【昭和の怪奇事件】なぜ作った?昭和の怪しいなロボットたち
東洋初のロボット「學天則」
荒俣宏の小説『帝都物語』にも登場する「學天則」は生物学者・西村真琴教授が製造した東洋初の本格ロボットである。動力には圧縮空気が採用され目や腕、首や胸などを自由に動かすことができた。最大の特徴は文字を書く事で、インスピレーションを得ると右手の巨大なペンを動かすほか、表情を自由自在に動かすことができたという。
製造年は1928年(昭和3年)で、なんと今から90年も前に完成したロボットである。オリジナルは海外に渡ったあと紛失(!)してしまったが、2008年に復刻され現在は大阪市立科学館で展示されている。
朝日新聞に掲載された謎の「象ロボット」
ロボットは何も人間型だけではない。こちらは1932年(昭和7年)11月13日の朝日新聞に掲載された「象ロボット」の写真である。かなり怪しいビジュアルだが、このロボットはフランスのパリで製作された一体で、電気で動き子供を載せて歩くことができたという。
これは当時、フランスの動物園に象が飼われておらず、本物の象の代わりとして作られたもの。なお、フランスは象型ロボットを作ることによほど長けているのか、約80年後の2014年、フランスはナントにある遊園地「マシーン・ド・リル」にて全長12メートルの巨大象ロボが完成した。背中には子供だけじゃなく大人が20名ほど乗れるそうで、80年という歴史の重みを感じてしまう。
日本ロボットの父・相澤次郎の「交通安全ロボット」
゙日本のロボット製造を語る上で、西村真琴教授とともに外せない人物が「ロボットおじさん」こと相澤次郎氏(1903~1996)だ。
相沢氏はその生涯をほぼロボット製造に費やし、700体以上のロボットを製造した。
21歳の頃にはロボットが声を出す仕掛けを発明し特許をとったほか、パンを焼いたり飯を炊くといった非常にユニークなロボットを多数製作している。
1972年(昭和42年)10月19日の読売新聞には「ロボット君と交通安全問答」という見出しでロボットが子供に交通安全を教えている珍妙な写真な掲載されている。
この交通安全ロボットは「九郎君」といいギミックは発声機能のほか、眉毛やえくぼが自由に動き時速5キロ程度を歩くという優れもの。もっとも発声に関しては「人間」が代理で喋っており、電波とワイヤレスマイクで舞台裏から吹き替えているという。
しかしながら表情を変えながらクイズを出題するロボット君の姿は当時の子供たちから見れば大変に珍しく、子供たちは常に興味津々だったという。
相澤氏は1996年に93歳で亡くなり残されたロボットの大半は破棄されてしまったという。
しかしブリキのロボットがそのまま巨大化したようなフォルムの「相澤ロボット」は今もファンの心をしっかりと掴んでおり、改めての再評価が待たれている。
最近は「殺人ロボット兵器」のニュースもあり妙に殺伐としてきてしまったロボット業界。我々現代人は、改めて先人たちがロボットに込めた想いを見直さなくてはいけないのかもしれない。
出典:
朝日新聞縮刷版
読売新聞縮刷版
毎日新聞縮刷版
Text by: 穂積昭雪(昭和ロマンライター/ Atlas編集部)
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