1975年「天井裏強盗事件」
こちらは1975年6月24日の毎日新聞に掲載された記事である。
同じアパートの住民の部屋へ天井裏を伝って忍び込み盗みを働いた19歳の少年が上野書へ逮捕されたという記事が出ている。
少年は同じアパートに住む部屋へ天井裏を伝い侵入し金品を盗んでいた、という。
警察の調べによると少年は逮捕までに12件、合計30万円相当の金品を盗んだ疑いが持たれている。
少年は実室の押入れの天井板を外し天井裏を伝い各部屋へ侵入。日常的に盗みを働いていたとされる。
当初は警察もどこから犯人が侵入したのかわからなかったが、押し入れの天井板が外されたため警察官が登ってみたところ、少年の借りている部屋の周辺の天井板にはホコリがなく板をずらした跡もあり警察は少年を窃盗容疑で逮捕したのだ。
盗みを働いた動機は少年には最近、婚約者ができたため。「デート代が欲しかった」と容疑を認めている。
1953年「天井から血が!」昭和の猟奇事件「バー・メッカ殺人事件」
犯罪学の有名な用語に「アプレゲール犯罪」というがある。
これは戦前に確立された価値観が崩壊した時代において道徳観を失った若者による犯罪が頻発しがちな現象を表した言葉である。
その「アプレゲール犯罪」の代表とされる事件が今回ご紹介する「バー・メッカ殺人事件」である。
1953年7月28日の朝日新聞に「バーの天井から血潮 知らぬ男の死体」というおどろおどろしい記事が掲載されている。これが後に「バー・メッカ殺人事件」と呼ばれる猟奇事件の第一報である。
記事によると7月27日の夜8時頃、営業中の東京・新橋のバー「メッカ」の天井(屋根裏)から血が滴り落ちてきた。驚ろいたバースタッフが天井を開けてみたところ茶色のズボンに白いワイシャツの男の死体が毛布にくるまった状態で発見された。
警察の調べによると男には鈍器で殴られた傷が顔や頭に10箇所あり首と両足は電気コードで縛られていた。
警察は犯人として殺された男に恨みがある元証券会社社員だった正田昭、および行方不明になっていたメッカで働いていたボーイら計3名を指名手配した。
報道されてすぐ1名が出頭、8月4日にもう1名が出頭。主犯と思われる正田は日本国中を逃げていたが約3ヶ月後の10月12日に京都で逮捕された。その際、正田はうっすらと笑みを浮かべていたとされる。
正田は非常に頭が良く家庭は裕福、さらには高身長の美青年と言う風体で非常に目立つ男であった。
また慶應義塾大学卒のインテリらしく正田は警察からの尋問に対しても「ただナット・ギルティ(無罪)を主張します」と英語交じりで答えるなど非常にキザな性格でもあった。
正田は当初は犯行を否定していたが徐々に犯行を自供するようになり犯行から10年後の1963年に最高裁で死刑が確定。
その後の正田は女性と文通をはじめたほか、カトリックの洗礼を受けるなど充実した日々を過ごしたほか、獄中では趣味として小説を執筆するようになり、彼の書いた小説『サハラの水』はとある雑誌の新人賞候補にもなった。
死刑確定から6年後の1969年12月9日、正田の死刑は執行。かつての美青年も死の際には40歳の中年になっていた。
死刑囚が獄中で小説を執筆したケースには「永山則夫連続射殺魔事件」の永山則夫がいるが、この「バー・メッカ殺人事件」は永山の事件よりも古く、犯行現場が新橋のバー、猟奇的な手口、そして犯人の優れたルックスと文才から「アプレゲール犯罪」を代表する事件となった。
天井裏で巻き起こった2つの事件。
共通点こそないが、彼らは小説『屋根裏の散歩者』の犯人と同じく若い男性であった。
昭和の屋根裏には世の若者を掻き立てる「危ない魔物」が住んでいたのかもしれない。
出典:毎日新聞縮刷版、朝日新聞縮刷版
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