「朝日新聞阪神支局襲撃事件」記者の命を救ったひとつの財布【昭和の怪奇事件】

2018年03月10日：22:00

ドラマ化された「テロ事件」と「ひとつの奇跡」

2018年1月16日、元朝日新聞記者の犬飼兵衛（いぬかい・ひょうえ）氏が、急性心臓死の疑いで香川県内の病院で死去した。73歳だった。

犬飼記者は1987年に発生した「朝日新聞阪神支局襲撃事件」の被害者として知られ、重症を負いながらも、その後20年に渡り朝日新聞の記者として働き続けた「伝説の記者」として有名である。

「朝日新聞阪神支局襲撃事件」とは1987年5月3日、朝日新聞阪神支局２階の編集室にテロリストが押し入り、犬飼記者を含む2名の記者が散弾銃で襲撃された事件だ。
最近では2018年1月に草彅剛主演でドラマ化もされたため、ご存知の方も多いと思う。

今回は事件発生から30年が経過した「朝日新聞阪神支局襲撃事件」および事件当日、犬飼記者の命を救った「ひとつの奇跡」をご紹介しよう。

卑劣なテロ行為…朝日新聞阪神支局襲撃事件

まずは朝日新聞阪神支局襲撃事件がどのような事件だったのか、簡単ではあるがご紹介しよう。

本事件は「赤報隊事件」とも呼ばれており、「赤報隊」を名乗る犯人が起こした一連のテロリスト事件の総称である。1987年1月24日、朝日新聞東京本社のビルに散弾2発が撃ち込まれた事件を皮切りに、兵庫、名古屋、静岡の朝日新聞の支局が狙われ、最終的には中曽根康弘、竹下登の元首相らが脅迫を受けたとする事件だ。

事件の多くは未遂行為で終わっているのだが、唯一、重症者と死者を出したのが「朝日新聞阪神支局襲撃事件」だ。

1987年の憲法記念日、5月3日の夜。朝日新聞の阪神支局２階の編集室に目出し帽の男が押し入り、無言で散弾銃を発砲。銃弾は編集室でくつろいでいた小尻知博記者（当時29歳）、犬飼兵衛（当時42歳）に直撃。小尻記者は左脇腹を撃たれ翌日の４日未明に死亡。犬飼記者は右手の小指と薬指を失う重症を負った。

警察は犯人である「赤報隊」の正体を懸命に追ったが、尻尾を掴むことはできず、阪神支局襲撃事件は2002年5月、残る事件も2003年3月までに全て公訴時効を迎えてしまっている。

「死んどったかもしれん―」犬飼記者を救った妻の奇跡

さて、散弾銃による襲撃に遭いながらも一命をとりとめた犬飼記者であるが、彼は「ひとつの奇跡」によって生き残ることができたという。

1987年5月14日の朝日新聞記事には「心臓守ったペン・財布」という見出しで犬飼記者の記事が掲載されている。

「このペンと財布がなかったら死んどったかもしれん―」

なんと記事によると、犬飼記者の命を救ったのは上着のポケットに入れていた愛用のボールペンと財布だった、という。

ポケットに入れたボールペンと財布が、犯人が撃った散弾銃の鉛玉を受け止め、彼の心臓を守ったのだ、という。これには警察関係者も犬飼記者本人も驚きを隠せなかったという。

犬飼記者の命を守った財布は2年前に妻からプレゼントされたもので、以来ずっと愛用していたもの。事件当日、財布には身分証、免許証、キャッシュカードや名刺が入っていたほか、千円札などのお札が14枚も入っており財布はパンパンに膨らんでいた。

また、普段はスーツ姿だが、この日の夜は3日間の宿直が控えていたこともあり、ブルゾンにジーパンというラフな格好で出勤しており、普段はズボンに入れる財布を、ブルゾンの胸ポケットに入れていたことも幸いだった。

結果、鉛玉は財布は貫くことはできず内蔵や大動脈に傷は付かなかったという、まさに「奇跡」としか言いようがない状態で助かったのだ。

今も生き続けるジャーナリスト魂

残念ながら、犬飼記者の右手の小指と薬指は散弾銃で粉々に打ち砕かれてしまったが、不屈の執念により、襲撃事件の１年後に淡路島の洲本支局長として現役復帰。

以後、20年間、2007年11月まで現役の記者として現場の前線に立ち続けた。その胸中には自分より若くして亡くなった小尻記者への無念の想いがあったからだという。

残念ながら、本事件は犬飼記者が現役中の2002年に時効を迎えてしまったが、その想いは今も変わることなく生き続けている。
犬飼記者が引退する１年前の2006年4月、事件のあった阪神支局の3階に「朝日新聞阪神支局襲撃事件」の資料室が完成したのだ。

資料室には犬飼記者の右手のエックス線写真や、命を守ったボールペンなどが展示されている。

「テロリストは許さない―」

犬飼記者と小尻記者は、その肉体こそ無くなったが、そのジャーナリスト魂は今も兵庫県で熱くギラギラと燃え続けているのだ。

参照：朝日新聞縮刷版

文：穂積昭雪（昭和ロマンライター / Atlas編集部）