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『1988年に発表され、発売されたのは1990年11月というフライング発表をした『スーパーファミコン』その真相を当時の開発チームが語っている記事』が掲載中。 - [ゲーム]任天堂関連記事

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『1988年に発表され、発売されたのは1990年11月というフライング発表をした『スーパーファミコン』その真相を当時の開発チームが語っている記事』が掲載中。

1988年に発表され、発売されたのは1990年11月というフライング発表をした『スーパーファミコン』その真相を当時の開発チームが語っている記事が掲載中。完全にPCエンジンやメガドライブを意識したものだと思われていたものの・・・


「スーファミは今後1年間発売しません」
 続いてセミナーの第2部では、立命館大学ゲーム研究センター副センター長の中村彰憲氏がモデレーターを務めるパネルディスカッションが行われた。
 ここでは、かつてゲーム市場でプラットフォームのリーダーシップを担ったスーパーファミコンとPlayStationについて、同じ項目を振り返って比較する「比較事例研究」という手法が採られた。


 2つのプラットフォームの当事者である上村氏と久夛良木氏に加えて、このパネルディスカッションではより中立的な立場であるゲームメディアを代表して、株式会社Gzブレインの代表取締役社長である浜村弘一氏が加わった。
 ちなみに浜村氏もまた、立命館大学映像学部の客員教授を務めている。


浜村弘一氏
 最初の比較項目は「ゲーム機発表時の反響」だ。まずはスーパーファミコンの発表時に、1989年当時の『ファミコン通信』に掲載された記事が紹介されたのだが、その内容はというと、任天堂が「スーパーファミコンは今後1年間発売しません」という発表を行ったという、衝撃的なものだった。


 この件について聞かれた上村氏は、「SRAM【※】が手に入らなかった」ためにスーパーファミコンの量産に遅れが生じて、発売が延期されたという内情を明かした。
 この当時は各社が発売していたワープロ専用機が人気を集めており、半導体を製造しているメーカーとしては自社の製品に対して優先的に供給することになる。そのためスーパーファミコンの部品用にまでは回ってこなかったという。



※SRAM……半導体メモリの一種でStatic RAMの略。消費電力が低く高速で読み書きできるのが特徴で、スーパーファミコンではビデオメモリに使用されている。画像はNESクローンに使われていた2K×8ビットSRAM

 「しかたがないのでこういう発表をしただけで、別に期待を煽っていたわけではない」と上村氏。
 その一方で「おかげで1年という開発期間が確保できたので、ハードやソフトを練り込む時間が取れたのはありがたかった」とも語っていた。

 一方、スーパーファミコン発表時の印象について聞かれた浜村氏は、「ファミコンの後継機種として期待がかなり大きかった」とした上で、「機能面では画面の拡大・縮小や回転が、それまでのゲーム機にはなかったものだけに、特に目新しかった」という。

 上村氏はスーパーファミコンの開発において、社内からの提案を最終的にまとめる立場だったそうだが、現場の担当者のイチオシも、じつは拡大・縮小機能だったという。上村氏によると、この機能を入れてもコスト的にはあまり変わらないが、そのわりには目立つ機能だったので、それなら入れようと決めたとのこと。

 スーパーファミコンの開発を振り返った上村氏は、スーパーファミコンをどのようなコンセプトで作るか社内で議論した際に、2つの異なる考え方に分かれていたことを明かした。1つはディスクシステムをもっと改良した家電的なハード、そしてもう1つはROMカートリッジを使用して従来のファミコンをより強化した形だという。

 最終的には「中身スーパー、外ファミコン」というコンセプトで、従来のファミコンのイメージを引き継いだ形にすることを上村氏が決定したのだが、その決め手となったのは拡張性だったそうだ。
 ROMカートリッジの場合、その中に特殊チップなどを搭載することで、さまざまな機能拡張が可能になる。そしてもう1つ、ROMカートリッジはローディングのプロセスがないことも大きかったと、上村氏は語っていた。


・・・としていて、回転拡大縮小がコスト的にもそれほどでもなかったというのは意外ですね。あれでPCエンジンやメガドライブに決定的な差をつけて、後に出したメガCDでは搭載したものの、設計上かなり無理をして載せたのでかなり処理が遅かったので、専門の設計でないとだめだったんでしょうね。当時のワープロブームによって、SRAM不足が起こったというのが言い分ですが、その割には任天堂のロンチは僅か2本、しかもサードタイトル不足に陥り、ファミコンの後継機でありながら当初は売り上げが余り大きくなかったですから真相はどうなのか?


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