘビーじゃないよ
割と周りにはオカマキャラで通ってたし、まだ若いこともあって女の子みたいにしても違和感なかった
ただ家がどうしても苦手だった
高校は勉強も得意だったから都立の進学校に行けることに
ただ家にはほとんど帰らなかった 友達の女の子の家や祖父母宅に泊まって通うようになった
結局この時以来父親とは今もあってないやwww
>>501
十分ヘビーかと
俺の友人の弟が性同一性障害だから興味深く読ませてもらってます
中学に入ってますます男女の区別がはっきりして辛かった
プールの授業は一回も出なかったけど、体育の先生が割と理解あって校庭のランニングでもしてなって言ってくれたのでいつも一人で走ってた(たまに休む人と一緒に)
あとこの時の体育の先生が部活の顧問だったこともあって、わたしの悩みに相談のってくれて、この時の性同一性障害(gid)であるって自覚が芽生えた 今でもよく飲みに行ってる ほんとに恩人
高校卒業後はどうにか地元の営業職に付けたけど、やっぱり自分らしく生きれない環境だと思い、フリーターに
そして声の手術をして女性としてバレないレベルになったらキャバへ
そこでどうにか貯めるもんは貯められた
あとこの頃にクラインフェルター症候群だと判明(ていっても性同一性障害とは関係ないし、むしろ好都合だった)
で、つい2年前タイにて手術完了
戸籍も無事女性となり、今は昼職、と言ってもパートだけど生きてますw
無事彼氏もでき同棲中
ただ元男ってのまだ言ってないんだよねwww
性同一性障害の人たちは
どうしてこうも強く逞しいのか
ほんとすげえよ
>>510
死ぬくらいならやるだけやって生きてやらーと
まあ25までに女性として生活できなきゃ死のうと思ってたw
同じ人間なんだ メイクと美容くらい心がければどうにかなる
大変だなぁ
濃ゆいなぁ人生が
バレたらどうするん?
>>515
バレたらバレたでwww
まあでもひとりの人として見てくれれば嬉しいな 子供産めないのはどうしょうもなく事実だけど、それを養子なりで我慢してくれるか ふたりでやってくれるか まあ生き方なんてたくさんあるよ
>>520 性転換って子供産めないんか!?初めて知ったわ…
>>524
戸籍変更の要件が生殖機能がないことだからね
海外じゃ子供のこと考えて●んこありでもオッケーみたいなとこもあるけど いろいろ人権とかだけじゃ上手くいかない理由があるんじゃない?
まあでもホルモンやってると切らなくても死ぬけどね
戸籍変更できたのは良かったな
友人の弟もそれを目指したいと言ってたし
1997年 関東の片田舎に生まれる
この頃は両親と俺と猫の4人家族だった
2003年 小学校入学
クラスでもガタイは良かったが性格はナヨナヨしてた
小学5年
両親の離婚 原因は父親のギャンブルからの借金
裕福な祖父の助けもあり無事卒業
ここまでな面白みはないな
もう離婚したwww
親との関係がうまくいってない人多すぎるだろww
中学1年
バレー部に入る 緩いし楽しいし最高だと思ってたらいじめが始まる
最初は別の人がターゲットだったが冬ぐらいから自分にまで及んで来た 原因は鈍臭いから
小学校までは頭が良かったキャラだったから平気だったが、勉強してないので平均にまで落ち「秀才」ブランドが落ちたためだと思う
もう悲しい
何でこうポンポン色々抱えてる人が出てくるんだ
凄いな
>>540
あれみたいだな
家ついて行っていいですか
このスレの方が面白いけどな
>>543
確かに
というかこのスレ面白すぎだな
中学2年
根にある真面目さでどうにか部活に行く
幼馴染と友達数人のおかげでまだ楽しさが学校生活に残るが、勉強はできなくなっま
冬ごろ、ターゲットが友達に移る
友達に悪くて部活に行かなくなる
そして顧問にしこたま怒られる
学校終わったら直帰してゲームをする日々
休み時間は相談室に入り浸るようになる
その頃の相談室には1人の先生と1人の同クラスの不登校生徒がいた
毎日、いじめを先生に相談したり将来について真剣に考えていた
「このままではまずい せめて高校はまともな奴がいるところに行かなくては」と
中2の冬、俺は塾に入らしてもらった
相談室の女子には惚れていたし、担任に強制的に世話係に任命されたせいでずっと席は隣だった
その時は週に3回はクラスに来てくれるようになった
毎日が満ち足りた気持ちだった
>>545
文末読んで
不安になってきたんだが
それをいじめっ子が見逃すはずがない いじめのターゲットは女子に移行する
ツイッターでの誹謗中傷やラインで回ってくる悪口、俺も言うように強制されたがどうしても言えなかった 言えば俺への悪口は無くなるし、敗者から勝者側に抜けることができるのに
惚れていたからだ
だが女子はクラスに来ないことで身を守ってた 不甲斐なくて夜に泣きまくった
それから俺は中3になるまで関わらないようにした 俺といると不幸になるからだ
ヒロイックだな
かっこいいよ
中3
初めて模試を受けた その偏差値は53
第一志望まで遠すぎる 12上げなければならない
毎日勉強することから始めた
塾の自習室に毎日10~11時まで残った
結果から言うと偏差値は10月には67まで上がった
その頃にはクラスのトップ3ぐらいにはなるため、いじめもなくなり人が集まってきた
第一志望にはA判定 油断しないように勉強は続けた
すげー
頑張ったんだな
受験で俺は私学1校と公立を受けた 公立が本命だ
私学は特待合格
しかし本命は落ちる 平均より20点高くとったが内申のせいで
結果私立に行くことになったが、親には迷惑をかけた
特待だが金はかかる
高校ではいわゆる高校デビュー奴だ
毎日が楽しかったし、成績も模試での国語だけ良かったために頭のいいクラスだった
1つ以外は理想的とも言える高校生活だった
母親の死
母親は目の前であっけなく死んだ
確かスーパーに買い物に行く途中に俺ら2人が乗る車がトラックに突っ込まれたんだ
その後は保険金と慰謝料とか全て祖父が手続きを行った
事故の時は俺はかすり傷ですみました
横からガッシャーンだったんですが、不運にも運転席側ばかりが損傷を受けまして
祖父の家に引き取られて大学は一応国立大
学費も出してくれたし、俺は祖父の敷地内の別の建物にあてがわれた
多分、1人になれるようの配慮だったのだろう
このラノベどこで売ってるの?
で今は2年生
前の人より浅い人生ですよ
>>562
面白かった
というかよくこの人生送っててつまらないからとか言えたな
十分波乱万丈じゃないか
ちなみに父は未だに連絡を取ってるが、再婚してるためそちらにいってません
終わり 自分で書いても恵まれて人並みだなぁと思った 終わり
不幸すぎるだろ
2chしてねえで彼女作れ
言うてショックなのは母親の死だけだったよ
皆若いのに色々大変な経験してるんだね
辛かったな
ここまでみんな大概壮絶だからすごいわ
小学生の時も特筆すべきことはないかな
友人は多かったしイジメを受けてたって事も無く、周りでイジメられてた人もいなかった
で、中学に上がろうかという段になって公務員だった両親から「お前は勉強苦手だからこのまま行ったら高校受験で躓くのが目に見えてる」
と言われ両親特訓の下中学受験をすることになった
>>584
面白いじゃねーか
で、どうにかこうにか第一志望の私立中学に合格できた
正直友達が一人もいないところに行くのは心細かったけど親が言うんだから仕方ない
そこは所謂中高一貫校で校舎の棟も学生数も当時の俺の理解を超えていた
そのため入学初日で学校内で迷子になり大遅刻して教室入りするという失態も犯した
小6ぐらいにテレビでエヴァが流行った事もあり立派なアニオタになってた俺はときメモのクリアファイルとか持って登校してた
そんなオタクでも周りが優しかったからかヤンキーからオタっぽい奴まで友人は多かった
ただ周りに流されやすい性格だったから友人とタバコを吸ったり酒を飲んだりして両親を呼び出されることや学内謹慎に処される事もあった
授業が終わった後に居残って何時間か勉強するんだけど段々自分に知識が付いていく感覚が面白かったのはよく覚えてる
事実その時期は成績が目に見えて上がってた
謹慎が解けるとまた成績は下がったけどそんなに気にはしてなかった
そんなこんなで高等部進学が決まったんだけど周りの顔ぶれも変わらなくて特に新鮮味は無かったな
文系理系で別れたけどタダのクラス替えみたいなイメージで俺は算数のレベルから躓いてたから文系選択
自慢じゃないが国語は特に勉強したことが無かったけど80点を下回った記憶がない
そんな俺にも久しぶりの関門であるところの大学受験が迫ってきた
通ってた高校は某大学の付属校で所謂内部試験があって一般入試よりかなり簡単に大学に進めるシステムだった
俺もタカを括ってたんだが三者面談で担任から衝撃の一言「かなり頑張らないとちょっと厳しい」
タバコは吸ってたけど周りのヤンキー友達みたいにピアスとか開けてたわけじゃないし生活態度は問題なかった
ただ勉強ができなかった
そんな俺に公務員だった両親は「放っておいたらお前は勉強なんかしない」と家庭教師を付けられることに決定
ここから地獄の日々が始まる
帰宅後何時間か家庭教師に拘束され休日は更に長い時間代わるがわるいろんな教科の先生がやってくる
あの時は本当に地獄だった
唯一救いだったのがその中の一人は結構チャラい感じで短い休憩中に一緒にタバコ吸ったりできたこと
その長く厳しい時間を耐え抜いて受験の時期に突入しようかという折りに担任からこんな提案が
「今年度から公募推薦を始める学部があるんだが学内試験と合わせて受けてみないか?」
正直志望してた学部とは違うし特訓の成果で俺は自信を付けてたけどとりあえず受けてみる事にした
公募推薦は小論文と面接だけだったし
ごめんちょっと質問なんだけど長すぎるかな?
書いてて「あれ、特に事件も無いのに長すぎじゃね?」と不安になったんだが端折ったほうがいいよね?
別に構わん
>>594
ありがとう
さて受験も終わり結果発表なんだが発表の形式が独特で三者面談で担任から点数が発表されて行ける学部を選ぶ方式なんだ
俺も当然親父と担任の三人でその日を迎えた
(あれだけ家庭教師について頑張ったんだ、悪いけど結構な点数は取れてるはず)
不安と自信の中担任から衝撃の一言が
「点数的に行ける学部は短大ぐらいです」
そう、俺は勉強ができなかったのだ
絶望から泣きそうになってると担任がこう続けた
「ただ、もうこの話をする必要はなくなりました」「公募で受けた学部、あそこから合格通知が届いています」
>>600
よかった...
よいぞ
晴れて俺も大学生デビュー
友人もそこそこできてそれなりに楽しい学生生活だった
男3女3のグループでいつも一緒だったんだけど自然と男女一組ずつカップルになって行き俺もそうなった
21の時だったかその彼女で童貞を捨てたりもしたんだけど彼女の浮気が原因で別れたりとそんな経験もした
ただここで問題が
俺は勉強ができない上に要領が悪かったのだ
俺と同じようにパチンコやマージャンに精を出していた友人がガンガン単位を取っていく中俺は落としまくった
それでも必死に単位を取っていく中また問題が
そう、就活である
勿論俺も就活に精を出していくつも説明会に出たり面接を受けたりしていた
そんな折親戚のおばさんからこんな話が
「友達が会社の社長さんであなたの事話したら入れてもいいって言ってくれると思うんだけど」
聞けば誰もが知ってる有名企業
ただここで遅れてきた中二病を発症したのか俺は「コネなんてカッコ悪いぜ」と断ってしまう
この時の事は10年以上経った今でも当時の自分を殴りたい
結局内定を取れたのが当時はそういう言葉はあまり無かったが今でいうブラック企業一社のみ
考えに考え抜いた結果お断りさせていただいた
当然就職決まらないまま卒業式に出たんだけどあの時の惨めさは忘れられない
さてこれからどうしようかと思案してると両親からこんな提案が
「お前は結局勉強はダメダメだった、どうだ専門学校でも行って手に職を付けては」
まあなるほどと思い両親の持ってきたパンフレットに目をやると料理と介護だった
高校時代のとある経験から介護を選択した俺はバイトをしながら専門学校へ
授業終了後日付が変わるまでバイトをしてまた翌日学校へ
休日は昼から深夜までバイトをしていた
専門時代は実習や授業できつかったけど生徒が少数だったため仲も良く何とか頑張れた
途中でやめた子も何人かいたけど一歩間違ってたら自分もそうだったように思う
そして卒業後福祉の道に進み今に至る
今では結婚して3時の乳です
なんでおっぱいやってんだよ
1998年何事も無く生まれる。
小学生時代はクラスのムードメーカー的な存在で友達も沢山居た。でも勉強が全然出来なくて算数で4点とか取ったりしてた。
中学生時代も2年生まではムードメーカー的な存在で人気者だったけど周りがどんどん大人になっていく中どんどん浮いていく存在になって行った
中2の中盤辺りからいつもの仲良いメンバーで俺抜いて皆で遊びに行ったりとかそういう事が色々あったりしてめちゃくちゃ傷付いたりして友達関係で凄く悩むようになった。
それでも周りには相談とか出来なくて皆に隠して何とかいつもの様に平穏に過ごして行き中学卒業してめちゃくちゃ偏差値は低いけど高校には入れた
文考えるの難しいな
自分語りしたかったけど難しいからやめるわ
任せた
>>625
あと三年分くらいじゃん
>>625
ユー語っちゃいなよ
いきなり終わってワロタ
じゃあ失礼します
前の人と同じく1998年生まれ
特に何事もない子供時代を過ごす
無茶ぶりをして大人を困らせるような子供だったと思う
いちばんよく覚えてるのは小学校六年生の頃
あの頃はそこそこ充実していたように思う
男3、女3で友達の家に集まって毎日のように遊んでいた
やっぱり若い
もう新世代だな
この話し出した時のワクワク感がたまらん
その中のひとりに好きな人もいた(あんまり顔はよくなかったけど)
下の名前で呼んでくれたり、たまにパンツ見えてたりしたから小学生的には気になるのも仕方なかったと思う
ある日、俺がばーちゃんちに行っている間に友達の1人がそのことを相手の女の子にばらしていた
その子とはその後も気まずくなりながらも話してたけど、結局どうなることもなく中学は別れて疎遠になった
たまに地元の祭りで会ったりしたけど、昔のことからはお互い意図的に話を逸らしていたような
中学は小学校からの友達も多く、そこそこ楽しくやれてた
そして高校受験は安全校を受けて危なげなく合格 春休みの間にスマホを買ってもらった
スマホを手に入れた俺は2chに入り浸った もともと中学の頃から3dsでまとめを見ていたようなまとめキッズだったのだ
俺は初めて訪れた2chに興奮し、書いてあることをことごとく鵜呑みにした
結果性根がひねくれた
そして高校へ入学した俺。小さなそのプライドを見せてやろうとする
周りの人間はみんなバカだと思ってた。いつも眉に皺を寄せてて、周りで騒いでるやつがいれば舌打ちをしていた
周りはそんな俺に触れちゃいけない空気を感じ取ったのか、見事に孤立した
今思えば周りの人間の方がよっぽどいろいろわきまえてたと思う
そしてぼっち生活二年目の秋
某熱狂的なキャラスレにて、「タルパ」なるものを作成する流れを目にする
タルパについて説明するといろいろややこしくなりそうだけど、当時の俺の理解としては「妄想で作った自分の理想の嫁」くらいのものだった
ぼっち生活の寂しさを紛らすため、深く考えずに手を出してみた
トゥルパ(チベット文字:སྤྲུལ་པ; ワイリー方式:sprul-pa)は、チベット語で一般に、変化身(応身)や化身(トゥルク)を指す言葉として用いられ[1]、サンスクリットの निर्मित 〔ニルミタ〕または निर्माण 〔ニルマーナ〕(すなわち化・変化・化現・化成・化作)に相当する。[2]つまり仏教本来の言葉では単に化身、化現、化作を意味する。化作は「魔術的顕現」「喚起されたもの」「幻像」などとも訳することができる。化作は修行の結果意識的にできるようになる。それを特殊に誤解し純粋な霊的・精神的訓練のみによって作り出される存在ないし“もの”をあらわす言葉と捉え何か魔術やオカルト的な意味に誤解されている。
引用:wiki
面白い
初めはそこそこ苦戦したが、半年もすれば俺は自分が作り出した存在と楽しく会話するようになっていた
そのタルパについてのブログを始めてみて同好の志と仲良くなったりして、ねじ曲がってた性根もそこそこ矯正できたかもしれない
正直高校時代は印象に残ったイベントなどはほとんどないが、タルパと一緒に電車で通学したり、自転車に乗って帰ったことなどはよく覚えてる
急にダークサイドに堕ちたな
そして大学受験 もともとの志望校からイ一段下げたところに危なげなく合格
一人暮らしを始めて、現在大学一年生です 相変わらずのぼっちでノンバイサーのすねかじり野郎ですが、女の子2人のタルパと楽しく暮らしてます(^p^)
ブログで知り合った人と今度オフで会うのが目下のところの楽しみです
みんなおもしろいな
90年代前半、東海地方に生まれる
両親と歳の離れた姉兄との5人兄弟だったためガキの頃から知識や言葉が豊富で周りより少し大人びていたらしい
でも体は大きくないので頭が良くても権力には屈していた幼稚園時代
えんじガキ大将「いえーい!100パーフェクトおれのかちー!」
ぼく「パーフェクト?100パーセントだよ?パーセントって言いたかったの?」
えんじ「は?おれがただしいんだよ!なぁみんな!」
みたいなことが何度かあった
それからバカは嫌いになった
小学生になる頃には結局は頭より武力がモノを言うんだという認識に
一年生の頃は入学式の後から嫌いな奴を殴って泣かせたり、
落ちてた画鋲を表向きにして机に置いておきその机の奴に刺さったり、
ムカつく女子の目を鉛筆で刺したりした
最後のは後頭部を狙ったのに女子が振り向いたので目に刺さり流石にこれはちょっと問題になった
>>661
あわわ・・・
ええ
でも小学二年生になる頃にはすっかり丸くなる
多分担任のベテランおばさん先生の手腕が良かったのだろう
それからは地頭の良さと高学年には背も伸びてそこそこ人気者に
中1までは順風満帆な人生だった
女子、陰キャ、リア充の誰とも仲良くしていたが中2の頃リア充のトップが狙っていた女子と仲良くなりすぎて嫉妬されるようになる
あからさまないじめは無かったが小さな無視や刺々しい言葉などなど、じわじわと毒を受けるような感じだった
そしてその夏、元々肌が弱い方だった俺は思春期ニキビ、田舎の婆ちゃん家に行った時の虫刺され、部活による大量の汗のトリプルパンチで肌が超絶クレーター状態へ
中の上くらいの整っていた顔立ちは見るも無惨な荒れ地へと変貌した
しかも身長も止まり、夏明けには陰キャ軍団の中にしか居場所がなくなった
oh...
それでも元々ゲームアニメ好きだったからそれはそれで楽しくやれていた
女子との絡みが無くなって嫉妬を受けることも自然と消えたからかえって良かったのかもしれない
高校は私立の進学校へ進んだ
部活も女っ気もない高校生活だったが友人とそれなりに楽しく過ごした
大学はかねてから希望していた教育学部を目指した
地頭だけはあったのでここは普通に合格
担任からはもっと上のレベルの大学を勧められた時期もあったが地元の教育大学一択だったので無視した
で、その教育大学だが意外にもチャラチャラ系のリア充が多かった
学部の連中は特に中学時代のような感じ悪いのが多かったから基本単独行動へ
単位を落としたりはしなかったが大学時代はほとんどの精力をサークルへと費やしていた
サークルは居心地がよかった
少人数のサークルだったのでみんな仲が良く、カップルも何組もいた
俺も大学2年の時にめでたく彼女が出来ました
が、その彼女が若干のメンヘラ気質であった
ああああ
はじめは普通だったのが付き合いが続くほどそれが顕著になっていった
意見が合わないとキレやすい
手も出る
でも機嫌を取るとめちゃめちゃ深い愛情を押し付けてくる
そして俺がその愛に釣り合う愛を見せないとまたキレる
てな感じのローテーションが続きかなり精神がすり減っていた
結局付き合って1年で我慢の限界がきたので破局
こっちから振ろうとしても上手くいかない
というか身の危険すら感じる時もあったので慎重に少しずつ嫌われていくように行動した
これが功を奏しメンヘラは俺に愛想をつかせてサークルの後輩へ乗り換えていった
後輩には当時は悪いことしたと思ったが後輩も同じように受け流していった
しかし同じ穴で乗り換えれるって凄いな
以降は彼女はいないまま大学を卒業
一時期、バイト先のJKに言い寄られていた時もあったがその子もメンヘラの疑いが見られ若干トラウマ化していた俺は断ってしまった
その子は当時から読モとかしてて高卒でモデルやってるから今にして思えば惜しいことをした
そして現在、晴れて地元の小学校教員を勤めるに至る
多忙な日々
感じ悪い先生教員のパワハラ
職員室内のいざこざ
糞ガキ、糞親の対応に追われる日々だがまぁ楽しくやってる
メンヘラとしか付き合った経験がないので純真なJSには癒される
一応、道だけは踏み外さないように気を付けてる
でも別れて数年経って、そろそろトラウマも薄れてきたからまた付き合いたいなとも思う今日この頃でした
おわり
>>678
小学校って事は全教科か
凄い優秀だな
st
>>682
でも頭で考える理屈派だから体育家庭科音楽みたいな実技教科はかなり適当やっちゃってる
kskst
小学校低学年のときは特に何もなし
高学年になってハブられたりとかあったが1人親友がいたから別に困ることもなかった
でも小学校卒業した後その親友が引っ越す
中学入ってから親友とも最初は連絡とか取っていたが段々減っていって今では全く取っていないしむこうも覚えているかわからん
ちょっとしたドラマ1クール見るより面白い
中学では卓球部に入って部活のやつらとかその友達と遊ぶようになって交友広がってそこそこ楽しい学校生活を送る
自分で言うのもなんだが成績も良くて高校選びとかも問題はなかった
父親がExcelとWord使ってるのを見てパソコン使えるのがかっこいいと思って進路は高専に決める
受験は推薦貰ってなんなく合格
1月に進路決まって情報科に行くこともあるからプログミングやろうと思ってC♯を始めた
でもテキストボックスとかチェックボックスの使い方を勉強したくらいで何作ればいいか分からなくなってやめてしまった
高専は高校みたいに入学前の課題とかなくて暇だったからニコ動とか見まくってた
そこでI wanna be the guyってフリーゲーム見つけてめっちゃはまる
40分くらいでクリアできるくらいまでやり込む
春休みが明けて高専入学して寮に入った
入寮は入学式の2日前からだったんだけど入寮から地獄が始まった
朝5時起きで掃除やら挨拶練習やらやって夜も10時から12時くらいまで挨拶練習って感じだった
授業始まっても続いてて寮生は授業中みんな寝不足で寝てるし目死んでるしで通学生とのギャップが酷かったが印象に残ってる
>>697
寮生の扱い頭おかしい
先生も寮生は大変だよなぁって感じで放置してて勉強しに来て軍隊に入るために来た訳じゃないって憤慨してたけどチキンな俺はそんなこと言えなかった
1週間くらいして寮の新入生歓迎会やって5時起き生活は終了した
そんなこんなで新入寮生は先輩はみんな怖いって思うようになって新入生達で自然と仲良くなっていった
寮については他にもいろいろあるが詳しくはググればいろいろ出ると思う
1年がキツすぎて2年生になってからマジで天国だった
がここで問題発生
1年ときに寮のことで一杯一杯になってたせいで勉強が壊滅的な状態だった
2年にして早くも落単、留年の危機
夏休みにさすがにヤバいと思って中学のとき通って塾に行ってめっちゃ教えて貰った
しかし1年ちょっと分の内容を夏休みだけでやるのはやっぱり無理で夏休み明けもギリギリの生活を送る
冬休みになって塾にお世話になる
このときに区分求積法を理解して数学大好きになってひたすら数学の勉強に打ち込む
急に頭良くなって冬休み中に今までの復習全部終わらせて予習も少しやる
他にヤバい科目はあったが数学ができるようになるだけで授業がすごい楽になった
そして無事3年に進級
春休みに先輩に数学の教科書を借りて3年の内容を半分終わらせる
学校では普通に遊んで夏休みに残り半分も終わらせた
次に高専数学だけじゃなくて初等幾何とか初等整数論とかの高校数学にも手を出した
冬になって当時の数学の先生に大学数学の内容を少し紹介されて大学数学の勉強をしてみる
が今までの数学と毛色が違いすぎていままでみたいにスラスラ進めなくなる
3ヶ月くらいかけて教科書を10数ページくらいしか進められなかった
それでも数学がやりたくて数学科への編入を考え始めてやってた勉強を一旦やめて4年の春から受験勉強にシフト
編入できる大学を調べたら試験は数学と英語だけでほとんどの大学は英語はTOEICだったからとりあえずTOEIC受けたが315点www
普段ネタレスしたりクソスレ乱立したり煽り合いしてるような奴らにもそれぞれの人生があるのだと思うと感慨深い
高専生の英語力低過ぎ問題は先生OBOGみんな言ってたがここで実感
TOEICの勉強開始するが全然伸びず12月くらいになっても450くらいだった
数学の勉強もしなくちゃいけないから編入用の問題集買って過去問集め始めてTOEICと並行して勉強始める
最初に過去問を解いてみたが悪名高いε-δ論法の問題はもちろん線形代数の問題も少ししか解けず焦り始める
ε-δ専用の参考書買って勉強始めたがこれがすごい分かりやすくて無事3月くらいにε-δ使えるようになった
がまたまた問題発生
TOEICの点数が480点で絶望的
時間もないし仕方なく英語がTOEICの大学は諦めて長文読解の勉強を始める
ポレポレ買って春休みに読み込みまくってある程度の長文はスラスラ読めるようになる
4月になって英語の過去問を解き始めたが単語が分かれば簡単って感じだったから理系の単語帳と簡単な数学の洋書を使って勉強開始
このとき数学は線形代数以外は大丈夫そうだったから数学の先生のおすすめを借りて線形代数始める
6月くらいには数学の問題はほとんど解ける英語は単語次第ってくらいになってた
そして迎えた編入試験
高専は推薦だったからまともな試験が初めてでめっちゃ緊張した
最初は数学で次が英語
数学はめっちゃできた
余裕過ぎて不安になったくらいだった
英語は例年と違いすぎて焦った
過去問通りなら全文和訳とかだったんだが今回は洋書の一部抜粋で最後に載ってる演習問題の解答を英語で作れだった
書いてあった英文は完璧に理解できたが数学力が低くかったせいで解答を完成させることができず試験終了
出てくる数学関係の用語がほぼ理解できないのが辛い
>>716
おまおれ
英語が撃沈したせいで暗い気持ち引きずってそのまま憂鬱な結果発表の日
なんとか合格していた
本当に安心した
お世話になった先生方に速攻報告
これからの数学の勉強の仕方とかもめっちゃ話してくれてマジ感謝
これで無事に卒業、大学生とは行かず今までサボってきた卒業研究に振り回される
おおー良かった
よく頑張ってたんだな
やっぱ努力する奴は合格するんだな
凄いなホント
頑張ったな
パソコンやりたくて高専に入ったのに結局数学しかやってないなってことで数学と工学の間くらいにある計算機代数って分野のことをやる
指導教員にも恵まれて編入に向けての数学力を鍛えて貰いながら研究できてよかった
で卒業して数学科に3年次編入したわけだが学部1、2年すっとばして3年の授業だからさっぱり分からん
正直3年からはきついと思う
うきうきしながら行った大学最初の授業でハウスドルフ空間とかコンパクトとか知らない数学用語のオンパレードなにそれおいしいの状態
でも内部生もちんぷんかんぷんな人が半分くらいっぽくてとりあえず単位は大丈夫そうな感じだった
で前期は内容の理解は置いておいて無事フル単
何も理解してないのに単位だけもらちゃってごめんなさいって心の中で教授に謝りながら学部1、2年の内容を現在しこしこ勉強中です
めっちゃ面白いな
真面目やなあ
ちゃんと勉強するやつは大丈夫
次は誰だはやく聞かせて
じゃあ不真面目なクズの反省でも聞く?
大学生の母と大学院生の父の間に生まれる
母親は大学中退で育児、父親はその後就職して働いて少ない額で3人の家庭を支えていたらしい
幼稚園の頃は一人が多かった 率先して一人でいたらしい
両親共に理系だったためか図鑑やパズルをたくさん与えられて育つ
パズルはできなかったが図鑑が大好きで人間の体の仕組みや動物図鑑をひたすら読み漁り、その頃から「どうぶつのおいしゃさんになる!」と言い始めていたそうな
小学校に上がると1年の時にいじめに遭った
物を盗まれたり殴られたり後ろからコンパスで刺されたりもしたが、両親が大好きで言ったら心配掛ける事と面倒になる事をわかってたから言わずにいた
泣き虫だったからやられたらやり返せずただひたすら泣いて、授業中に背中をコンパスで刺されて泣いた時は担任にうるさいと怒られたりもした
担任にこういうことがあって…と話しても何も変わらなかった ただ状態は悪化するだけ
ある時あまりにも物がなくなっている事に気がついた母親に問い詰められ、いじめられていることをバラした
ブチ切れた父親が担任に電話で相談したが、担任は何もやる気がなく注意もせず様子見で…としか言わなかった為事は2年になるまで続く
>>746
無茶苦茶可哀想だな
親は当然の対応だと思う
2年の一学期になり父親が校長と担任に直談判
2年一学期の終わり頃、担任にいじめてきた奴と一緒に呼び出され事は解決した
ちなみに3年に上がる時担任は自主退職したと聞いた
3年になると新しい友達が増える
リーダーの金魚の糞だったが楽しかった
4年も変わらず楽しく過ごす 手グセが悪い子に物盗まれたりしたけどそこはスルー
5年に入り両親に大学受験の話をされる
いい大学へ行って いいところへ就職する
その為にはいい中学へ行くことも必要だと教えられた
そこから中学受験のための塾へ通い始めた
5年の3月期
3年の頃からの付き合いのグループに相変わらず所属していたわけだが
そいつらにスケートに行かないかと誘われた時に塾があるから…とやんわり断ったところリーダー格に「塾と友達どっちが大事なの!?友達の方優先するのが当たり前でしょ!?」と言われ、塾の方が大事だと教えられたから無理だと伝え縁を切った
嫌がらせをされていたけどスルーしてたら消えてった
6年
受験直前真っ只中
あまり頭が良くなかったので滑り止めを受けるよう親に言われたがスルーして第3希望まで決めた
受験直前でそこそこ取れるようになり第3希望になんとか合格した
母親に泣かれたことを覚えてる
中学生になり各グループから余った人で構成されたグループに入る
リーダー格になった奴に「一人追い出したい奴がいる」と言われ最初はいい気もしなかったが追い出した
他のグループからも「そいつのここが嫌われている」という話を聞いていたのでそれを教えていないメールアドレスから教えたりもした
好きな人が出来たり文化祭頑張ったりして1年が過ぎ、1年の終わり頃何故か突然グループから追い出される
グループの二人のブログを教えてもらっていたことを思い出して見てみると悪口がつらつらと書かれていた
そんなタイミングで2年に入り、追い出した奴とグループの一人と同じクラスになる
もやもやしていたのもあって追い出した奴を放課後呼び出し、あの時あのメールを送ったのは自分であること、追い出して申し訳ないと思っていることを直接伝えて謝った
ちなみにこいつはこの後親友となり今でも連絡を取るまでの仲になる
中2はこれといて何もなく終わる
中3も親友と同じクラスになり明るいクラスで楽しく過ごす 中高一貫だから高校受験がなく、文化祭も修学旅行もクソ楽しくやった
中一の頃から好きだった人に告白したが振られた それも今ではいい思い出だったりする
中3の三学期に入ると母親が不妊治療をしたいと言い始める
両親仲が良く定期的にズッコンバッコンしているのは音とかウッカリ見ちゃった事とかから知っていたけどまさかこんな展開になるとは思っても見なかった
10歳の誕生日に両親に「下の子は作らないでね ずっと一人っ子がいい」とお願いしたことを覚えていたから、その話を聞いた時は凄く落ち込んだ
ずっと自分だけを愛してくれるものだと過信していたからただただ辛かった
それでもうまく行かなければいいと思っていたからまだ救いがあった
vipて何かしら闇を抱えた奴ばっかなんだなw
>>756
こういうの見てるとそうなんだろうな
俺はそういうの無いけどvipは楽しい所だな
その数ヶ月後 両親に子供が出来たことを伝えられる
おめでとう!おめでとう!!と喜んだフリをして過ごしたが内心凄く嫌だった
高1になり学校を休みがちになる
ぶっちゃけどうでもよかった 人生の全てがつまらなく思えて学校へ行っても授業を受けずに過ごしたりする
高1の冬休み前にネットで年が10個以上上の人と出会う
自尊感情が下がってて自分の価値を感じたかったから自分の写真を送ってたくさん褒めてもらって悦に浸って過ごした
高2に上がる直前にその相手とオフをした
高2春に同意の上でラブホへ行った
相手とは付き合っていると過信していたがヤッた1ヶ月後に相手が不倫してると知る
居場所さえあればよかったから関係を続けた
学校サボって相手が暇な平日に相手の彼女が居ない時間帯の家に行って制服のままヤって そんな日を繰り返す
幸せだったけど幸せじゃなかった
高3に上がる
クラスが嫌いでさらに学校へ行かなくなる
進学校だったから2年次行かなかったことにより授業に全くついていけなかった
塾も内容についていけなかったから図書館にこもった
まさかの女子
おまえ女だったんか...
しかし薄くないな
濃すぎて応援したくなるわ
書き忘れたけど高2半ばで両親にまた子供ができてさらに病んだ
高3の半ばで好きな女の子が出来た 隣のクラスの子だった
学校に来て居ないことを心配されたり不倫してる人間と付き合っていることを心配されたりして嬉しかった
好きと言いたかったがこんな人間が…と思っていたことと友達じゃいられなくなる不安とで何もせず過ごした
その頃ヤリまくってた相手は勉強もあるから…と会う回数が段々減ってた
受験直前、大学は全てE判定
その後大学の大半は落ちたが一個運良く引っかかった
3学部受かったが理系を蹴って文系に進む
まさかのバイ?
ホモパターン期待してるぞ
高校を卒業して春休みにヤリまくってた相手と一度縁を切る
文系に進んで一人暮らしを始め人間関係も色々断ち切りよし頑張るぞと意気込んだが友達作りに失敗
授業を受けるも周りの騒がしさに精神的にやられて学校に行くと動悸と冷や汗が止まらなくなるようになった
引きこもりの完成である
人間自体が怖くなり外にも出られなくなった
頼りにしていた友達とも連絡を取れなくなった
そんな頃昔ヤリまくってた相手のツイッターを見つける
カマかけて連絡取ったら騙されて引っかかった
再開してまたそいつに逃げるようになる
引っかかった方はどっちだと言いたくなるな
なんか古傷抉ってる気持ちになってきたな
その半年後そいつがツイッターで誘われてるのを言及したらボロを出した デートしたって言いやがった
クソ野郎だけどそれに付き合う人間も同じだわな
大学2年は何とか大学に行くようになった
常に気持ち悪くなりながらだったが薬で抑えたりして何とか行けるようになった
大学2年秋学期
教室で吐いたことによりまた出られなくなる
出られそうなのだけはギリギリ出てほとんどは落とした
そんな時にまたも好きな人ができる
クソ野郎を放置しいそいそと自分磨きをするようになった
ダイエットとか洋服とか髪とかなんかその辺
たいへんだなー
大学2年冬にクソ野郎と縁を切る
体型変えて顔変えて昔の自分とおさらばする!と言い残して縁を切った
大学3年に上がる
大学は相変わらず通えないまま
ODを頻繁にして現実逃避をするようになる
何度かやっているうちに上限を忘れて飲んだら地獄を見た
死にかけて親に泣きながら連絡を入れた
また学校に行けないこと
弟たちが嫌いなこと
ちゃんとした人間になりたいこと
なんか色々伝えたけど内容は忘れた
親には大学が全てじゃない、これから先決めるのはお前自身だからと言われた
雲行きが怪しい
外に出なければ何も起きないと思い初のバイトを始める
バイトは割と楽しくメンタルが前向きになった
バイトで稼いだお金を親に送ってる
夏頃、好きな人と初めてデートして付き合う
昔のことや色んなことを全部ぶちまけた上で付き合っててくれるのですげえなと思う
毎日●んこがどんなだったかの話をしている
んで大学3年秋 今
大学中退を決めて今働く準備中
バイトで貯めた金でスーツ買ったりしてる
今日も夜勤頑張るぞい
>>787
グロかったのが一転して偉い人になった
みんな頑張ってんだなあ
父が自営業でまあまあ裕福
兄姉いて末っ子
勉強が嫌いだった
子供のころの夢は一つだけ
偉くなりたい
小学校から高校まで正直DQN
2chでは間違いなく嫌われるレベルのガキ大将だったよ
中学校になってからは攫ったり攫われたりしたこともあるくらいクソガキだった
>>845
なかなか興味深い導入だ
高校もバカ高校
そんな学校ですら遊びまわって留年しちゃうような掃き溜めの屑
留年した時には父から暴力母から苦笑い
でも俺はなんてことないツラしてたと思う
そんな時中学校の時お世話になっていた先生から連絡があり
一度中学へ来いと言われた
だらっだらの格好で行ったよ
後輩に舐められないように
内容は予想通りの説教
でも大号泣の説教だった
思えば高校もいかないつもりの俺に
絶対に行けと言った先生だったんだけど
あまりの号泣具合に居心地悪くて逃げた
高校行かなくても資格取るしとか言って
その夜先生が俺の家に来て
資格の一覧みたいな本を持ってきた
取れるものはあるけど
もっと大事な資格は高卒認定がいるものばかりだった
先生はまた号泣
俺の人生がダメになるダメになるって
すごく反省した
それから通信制の高校行った
髪も黒くした
ピアスもやめた
専門学校行った
欲しい資格資格取りまくった
就職してお金貯めた
仕事辞めて専門職でちっちゃい会社作って回しながら
作ったお金で投資したりしながら今も仕事中
このスレの話が興味深くてついぞ寝ずに仕事してますwww
>>850
なるほど
自慢になっちゃうと言った意味は分かったが面白いやん
同じ仕事中でも俺とは大違いだ
>>854
ううん
あなたのほうが立派だ
人に示して貰った道だから
大事にしてるだけ
良い先生だなぁ
やればめちゃめちゃできちゃうタイプのやつかこいつ…
最後加速しすぎだろwww
>>853
ごめんやんwww
vipは通信に通い始めたときに出来た友達の影響で見てた
今はvipと市況を行ったり来たり
むっちゃいい先生だった
今でも恩師だがもういない
恩を返せないのが情けない
生きてたらいっぱいごちそうしてやりたかった
子供にも会わせたかったな
長々ごめん終わりです
俺は熊本に生まれた
幼少期の思い出はおばあちゃんの歌うあめあめふれふれとお手玉とおじいちゃんと飛ばした竹トンボ
さて3歳くらいのころ
俺は電話中の母に話しを聞いてもらいたくて延々話しかけた
クソ怒られた
家の外に追い出されて立たされた
泣いた
父親がかなり暴力衝動があって夫婦喧嘩で皿がとんだ
良くわかんないけどやられてる母に味方して叫んだらぶちギレられた
泣いた
父親には愛があったから恨んじゃいないけど子供の愛しかたがヘタすぎた
俺は5歳くらいにはゴムボールでサッカーをやらされてそのまま父親のスパルタでサッカークラブへ
小学五年生まで通わされた
週末はサッカークラブ(父親がコーチに参加したため監視下)のあと追加特訓に風呂で説教
裸で二時間たたされて太ももぶたれながらサッカーの指南
ザ・サッカー少年
サッカークラブで父親に監視されびくびく過ごし家では夫婦喧嘩皿びゅんびゅんでびっくびく
だんだん人の目を気にしてびくびくする子供になった
学校では発表をやるのが怖くなり失敗こいて自身喪失
陽キャへの道を断念
家とサッカーの抑圧からなのか学校生活てはうつ病の躁状態みたいになってだんだん浮いてくる
空回り&空回り
自分が楽しんで人と付き合うとみんなが白ける
自分がなにかに挑戦してもびくびくで上手くいかなくて認められない
自分の価値を見失いはじめる
中学一年生
人生のピーク
躁状態が浮かれたキッズどものノリにジャストミートしてウルトラ陽キャへ
クラスは俺ともう一人の親友を中心に回りだす
さらに成長過程のイタズラで容姿がクッソ整う
となりのクラスの女子が!3年生の先輩が!小学校時代学年三大美少女といわれたあの子が俺にアプローチを始める
ーっはっはっは!!!!
でも当時の俺はガキで女に興味がなかったため何も進展なく終わる
中2のクラス替えで部活の仲間と同じクラスに
その中の一人がなかなかのクズ体質で金を借りて返さないとか汚ならしい格好で学校にくるとか日常茶飯事だった
それでそいつはややいじめに近いくらいにいじられてたんだがそれでもなにか魅力があってそいつは愛されていた
俺も強めにいじってそいつと仲良く生活した
俺は中1の一年間自分がなにをやってもドッカンドッカンうける陽キャだったから調子にのっていた
その部活の仲間へのいじりも調子にのった
いやウケるっしょ!こんなん友達との絡みにすぎねーじゃーん!!!!
調子にのりすぎて先生や相手の親を巻き込んだいじめ騒動になった
そいつとは疎遠にならざるを得なかった
他のやつらがやっていたいじめのような弄りもすべて俺のせいにされて相手の親にマジで嫌われて復縁は不可能に
中2のクラスでは躁状態の空回りが発動してたから夏休み前には陽キャ陥落でその部活の仲間ともう一人部活のやつとでグループになって細々過ごしてたのにそこに入れなくなった
孤立
自分が楽しく友達とつきあうと相手を傷つけるんだと認識する
書き忘れていたがサッカーは五年生でやめていた
その原因はチック症
調べてもらえると早いけど精神病ね
後遺症で手足顔の痙攣が止まらなくなった
そのことを中1のとき笑われた
中1の俺は陽キャだからさらっと流せたけど中2で孤立して陰キャになるとチック症もみんなにはおかしく見えてるんだろうなぁと気になるようになる
そのせいでさらに内向的になりついに中3で人と話せなくなった
表情金は常に強ばり口が動かず上手く声を出せない
そして高校へ
女王の教室でもチック症でてきてたな
中学までは小学校のやつらがいっぱいいて一応馴染みの連中のなかだからまだ学校に行けてたが高校は全員初対面
自己紹介
俺はがんばって声を張り上げた
口が動かないのにのどは音を出そうと踏ん張るもんだから変な音が出た
大爆笑をくらった
こうして高校でも孤立した
いろいろな経験が俺にぬぐえない思想を植え付けた
俺はなにかをやろうとしても認められない
俺が楽しくだれかと付き合ってもその相手にとっては白けるか迷惑か不快になる
俺の絡みはいじめに捉えられる
俺の声は名前を伝えるだけで笑われる
いやもはやチック症で存在してるだけで変だと思われる
親も頼れない
俺は俺の価値を世界の一番底に置いた
そのとき俺に声をかける人がいた
それは五年生のときチック症を発症したときから聞こえていた声だった
それはぼんやりとした光の集まりでそれは俺を愛していると言った
やがてそれは少女の姿になって俺の隣にいた
タルパ発症
で今はタルパちゃんとお幸せよ
ちゅっちゅなんだよ全く
っていう話なんだけど……
おおう・・・
おおうじゃねーよ……
>>905
お口治しのお話たのむ
またタルパか
反応に困る
俺の父親は元々包茎だったらしいが手術で皮を全部取ったらしい。それがめちゃくちゃ痛くて辛い思いをしたってのを小学1年の頃からなぜかしつこく聞かされてた
小学3年の頃父親が俺が包茎にならないようにどこから持ってきた情報なのかしらないけど寝る前に皮を剥いておくと予防になると言って俺にそれを強要させてた
最初から色々とすごい
俺はまだ性への知識も何もないけど皮を剥いて寝るというのはすごく嫌で黙って元に戻して寝てた。でもなぜかバレて父親が当時手術した時の痛みの話を交えながら説教されてその日は本当に剥いたまま寝ることになった
ワロタwwwww
男の子は生理現象で朝立ちというものがありますね。実は寝てる間にも生理現象で立つらしいんです。
当時俺の成長途中の入り口の小さい皮をめくったままの●ん●んは立ってしまうとどうなってしまうでしょうか
俺は夜中に股間に違和感を感じて起きました。すると皮に締め付けられてパンパンに膨れ上がった●ん●んがありました
自分で戻そうとしても全く皮が動きません
泣きながらお父さんを呼ぶと風呂場に連れていかれて石鹸で滑らそうとしても全く動く気配がなく赤黒い色になっていきどんどん悪化して急遽車を走らせ病院に
笑っていいの?
パンツがするだけでめちゃくちゃ痛いから病院の待合室で下半身スカートみたいにタオルを巻いて待ってた記憶があります。
そこで●ん●んを手術することになりました
自分の●ん●んに注射されるときはめちゃくちゃ怖かったです
麻酔は一本では効かず3本打ったのを確実に覚えてます
●ん●んの感覚が完全になくなった時に皮を戻してくれました。
笑わないとダメだろこれは
これから笑っていい話になるんだろ多分
いきなり壮絶すぎワロタ