29 名前:名無しさん@生活サロン板できました[sage] 投稿日:04/10/02(土) 11:09:53 ID:JNUhd30B
幼稚園のころ、一人の男の子が「あそぼ」と言ってやってきた。
なぜかは知らぬが私がその子と遊ぶのを母が快く思っていないことは察していた。
母はその子が来たことに気付いてない。
あの子の名前を出すと、母が「いけません!」というに違いない、と私は思い、
子供の浅智恵でなんとか誤魔化して遊ぼうと考えた。
その子に「ちょっと待ってて」と言って、私は母に外で遊んでいいか訊ねた。
母は、「今日の分のピアノの練習してからね」と言った。
私は仕方なく練習した。急いで、急いで。急ぐとますます間違える。
窓からちらっと見ると、冷たい風の吹く中、その子は垣根のそとでじっと立っている。
やっと練習を終え、私はまた母に「外で遊んでいい?」と聞いた。
「寒いからダメ」と、母は言った。
どうしよう、あの子が待っている。「じゃあちょっとだけ外に行ってきてもいい?」
「…いいよ」。母は怒っているように見えた。
私は急いでその子のところに行った。
「今日は遊べないの」
その子は「そっか。じゃあね」と言って、鼻水を垂らして木枯らしの中を走っていった。
長いことまっててくれたのに、申し訳ないことをした、と子供の言葉で思った。
母が「あの子と遊ぶな」オーラを出してたのは、
幼稚園生なのにしょっちゅう骨折してたこととか、
寒い日に外で居場所をさがしていたこととか、
その辺に関係があったのかどうかは今となってはわからない。
あの日に戻れるなら
垣根のところで薄着で震えながら、でもニコニコして私を待っててくれたあの子に
「またせてゴメンネ」と言って、北風の中、一緒に遊びたい。
31 名前:名無しさん@生活サロン板できました[sage] 投稿日:04/10/02(土) 18:13:56 ID:ilXz7FIG
そうそう>>29の話を読んで思い出した
私が小学生の頃、近所に体の弱い同級生がいて
あまり外に出て遊べないので、よく彼の母親から遊びの誘いの電話があった。
最初は近所の親同士が協力しあっていたのか、
両親から「あの子の所に遊びに行っておいで。」と言われていた。
あまり知らない家に突然遊びに行くのは、かなり勇気がいるので
他の友達を誘って遊びに行った。
すると彼の母親がそれはもう、ものすごい歓迎振りで私達をもてなしてくれた。
はじめはギクシャクだった私達も、2日3日と通いだせばそこは子供どうし
あっという間に仲良くなった。
友達の少ない彼のために親達が計画した策略に見事乗せられたとはいえ、
私にとって彼はかけがえのない友人となった。
もう完全に仲良くなった私達に、彼の母親はあいかわらず過剰なもてなしを
してくれたのだが、それが子供心に重荷に感じるようになった。
彼女も息子にできた数少ない友達を失わさせないように必死だったのかもしれない。
ある日私は「これからも遊びに来るので、もうお菓子とかはいらない。」と彼女に言うと
彼女は突然涙を流し、私の手をグッと握り締めてしばらく放さなかった。
当時の私はとても困惑していた記憶がある。
しかし、私たちが出会って1年程で彼は他界してしまった。
私の家が共働きのせいもあって、よく彼の家で夕飯をご馳走になった。
他人の家庭料理がおいしいと感じた事はこれ以降ない。
あの甘い卵焼きの味がなつかしい。
幼稚園のころ、一人の男の子が「あそぼ」と言ってやってきた。
なぜかは知らぬが私がその子と遊ぶのを母が快く思っていないことは察していた。
母はその子が来たことに気付いてない。
あの子の名前を出すと、母が「いけません!」というに違いない、と私は思い、
子供の浅智恵でなんとか誤魔化して遊ぼうと考えた。
その子に「ちょっと待ってて」と言って、私は母に外で遊んでいいか訊ねた。
母は、「今日の分のピアノの練習してからね」と言った。
私は仕方なく練習した。急いで、急いで。急ぐとますます間違える。
窓からちらっと見ると、冷たい風の吹く中、その子は垣根のそとでじっと立っている。
やっと練習を終え、私はまた母に「外で遊んでいい?」と聞いた。
「寒いからダメ」と、母は言った。
どうしよう、あの子が待っている。「じゃあちょっとだけ外に行ってきてもいい?」
「…いいよ」。母は怒っているように見えた。
私は急いでその子のところに行った。
「今日は遊べないの」
その子は「そっか。じゃあね」と言って、鼻水を垂らして木枯らしの中を走っていった。
長いことまっててくれたのに、申し訳ないことをした、と子供の言葉で思った。
母が「あの子と遊ぶな」オーラを出してたのは、
幼稚園生なのにしょっちゅう骨折してたこととか、
寒い日に外で居場所をさがしていたこととか、
その辺に関係があったのかどうかは今となってはわからない。
あの日に戻れるなら
垣根のところで薄着で震えながら、でもニコニコして私を待っててくれたあの子に
「またせてゴメンネ」と言って、北風の中、一緒に遊びたい。
31 名前:名無しさん@生活サロン板できました[sage] 投稿日:04/10/02(土) 18:13:56 ID:ilXz7FIG
そうそう>>29の話を読んで思い出した
私が小学生の頃、近所に体の弱い同級生がいて
あまり外に出て遊べないので、よく彼の母親から遊びの誘いの電話があった。
最初は近所の親同士が協力しあっていたのか、
両親から「あの子の所に遊びに行っておいで。」と言われていた。
あまり知らない家に突然遊びに行くのは、かなり勇気がいるので
他の友達を誘って遊びに行った。
すると彼の母親がそれはもう、ものすごい歓迎振りで私達をもてなしてくれた。
はじめはギクシャクだった私達も、2日3日と通いだせばそこは子供どうし
あっという間に仲良くなった。
友達の少ない彼のために親達が計画した策略に見事乗せられたとはいえ、
私にとって彼はかけがえのない友人となった。
もう完全に仲良くなった私達に、彼の母親はあいかわらず過剰なもてなしを
してくれたのだが、それが子供心に重荷に感じるようになった。
彼女も息子にできた数少ない友達を失わさせないように必死だったのかもしれない。
ある日私は「これからも遊びに来るので、もうお菓子とかはいらない。」と彼女に言うと
彼女は突然涙を流し、私の手をグッと握り締めてしばらく放さなかった。
当時の私はとても困惑していた記憶がある。
しかし、私たちが出会って1年程で彼は他界してしまった。
私の家が共働きのせいもあって、よく彼の家で夕飯をご馳走になった。
他人の家庭料理がおいしいと感じた事はこれ以降ない。
あの甘い卵焼きの味がなつかしい。