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世界史で見かけた不気味な話『奇跡・太陽のダンス』『コロンブスが目撃したUFO』 | 不思議.net

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世界史で見かけた不気味な話『奇跡・太陽のダンス』『コロンブスが目撃したUFO』

2018年04月17日:23:00

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コメント( 1 )

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1: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:24:41 0
世界史関係の本を読んでて、幽霊とか怪生物の目撃情報とか猟奇事件について
記述があったら書き込むスレです。
まだ解明されない世界の謎や不思議な事件・人物など教えて
http://world-fusigi.net/archives/5045611.html

引用元: 一次・二次史料で見かけた不気味な話





2: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:24:43.00 0
例えばこんなのとか

アテナイに幽霊の出る家があった。哲学者のアテノドルスが借りて住んでいた。
足に鎖、手に枷をはめられた幽霊が出て、ついてこいという身振りをした。
ついて行くと中庭まで来て、消え失せた。家主の許しを得て中庭を掘ったところ、
出て来たのは鎖に縛られた骸骨であった。葬儀をした後、幽霊に悩まされる
ことはなくなった。
(小プリニウス『書簡集』)



4: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2010/09/10(金) 15:24:45.00 0
イングランド事件史

ある放埓な男が、妻の不貞を暴くべく梁の上にいたところ、転落して死んだ。
キリスト教徒として正しく葬られたのだが、生前の行動により益無かったものか、悪魔の力により、夜毎に墓から出てさまよい歩く様になった。

かくして街中では犬の吼ゆる声が止まることなく、家々も閂を鎖して外には出ぬ様にしていたが、それも効果は無かった。
それというのも、この男が歩いた後には、疫病が流行したからである。

その後、疫病で親族を失った兄弟が墓を暴いたところ、ほんのわずかな土の下から男の死体が現れた。
体はふくれ、頬は赤く染まり、まるで生前の如し。
何人の血を吸いしやと、はっしと鋤で以って首を落とすや、鮮血が飛び散った。
かくして、さしもの疫病も止むに至ったという。
(『イングランド事件史』1196年)



12世紀頃のイングランドの記録には、東欧の「吸血鬼」伝承と共通した記事が多く、近世以降の記録ではもっぱら東欧に限られた伝承が、この地域にも分布していた時代があった様です。

7: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:24:48.00 0
>>4
平賀英一郎の「吸血鬼伝承」でも採り上げてたね。
スラヴ人の特殊文化というより、もともと汎ヨーロッパ的にあった「不浄の死者」が
カトリック圏での「煉獄の発明」などにより東方正教圏でのみ生き残ってたのではないかと・・・


カトリックの古い「贖罪規定書」にはこんなのもあったらしい。

155 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/08/29(月) 21:46:11 0
>>136
第一八〇章 お前は、ある女たちがするように悪魔に唆されて次のようなことをしたことがあるか。
洗礼を受けずに子どもが死んだとき、子どもの死体を取り上げ、どこか秘密の場所に置き、子どもの体を
杭で刺して、もしこうしなければこの子は生き返り、多くの者に害をなすという。お前がそのようなことをし、
あるいはそれに同意を与えて信じた場合は、指定された日に二年間の贖罪を果たさねばならない。
 阿部謹也『西洋中世の罪と罰』p202

↑この辺はロシアのメルトヴャーキ、不浄の死者に関する信仰に似てるね。

36: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:25:17.00 0
>>4
「赤死病の仮面」みたいな話だな

5: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:24:46.00 0
東晋の桓温が尼さんを家に泊めた。尼さんがやたら長風呂するので
桓温が覗き見すると、尼さんは刀で自分の腹を割いて内蔵を取り出し、両足を切り取った。
「どういう事ですか」と桓温が問うと、尼さんは「帝位を奪うとはこういう事ですよ」と答えた。

6: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2010/09/10(金) 15:24:47.00 0
>>5
『晋書』桓温伝ですね。
杉浦日向子先生が、翻案しておいででした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/晋書

38: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:25:19.00 O
晋書より
厚遇していた前秦の苻堅を裏切って死に至らしめた後秦の姚萇が病床で見た夢の話
苻堅が鬼兵を率いて営中に入り込み、萇は恐れて宮殿へ逃げ込んだ。
宮人が鬼を刺そうとして誤って萇の股間を刺した。
鬼が互いに言った「死所にあたった」
刺さっていた矛を抜くと血が大量に吹き出した。
夢から醒めると激しい動悸がしており、ついに陰部の腫瘍を患った。
医者がこれを治療の為刺すと夢のように血が吹き出した。
萇はとうとう譫言を言うようになった「陛下を殺した者は私の兄であって臣の罪ではありません。どうか臣をお許し下さい」

60: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:25:41.00 O
また晋書のはなしだが…

後趙の石虎が太武殿を完成させた際に昔の聖賢・忠臣・孝子・烈士・貞女の絵を描かせた
その絵が皆胡人に変じ、頭が肩の中にめり込んで冠や髪が僅かに出るだけとなった
石虎はこれを非常に不快に思って誰にも言わなかった
佛図澄は石虎に向かって涙を流し、自ら申し出て自分の墓を作った
寺に戻ると独り言を言った「三年を得られるだろうか」「得られない」「二年、一年、百日、一月を得られるだろうか」「得られない」そのまま黙り込んだ
寺で亡くなったが、のちに西からやってきた沙門が佛図澄が西の関中に現れたと告げた
石虎が佛図澄の墓を掘らせると遺骸はなく、石がひとつあるだけだった
石虎はこれを不快がって言った「石は朕である。我を葬って去ったというのは吾がまさに死ぬということだろうか」病を発して翌年亡くなり、国は大乱に陥った

9: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:24:50.00 0
プロコピウス『戦史』にある話

ユスティニアヌス帝の治世に、コンスタンティノープル周辺の海域に
「ポルフィリオス」と呼ばれる海の怪物が50年近くもの間出没し、
航海する船に近づいては沈没させたり安全な航路から外れたところまで押しやったりしていた。
皇帝は威信をかけてこの怪物を討伐せんとしたが、どんな手段を尽くしても
ポルフィリオスを捕らえることはできなかった。

そんなある日、一頭の巨大なクジラが浜に乗り上げた。
人々はこれぞ例のポルフィリオスだろうといって、ロープでクジラをさらに陸へと引き上げ、肉を切り刻んで分配してしまった。

しかし、ある人々はこういっているとプロコピウスは記す。
「あれは本当にポルフィリオスだったのか?」と。

なんですかそのホラー風の〆方は・・・

10: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:24:51.00 0
>>9
普通に鯨だったんじゃないの?
船を見るとじゃれついてきたりするらしい

11: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:24:52.00 0
>>9
>「あれは本当にポルフィリオスだったのか?」

「あれが最後のポルフィリオスだとは思えない。やがて第二第三のポルフィリオスが…」
だと古式ゆかしい怪獣映画のエンディング。やーすーらーぎーよー、ひーかーりーよー。

13: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:24:54.00 0
ケルン司教区のシュタムハイムという村で起こったことである。
騎士が二人住んでいて、一人はグンター、今一人はフーゴーと言った。

グンターが十字軍に出かけていた時のある夜、
就寝前の用を足させるため召使が子供たちを中庭に連れ出した。
すると、囲いの外から白衣を着て顔色も青ざめた女の形をしたものがじっと彼らを見つめていた。

何も言わなかったが、姿を見ただけでぞっとした。
そのものは垣根を越えて隣のフーゴーの地所へ行った。
数日後グンターの長男が病気になって、こう言った。

七日目に僕は死ぬ。その次の七日目に妹のディナリが死ぬ。
もう七日すると下の妹が死ぬ。全部その通りになった。
そればかりか、子供たちの後を追って母親も、上述の召使も死んだのである。

同じ頃、隣の騎士フーゴーとその息子も死んだ。
これはわが副院長ゲルラック師から聞いた話である。
(ハイステルバッハのカエサリウス『対話』)

301: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:29:42.00 0
>>13
大体夜中の白衣着た女って幽霊の定番だけど、
実際のところ女が白い服着て夜中に国道とかに突っ立ってたらどんな感じなんだろ?やっぱ怖いもんなんかな?
あんま露骨にそれっぽい格好してると、肝試しかテレビのロケでもやってんのかなってなりそうだが。

302: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:29:43.00 0
>>301
なんか、1980年代に口さけ女伝説が流行っていた頃、
友達を驚かそうと、白い着物を着て、長い髪を解いて、口紅でメーキャップをして夜の国道を歩いている女性がいて、警察に通報されたという笑い話があるらしい

14: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:24:55.00 0
うむ。不思議だ

15: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:24:56.00 0
これは名スレ

16: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:24:57.00 0
トマス・ウォルシンガム『イングランド史』にある話

1379年の秋、アランデル伯の弟ジョン・アランデル卿が、配下の兵を引き連れてとある尼僧院へとやって来た。
卿はブルターニュへ渡るため、ここでしばらく逗留したいといった。

院長は、アランデルが連れて来た武装した若者の数があまりに多いのを恐れたが、渡航者へ宿を提供するのがその尼僧院のつとめであったので、やむなくそれを許可した。

だが、風向きはいつまでも変わらず、出港はいつになるか見当もつかなかった。
退屈を紛らわすため兵士たちは酒を飲み、尼僧をからかい始めた。
尼僧たちは宿坊に鍵をかけて閉じこもったが、兵士たちは怒りに任せて扉を破壊し、中にいた尼僧をつぎつぎと犯した。

尼僧院は兵士たちによって略奪された。彼らはまた近隣の教会へ向かい、聖杯や銀器をことごとく盗んだ。そこで結婚式の行列に出くわすと、彼らは剣を抜き、花嫁を強奪して輪姦した。

兵士たちはその女とできる限り多くの尼僧を船に乗せて出港した。一日かそこらの後、東から大嵐が吹きつけてきた。アランデルは船を軽くするために女を全員下ろせと命じた。六十人ばかりの女が荒れ狂う海に投げ込まれ、船はアイルランドへ向かった。

やっぱり一番怖いのは人間。

17: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:24:58.00 0
うわあ、オチがつかないのかw

19: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2010/09/10(金) 15:25:00.00 0
『五代帝王物語』より

天福2年(1234)のことである。
時の帝である後堀河院は、先ごろお産が元で中宮と御子を失われ、意気消沈しておられたが、その日は法勝寺の法華講に出席されていた。

法勝寺といえば、九重大塔で有名な寺である。
寺へ到着された後堀河院は、唐様の見事な塔を見上げられた。
すると、ありうべからざるものが見えた。
普段は人の立ち入らぬ筈の塔の下から三層目に、人の姿が見えたのである。
しかも、この日は行幸があり、見下ろす者のあろう筈もない。

更に付け加えると、その人とは、崩ぜられた中宮であった。

後堀河院は、傍に控えていた摂政に、「あれが見えるか」とお訊ねになった。
すると、摂政の目にも見えるということ。
しかし、他の人間には、誰に訊いても見えはしなかった。

この後しばらくして、後堀河院は崩御された。
(『五代帝王物語』より)

20: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:25:01.00 0
日本だと、「吾妻鏡」に謎の生物の記述があったような気が
「人間の死体のような魚」が打ち上げられたとかいうよく分からない記述だった

21: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:25:02.00 0
それまごうことなき人間の死体じゃね?

26: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:25:07.00 0
イブン・ハルドゥーン「歴史序説」より

われわれはまた、魔術師が着物や皮を指さし、口のなかでぶつぶついうと、それらがばらばらになるのを見たことがある。
同じように他の魔術師が牧場の羊や山羊の腹を指さし、引き裂く素振りをすると、不思議にもその動物の内臓が腹から地面に飛び出した。

31: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:25:12.00 0
『ヨーハン・ディーツ親方自伝』より

これはある軍医に教えてもらったことだが、この人物はオランダ大使のもとで働いていたとき、
瀕死の重傷を負ったあるトルコ人の治療に当り、そのトルコ人からひじょうに気に入られたので
たびたびその家に招かれたのだが、女の姿をついぞ見たことがなかったという軍医はそのトルコ人にぜひともご令室にお目にかかりたいと頼んだ。

トルコ人はいいともと請け合い、一緒に階上の妻屋つまり小部屋まで連れていってくれた。
見ると、部屋の中ほどにみめ麗しきご婦人が六人もいて、絨毯の上にじかに足を組んですわり、
刺繍や縫い物をしていた。みな驚いてはにかむような表情をみせた。

するとトルコ人は、「わしについて来なさい。ほかの女も見せてしんぜよう」と言った。
トルコ人は軍医の手をとり、階段を下りていった。
よろい戸のかんぬきを外して開け、中をのぞいてみなさいと言う。
中は真っ暗で何も見えなかったが、藁の中で何か金属のような音がたしかに聞こえた。

それからトルコ人がもう一つのよろい戸を開けると、すっかり明るくなった。

軍医が見たのは残酷な見世物だった。
全裸の女が一人、乱れ髪を顔のまわりに垂らしたすがたで、鎖につながれて横たわり、
そのそばに、なかば喰いちぎられた人間の死体がぶら下がっていたからである。

軍医はぎょっとして飛びのき、これは何かと訊ねた。
これも妻の一人ですが、背教者(つまり、かつてキリスト教徒であったが、イスラム教に改宗してトルコ人となった者)

ほら、そこにぶら下がっている男と情を通じたのですよ、とトルコ人は軍医に説明した。
男を現場で捕らえて刺し殺し、ここにぶら下げたのだ。
しかし女はこれを食らうほかない、いずれ飢え死にするであろうが、と。

32: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:25:13.00 0
ダンテの神曲にもウゴリーノ伯の「飢餓の塔」の話がありますね
でも、21世紀になっての発掘調査によると、ウゴリーノたちの死因は飢餓ではなかったとされたのでしたか

37: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:25:18.00 0
吸血鬼現象の最大公約数的な共通項を探すと
「吸血」自体ではなくて「生きた死体」になるらしいから
アッシャー家の崩壊もありかも

45: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:25:26.00 O
晋書劉聡載記に気味悪い話が…

巨大な肉の塊が落下し、その周辺に泣き声がしていて昼夜やまなかった
皇后劉氏が蛇と猛獣を産み、これらは人を害しながら逃亡して行方不明となり、その後肉塊の傍らで見つかった
突然劉氏が死亡し、肉塊は消え失せて泣き声も止んだ

46: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:25:27.00 0
>>45
中国の怪異譚は因果関係がよく分からなくて怖いのが多いね
当時の人間には解読?できたのかもしれないけど

オカ板の怖い話にも過去の世界の因縁のコードを理解
できないことによる恐怖というのが多いような気がする

58: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:25:39.00 0
徳川家康が宇宙人の訪問を受けたという話がなかったか?

59: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:25:40.00 O
駿府城の肉人かな?江戸の随筆『一宵話』が出典とあるが。
妖怪『ぬっぺっぽう』と関わりがあるともされ、京極夏彦や杉浦日向子がネタにしてる。

ぬっぺふほふ

ぬっぺふほふまたはぬっぺっぽうは、『画図百鬼夜行』や『百怪図巻』などの江戸時代の妖怪絵巻にある妖怪。顔と体の皺の区別のつかない、一頭身の肉の塊のような姿で描かれている。

1609年(慶長14年)、駿府城の中庭に、肉塊のような者が現れた。形は小児のようで、手はあるが指はなく、肉人とでもいうべきものだった。警戒の厳しい城内に入り込む者は妖怪の類であろうと思われたが、捕まえようにもすばやく動いて捕まえられない。当時の駿府城に住んでいた徳川家康が、その者を外へ追い出すよう命じたため、家来たちは捕獲をあきらめて城から山のほうへと追い出した。

後にこの話を聞いた薬学に詳しい者は、それは中国の古書にある「封(ほう)」というもので、白澤図にも記載があり、この肉を食べれば多力を得る仙薬になったと口惜しがったという。
wiki-ぬっぺふほふ-より引用

ぬっぺふほふ

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61: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:25:42.00 0
徳川光圀が、八幡の藪知らずに入って出られなくなった、
って話は出典はあるのかな?
藪知らず自体は、今でも市中に唐突にある奇妙な藪として、
立ち入り禁止のまま残ってるんだが

八幡の藪知らず

八幡の藪知らず(やわたのやぶしらず)は、千葉県市川市八幡にある森の通称。古くから禁足地(入ってはならない場所)とされており、「足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」という神隠しの伝承とともに有名である。市川市が設けた解説板には「不知八幡森(しらずやわたのもり)」と記されており、ほかに「不知森(しらずもり)」「不知藪(しらずやぶ)」とも称される。現在は不知森神社(しらずもりじんじゃ)の一角のみ立ち入りができる。

水戸黄門が迷って出てこられなかった説
水戸黄門こと徳川光圀が当地に立ち入って迷い、ようやく出たのちに禁足地とした説。後に錦絵に描かれ広まった。しかし、それ以前からここは禁足地であった可能性は高い。
水戸黄門こと徳川光圀も迷ったことで有名

wiki-幡の藪知らず-より引用
関連:千葉県にある神隠しの森「八幡の藪知らず」とは?

Yawatano-yabusirazu


66: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:25:47.00 0
>>61
光圀公がどっかの寺の祟りがあるという岩に
座ってみせたという話は何かで読んだ

62: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:25:43.00 0
禁足地だったのは石碑や千葉県教育委員会の調査で明らかになっているが、
水戸黄門云々は後世の創作なんじゃないカナ
話に尾ひれがつくのよくあることサ

72: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:25:53.00 O
また晋書の話だが

前秦の苻ヒが敗れた際、その司空徐義は西燕の慕容永に捕らえられた。
繋いで土に埋められ、殺されようとした所で観世音経を唱えると夜中にひとりでに土が開いて脱出することができた。
周囲には多くの兵がいたが、人が導いているかのように逃れ出た。
晋の楊セン期のもとへ奔り、洛陽令に任命された。


石虎らの仏図澄の扱いを考えると、仏教は呪術のように捉えられていたようだね

73: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:25:54.00 0
晋書っておもしろいこと沢山書いてるんだな・・・

79: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:26:00.00 O
五胡時代の話だと後趙の石虎が死んだあと、前燕の慕容シュンの夢に現れて腕に噛みついたというのもあったな

慕容シュンはこれで病気になり、石虎の墓をあばいて死骸を踏みつけてから黄河に放り込んだが流れずに柱に引っかかったままになった
後に前秦が前燕を滅ぼしてから死骸を回収して葬ったという話だった

晋には現れない妖しい話がワンサカ…

87: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:26:08.00 O
またまた晋書
諸葛長民伝より

長民が富貴となった後、ひと月のうちに十数回も眠っていたところを飛び起きて人と組み打つような動作をした。
毛脩之がかつて同宿した際にこれを目撃し、驚いて理由を問うた。
長民が答えて言った「真っ黒で毛が生えた物がいるのが見えるが、我でなくては制することができないのだ」

屋内の柱の間から蛇の頭が出てきた為に人に刀で斬りつけさせたが、蛇は刀が近づくと引っ込み、遠ざかるとまた出てきた。

衣を引っ張って話しかける声が聞こえたが、その言葉は理解できなかった。

壁から長さ七八尺の巨大な手が出現し、これを切らせると突然見えなくなった。

その後間もなく誅に伏した。

88: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:26:09.00 0
>>87
オカ板の洒落怖の体験談にたまにこういうのあるな・・・

89: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2010/09/10(金) 15:26:10.00 0
>>87
『晋書』は、伝陶潜作『捜神後記』とかぶるネタが多いですね。
実際は陶潜作ではないそうですが、同一原拠なのか、『晋書』が『捜神後記』をネタにしたのか、『捜神後記』が『晋書』をネタにしたのか。
二番目でもおかしくないぐらい、正史の癖に変な記述が多い。

90: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:26:11.00 O
>>89
https://ja.wikipedia.org/wiki/晋書
wikiでチラッと見てきました
晋書はだいぶ評判が悪いですね…
荒唐無稽と言われてもおかしくない様な記述も少なくないです

そう言えば、三国志でも諸葛カクが殺される時に屋敷の奉公人に異様な振る舞いがあったこと等記されているが、こうした話はみんな終わりの良くない人ばかりだ

91: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:26:12.00 0
「ヨーハン・ディーツ親方自伝」より
ゲルマン圏でよく見られたという「荒ぶる狩猟」の一種でしょうか

このあたりの山地でリューベツァールのことがさかんに話されているのを耳にした。
そして一夜をその山麓で過ごしたのである。

火のないところに煙は立たぬ、流刑の森の精か悪魔かが悪さをしないとも限らぬ。
その証拠に、夜、ある家で藁の上に横になっていると、深夜に馬と犬と狩人のものすさまじい
ざわめきと反響が、何度も家の前を通りすぎていくのを、わたしはこの耳で聞いた。

こんなことは毎晩で、めずらしくもなんともないと人々は言った。
ほかにも、リューベツァールは人々を迷わせる、そいつをからかう者の上に
雷雨を引き起こすことができるなど、リューベツァールの言い伝えには事欠かなかった。
真偽のほどについては、どちらとも答えないことにする。

92: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2010/09/10(金) 15:26:13.00 0
>>91
いわゆる「夜の狩人」の類に見えますね。
出現するとされたのは冬が多いそうですが、

>そいつをからかう者の上に雷雨を引き起こすことができるなど、
からかった人間に害を与え、時に撃ち殺して連れて行くとよく言われていますし。

102: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:26:23.00 0
ロバート・D・カプラン『バルカンの亡霊たち』より

一九四一年一月二二日の夜、「大天使ミハイル軍団」は正教会の賛美歌を歌い、
ルーマニアの土を入れた袋を首にかけ、互いの血を飲み、聖水を身体にかけて浄めを受けたのち、子供を含む二〇〇人の男女を家から引きずり出した。

そして、彼らをトラックに詰めこみ、ブカレスト南部にあるドウンボビツア川近くの赤煉瓦の建物、市営の屠畜場に運んでいったのである。
犠牲者はすべてユダヤ人で、凍えるような暗闇のなかで裸にされ、ベルトコンベアの上で四つん這いにさせられた。

こうして、恐怖の叫び声をあげながら、ユダヤ人たちは全自動化された屠殺装置の中に送りこまれていったのである。
頭と手足を切断され、血が噴き出している胴体を軍団員はひとつずつ鉤にかけ、「食用可」というスタンプを押していった。
逆さまに吊るされた五歳の少女の胴体は「血まみれで、仔牛肉のようだった」と、翌朝、現場を目撃した人は証言している。

114: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:26:35.00 O
蜀書トウ芝伝と注より


トウ芝は延熙十一年に発生した反乱を軍を率いて征伐して頭目をさらし首にした。
十四年に死去した。

トウ芝が遠征した際に黒い猿が山沿いに行くのをみつけた。
芝はいしゆみが好きだったので、自ら猿を射て命中させた。
猿は矢を抜くと木の葉で傷口をふさいだ。
芝は言った「ああ。わしは生物の本性にそむいてしまった。まもなく死ぬだろう」

115: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:26:36.00 0
>>114
意味がわからず不気味。
こういう不気味さはある意味、予定調和な展開にならないとき面白いと感じる笑いと似てるかも。

726: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:36:47.00 0
>>114
「殺すことができたということは、そこでその動物は死ぬ運命だった」
という生命観、運命観のようなものがあり、
「殺そうとして殺せなかった(治療した)。ということは、自分の方が間違っていたのだ」
ってところかなぁ

116: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:26:37.00 0
「生物の本性に背く」って何だ?
喰う必要もないのに他の生物を狩ることか?

117: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:26:38.00 0
>>116
>猿は矢を抜くと木の葉で傷口をふさいだ。
おそらくここ。

猿以外の何かをうってしまったのだろう

118: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:26:39.00 0
猿じゃなきゃなんなのさ

119: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:26:40.00 0
山の神様的な何かじゃない?

121: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:26:42.00 0
山中でサルが動物とは思えないことをしていたのを目撃・・・
って怪談結構あるよね

霊長類ならではなんだろうなあ

146: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:27:07.00 0
「神の存在を証明しろ」と要求する無神論者は、
宇宙が無から生じたという理論の証明をするべきです。

理論物理学は、机上の空論という帳尻合わせの域を脱せない。
観測などによる無から有が生じたという証拠が必要だからです。
「論より証拠」証拠が無ければ人間の虚しき空想で終わる。

一方で神の存在は、旧約聖書から新約以降の聖人伝に至るまで、
神秘体験などの目撃者、物理法則を超えた奇跡、などで証言されている。


構造力学の理論を越える奇跡の建築
聖ヨゼフの螺旋階段 (ロレットチャペルの螺旋階段)

9日間の祈りの最後の日、どこからともなくロバを連れ
大工道具箱を持った白髪の男が訪ねてきました。
そして、ハンマーとのこぎりとT定規というわずかな道具で、
スペースがないチャペルに場所を取らない螺旋階段を作り、
聖歌隊の桟敷に安全に昇り降りができるようにしてくれました。
http://www.uswest.tv/newmexico/nm_09.html
http://www.link-usa.jp/us-dictionaly/archives/2008/05/24_191013.html




147: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:27:08.00 0
聖母マリア御出現の巡礼地メジュゴリエにて
太陽のダンスと呼ばれている奇跡

Medugorje miracle of sun - 2.8.2009


Medjugorje Sun Miracle Part 1 of 3


Medjugorje Sun Miracle Part 2 of 3


Medjugorje Sun Miracle Part 3 of 3



毎月25日に発せられる
メジュゴリエの聖母によるメッセージ

~省略~

私の呼びかけに応えてくれてありがとう。
http://homepage3.nifty.com/mercy/medjugorje/index.html

148: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:27:09.00 0
カトリックには「エクソシスト」がいる

その人たちについて書かれた本をよんだことあるけど、
悪魔つきは、ほとんどの場合、精神病だとエクソシスト自身がいっている
16世紀の悪魔祓いでクライアントが吐いた釘は16世紀の技術で作られたもので、
20世紀の悪魔祓いでクライアントが吐いた釘が20世紀の技術で作られたものなのは、どうしてだろう、って
「これが逆なら驚きますが」とエクソシストの資格のある神父さんの言葉

ただ、ときどき、理解に苦しむのもあって、それは本物の悪魔つきなのか、
現代の精神医学では対処できない精神病なのかはわからない・・・ともおっしゃってた

映画「エクソシスト」のモデルになった神父さんは、とても立派な方で、
確かに超能力を持っているのではないかと思わされるような人だったらしいが、
その人の生い立ちを見ると、少年時代に修道院に入って、現在の目から見たら、
児童虐待じゃないかと思わされるような厳しい修行を積んだ人

もともとその素質があり、なおかつ、幼い時からそのための厳しい修行を積んできた人のみがもつことのできた、
集中力・洞察力その他からくる「超能力」だったんだろうな


149: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:27:10.00 0
しかし、釘をはく行為が精神病からくるものなら、
釘を吐くためにほうばるという姿も鬼気迫るものがある

ありきたりな感想だが、そりゃ、悪魔も怖いけど、悪魔を創造する人間の心もまたこわい
人間の心の複雑さには驚くより仕方がない

150: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:27:11.00 0
アーサー王がなぜかシチリア島で魔王になっている話
ハイステルバッハのカエサリウス『奇跡をめぐる対話』より

皇帝ハインリッヒがシチリアを征服した頃、パレルモの教会に首席司祭がいたが、彼は確かドイツ人だったと思う。
ある日、素晴らしい馬がいなくなってしまったので、彼は召使にあちこち探させた。

途中で出会った老人が召使に尋ねた。
「どこへ行くのかね、そして何を探しているのかね」。「主人の馬を探しているのです」。
召使が答えると。老人は「わしは馬がどこにいるか知っておるよ」という。
「では、どこにいるのですか」と尋ねると、老人は答えた。
「ギベル山だよ。私の主人のアーサー王がその馬をもっておられる」と。

その山はエトナと同じく炎を吹き上げていた。

老人はいった、「お前の主人に、一四日目にあの山の宮殿に来るようにいいなさい。もしお前が伝えないと、厳しい罰を受けるぞ」。

召使は戻って主人におののきながら、聞いたことを伝えた。
首席司祭はアーサー王の宮殿に招かれたことを聞いて笑いとばしたが、
やがて病気になり、指定された日に亡くなった。

この話はボンの聖堂参事会員をしているゴットシャルクから聞いた話だが、彼はそのときパレルモにいたという。

当時、火山は煉獄の入り口と考えられていた。

341px-Arth_tapestry2

151: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:27:12.00 0
アーサー王は、妖精郷とかそういう、
いわゆる「常世」「あの世」と相性が良い伝説の人だからなぁ。
「あの世」の関係者として魔王的に伝承されてもおかしくないわな。

152: Ryuju ◆RlujhF6VrA 2010/09/10(金) 15:27:13.00 0
>>150-151

そもそも当時アーサー王伝説ってどこからどう伝わったんだろう。
イギリスからシチリア。バイキング経由かなあ。
地元に伝わる別の伝承がアーサー王伝説に結びついたというか
アーサー王に仮託された可能性もあると思うけど。

153: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:27:14.00 0
>>150を見る限り、少なくともドイツやイタリア辺りまでは
アーサー王の名前が説明なしで分かるほど知られていたのかな

165: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:27:26.00 0
>>153
それで思い出したけど、インスブルックのハプスブルクの王宮の教会になぜかアーサー王の銅像がある。
ハプスブルク家としては「自分たちの先祖にアーサー王がいる!」と主張したかったとか何とか。

172: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:27:33.00 O
魏書李勢伝より

建国十年司馬【耳冉】の将桓温がこれを伐ち、勢は温に降った。
これより以前怪異がしばしば発生した。
成都の北郷である人が女子が草の中に入るのを見かけた。
行って見てみると人のような形ではあるが手足はなく、ゆらゆら動いたが言葉を発することはできなかった。
広漢で馬に長さ一寸半の角が生えた。
一頭で六つの耳があり目はなく牡牝二身を持つ馬が現れた。
皮も毛もない驢馬が現れたが、数日して死んだ。
江南の地に血の雨が降り、地面に毛が生えた。
江源に高さ七八尺で花も葉も赤い草が生えた。
フリョウの民薬氏の妻の頭上に長さ三寸の角が生えた。


これだけ列挙するのは特定の意図によるものだろうね…

173: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:27:34.00 0
>建国十年司馬【耳冉】の将桓温がこれを伐ち、勢は温に降った。

どの辺が異常の原因なのかよく分からん

174: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:27:35.00 0
wikipediaによると「李勢は荒淫に明け暮れ、他人の妻を奪い、大臣を殺して、政治をかえりみなかった。」
という事なので、国を失う前兆という事だろう。

177: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:27:38.00 0
あーそっか。
三国志演義でも使われたネタだったね。>頭に角 角=刀を用いる

179: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:27:40.00 0
>頭に角 角=刀を用いる

解説plz

180: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:27:41.00 0
頭に刀を用いると首が落ちる。

182: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:27:43.00 0
>>180
ありがとうございます

187: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:27:48.00 0
『三国志』魏志・公孫淵伝より

公孫淵が魏に征伐される以前、彼の家ではたびたび奇怪なことが起こった。
たとえば犬が頭巾をかぶり、赤い着物をつけて屋根に上がっていたり、
飯を炊くと、蒸し器の中で赤子が蒸されて死んでいたりした。
また襄平の北では生肉を売っていたが、それは長さも太さも数尺あり、
頭と目と口があって、手足がないのにゆらゆら揺れ動いていた。
ある占い師は「形態があるのに完全でなく、肉体はあるのに声がない。
このような怪物の現われた国は滅亡するであろう」といった。

188: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:27:49.00 0
>>187
>たとえば犬が頭巾をかぶり、赤い着物をつけて
近頃はよく有るな。やはり滅亡するのかな。

189: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:27:50.00 0
>飯を炊くと、蒸し器の中で赤子が蒸されて死んでいたりした。

グロすぎワロえない

317: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:29:58.00 0
近代西洋でも、占いとかオカルト類はあくまでアングラ扱いだが、
カトリック教会では公式に超常的な奇跡を認めてるよね。


・・・てことで、本題に戻って。有名な話を。すまんが適当にネット上から抜粋する。



ファティマの奇跡

1916年春頃、一人の少年がポルトガル中部のファティマという小さな村に現れ、
村の3人の子供(ルシア、ヤシンタ、フランシスコ)に祈り方を教えた。

1917年5月13日、ファティマの3人の子供たちの前に謎の婦人が現れ、毎月13日に同じ場所へ会いに来るように命じた。
子供たちは5か月の間、毎月彼女と会い、いくつかのメッセージを伝えられた。

婦人の姿と声は3人の子供たちにしか見えなかったが、
一緒に行った村人たちは卵型の光る物体が降下してくるのを見たという。
この話は次第に近隣の町や村へ伝わっていき、最後の出現の日である10月13日には、
国中から10万人もの人が集まった。

その日どしゃぶりの雨の中を一万人もの群集が聖母の現れるくぼ地の周囲に集まった。
熱心な祈りをささげる信者たちにまじって、∃-ロッパ各地からやってきた新聞記者や学者、聖職者たちの姿も見られた。
昼すぎ、小さな白い雲が子ともたちの周囲にわき出て、ゆっくりと空中高く上昇していった。
と同時に激しく降っていた雨がピタリとやみ、
空をおおっていた雨雲が割れて銀色に輝く一個の光球が現れた。
それは急速に回転しながら、無数の光線を放射しはじめた。
光線は黄、赤、青、紫とさまざまに色を変え、7万の群集に降りそそいで、大地にあふれた。

「奇跡だ!奇跡が起こったんだ」という叫び声があちこちからあがり、
人びとの熱狂と興奮の中で一連の「ファティマの奇跡」は幕を閉じた。
これは、集まった10万人の人々に一部始終目撃された。

318: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:29:59.00 0
そしていつもの婦人(聖母)はやはり3人の子どもだけに聞こえる声で、
この地に礼拝堂を建てるように言い、3つの予言を告げた。


1、悪魔と地獄の現存:多くの人々が悪魔によって地獄へ導かれている。七つの大罪などの罪、
 特に肉欲の罪から回心しないままでいることにより人は地獄へ行く。

2、人類の危機:全人類の大半を数分のうちに滅ぼす武器が戦争で使用されることによって、
 人類が瞬時に滅ぼされる可能性がある。

3、教皇暗殺の危機:これについては口外されなかった。
(現在のカトリック教会の公式見解では、1981年のローマ法王パウロ2世の狙撃事件の予言だとされている)


フランシスコとジャシンタの二人は、6月の聖母マリアの出現の際に、もうすぐ天に召されると予言されていた。
実際にその後、第一次世界大戦終結後に病気で夭逝した。
最後の一人ルシアは、その後修道女になり、2005年2月13日、97歳でコインブラの修道院で死去した。

ファティマでの事件はその後、カトリック教会によって正式に「奇跡」として認められている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ファティマの聖母

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331: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:30:12.00 O
ファティマの奇跡の話は当時のポルトガルでは有名になっていたから
予告された10月13日には、実際に国内外からかなりの群集が集まったはず。
10万人かどうかは知らないけど。

440: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:32:01.00 0
ビザンツ帝国の史家ニケタス・コニアテスによると、12世紀末のコンスタンティノープルにバシラキオスという狂人がいた。

その男は未来を占えるという評判があり、人々は長蛇の列をなして彼のところへやってきたという。

コニアテスに言わせれば「その男の予言は当ったためしがなく、その言葉遣いは間違いだらけで、支離滅裂で、秘密めかしていた」。

そしてそんな馬鹿げた行いに引きつけられるのは田舎者や無知な者だけだったと記している。

だがその評判は皇帝の耳にも届いたらしく、バシラキオスは宮殿に召し出され、当時のイサキオス2世によって未来を占うよういわれた。

バシラキオスはまったく場所をわきまえない様子で、奇声をあげてそこら中を走り回り、壁にかかっていた皇帝の肖像画の両目に穴を開けイサキオス2世の頭から被り物をひったくった。

その後クーデターが起き、イサキオス2世は帝冠を奪われ、両目を潰された。

443: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:32:04.00 0
>>440
ギリシャ正教圏で君主の両目って思いっきり廃位フラグじゃん・・・

むしろ無関係にクーデター計画してた連中が、その予言を聞いて
決行に踏み切ったとかだったら別な意味で洒落にならんな

527: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:33:28.00 0
読売新聞に連載中の宮城谷の小説で出てきて知った話だが
光武帝の昆陽の戰いの前夜、敵陣に

夜有流星墜營中,晝有雲如壞山,當營而隕,不及地尺而散,吏士皆厭伏。
―後漢書 光武帝紀

夜、隕石が落ちてきた。そして、白雲の山のような物が天から崩れ落ちてきて
地上すれすれで消えた。それを見て兵士達は恐れ地面に伏した。

なんだこれ?
氷の彗星が落ちてきたか、マイクロブラックホールか?
ツングース爆発隕石みたいなもんか?

531: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:33:32.00 0
>>527
オーロラだろ。

530: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:33:31.00 0
このスレや、死因系スレや、逸話系スレだと、
たまにガチで隕石らしきものにあたって死んでる人間も洋の東西を問わず何人か居るから、
ごく稀にあることなんじゃないだろうか。

542: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:33:43.00 0
ウイグル王家の起源神話も宇宙人ぽくて怖いわ

ある時二本の樹の間に天から光が降ると、そこに塚が盛り上がり毎夜光を受けて塚は日に日に大きくなった。

そしてついに妊婦の分娩のときのように塚が開いて、「内に一つずつ別々になったテント状の小室が五つ現れ、それぞれの内には男の児が一人ずつ坐っていて、その口の前には管が下がっていて必要な乳を供給しており、テントの上には銀の網が延びていた」。

五人の子供はその後ウイグル族に育てられて王族となり、各地を征服したとのことである。
(ジュワイニー『世界征服者の歴史』より)

549: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:33:50.00 0
>>542
月へ帰らなかったかぐや姫みたい

547: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:33:48.00 0
マゼランの巨大な船

マゼランがフエゴ島行ったとき、カヌーしか知らない原住民にはマゼランらの巨大な船が見えなかった、みたいな話がある。
ttp://blog.goo.ne.jp/nbrisi/e/3208cb60e9732e3a67b13ef0a5306445
で、マゼランの記録見てみたら、該当箇所であろう箇所は
その男は提督とわれわれの面前に来ると、ひじょうに驚き、われわれが天から降りてきたものと信じて、
指を一本高くもちあげる格好をした。「大航海時代叢書1」岩波書店504ページ。
としかないんじゃなかろうか。
つまり、船を見た上で、いわばUFOが降りてきたのか!的な驚き方をしたんじゃなかろうかって思えるが。
船が見えないってのはあり得ないだろう。
ならば黒船が来たとき、日本人の中にも黒船が見えねー奴がいたとしてもおかしくなかろうって思えるし。

862: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:39:03.00 0
>>547
黒船が見えなかったって話もあったようだ
http://koroshinganba.blog137.fc2.com/?m&no=96

553: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:33:54.00 0
謎の船が突然現れた例
-s

558: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:33:59.00 0
船が見えなかったで思い出したが、乗組員全員餓死した良栄丸事件の時も
漂流中にアメリカ船が近づいたがなぜかシカトされたらしいな・・・

562: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:34:03.00 0
>>558
マゼランの話から考えると
日本人はアメリカの巨大な船を知らなかったため見えなかったということか

568: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:34:09.00 0
アステカ人がスペイン人をケツァルコアトル神の再来だと信じた、とかいうのも
スペインによる征服後に作られた物語じゃねえかなあ

569: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:34:10.00 0
日本の話だが吾妻鏡で源実朝が庭を「青女」が走り去るのを見て
その後女が消え光が飛び去っていった、という話(既出?)を読んで怖かった覚えがある。
実は「青女」ってのが下女だと知らずに「青白い女」だと思っていたので
余計に怖かった。

572: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:34:13.00 0
「病膏肓(やまいこうこう)に入る」有名すぎるから誰も書かないのか? 長いが載せとくぞ。

出典は左伝。晋の景公はある晩恐ろしい夢を見た。巨大な幽鬼が躍りあがりながら襲いかかるというような内容だった。早速巫師を呼び夢の意味を問う。
「公は秋麦を召し上がることはできますまい」(それまでに命が尽きる)
これが答えだった。程なく景公は重病を患い床に伏した。
景公は隣国の秦(勿論その後の戦国時代の始皇帝の秦ね、念のため)から桓という名医を呼ぶこととした。とは言え隣国とて道中長く中々到着しない。
(続く)

573: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:34:14.00 0
(病膏肓の続き)
そんな日々、景公はまたも夢を見た。なんと病魔が二人の童子になって話あっているのだ。
「名医が来るぞ、俺たち退治されちゃう」「膏(こう)の上肓(こう)の下に隠れれば大丈夫さ」
やがて医の桓が到着、景公を診て曰く
「病は既に膏の上肓の下に至っており手遅れでございます、どうかお諦めください」
景公は礼を尽くし桓を秦に帰国させた。
公の病重いまま季節が過ぎ秋麦の収穫を迎え、これが病床の公にも献上された。
公は先に秋麦を食せないと予言した巫師を呼びこれをその場で註した。
(続く)

574: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:34:15.00 0
(病膏肓その3)
だが、麦粥を口にしようとしたその時腹が張り、公は大急ぎで厠に入ったが
そのまま下に転落し命(原文では「卒」した)を落とした。
(古代中国の便所は汲み取り便所的なものではなく、下は堅い地面で高さもかなりある、墜死に近い感覚か)

「病膏肓に入る」、膏の肓の下、腹腔のうち最も深部で鍼も薬も到達し得ない部分という
一般的にはみぞおちのあたり。当然鍼治療は不可。胃の裏である膵臓のあたりではないかとも言われている。

575: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:34:16.00 0
>だが、麦粥を口にしようとしたその時腹が張り、公は大急ぎで厠に入ったが
>そのまま下に転落し命(原文では「卒」した)を落とした。
>(古代中国の便所は汲み取り便所的なものではなく、下は堅い地面で高さもかなりある、墜死に近い感覚か)

・・・悲惨な死に様ですね

576: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:34:17.00 0
病気・医術系なら不気味な話盛りだくさんだからなー
三国志方技伝の華陀にもいろいろあるけど

・嚥下困難の患者にすっぱい蒜の和え物を3升(漢代の1升は約200ml)飲ませると、蛇を一匹吐き出した。
華陀の家にお礼に行ってみると、家の壁には同じような蛇が束になってぶら下がっていた。

・広陵太守の陳登を診察したところ、魚の刺身の食べすぎで腹の中に寄生虫がいるとわかった。
せんじ薬を飲ませると、ほどなく3升もの虫を吐いたが、頭が赤くてみなうごめき、半分ほどはまだ生の魚の刺身の姿をしていた。華陀は「三年後に再発しましょう」と予言したが、三年後には華陀がもういなかったので、陳登はそのまま死んでしまった。

673: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:35:54.00 0
アイスランドの『スヴァルファルスダルのサガ』より

イングフィルドは兄弟のグリスとリートルフに頼んで、夫のクラウフィを殺させた。
兄弟は死体を乾草の下に埋めた。その夜イングフィルドが寝ていると、突然クラウフィが
彼女の目の前に立っていた。彼女は兄弟を呼んだ。兄弟は亡霊と戦い首を切り、頭を脚のところに置いた。
ある夜、赤毛のカールが火のそばに坐っていたところ、誰かの声が聞こえた。
それはクラウフィの声であった。カールはそばにいた八人の男と共に、武器をもって外に出た。そこには自分の頭を手にもったクラウフィがいた。

皆はクラウフィの跡を追ってシュタインドゥールまできた。そこでクラウフィは立ち止まり、頭で戸を叩いた。カールは敷地に入り、ついで家の中にも入った。
そこでイングフィルドの兄弟のグリスに出会った。カールはクラウフィの死について詳しく聞こうとしたが、グリスは何も答えず、すぐに部屋から出ていってしまった。そこへクラウフィの姉妹のジーグフリートが兄弟の剣を手にもって入ってきて、それをカールに渡した。カールは外に出てグリスの剣の柄が脂で染まっているのをみて、グリスを殺した。
カールの一隊がシュタインドゥールから離れたとき、クラウフィが現れていった。
「カール、今夜は俺のためにお前たちの多くの者が地の下に来ることになるぞ」

674: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:35:55.00 0
そこには一五人ほどの人びとがいた。リートルフとその仲間たちであった。
すぐに激しい戦いとなり、クラウフィも戦いに加わって自分の頭で激しく打ちまくった。リートルフと仲間たちは逃げようとしたが、クラウフィが道をさえぎり、特にリートルフに打ってかかった。
リートルフは近くに住むスキディに助けを求めた。スキディは声を聞いてとびおき、家から走り出ようとした。ところが家の前にクラウフィが立ちはだかり、道をふさいでいた。
スキディは燃える薪をとって屋根に火をつけた。クラウフィは燃えさかる炎を前にして、消えざるをえなかった。スキディは戦闘の場に行き、両者を離れさせた。リートルフは逃げのびた。

ある日、グンナールとカールは家の前に立っていた。カールは空を見上げて、真っ青になってこういった「従兄弟のクラウフィが灰色の馬に跨って空を駆けてゆくのが見えた。橇が一台あとをついていったが、その上には俺がいたように思うよ」。すると空にクラウフィの声が響いた。
「お前は今日の夕方俺と一緒に家に戻るのだ、カール」
そのすぐあとでカールは待ち伏せにあって死んだ。リートルフの友人が彼の生命を奪ったのだった。

675: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:35:56.00 0
後にリートルフは奇怪な死に方をした。牧草地の上手の恐ろしい穴の中に横たわっているのが発見されたのである。クラウフィの剣を鍛え直してつくられた短剣で刺されていた。

クラウフィはまたさまよい始め、彼の起こす暴力沙汰は際限がなくなった。
人を殺し、家畜も殺した。従兄弟が何人かの仲間とクラウフィの墓に行き、墓を掘って死体を掘り出した。それは腐敗していなかった。死体は大きな薪の山の上で焼かれ、灰を集めて鉛の箱に入れ、二本の鉄の止め金でとめ、熱い温泉の中へ投げ込んだ。こうして亡霊がさまようことはなくなった。
クラウフィが焼かれた崖は二つに裂けてしまった。

682: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:36:03.00 0
>>675
てか悪霊の遺灰を温泉に捨てるなよ

820: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:38:21.00 0
書物が手元にないので引用はできないが
乃木大将は若い時に旅館で女の幽霊に遭遇して
そのことを日記に書いている。

823: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:38:24.00 0
>>820
そういうの良いね。「こんな不思議な話があった」って作者が用意したものじゃなくて、
個人的体験を個人的に書いたのが残ってる、っていうの

821: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:38:22.00 0
乃木大将 幽霊  で検索すると
学習院長時代にその当時のことを乃木本人が講話している。

紹介してくれるサイトからの無断引用は避けるが、結構こわい。
夜眠ろうとすると女が部屋に入ってきて
蚊帳の横から乃木をじっと見ている。
身を起こすと誰もいない、それが二日続いた云々と。
女は耳元で話しかけようともした、と。

855: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:38:56.00 0
幽霊といえば遠藤周作と三浦朱門も遭遇しているぞ。
熱海の旅館で。

「俺は、ここで自殺した・・・」と枕元でささやいたらしい。
二人のどちらかが「逃げよう」と言い出して部屋を脱出、
三浦は庭で嘔吐したそうだ。

882: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:39:23.00 0
このスレ読んでて思ったけど、キリスト教会が支配的だった頃のヨーロッパでも
霊とかアンデッドじゃなくガチで悪魔そのものを目撃した!みたいな怪異譚はないのかね。
教訓的な宗教説話にはよく出てくるけど。

サタンとかああいうのは中東神話の名残だったり教会文学の文学装置だったりするから
あまり生々しく感じられなかったんだろうか。

889: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:39:30.00 0
>>882
キリスト教化が進んだ中世でもオーディンが死者の群れを率いているのが目撃されたりしてる
イタリアあたりでは「ディアーナの軍団」とかいうのも現れてた
そういう古来の神々を民衆がどう思ってたかはともかく
少なくとも聖職者は悪魔の出現として認識してた筈

883: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:39:24.00 0
逆にコロンブスとかの航海日誌見ると怪物とか出ないなあって思う。
原住民から怪物の噂は聞いてるけど。
あと怪物ではないが発光体を目撃してるのがすごい。
隕石ってことになってるけどyoutubeの海外の番組だとUFO扱いしてるのもあるようだ

884: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:39:25.00 0
>あと怪物ではないが発光体を目撃してるのがすごい。

どんなん?

885: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:39:26.00 0
「コロンブス航海誌」1492年9月15日黄昏時に空から目のさめるような火の束が4,5レグア先の海に落ちたといったことを書いてて隕石と解釈されている。
で、それがオカルト論者?の手にかかるとUFOってことになるみたい



そういやこれってスレタイにふさわしいネタだったな。気づかなかった

888: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:39:29.00 0
>>885
サンクス
UFOなら海に落ちんなよっていうw

890: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:39:31.00 0
http://www.maniado.jp/community/neta.php?NETA_ID=2960
1561年、ドイツ上空にUFOが無数に現れたってのは何を見たんだろう

952: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 15:40:33.00 0
このスレに載ってる話、オカルトっぽくて結構まじで怖い・・・。

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世界史で見かけた不気味な話『奇跡・太陽のダンス』『コロンブスが目撃したUFO』

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コメント

1  猫田ニャン太 :2018年04月17日 23:04 ID:t1p4Lo5S0*
(ФωФ) ニャー
恐らく宇宙人はこの頃から人間をさらって人体実験、そして地球人と異星人の子供を地球に解き放ったのかな?

 
 

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