建ったら書く
おっ(´・ω・`)
建ったから書く
色々有って実家を捨てて15年
昨日知らん番号から凄い勢いで着信有り
知らん番号からの電話には基本出ない主義
するとショートメールが入る
○○です。分かるかな?貴方のお母さんが早朝亡くなりました。
私で良いから電話するか電話に出て下さい。
とのメール
オイラはそれでも無視
そして更に知らん番号からも着信
人はいつかは必ず死ぬ
んなもん親でも知らんわ
それに俺は両親が大嫌いで家を出た
死に顔すら見たくないわ
(´・ω・`)
その電話の人は親戚(名字は一緒だが親戚と言う確証は何も知らんし教えてももらえなかった)だがそれでも知らん顔する
(´・ω・`)
何せ親には色々嫌な思い出しか残ってない
小さい頃に兄貴が事故死
棺桶に入ってる兄貴を見せられ俺は恐怖に駆り立てられ記憶も曖昧だが血の気の無い顔で白装束を纏った兄貴の顔が未だに恐怖心になってる
葬儀が終わり勉強机には遺影と遺骨が祀られ眠りから覚めた時に母親は居なく目に入ったのは兄貴の遺影
恐くて恐くて親を探し回ったが居ない
俺は大声を出して泣き叫んだ
隣のオジサンが心配し母親を探しに行った
それを聞いて慌てて帰ってきた母親だったが俺は恐怖心の余りに泣き続けた
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家の前にはひしゃげた自転車が置いてある
そう兄貴の愛車だった
その自転車を見るだけでも恐くて恐くて直視すら出来ずだった俺なのに親父が一言
これ直せるからお前が乗れ!兄ちゃんが大事に乗っていた自転車だから直して乗らないとダメだと
俺は泣いて嫌だと言った
すると親父は怒った
何でだ?お前は兄ちゃんの形見を何だと思ってるんだ?
母親も諭すように俺に言ってきた
俺は小さいながらハッキリ言った気がする
気持ち悪いから嫌だと泣きながら叫んだみたいだ
両親はそれを聞いてかなり落胆したみたいだが処分するとなった
処分するときも連れていかれ一緒に拝まされた気がする
俺の記憶ではやっと目の前から恐い物が無くなると安堵したのをハッキリと覚えてる
そして俺が小学生になるときにも有った
ランドセルは兄貴のお下がり
学習机も兄貴のお下がりと告げられた
その時も全力で嫌がった
学習机は仏壇の代わりに遺影と遺骨が載せられてて机を見るたびにフラッシュバックする恐怖心にかられパニックみたくなった
何せ兄貴の遺影が恐くて恐くて見れない
その時もかなり揉めたみたいだ
それでも嫌だと突っぱねて机もランドセルも要らないし学校へも行かないと叫んでたみたいだ
兄貴→死→恐い
これが完全に植え付けられた
小学校高学年まで兄貴の遺影は直視出来なかった
コピペ釣り乙
コピペでも何でも無いです(´・ω・`)
今日これから何十件も親戚や元居た会社(実家近所)関係から連絡有るだろうなぁ・・・と考えてたら幼少からの嫌な思い出が浮かんで止まないから殴り書きしてるだけですので
(´・ω・`)
良く言われてたのは お前は兄貴と違って本当に勉強も出来ないバカだもんなぁ・・・
兄貴が死んだ後には必ず言われたのが
兄貴頭が良かった 何でお前は勉強嫌いでそんなにバカなんだ?と
高校まで言われたな
高校行く気にもならなかったから中学卒業したら働くとも言った
だから中学の時も勉強は最下位争いの常連だった
だが諭され学校からも言われ嫌々高校受験
数学なんか9点しか取れなかったのに何故か高校合格w
商業高校だったから俺より頭が良くない人が居たみたいでビックリした
通うのは真面目に通いテストはやはり最低近辺だったが何とか卒業し地元の建設会社に親の紹介で入れられた
それからも親は俺を監視下に置くようになってたな
高校の友達は大半が自立し独り暮らし
俺も働いて暫くしてから彼女らしいのが出来て独り暮らしをしようと物件探して下見するも母親の猛反対と親父の母親にならえの姿勢でどうにもならなかった
その時もお前になんか飯も作れないだの仕事に差し支えるだのどうせ女絡みだの何だの山程言われ絶対に家を出る事は許さんの一言
独り暮らしは諦める事しか出来なかった
何かをしようとすると全て反対された俺には何も出来ない人間になるしか無かった
20才の時に初めて彼女が出来た
色々複雑な感じで友達関係にも支障が出てしまったけどその女を選んでしまった
当然親には内緒にしてた
夜中には自宅に帰っての繰り返しをしてた
彼女は独り暮らしで毎日行ってた
その日も遊びに行って夜中に起きて帰るつもりだったのが寝過ごして朝に帰宅
母親が鬼の形相で待ってたよ
一言だけ言った
仕事終わったら真っ直ぐ帰ってこい
話があると
仕事が終わり帰ってきた
母親は座れと一言
何処で何して朝帰りしたのか問い詰めてきた
仕方なく全部言ったよ
そーすると全てが気に入らん!先ずはその女連れてこいと
それは出来ないし嫌だと突っぱねた
それを聞いた親父が激怒し殴る蹴るが始まる
俺は暴力は嫌いだし殴る位なら殴られてた方が良かった
そこから正座させられ説教が始まった
解放されたのは深夜だった
その後も俺は彼女の家に行き勝手な生活をしてた
母親からは相手の勤務先を教えろだの何だの言われたが絶対に言わなかった
暫くして明日連れてこいと言われた
彼女も独り暮らしで大変だろうからご飯一緒にしてやるとの事
何の疑いもなく俺は連れていった
これが間違いだった
彼女は緊張し会話すら出来ずで終わり終わったので送って早くに帰ってきた
帰ってきた俺に母親が一言
なんだい?あの根暗?話しても何にも喋らないし挨拶もしないしごちそうさまでしたの一言もなかったとヒステリー
いや、挨拶もごちそうさまもちゃんと言ってたけど?
いーや!言ってない!私がそー言うんだから間違いない!
あんな礼儀すらきちんと出来ない女はアンタには不釣り合いだ!
もう連れてくるな!
俺は久しぶりに大声を上げて怒鳴った
ふざけんな!自分が気に入らないからって適当な事言うな!
それを聞いた親父が激昂し言い合いになった
話にならんから俺は部屋に行った
親父が追いかけてきて怒鳴りながらドアを全力で叩いてきた
それから数日両親とは口を聞かず無視する日々が続いた
その間は仕事が終わったら俺は真っ直ぐ彼女の家に向かい夜中に家に帰るを繰り返した
何日か過ぎて彼女の所に行ったら部屋は真っ暗で彼女は泣いてた
理由を聞いても何を聞いても言えないし話さないと
ただ言ったのは○○君に聞いてと一言言っただけだった
そのまま友達の所に言って何を言ったと聞いたら彼女の勤め先と名前を聞かれたから教えたと・・・
お前がちゃんとしないから悪いんじゃ無いの?と
いやいや、これこれこうで話にならんから親には関与させないようにしてると全て友達に話した
友達はマジかー・・・
悪いことしたなぁ・・・
と、しかしお前も悪いよ
しっかりしなきゃダメだと言われたが同情もされ彼女家に行き話をした
何とか仲直りも出来たが約束はさせられた
お泊まりは了承を取れたらにしてねと
次の日曜日は一緒に居たいねって話になったので親に誠心誠意話して泊まりの許可を貰おうとしたが当然却下
それが最後だった
>>17
友達最低だなこれw
読んでます
その翌日彼女が勤めてる先に母親が行き電話番号書けと紙を渡し電話番号を書かせ夜に電話をし彼女に別れるよう言ったらしい
かなり強い口調でね
それを知らなかった俺は翌日の仕事帰りに彼女家に行った
相当言われたらしくかなり堪えてて、もう別れて下さい私と貴方は釣り合わないし貴方の親が恐いと言われた
俺は真っ白になった
その日は彼女に諭されて家に帰った
帰った時の母親のそれ見た顔は今でも脳裏に焼き付いてる
因みに母親の普段の行動を書く
自分がトイレに起きた時には必ず俺の部屋のドアを開けて確認する
これは毎日やられた
俺が何歳になってもね
俺が居ない間に部屋に入りそこら中調べる
タンスやカラーボックスの果てまでひっくり返して調べる
最後にやられたのは車の鍵を勝手に持ち出しスペアをつくり出張でいない間に車の中まで調べ尽くす
会社に電話し勤務状況から何から何まで聞き出す
友人関係やら仕事仲間(近所)にまで話を聞き出す
まだまだあるが思い出すだけでも嫌になるので
見てるぞ、思うまま吐き出せ(´・ω・`)
その後その彼女とはやはり上手く行かなくなり別れてしまいました
初めて出来た彼女で舞い上がってた自分も居ましたがでもやっぱり好きだった
暫くして友達が女の子を紹介してきた
付き合うとかそんな気持ちにはなれなく紹介されて終わったって感じで関わりも無く数ヶ月が過ぎた時だった
深夜に1人ドライブしてて何気に前を走る車に追い付いたら友達が紹介してくれた女の子の車だった
大して気にもせずに追い越して走り去ろうとしたらその車も何気に追いかけて来てた
ん?って思って自販機ある駐車場に入ったらその車も入ってきた
お互いにお久しぶりとなり女の子にコーヒー買ってあげた
女の子は趣味の習い事の帰りでこれから帰宅だったらしく少し話して終わったけど何となく彼女の住む街まで二台で走ってった
彼女の住む街に着き帰ろうとしたら彼女が止まって窓を開けて、まだ帰らなくても良いから乗せてと
二つ返事で車で流すか?と
彼女は実家近くの駐車場に車を置き助手席に乗ってきた
その時は久しぶりに楽しい時間を過ごし会話も弾んだ
彼氏彼女とかじゃなくて普通に友達みたいな感覚でスゲー楽しかった
それから週に一回彼女の習い事の帰りに合わせて彼女を横に乗せて深夜にドライブするのが続いた
暫くしてから紹介してくれた友達から連絡が
あの女の子どうだ?との事
友達の彼女が気にしてるらしくその後どうなったのか聞いてくるらしく俺は会ってる事すらしらばっくれて知らないと言った
友達がんじゃ来週の金曜日彼女連れて来るから皆で飯を食べようとなった
その前日に彼女に会って遊んでる事は内緒にしておこうとなり深夜ドライブから帰った
食事当日になりお互いに久しぶりって形で会ったが我慢出来ず二人で吹き出した
実は・・・と友達と友達の彼女に話をしたら怒り出したが店を出てお互いに自由行動
夜景が見える場所で彼女に一言
正式に付き合って下さいと告げると凄く喜んでくれた
暫く抱き締めてたのを覚えてる
以前のような付き合い方をするとまた同じ繰り返しになると分かってたから親には普通に彼女として紹介した
隠しもせずにね
彼女は凄く明るく活発で日曜日にドライブに連れて行く時には弁当まで作って持ってきてくれる頑張り屋さん
愛情深くていつも手を握ってくれてて気の聞く彼女だった
ただ問題は彼女の両親だったのと俺の両親の行動
明るく活発でハキハキした彼女は両親にすぐ気に入られた
特に母親はお気に入り
話は合うし愛想も良いと
会うのはほとんど俺の部屋に来てた
趣味の習い事の前に寄り帰りは夜中に彼女の街でドライブ
ただ、家には問題が合った
両親共々彼女が来てたらおー!と言っていきなりドアを開ける
ノックすらせずにね
それには彼女も驚いてた
親父も母親も関係無くいきなりね
彼女はそれは気にしてて俺はやんわりとだが両親に伝えたが両親は人に見せられないような如何わしい事でもしてんのか?
開けて何が悪い?
しか言わない
頭おかしいだろ?と言えば逆ギレに近いような事しか言わず話にならない
彼女にはごめんねあんな親でと毎回謝ってた
付き合い始めて1ヶ月過ぎた頃に彼女家に招待された
彼女のご両親は在宅してるから来てと
彼女家に行くと親父さんは出掛け母親は出てきたが挨拶するも挨拶だけで部屋に戻ってしまい最悪な状態
彼女に促されるがまま部屋に上がり彼女がごめんねと
気にしないで良いよ
女の子の親だから仕方ないよと
帰り際にも大きな声でお邪魔しました失礼しますと言うも返事すら無く帰宅
暫くそんな事が続いたが付き合い続けたが自分の思い上がりのお陰で破局
そこからは何年も彼女すら居ない仕事人間になってた
>>29
なんでこの彼女と別れたのか。なんで彼女の親はそんな感じだったのか。
良かったら書いてくれ。
>>98
う~ん・・・(´・ω・`;)
自惚れですね(´・ω・`;)
相愛だったのに途中からこちらが勘違いし自分に惚れてるんだと勘違いしたのがそもそもの原因です(´・ω・`;)
最後に来た時は髪をバッサリと切ってました
別れを言われた後1週間位まともに眠れず飯も食えなかったのを覚えてます(´・ω・`;)
親が嫌ってた理由はその当時季節労働の仕事が原因ですね(´・ω・`)
冬になると一時金の手続きをして休むか出稼ぎに行くかでしたので・・・
一応建設会社で社員を目指して勉強して資格を取る準備もしてたなぁ・・・
建設会社が倒産し職を失い近所の知り合いから声がかかり仕事を紹介された
仕事は地方ばかりでほとんど出張の仕事だったが雇ってもらえるならとお願いした
徒歩で通勤出来る圏内だったので歩いて出社してた
出張先で必死に仕事習いながら仕事を覚え部屋を空ける毎日だった
で、週末に家に帰ると部屋の中は両親が趣味で育ててる鉢植えが山積みになってる
両親曰く陽当たりが良いから置いてると
俺には帰る場所すら無くなり始める
そして夜遅くに帰るから鉢植えが全ては無くならない
その鉢植えにはサボテンがある
夜中にトイレに起きる時に何回か刺さり翌日に怒って文句言うも陽当たりが良いから他の場所がないから我慢しろの一言
ただただ呆れるしかなかった
女っ気も無くなりずっと過ごしてたある日の休み
自宅で飯を食ってた時に母親が一言
いつになったら孫抱かせてくれるんだろう
なんでこんないい男に彼女が出来ないのか不思議だ
出来る事なら母さんが結婚して子供産んでやりたいとまで言い出した
俺がこの家族に違和感と殺意を抱いた時だったよ
本気で気持ち悪いしぶん殴り続けたくなったよ
息子溺愛が故の母親なんだろうがいちの気持ちは当然だ
よく我慢してたと思う
遺産があるかもしれんね
その分配で話があるのかもしれない
>>34
そんなもんは郵送でハンコポンで終わるよ
下手に放置して大借金を相続させられたら目も当てられないけど大丈夫?
後から仲の良い親戚のおばちゃんから聞いた話だが、息子には紋付き袴を着せて盛大な結婚式をするのが夢で孫が産まれたら私が育てると親戚中に言い回ってたと
兄弟だから知ってるけどあんたの母さんは酷かったんだよとも言ってたな
兄弟の中でも一番聞かない人間で見栄っ張り
兄弟の悪口も言い振り回ってたと兄弟のほとんどが言ってる
親を選べないとは言え俺が抱いてた違和感はこれなんだなと確信した
母親は何かある度にあの親戚の所には絶対に行くな
この親戚は悪口ばかり言うからダメだ!
悪口を言って自分で自分を追い詰めてたのは母親だった
都合が悪いと自分の家族には嘘を言い自分に良い事しか言わず嘘で固めてた
これを知った時は大変だった
母親だけでは無く親父も酷い人間だったな
親父が仕事先で知り合ったババアと浮気
俺は最初の頃は親族と教えられて知らなかった
母親との仲は悪くは無かったが母親公認みたいな形になってたのが許せなくなったな
毎週土曜になったらそのババアの家に行って深夜に帰宅
一番酷いのは親父がそのババアを家に連れてきて酒飲んで帰れないからお前が運転しろと運転手させられた事
悪びれもせずに、おいお前運転して乗っけてけ!
母親も母親だが親父も親父だ
母親も俺に送ってやってと言ってきたのが信じられなかったわ
その後長期的に出張になった時に母親が入院
電話してきて言った一言が衝撃的だったな
私はもう長くないかも知れないからダメだったらあの人に来てもらってね・・・
は?そんなに死にたいならさっさと死ねば良いだろ?
あんなババアが来るならこっちは出てくから心配すんな!早く死ね!って電話切った
その後回復し退院し何事も無い日常になったが
親父は毎週末ババアの家に通ってたな
それから数年して浮気相手のババアは亡くなり親父は家に落ち着いたが俺は親父が死んでも許さない
話は色々飛んでしまったけど今は蒸発同然でかなり離れた土地に今は住んでるよ
何を言っても何をしても無駄だし聞く耳持たなかったからね
俺があの場所のセットみたいな物扱いだったし1人の人間と言うより自分等の物としか見られてないようにしか思えなかったから
そして何とか結婚も出来た
入籍だけなんだけどね
嫁さんにはいつも迷惑ばかりかけてるけど出来るだけ笑って貰えるように頑張ってます
すっかりハゲてしまったけどw
嫁がハゲハゲ言ってくるけどデブデブ言い返してるw
見てくれたみなさんすみませんでした
どうしても誰かに聞いてもらえたらと思い書いてしまいました。
駄文で申し訳ありませんが母親が亡くなったと知り思い出してしまい書き込んでしまいました
m(_ _)m
おつおつ、ハッピーエンドで良かったぜ
(親戚から連絡くる時点で蒸発できてないやんけ…)
>>43
だから蒸発同然と申してますので・・・
遺産等が有っても受け取るつもりも無いし書類が来たとしたら手続きを踏んで全て放棄します。
もう関わりたく無いですしね。
実家ももし空き家になれば親父の弟夫婦に譲る頭でいます。
叔父さんの事は好きだったのに母親が色々拗らせて半絶縁状態だったので。
叔父さん子供好きで小さい頃はいつも遊びに連れてってくれたりドライブに連れてってくれたりした良い想い出があるので。
兄貴が死んでからも遊びに連れてってくれたのは叔父さんだったもなぁ・・・母親は何が気に入らないのかスゲー馬鹿にして嫌ってた
>>44
書類が来たとしたらと言える(住所を隠し通すわけではない)なら、
相続がらみの不利益は心配ないか。
家を出た経緯と父親の話が気になりました
>>48
家を出た経緯ですか?
(´・ω・`)
書いたように母親が気持ち悪いのとここが巣だと言う親の過度な縛り付けですかね?(´・ω・`)
そして守りたいと思った人が出来たからです
(´・ω・`)
ただ逃げたと思うなら思って下さっても構いません(´・ω・`)
これをきっかけに叔父さんとはまた縁しても良さそうだけどなーなんて独り言です
忌まわしい過去を消したり変えたりはできないけど未来を作るのは自分だもんね
>>65
基本的に母親に言いくるめられて叔父さんを疎遠にしたバカ親父なんすよね(´・ω・`)
放って置けば仲良くなるとは思いますが親父が死ぬまでノータッチでいます(´・ω・`)
まぁ、何にしてもあの家にはいくら肉親とは言え関わらないと思いますが
(´・ω・`)
素晴らしい
親だから葬儀くらい出ろとか関係ない、親だろうがクズはクズ
1に幸運を
>>70
ありがとうございます
今の嫁さん(バツイチ子供無し)と限りある時間を大切に生きていきます
(´・ω・`)ゞ
>>1
ハゲてしまッたん?
>>72
えぇ(´・ω・`;)
若い頃から人よりは広かったのですが入籍した時には既に手遅れでした・・・なので逃げられる前に今日入籍しよう!と何の予定も無かった日に入籍
嫁はいつも入籍した日を間違います(´=ω=`)
親孝行って何なんだろうね
1の様に感謝のかの字も感じれなければ別にしなくても良いのかな
それとも今ある幸せは元を辿ればで何かしらお返しはすべきなのか
>>73
親孝行は求められてするものじゃないと思う
殆どの親がそうとは言えないが、親孝行を子どもに無言の圧力で強いるような人が多くなったような気がする
親孝行は老後に与えられる子育ての成果というのかな?
どんな親でも親は親という論理で親孝行はしたくないよ
>>74
確かにそうだね
「現在があるのは〇〇のお陰」的な先祖に手を合わす感じの思いが親への恩返しの発露だよね
という事は現在の状況に素直に感謝を持ててるかどうかだろうね不満がある人はそんな風に思えないだろうし
それを誰にでもわかり易く形式ばって「初任給が入ったら~」とかってしちゃうからしなくちゃいけないってなるんだね
何でも形式になるとシンプルでわかり易いけどそこに感謝の思いがあるかどうかは二の次になってしまいそうだねー
1が酷い親だと思いながらも母親って呼んでるのも一つ親孝行だなって思うよ
>>78
そうそう
本当に嫌なら「母親」と呼ばないはず
物質的な親孝行より精神的な親孝行の方が重さが違う
言葉だけでもいいんだよね
私は…母親を温泉旅行に連れて行ったことあるけど、それ以上に言葉だけの親孝行もしたけど
温泉旅行以上に、泣いて喜んでいたな
>>74
同意です(´・ω・`)
いろんな家族があるんだね
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学費とか出して貰えない環境の人もいるからそういうのでは困らなかっただけいいっていう気持ちもあるけど、自分の自由とか普通の暮らしはどこ行ってしまったんだろうと思う。
こいつ頭悪すぎるだろガイジか?
ハイハイ不幸だったねかわいそうでちゅね〜って言ってもらいたいんだろな
家を出て15年という割りに文章が幼いし、相続の知識も全然ないし。
> 遺産等が有っても受け取るつもりも無いし書類が来たとしたら手続きを踏んで全て放棄します。
ここら辺とか。
両親死亡で子供一人なら法定相続人一人だけだし、自分でやらなきゃ誰も相続の手続きなんかしてくれないだろう。いらないならさっさと相続放棄の手続きしないと自動的に相続した事になってしまう。
こういう人達こそ福祉の対象になるべきだと思うわ
するとたぶん社会が安定する
毒親育ちには短く話をまとめるのが苦手な人多いと思う。
子供の頃親に相手してもらえなかったから
話したい欲求が先走っちゃうと思うのよ。