ゆきだるまも神のお導き……
本殿内で軽く転がすようにして投げられた餅。ぐうぜんにも重なってゆきだるまになった。
息を殺して参加していたのに、これでいっきに緊張がゆるみつい笑ってしまった。バチが当たるかもしれない。この場を借りて懺悔するので許してほしい。
息を殺して参加していたのに、これでいっきに緊張がゆるみつい笑ってしまった。バチが当たるかもしれない。この場を借りて懺悔するので許してほしい。
祭りといってもワッショイでもピ〜ヒャララ〜でもない、静寂閑雅な響きを感じる"夜"祭り。それに惹かれて予習ナシで行った。すげえ山奥だった。
すげえのはそれだけではない。 鳥居は栃木と茨城の県境にそびえたち、日本最大級、すげえデカい大フクロウの像まである(写真はない)。 そして、氏子の皆さんに支えられた、ローカルであたたかいすげえひっそりとした祭事だったのだ。
土屋遊(つちや あそび)
イカとタコが大好きで、食べたり被ったり本まで出版しました。
でもサイコーに好きなのはアワビだったりします。世間に対する謙虚です。前の記事:「今こそレモンパイ おすすめ喫茶10」 人気記事:「今こそレモンパイ おすすめ喫茶10」 > 個人サイト Weekly Teinou 蜂 Woman 鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ)へ日時だけ確認してあとは無計画だったので、まさか山の頂上にあるとは思わなかった。
最寄り駅はJR烏山。この烏山線がやたらローカルで、その時点でもプチあがる。下車後、立ち寄ったお店の方が「徒歩、マジ、ありえない」と教えてくれてタクシーを呼んだ。車一台やっと通れる山道(しかも雨)を走り、20分で到着したが気分的には果てしなかった。 造花にごみ箱(ビニール付き)。ホームではなく、電車内が生活空間っぽい。
みんな知り合いなのかタクシーの運転手さんが待機時間は無課金で待つよと提案してくれた。返答する間もなく、彼は出店のお姉ちゃんや顔見知りの店員さんと「オレね、ここでお客さん待ってるから」と座りこんで談笑している。
どうやら他の人たちはほとんど知り合いのようだ。 あいにくの雨だったが、そのことはこの時間をより神秘的にさせたように思う
本宮祭・三本杉祭・御本社祭と三つの神事がある雨足が強まる中、神職と氏子の方々がぞろぞろと移動するのを追った。祭りとはいえにぎやかしい雰囲気はない。ただただ厳かで、神事そのものだ。
子供が初詣の参拝を見よう見まねで行なうように、大人の私たちも付いていくのに必死だった。それがまたスペシャルな気分に拍車をかける。 氏子の持参した二又大根、白酒を供える本宮祭
平安貴族たちの婚礼が行なわれるようなワンシーン(知らんけど)
たびたび所作の確認をする神職と氏子のみなさんいったん神職と氏子たちが社務所へともどり、つぎの神事の作法・所作を声をだしながら確認していた。傘をさしてそれを見守る参加者の面々。これもまた祭りの一環として楽しめた。めったにできない体験、それでこそ奇祭である。
打ち合わせ中の神職や氏子の方々。それを見守る我々
三本杉祭はほぼ暗闇の中で筵(むしろ)を敷き、提灯の明かりだけを頼りに行なわれていたがあまりよく見えなかった。ひととおり終えたらまた移動する。
灯篭がぼんやりと照らしている長い石段は、闇にうっすら浮かびあがっているように見えて、そこはかとなく幽玄だった。 映画を観ている気分だった。大雨だけど
山にこだまする声とホラ貝に今を忘れる神職、氏子さんらが低く唸るように
「おーーーー」 といっせいに声をあげ、それに応えるようにしてホラ貝の音が山にこだまする。ちょっ、ここ、現代ですか。幻覚? どこかの時代に、迷い込んで、ない? レトロな空間でよく言うセリフだが、体験も含めて本当に妙な錯覚に陥ってしまった。 なれている人、初々しさが残る人、いろいろだった
御本社祭「見えそうで見えないものに畏敬の念」(575)本殿でのクライマックスだ。年に一度のご開帳でその価値をグンと高めながら、御神体のある扉も開かれた。御簾(すだれ)の奥なのでハッキリとは見ることができないけれど、この「見えそうで見えない」ことが「神の気配」につながっていく。
俗界との結界をしめす見事なすだれ
これは、伊勢神宮でも思った。
御幌(みとばり)と呼ばれる白い布で中の様子は見えないものの、はごろものようにうすい布は、風が吹くと時折ヒラリとめくれる。そこで、「風も吹いてないのに!」である(体感では風がほとんどわからない)。 「神さまが舞いおりた! そこにいらっしゃる!」と、異様な高揚感とともに畏敬の念を抱くのである。 下着姿よりも、パンチラリズムに動揺することと心理的には同じではないだろうか。ありがたみというか……。 また所作の確認が行なわれる。そういえばテレビ局もきていた
朱に白! 紅白! とにかくなんでもありがたがる
神さまと同じ食事をいただく神人共食本殿内にゆるく投げられたのは小さな餅。真紅の敷モノにコロコロと転がる白色はよく映えていた。
それから、神さまに供えられたものと同じ白酒・餅・小豆が、クリの木の板に乗せられて参加者全員にふるまわれた。 全員に行き届くように。たまに世話役が「そっちもらったー?」と聞いてくれて地元感マックス
なんというか、恐縮です… という気分で口に入れる。無味なのにおいしく感じたのはなぜだろう。恐縮だからか少量だからか、あるいは無料だから?
小粒餅、茹で小豆が栗の木の板に乗せられている。神のパワーをいただくってやつ
すげえローカルな地元民のまつりごと山頂、日本一のフクロウ(不苦労)と、特筆すべきことは多いのだが、地元のまつりごとに参加させてもらった気持ちが強い。もちろん県外からも何人かは参加していた。
社務所での確認もそうだが、それ以外にも若い氏子が神職や高齢者に教えてもらいながら、というほほえましいシーンを何度も目にした。きっと何年もくりかえされた光景だろう。 同じように古来から引き継がれてきた伝統は、これからもすげえ時間をかけて守られていく。パンチラとか言ってる場合ではなかった。 ゆきだるまも神のお導き……
本殿内で軽く転がすようにして投げられた餅。ぐうぜんにも重なってゆきだるまになった。
息を殺して参加していたのに、これでいっきに緊張がゆるみつい笑ってしまった。バチが当たるかもしれない。この場を借りて懺悔するので許してほしい。 最後にはゆきだるまの写真まで撮ってしまった
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