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若きミケランジェロの窮地を救ったのは古代ローマ彫刻の贋作だった!? : カラパイア

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 芸術家の生涯に共通点があるとすれば、それは新進気鋭の創造性を有していることだろう。 彼らは新しいアイデアを表現しようと、さまざまな革新的技法に挑んできた。なかなか受け入れられず最初は資金繰りに苦労するのも常だった。

 かのミケランジェロも例外ではない。今では類まれなる偉大な芸術家の1人として知られているが、若き日のミケランジェロはパトロンの死後、新たなるパトロンがつかずお金に困っていた。だが彼は天才である。

 そのキャリア序盤において幾ばくかの金を稼ぐ天才的な方法をがあった。
 当時大変流行していた古代ローマ彫刻の贋作を作ることにしたのだ。
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パトロンの死去により苦境に立たされる若き日のミケランジェロ


 1496年、21歳のミケランジェロ・ブオナローティはローマに移り住んだ。その前の4年というもの、パロトンであったロレンツォ・デ・メディチが老齢で亡くなったことから、散々な目に遭っていた。何しろフィレンツェ一の実力者が亡くなったのだから、町全体が政治的動乱に飲み込まれたのである。

 メディチ家側にある者たちにとって町は安全な場所ではなくなった。そこでミケランジェロはイタリア中を周り、金回りのいいバイヤーの関心を買おうと骨を折った。そうせねばならなかったのは、何も彼が名門出身ではないという理由だけではない。


当時は古代ローマ美術品が最も注目されていた


 幾世紀も繰り返されてきたことではあるが、ほとんどの裕福なイタリア人が、ミケランジェロのような最新アートよりも、”古代芸術”や”古典”といったものをありがたがる傾向にあったことも一因だ。

 15世紀後半のイタリアにおいて、コレクター垂涎のアイテムは古代ローマの彫刻だったのだ。

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古代ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスをモデルとした大理石像

古代ローマ芸術をコピーしはじめるミケランジェロ


 苦境に陥ったミケランジェロは、後に『キューピッド(Sleeping Cupid)』と知られるようになる彫刻を作成することにした。

 そして当時流行していたローマ古代芸術のコピーを進めた。おそらくメディチ家の庭園にあった古典作品をモデルにしたのだと思われる。

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バチカン市国、サン・ピエトロ大聖堂に展示されているミケランジェロ作、ピエタ像

古代ローマ彫刻と見せかけ高値で売ることに成功


 ジョルジョ・ヴァザーリの著書『ルネサンス彫刻家建築家列伝』には、完成した作品はメディチ家のピエルフランチェスコ・ディ・ロレンツォに披露された。すると、「これを埋め、発掘品に見せかけた上でローマへ送れば、間違いなく古代芸術として扱われるであろう。さすれば、ここで売るより、ずっと高値がつく」と言われたと記載されている。

 ヴァザーリによると、その後の成り行きについてはいくつかの食い違いがあるという。

 ミケランジェロがロレンツォに命じられて自身でローマの丘に埋め、発掘品に見せかけたという説もあれば、一旦、バルダサーリ・デル・ミラネーゼという美術商に売られ、バルダサーリが酸性度の高いぶどう園に埋めたとも言われている。

 いずれにせよ、完成した彫刻は当時美術通として知られていた、政敵であるラファエロ・リアーリオ枢機卿に古代ローマの彫刻として売り払われた。この企ては一旦は成功したのだ。


結局贋作だとバレるのだがその理由は諸説あり


 が、やがてバレる。リアーリオに感づかれたのだ。
 だが、これについても説明が食い違っている。

 『Renaissance Quarterly』に2005年に掲載された記事には、リアーリオ本人がおかしいと気づき、フィレンツェに使者を送り、調査に当たらせたとある。そしてミケランジェロが「最近の作品の中からキューピッドに言及し、稀に見る優雅な手つきで描いてその芸術的資質をさらに証明してみせた」という。

 対照的に、1923年の『Boston Daily Globe』の記事によると、ラファエル・サバチニが『The Life of Cesare Borgia』の中である逸話を紹介しているという。

 それによれば、リアーリオ枢機卿は推薦状を申し出るために、ローマの自宅にミケランジェロを招いたのだという。ミケランジェロを感心させ、親しくなるために枢機卿は彼の所蔵品を披露することにした。

 そして骨董品の類が並ぶ中、ミケランジェロはキューピッドを発見し、すぐさま自分の作品だと主張した。こうして贋作であることが発覚した。

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本物の古代ローマのキューピッド(Sleeping Cupid)彫刻。ミケランジェロのキューピッドは1698年、ホワイトホール宮殿の火災で破壊されたと考えられてる


結局天才なので、いつかは認められる


 実はこの取引における陰謀は、それだけではない。ミケランジェロがキューピッドを前出の美術商、ミラネーゼに売り渡した時、30ダカット金貨が支払われたと言われている。

 しかしリアーリオ枢機卿は、ミラネーゼに200ダカット金貨を支払っていた。ミケランジェロは170ダカット金貨を手にし損ねていたのだ。
 
 だが彼は天才である。見る人が見ればその才能がわかるのだ。ミラネーゼが詐欺のかどで料金の返却を求められた一方、微々たる対価しか得られなかったミケランジェロはその腕前を認められ、リアーリオというパトロンを得た。これが彼のキャリアを上向かせることになる。

 ミケランジェロのキャリアは一気に加速し、キューピッドの作成から間もなく有名な『バッカス像』を完成させる。『ピエタ』はその2年後だ。

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ミケランジェロ作『バッカス像』(1497年)バルジェロ美術館

 また件の贋作作成から5年後には『ダビデ像』の製作依頼を受け、その7年後には足場に寝そべって天井を見上げながら、歴史的な傑作となるシスティーナ礼拝堂の天井画を描いていた。

 キューピッドについては逸話しか現代に伝わっておらず様々な説がある。

 返金を迫られたミラネーゼは、作品を引き取った。が、その時までにはミケランジェロの名声も多少は高まっており、すぐに買い手が見つかった。そしてミケランジェロの真作として高値で売られた。

 その後、幾人かの持ち主を転々とし、最後はロンドン、ホワイトホール宮殿のチャールズ1世の手に渡る。だがここで1698年の火災によって消失した。

via:thedailybeast / atlasobscuraなど/ translated by hiroching / edited by parumo
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コメント

1

1. 匿名処理班

  • 2017年12月12日 20:33
  • ID:Jj1T3ToR0 #

パロトンになってますよ

2

2. 匿名処理班

  • 2017年12月12日 20:40
  • ID:4pebPB8H0 #

やっぱ天才と変人は紙一重かもしれん

3

3. 匿名処理班

  • 2017年12月12日 21:14
  • ID:GvRmNYWd0 #

贋作しか作れなかった人と違って才能ある人が
食うために一時しのぎで作ってたんだったら
偉人の技法を学ぶ意味で良い勉強になったと思う。
古代ローマの偉人の能力を吸収したミケランジェロとか
もう誰にも超えられんわ。チートすぎやろ。

4

4. 匿名処理班

  • 2017年12月12日 21:18
  • ID:s3qWXi1e0 #

今だとアウトな出世法だけど、結果的にそれで花開いた才能と思えば…うん、ミケランジェロについては良かった。

5

5. 匿名処理班

  • 2017年12月12日 21:33
  • ID:j8Uk8ca70 #

子供の時、ミケランジェロのダビデ像を見て、胸をドキドキさせたのは俺だけだろうか?

6

6. 匿名処理班

  • 2017年12月12日 21:51
  • ID:p8TJu2q40 #

ラーメン二郎の名を騙って店を出したら客がついたので、
「二郎系ラーメン」と看板を掛け直したラーメン屋みたいなもんかな。

7

7. 匿名処理班

  • 2017年12月12日 22:56
  • ID:VuY6E3D00 #

ギャラリー・フェイクで読んだ。

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