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なぜ明太子が博多名物なのか、ふくやの社長に聞いてみた - デイリーポータルZ

 

特集 2018年4月2日
 

なぜ明太子が博多名物なのか、ふくやの社長に聞いてみた

明太子を作った男、川原俊夫の孫に話を聞いてきました。写真提供:ふくや
明太子を作った男、川原俊夫の孫に話を聞いてきました。写真提供:ふくや
福岡出身の友人に「明太子ってなんで博多の名物なの?原料のタラって北の魚だから九州じゃ獲れないでしょ」というような話をしたところ、「じゃあ同級生の川原君が詳しいから、取材してきなよ〜」という流れになった。

明太子が博多名物たる所以、一生知らなくても困らないような気もしたのだが、もしかしたらクイズ番組に出て答えることがあるかもしれない。せっかくなので川原君に話を伺ってくることにした。
趣味は食材採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は製麺機を使った麺作りが趣味。

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川原君はふくやの社長だった

埼玉県出身の私の中で、博多名物といえば豚骨ラーメンと明太子なのだが、なぜ明太子は博多名物なのだろう。そもそも辛いタラコ(雑な認識)が明太子っていう呼び名のルールもよくわからない。

そんな素朴な疑問を解決するため、ネットで明太子の歴史を検索するのではなく、福岡行きの航空チケットを調べて、一路福岡市へと向かった。
この明太子、浮いてるな。
この明太子、浮いてるな。
やってきたのは博多の中洲。明太子屋の老舗、ふくやの中洲本店である。

博多という地名を、福岡県博多市だと思っていたが、福岡県福岡市博多区だったくらい福岡について知識がないので、明太子の知識もぜんぜんだ。

失礼ながらふくやという社名も、そこの明太子が一番おいしいよと友人から聞いたことがある程度。川原君から取材として成り立つだけの話を聞けるか、大変不安である。
東京でいったら歌舞伎町みたいな歓楽街にある、ふくや中洲本店。
東京でいったら歌舞伎町みたいな歓楽街にある、ふくや中洲本店。
「すみません、川原君をお願いします」
「すみません、川原君をお願いします」
お話を伺った川原くん。いや川原さん。
お話を伺った川原くん。いや川原さん。
友人の高校の同級生である川原君は、昨年ふくやの代表取締役社長に就任した、川原武浩さんだった。ふくやは平成27年度の売り上げが149億円という大企業である。いや、もちろん川原君は社長だってわかった上で来たんだけど。

紹介してくれた友人曰く、ふくやが明太子の元祖らしいので、川原さんこそ明太子の疑問を聞くのには一番ふさわしい方。

だからってこんな軽い調子でインタビューをして大丈夫なのだろうかとも思うのだが、もうここまで来てしまったので、じっくりと話を伺わせていただこう。

明太子のルーツは韓国の明卵漬

さっそくですが、明太子のルーツを教えてください。
もともと福岡県の朝倉に川原家の本家があったのですが、三男だった私のひいおじいちゃんが家を継げないからと、当時日本領だった韓国の釜山(プサン)に渡って、海運業と商品販売をしていました。そしてふくやの創業者となる祖父の俊夫が大正2年に釜山で生まれ育ち、祖母の千鶴子と結婚し、満州の新京で新生活をはじめたものの、徴兵されて激戦地 だった沖縄の宮古島で終戦を迎えました。なんとか生きて帰って、満州から引き揚げてきた家族と福岡で居を構えて、ここ中洲で食料品店を始めたのが昭和23年です。
なんだかドラマチックなストーリーから始まった明太子の歴史。ドラマや映画になりそうな話だと思ったら、すでに『めんたいぴりり』というテレビドラマとなり、さらには映画化も決定しているそうだ。
昭和15年前後、軍隊時代の川原俊夫。写真提供:ふくや
昭和15年前後、軍隊時代の川原俊夫。写真提供:ふくや
当時は仕入れられればなんでも売れる時代ではあったのですが、ただものを売るだけではなく、オリジナル商品がないと差別化できない。たまたま年末にタラコ(塩漬けにしたスケトウダラの卵巣)が仕入れられたので、正月休みを使って、釜山でよく食べた『明卵漬(ミョンランジョ)』を作ってみようと思ったのが、明太子が生まれたきっかけです。
後述する『ハクハク』の展示から、明太子の原材料となるスケトウダラ。博多周辺ではほとんど捕れないけど、なぜか博多の名物となっている。
後述する『ハクハク』の展示から、明太子の原材料となるスケトウダラ。博多周辺ではほとんど捕れないけど、なぜか博多の名物となっている。
明卵漬はスケトウダラの卵巣を塩と唐辛子、ニンニクや胡麻などと発酵させたもので、今の明太子というよりは、チャンジャに近いものだったみたいです。
スケトウダラの胃や腸で作ったものがチャンジャで、卵巣で作ったものが明卵漬なんですね。
韓国にもともとあった明卵漬を再現しようとしたけれど、博多の人の口にはちょっと合わなかったようです。周りの意見を聞いていくうちに、今のような調味液に漬けこむ製法の明太子が生まれました。
韓国の明卵漬。写真提供:ふくや
韓国の明卵漬。写真提供:ふくや
ややこしいのが今の韓国に伝統的な明卵漬はほとんどなくなってしまって、日本風の明太子ばかりなんです。若い韓国人からは「韓国の明太子が日本にもあるのか」と言われるのですが、一周回って文化が行き来をした結果なんですよ。
唐辛子が日本を経由して韓国へと伝わり、スケトウダラの卵巣を唐辛子などと漬けた明卵漬が生まれて、それを元に日本の博多で明太子が誕生し、韓国でもふくやで生まれたスタイルが当たり前のように食べられているということなのか。

うおー、ぐるぐるまわる食文化。
取材が決まった頃、ちょうどオリンピック観戦で友人が韓国にいっていたので、現地の明太子を買ってきてもらった。
取材が決まった頃、ちょうどオリンピック観戦で友人が韓国にいっていたので、現地の明太子を買ってきてもらった。
韓国の明太子。確かに日本で食べる明太子と同じものだった。
韓国の明太子。確かに日本で食べる明太子と同じものだった。
明太子の語源は、韓国語で明太(ミョンテ)がスケトウダラ。それで当時の日本人がタラコは明太の卵だからと『子』をつけて、明太子という造語を作ったようです。
筋子とか数の子みたいに、子をつけたんですね。
明太子はもともとタラコを差す言葉なんです。だから祖父は味付きのタラコということで、『味の明太子』って呼びました。後に他のメーカーさんが作った時に、(唐)辛子漬けのタラコだから辛子明太子と名付けたのが普及し、今では明太子といえば、辛い調味液に漬けたものとなりました。
ふくやでは今も辛子明太子ではなく、味の明太子という商品名で販売している。
ふくやでは今も辛子明太子ではなく、味の明太子という商品名で販売している。