9814405「母に“話しておかなきゃいけないことがある”と言われたのは、15年11月です。母の姉がいる介護施設でのことで、自分もいつ姉のようになるかわからないと思って、切り出したんじゃないですかね。“私とあなたは血がつながっていないかもしれない”“薄々感じていたでしょ”って。あまり驚きませんでした」・・



順天堂「取り違え」被害者がすべて告白 不倫疑いで両親離婚、母は精神病を患い


「私が生まれたのは1967年1月半ば。母に聞くと、初めて取り違えを疑ったのは、私が小学校に入るときだそうです。
当時は小学校に入学するとき血液検査を受けたんですが、うちの両親は2人とも血液型がBなのに私はA。生まれるはずがない。母は出産した順天堂医院に何度も行って“取り違えがあったんじゃないか”と相談したのに、“だったら訴えろ”と、無下に追い返されたといいます」

「直後、会社を営んでいた父が家からいなくなりました。私が生まれるはずのない血液型なので、父は母の不倫を疑い、離婚になったと聞きました。以後、母は精神病院への入退院を繰り返し、その間、私は祖父母や親戚の家に預けられっ放しになったんですが、小学3年のとき母が再婚しましてね。

やっと普通に暮らせるかと思ったら、新しい父から毎日つらく当たられた。弟にはやさしいのに、なんで私にはこんなに厳しいのか解せなくて、何度も自殺を考えました。いまにして思えば、私は不倫の子。母親の人生が滅茶苦茶になった原因だと思えば、私が憎く思えたのでしょう」


・話題となっている 順天堂医院の新生児取り違え騒動





「小学生のときサッカークラブに入っていたら、継父に“金がかかるから”とやめさせられました。貧しくて、中学に入ると生活費を稼ぐために朝日新聞の配達もしましたよ。高校受験では都立高校に合格したのに、継父から“うちには学費を出す余裕がない”と言われ、行けなかった。仕方なく実家近くに家賃1万8000円のアパートを借りて、食品工場に就職しました。

母が時々きてご飯を作ってくれましたが苦しかった。それからしばらく職を転々としてから定時制高校に入り、ラーメン屋や鉄工所で働きながら卒業しました」

その後、小さな会社を自身で営み、20代のうちに結婚するが、そのころから違和感が強まったという。

「母と離婚した父に結婚を報告しようとしたら、“会いたくない”と拒まれて疑問を感じてね。同じころ祖母から“あんたはこんな苦労する必要なかったのに”、親戚からは“(両親は)あなたの血液検査が原因で離婚したんだよ”と言われて、どんどん疑問がふくらみました。考えてみれば、私は顔も性格も母に全然似ていない。母に“本当に俺はおかあさんの子?”と聞いてみましたが、“橋の下で拾ってきたのよ”とはぐらかされましてね」・・

・詳細はソース


・順天堂「新生児取り違え事件」被害者インタビュー&病院の隠ぺい交渉















・新生児取り違え「順天堂」の「ウソ」&被害者母インタビュー